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第四章

月の影

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 あきらという男は退廃的たいはいてき臆病おくびょうな男だった。ひのえと関係を持つことで安心して力も安定した。こんな弱さを九郎に気付かれたくない、そう思って必死に取りつくろってきた。

 ところが九郎はその線を容易よういに踏みこえる。硬いからがされて、やわらかい明の部分へ触れてくる。



――――どうしてこうなったのだろう。

 月読の目は廊下をたどり、九郎のにぎる手首を傍観ぼうかんする。触れられた手首は燃えるように熱い。

「お前……どうして戻ってきたんだ……? 」

 帰還すると知った日からつもっていた言葉が口をく。

「あの事件のことを聞いた」

 やはり彼は知っていたのだ。月読は目を閉じて眉根をよせる。九郎は御山を離れた後悔を口にした。

「俺がここにいれば、起こらなかった」

「………自惚うぬぼれるなよ九郎、お前がいようが変わらない、何かが起こる時は関係なく起きるんだ」

 月読のいでいた心は再び波立ち、眼はキリリと吊り上がったが感情を否定するよう首を横へふった。次に顔をあげた時、月読の目は九郎を冷たくねつけた。

「烏の家へ帰れ」
「いやだ」

 やんわりした口調で冷たく引き離す、しかし目のまえの男は否定した。言葉だけ聞くとまるで子供の喧嘩ケンカ、あきれた月読がもう1度口を開きかけたとき、先制した九郎は言葉を発する。

「帰ってきた時もそうだ、そうやって俺をこばむ。世話役を申し出たのは、少しでも距離を縮めたかったからだ。お前が他の男のものでも……俺は―――」

 苦々しさをき出すように言葉をつむいだ。九郎にしては珍しく言葉はまとまっていない、無愛想ぶあいそうなはずの顔は苦悶くもんに歪んでいた。

「俺は烏としてお前のそばで生きていく、ずっとそう思ってきた……けど、これ以上は無理だ。お前への気持ちを抑えることも隠すことさえ出来ない」

 切羽詰せっぱつまったなげきがしぼり出され、月読は返す言葉が見つからなくて目をせる。



 頬へ九郎の指が触れる。顔が近づき反射的にらそうとしたけど無駄だった。噛みつくようなキス、おしつけられた柱はミシリと音を立てる。閉じた歯列をなぞり舌が口内へ侵入する。押しかえして抵抗したのに、あっという間にからめとられ思うさま吸われた。

「……んん……っ」

 月読の口から無意識に吐息といきがもれる。

 顔を逸らそうとすれば後頭部へ手がまわり頭を固定される。侵入した舌は粘膜ねんまくをからめとり熱く混ざりあう。激しさに息つぐ間もない、苦しくなって九郎の着ているシャツを強くにぎりしめた。
窒息ちっそくするかと思った時、唐突とうとつに解放された。先程まで激しく絡みあっていた舌はうすく糸を引きながら離れる。

「はっ……」

 月読は酸素を取りこみあえいだ。捕えられた体は密着し、背中へしびれるような感覚がわく。離れようとしたけれど九郎はゆずらない。月読は困ってうつむき、ふせた睫毛まつげは影をおとす。

「父からはお前が変わってしまったと聞いた。だがちがう明は変わっていない、自分の影に隠れているだけだ……いまさらそれに気付いた」

 九郎は視線を外さない。影に隠れて息をひそめていた男は、影から現れた男に見つけられてしまった。もうそばから離れる気はないと抱きしめた男が耳元でささやく。低い声と熱をもった身躯しんく、心地よく感じるのに反して心は葛藤かっとうする。



 雨どいからしたたった水の音が静けさの中で跳ねる。

 嘆息たんそくした月読は【びと】を知っているかたずねた。引き留め人はハクが生まれたら1番ちかしい者が選ばれる。名のとおり強い力を持つハクヒトから乖離かいりせぬよう引きとどめる者。

「誰にその事を聞いた? 」

 引き留め人の存在ついて何者かが意図的いとてきに教えなければ月読が知ることはない、難しい顔になった九郎は眉間みけんへシワをよせる。月読がその問いに答えることはなかった。

 九郎は幼少期から引き留め人として側へいるよう教育されてきた。2人の関係に疑問を投げかけた月読は、握ったシャツへ視線をおとした。

「自分の意志でお前のもとに居たいと思った。幼い時の教育は別として俺の心がそこにある」

 教えられはしたけれどすべてではない。選択は自身がしたのだと、彼の目は強い意志を宿していた。

 実直じっちょくな瞳にえられなくて月読はそっと視線をらした。もしもまっすぐな枝のままだったら彼が隣にいるのは当たり前で疑問も持たず過ごしていただろうかと、丙の例え話を思いだす。曲がるという意味を呑みこみ、赤毛の男に届かなかった指先を握りしめる。



 雷鳴がおさまり、灰色の雲はうっすらと明るくなった。雲間から青空が見え、開けた窓から雨気あまけをふくんだ風が吹いた。

「馬鹿な男だ。ここを離れてそのまま戻って来なければ良かったのに……」

 流れゆく雲をながめ、月読はポツリと独り言を放つ。口数少ない男は濡れた地面へ視線を落とし、寂しげな顔でひっそり笑った。

「あのとき俺は、お前が『そばに居てくれ』と言うのを願った。ここへ心を置いて行ってしまった。向こうで過ごす4年の間、お前を忘れたことは1度も無い」

「………私は忘れていたよ。こんなロクでもない男のいない、遠い場所で御山のことも忘れて可愛い嫁さんでも見つけ平穏に暮らせば良いと思っていた……今でも思っているよ」

 嵐の過ぎ去った空は雲が果てしなく流れく。

 あきらという男は九郎に思われるほどの価値もない。2人は互いに惹き合いながら反発してズレが生じた。共にいること、それはこの先も不満やジレンマをもたらすだろうと悲観ひかんした。


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