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第三章

帰っテくルヨ

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 道の脇へならんだ雪だるまは、外灯に照らされ青い影を落とす。

 つめたい空気はほほを切る。時折ときおり雪を巻きあげる風がふき、視界は白くかすんだ。インバネスコートがはためき小千谷紬おぢやつむぎすそが乱れる。着流きながしの下へ厚着しているものの足元は冷える。

 れの挨拶まわりに忘年会がかさなり、月読は方々ほうぼうへ出向いていた。年始の準備や祭事さいじなど猫の手も借りたい季節、いつも鬼平の膝へ丸まる毛玉のような猫を思い出す。

 冬至とうじを過ぎて日没も早く、夜のとばりが下りつつあった。

 門松かどまつの飾られた門をくぐりぬける。コートと襟巻えりまきを玄関のハンガーへかけ、底冷えする廊下を歩きファンヒーターを点けた。古い屋敷だが2重構造の窓で暖まるのも早いだろう。

 薄暗い坪庭つぼにわをのぞけば、手水鉢ちょうずばちを埋めて作った小さな池に氷が張っていた。
 
 月読は厚手の足袋たびを脱ぎ、こたつへ滑りこむ。昨年の暮れは急な仕事で息つく間もなかったけれど、今年は何も無さそうで安心してくつろぐ。気づけば小晦日こつごもり、正月の準備をして年越しを待つばかりとなった。

 ほうじ茶の香ばしい匂いでホッと息を吐く。にぎやかな場所から帰ってきた落差で静寂に包まれた。しかし静かな環境は気を抜くことの出来る場所でもある。

――――今日はこのまま、ゆっくり過ごそう。

 月読は締まりのない顔でダラダラ過ごす。こたつへ積みあげた蜜柑みかんの皮をむくと甘くて濃い味がする。



 静けさを破り、けたたましい呼び鈴が玄関へ響く。誰も来る予定はないはず、月読はのそのそと重い腰を上げ玄関を開けた。

おせえよ」

 寒さに身を丸めた大男は、白い息を吐きうなった。みやげに風呂敷ふろしきとポリ袋をげ、どう見ても酔っぱらいだ。ひのえは勝手に屋敷へ入った。。

「ん? 今日は誰もいねえのか? 」
「叔父ならふもとの商会の集まりに出てるよ」

 加茂は振興組合しんこうくみあいの正月企画に関わり超多忙たぼうだ。

 丙家へは一昨日おとといも訪れたばかり、丙家の正月準備も終わって、朝から挨拶まわりであちこち寄っていたと話す。

「どうせ爺共じじいどもの相手させられてると思って西会館へ寄ったんだよ。そしたら、おぇ帰ったって言うからよ。まあ挨拶まわりもお前んとこで最後だし、ちょうど良いや」

「挨拶って、一昨日もしたばかりだろう? 」

 月読は手伝いをかねて西会館にも入りびたっていた。年末は人々がとめどなく集まり、昼も夜も宴会が終わることなく続き、飲み疲れて今日は早々はやばや引きあげた。

 酔ったゴリラはドカドカと廊下を歩いて炬燵へ足を突っこむ。明日まで穏やかに過ごすという目標は水の泡、月読は額へ手を当てて溜息をついた。

猪口ちょこか器、あんだろ? 飲めりゃなんでもいい」

 風呂敷から日本酒の一升瓶いっしょうびんを取りだした。月読は徳利とっくりを用意して酒を湯煎ゆせんへかける。



 すでに酔った2人の酒盛りが始まろうとしていた。

 月読はポリ袋のなかにホッケの干物を発見した。いそいそと台所へ行き、床下から七輪しちりんを出した。窓を少し開けて居間に面した廊下へおき火をつける。火箸ひばしで消し炭と備長炭びんちょうたんを組んでいると丙が後ろからのぞく。

「七輪か、いいもんあるじゃねえか」

 火が移り炭は白赤く燃える。金網へのせた干物は音を立て、香ばしい匂いが立ちのぼった。温めた酒を猪口へなみなみとそそぐ。丙は新聞紙をひろげ、栗の殻にヒビを入れて七輪へならべた。

 山麓の寺から、明日を控えた鐘撞かねつきの音が響く。

除夜じょやにはまだ早えぇな、お前さんは大晦日に打ちに行ったことあるのか? 」

「除夜のかねつきか……あるけど、去年は忙しかったから聞く間もなかったよ……」

 学生のとき遊びの延長でおとずれたことはある。煩悩ぼんのうが取り払われなかったのは言わずもがな、嘆いたら丙が笑った。ジュウジュウと焼けたホッケが皿へのせられる。脂のった白身はさっぱりした辛口の日本酒と相性がいい。

昼間の分も重なって酔いもまわる。月読はこたつから這いだし、敷居しきいをこえ廊下へ寝そべった。持ってきた座布団とともに寝転びながら熱燗あつかんたしなむ。

 七輪の前にいた丙は、ふと聞き耳を立てる仕草しぐさをした。

 外から足音が聞こえたと言い気配をうかがう、しかし屋敷には誰もいないはず。眠気のでてきた月読はどうでも良さそうに聞きながした。

「いや……勘違かんちがいだったようだ」

 首をひねった丙は釈然しゃくぜんとしない顔で酒をあおった。こちらを見おろした目と目が合った瞬間、頭を引き寄せられた。月読は腕を突っぱって一応いちおう抵抗をこころみる。

「…………ふ……っ」

 抵抗むなしく分厚い舌は入りこみ、からみ合って濡れた音が聞こえる。後頭部を支える大きな手の温度を感じる。酔いのせいもあって、心地いいキスにこのまま身をまかせてしまいそうだ。

「ひのえ……ダメだ。明日、朝から用事がある」

 月読は大きな顔を引きはがして息をく。廊下へ寝そべり熱くなった顔を冷やしたら、丙は小さく笑いまた酒を飲みはじめた。時計の針が12時を過ぎたころ、酒にまれて限界がくる。月読はこたつで動かなくなった。

「ったく、こんなトコで寝るな。俺もおぇも明日から忙しいんだ。ちゃんと布団で寝とけ! 」

 丙は月読をかつぎ、寝室の布団をおろして敷くとそこへ寝かせた。





 朝光は凍った水滴を虹色に反射する。端末が忙しなくチカチカとまたたき、加茂モモリンの連絡が届いていた。

 七輪の炭は火消し壺へ入れられ片付けられていた。こたつへ横たわっていた記憶を最後に曖昧あいまいだ。頭痛に項垂うなだれる月読は、居間を整頓して風呂場へ向かう。早めに到着したモモリンが呼び鈴を何度も鳴らしていた。



 大晦日おおみそかと正月3が日は行事、他家当主の訪問などなにかとあわただしい。4日目にやっとひと段落つき、新年会という名の酒宴しゅえんでひと息ついた。屋敷へ帰り訪問着を脱いだ月読は、お得意先などの挨拶をチェックして返信する。

「はぁ、やっと終わった……」

 独りちてると玄関の呼び鈴が鳴った。

 軒先のきさき九郎くろうが立っていた。3が日のあいだに何度か顔を合わせたけれど、挨拶だけで個人的に話すいとまはなかった。突然の訪問に言葉は出てこない、沈黙が流れたが気を取り直して新年の挨拶を交わす。久しぶりの会話はよそよそしく、どこにでもありふれた月並つきなみの会話だった。

 卒業したらからすを継ぐと九郎はげた。すでに一進より引退の話を聞かされ、大した動揺どうようもない月読は抑揚よくようのない声で答えた。

「そうか」

 明日には大学へ戻るという九郎は、大人びて精悍せいかんな顔付きになっていた。いまさら帰る理由は分からない、もしかしたら気が変わるかもしれないと月読はその事を深く考えないようにした。



 春になり、九郎は宣言せんげんどおり帰還した。

 表面上は平静をよそおっても心のざわめきはとれない。淡々と接すればいい、大丈夫だと月読は自身に言い聞かせる。そんな安易な考えを破るよう、九郎は世話役として月読の屋敷で暮らすことになった。



――――そして現在いまに至る。





―――――――――――――――

お読み頂きありがとうございます。
過去編は終了、次回から第四章になります。

もろもろの用語集

小千谷紬おぢやつむぎ…雪深い小千谷地方で作られてた小千谷縮おぢやちぢみの技法で織られた布。素朴で温かみのある風合い。

手水鉢ちょうずばち…手や口を洗い清める為の水鉢。石製から陶器とうき、金属、おけなど木製の物まである。

小晦日こつごもり…こみそか。大晦日おおみそかの前日、12月30日のこと。晦日つごもりは月末の日をさすことば。
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