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第二章

未熟な果実

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 それは突然訪れたように見えて、すべては積み重ねられた結果でもあった。

 道場での修練を終えた月読は、九郎の部屋のベッドへ寝転がった。よく鍛えた背中のラインをTシャツがおおい、乾かした髪は上部にまとめていた。はえぎわの柔らかい毛がれ落ち、日に焼けていない白いうなじがのぞく。

 その手元には雑誌の最新号がある。九郎と会話を交わしつつ雑誌をめくり、ぼんやりしていた。声は耳をとおり抜けて生返事なまへんじをくり返す。いささか低い声が聞こえ沈黙した。静寂に気づき雑誌から目を離して顔をあげた。

 椅子へ座る背中から、地をう言葉がつむがれた。

「そんなに、あいつの事が忘れられないのか? 」

 ゆっくりふり返った九郎は異様な雰囲気をまとっていた。ふたつのひとみは墨で塗りつぶされた闇のようだ。

「九郎、なに言って……」

 不穏な空気を感じ、月読はベッドから身を起こした。様子をうかがっていると無表情の顔は信じられない言葉を吐き出した。

「たかだか1年くらい一緒にいただけで、忘れられない程あの男に可愛がられたのか? 」

 彼の唇が歪んであざけった。月読の表情は凍りつき目が大きく開かれる。

 側へきた九郎に肩をつかまれて肌が泡立あわだつ。正体のわからない怖ろしさを感じて身をかわそうとしたが、ベッドへ押したおされた。体格は変わらないのにおおかぶさった男は振り払えないほどの強い力で押さえつける。

 塗り潰された暗い双眸そうぼう、その内面をはかることは出来ない。彼の輪郭りんかくにじみズルリと黒い影がはみ出して揺らめいた。

――――そんなまさか? かれている!?

 御山おやまのなかにものがいて、九郎がとり憑かれた。そんなはずはないと月読の思考は止まる。しかし月読は反射的に動いた。押さえられた腕を強引にはずし両手を九郎へかざす、ソレを払うべく黒い影を見すえた。けれども憑いた影に見覚えがあると気づいて躊躇ためらってしまった。

 手首をつかまれ再びベッドへ押さえつけられる。光のない黒い漆喰しっくいの目が見つめ、息づかいが間近まぢかへせまり恐怖で身体をこわばらせた。



 覆いかぶさった男の顔は、苦痛にゆがみ突然ブレた。九郎は拳で自身の顔をなぐったのだ。よほど強く殴ったのか、彼は衝撃で落ちて壁にぶつかった。ぼうぜんとした月読は正気をとりもどし落ちた男のもとへ駆け寄った。九郎を起こして座らせ、異常がないか調べる。

 にじみ出ていた黒い影は消え、気配も感じられなかった。彼を上向かせ双眸をのぞき込む、そこに居たのはいつもの九郎だった。

「…………俺は……明、すまない……」

 荒い呼吸の九郎がうつむき、ほっとした月読はそばへ座りこんだ。安堵して息を吐けば、頬へ九郎の手が触れる。苦しげな表情の男がこちらを見つめていた。

 長い沈黙がおとずれて手は離れた。

 以降いこう、影の憑き物があらわれる事はなかった。もしかしたら殴られた勢いで消滅してしまったのかもしれない、経過を観察しても異常はなかった。月読はその出来事を他の誰にも話さず時が過ぎ、余波よはは2人の間へみぞをつくる。九郎の私室を訪れることは無くなった。



 山へ初雪がつもって冬の到来とうらいを告げる。

 都心の大学へ進学すると九郎自身から聞かされた。彼は端切はぎれ悪く話し月読を見つめた。黒く塗り潰された目は相変わらずそのまま。

「いいんじゃないか? 環境も変わって勉強もはかどるし楽しいと思うぞ。お前がいなくても……まあこっちは、大丈夫さ」

 月読は背中を押した。冷淡にしかし柔らかく突き放す。そうして何も無かったかのように無邪気に微笑んだ。九郎の表情に変化はなかったが拳は握り締められていた。

 石畳をひとり歩く、月読の吐いた息は白く流れた。

 縛られず自由に羽ばたいていけばいい、御山ここで九郎が余計なフラストレーションを感じる必要もない。月読はそう思い解放したつもりだった。雪がちらつき顔をあげると山頂は白く積もっていた。ちいさな池の表面へ薄い氷が張り、心の穴にも冷たくすさぶ風が吹きこみてついていく。

 大人のようで、まだ互いに未熟だった。九郎は月読の前から去った。





 御山から九郎がいなくなっても月読の変わらぬ日常はつづく、鈴木すずきあきらとして昼は大学へかよい夜遅くまで遊び歩くようになった。連日クラブやパーティーへ入りびたる。

 月読の力は安定しなかった。力は弱まるのではなくて時々タガが外れたみたいに過剰かじょうに放出された。身体に荒れ狂うような熱が発生し、比例して夜あそびも激しさを増した。一方で月読としてのおつとめや仕事はとどこおりなくこなし、まつりごとに合わせ調子も整えた。それゆえ周囲の大人たちは夜遊びを黙認した。

 荒れ狂う熱をしずめ、心へいた穴を埋めるように明は寄ってくる女も男も関係なく喰った。

 遊びだと明言めいげんしての付き合いだったけれど、痴情ちじょうのもつれで修羅場しゅらばにもなる。情けない修羅場を一進には見せられずひのえへ連絡を取った。相手は丙の姿を見るだけでだいたい逃げる。
地回じまわりのヤクザが絡んできたこともあった。傷害事件の一歩手前になったが、丙はその辺のヤクザよりよっぽど筋者すじものにみえた。

 場がおさまってから月読は車へ乗せられた。

「くだらねえ事で俺を呼ぶんじゃねえ。酒まで飲みやがってガキんちょが! 」

 バックミラー越しにこっちをにらむおとこがぼやく、筋者ごときの丙は月読に対してすこぶる甘い。

 車はネオンの流れる大通りをぬけ、小さな光の立ち並ぶ駐車場へ入った。静かで落ちつきのある店のまえで降ろされた。いつものように屋敷へ直帰すると思っていた月読が目を丸くすれば丙は酒を注文し始める。家で飲もうと思ったのに調子が狂ったと愚痴ぐちられた。

「あんた、車だろ? 」

「うるせぇ。おぇは朝まで、俺の相手をしながら説教されるんだよ」

 月読が何か頼もうとすると、メニューを取り上げられウーロン茶が置かれる。色気のある女将おかみが微笑み、カウンターテーブルの水滴をぬぐった。

「オメーはウーロン茶で酔い覚ませ、小僧こぞう

 小僧と言われ反論したら、尻ぬぐいのできない奴は小僧だと叱られた。月読は丸まりながらチビチビとウーロン茶をすする。酒を多量に飲んだ事や日頃のおこないをあーだこうだと注意される。深夜にもかかわらず提灯が煌々こうこうともる酒場の時間はゆるやかに過ぎく。

 酔いもほどほどに覚め、眠くなった月読は枝豆をからごと噛んでいた。

うちへ帰るのがイヤなのか? 」

 丙の質問の意味が分からなかった。眠いから今すぐにでも家へ帰りたいと思っていたけれど、月読はその意味に思い当たった。

「……帰っても、もう誰もいない」

 酔いの覚めきっていない口から存外ぞんがい素直な言葉がでた。自身の返答が空虚くうきょへ沈み、月読は目をふせる。丙はめずらしく黙って酒をあおった。店を出る頃には黎明れいめいの光が高層ビルへ反射した。丙家の者が迎えにきて車へ乗った月読は御山へ帰る。





***************

 暗い森で追いかけられていた。黒い影に襲われ鋭いクナイが身をかすめて木の幹へ刺さる。抜いたクナイを投げかえせば戦っているのは自分ではない別の誰かだった。背中へせまった影に衝撃をあたえられて根元へ倒れると、上から烏面からすめんの男が覆いかぶさった。

「九郎……!? 」

 声を出しても音は出ない、月読を押さえる男は微動びどうだにしなかった。割れた烏面、枯れ木のような傷だらけの手が喉をめ、つぶれた喉から声をしぼりだす。

「ちが……お前……誰……だ? 」

 薄れゆく意識のなか月読は叫び声を上げた。



 夢だった。時計の音が暗闇へ響き、まだ夜半を過ぎたところだった。寝汗がしたたりシャワーを浴びた。服を着替えた月読はため息を吐き、ハンガーへ掛けたジャケットを羽織はおって屋敷をぬけ出す。



 小型のバイクへ乗った月読は真夜中でも開いている店を探した。見知った一軒の扉を開けるとチリンと音が鳴った。

「いらっしゃいませ」

 カウンターへ座り注文したマティーニを口へはこぶ、店内は暖色のライトで照らされて落ちつく基調だ。

 夜の仕事を終えた若者数人が奥のテーブル席をにぎわしている。2杯目のグラスを傾けているとカウンターへ座った女性が話しかけてきた。微笑む女と会話を交わすが違和感いわかんさとり月読は女をじっと見つめた。間をおいて病院での検査をすすめたら女はふいと目の前から去った。
伝え方がつたなく失礼な男だと怒ったのだろうか、いい女だったのに勿体無もったいないことをしたと月読は苦々しい顔で手元の酒を飲み干した。

「今のはなんだい? 」

「あー病気だとかなんとか。そう言うの、わかるんですよね」

 カウンターの中から店主がたずねてきて、笑って言葉をにごす。話題を変えて店主を誘った。短髪で面長おもながの男前だった。

「まじか? こんなおっさんを誘惑ゆうわくして楽しいかい? 」

 店主おっさんは嘆いた。趣味の話で楽しむと興味を持ったのか、その気になった店主は閉店後に別の場所へ飲みにいこうと月読をさそった。

 月読は一夜だけの遊び相手を探すことが多かった。以前のように長く付き合い修羅場になるのも嫌だったのでそれを伝えると、店主はこれでも手練れなんだぞと自慢する。

 路地裏を並んで歩くと月読の方が背が高い、君はどっちなんだと店主に質問された。

「さあ……? マスターはどっちが良い? 」

 大様おおように眉頭を上げ、店主マスターの顔を両手で包み顔を近づける。最近覚えた蠱惑こわく的な笑みを浮かべれば、包んだ顔へ熱が灯ってリンゴのように店主の頬が赤みをびた。

 享楽きょうらくふけるため不夜城ふやじょうへと消える。こうしていれば肌寒い部屋で孤独に過ごすこともない、月読は人肌の熱さとおもみを感じながら目を閉じた。


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