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第二章
多忙な日々と流れる月日
しおりを挟む龍の鱗のような淡い煌めきをそっとなでる。身体の傷は治っていたが心へ大きな穴があいた。
【鬼】の当主は隼英の父、鬼平へと還った。
心の空虚が広がる気がして、明は鬼の邸宅へ近寄らなくなった。学校や退魔の仕事、襲名も間近にせまり日常は明を忙殺する。考えるヒマも無いほど多忙に過ごし、隼英を偲ぶ間もなく記憶の奥底へ仕舞った。
時が経つのは早い、あれからもう数カ月過ぎた。
15歳になり月読の襲名が行われた。この時から明は月読となった。
烏の家を出て【月読】の所有する屋敷へと移り住む。
「お世話になりました」
一進と九郎、烏達へ深々と礼をする。世話役の者に連れられ烏の家を去った。見送る九郎のなんともいえない表情が記憶に焼きつく。
1人で住むには広い屋敷だった。まだ若かったのもあり世話役も数名いて、庭師や掃除人もいた。世話役はほとんどが【月読】の者か実父の縁者だ。あるていど習っていたけれど所作や当主としてのたしなみ、【月読】のすべきことを本格的に教えられた。
月読となって最初の祭祀、龍神との契約の日がきた。
ていねいに禊をおこない神殿へ篭る。板張りの空間はいっさいの濁りなく清浄で澄み切っている。奥の幣殿には祭壇があり、捧げものが置かれている。【月読】はこの場所で祭祀や神降ろしをおこなう。
女当主が御山の神と契約するさい、山の滝におわす龍姫が顕現する。龍姫も古から存在して、奈落へ結界を張る手助けをしてくれる。
月読の白が契約するとき、龍姫ではなく闇龗が顕われる。龍姫よりも力を持った白い龍神との契約で、男の月読が【白】と呼ばれる由縁でもある。
幣殿は霧で充満して闇龗が現れた。白い龍の姿だと云われてるが背の高い人の姿をしていた。白絹の衣をまとい、はためく裾は蒼色模様で縁取られてる。碧玉の飾りをつけた髪は純白にゆらめき、男のようにも見えるが性別は分からない。
「お前が今代の月読か」
人型の闇龗は、低く凛と声を発した。
月読は龍神と繋がるための契約をおこなう。龍神との結びは御山と結びつくも同義、契約とは山々を統べる龍神に認められ、御山の主に近しい存在となることだ。
言い伝えられるひと通りの手順を終えたら、龍神の声は建物の空気を震わせた。
「歴代の月読は私を喜ばせてくれた。お前はどのように楽しませてくれるのか? 」
龍神の白く長い指は月読の顎へ添えられる。
暁の空は黄金色に染まり、夜が明けようとしていた。
龍神は山へ帰り、板間へ座した月読はベルのような小さいお鈴を2回鳴らす。戸を開けて入ってもいいと知らせる合図だった。
神殿内で行われてることを他の者は知る事ができない。成り行きによっては何日も連続して篭ることもある。お鈴を決められた回数鳴らすことにより、外にいる世話役は安否確認や食事などの用意をする。
外で待機していた龍之介が神殿内へ立ち入った。龍之介は亡くなった父の兄で名前のわりに奥ゆかしい人物だ。
「大丈夫ですか? お疲れですね」
龍之介は気遣わしげな表情をする。
闇龗との契約日以降、連日連夜入り浸っていた。うかがい知れない空間で神との密会、龍之介にはどう思われているのだろうと、月読はちょっと考えてから思考を止めた。
対応の方法を間違ったかもしれない、目の下へクマを作った月読は溜息をもらす。
「――――明、大丈夫か?」
笑い声と物音が雑多に聞こえる。机へついた頬杖をおろし、呼んだ主をふり返った。目のしたにできた薄青いクマを見た九郎は心配している。
ここのところ寝不足が続き、授業も終わって放課後になっていたのに気付かなかった。帰る準備を始めると九郎も手伝う。烏の家へ修練に来るのかとたずねられ、月読は神殿へ篭ることを伝える。
「そうか……」
九郎は複雑な表情を浮かべた。
神にとって人間の都合などお構いなしだ。
今日も龍神に呼ばれていた。肉のない夕食を軽くとり、身体を洗って禊をおこなう。神殿の出入り口は大扉の脇の小さな扉、世話役が扉を開け屈んだ月読はふり返らず中へと入った。
【月読】として忙しく変わらない日々を送った。
ひさしぶりに烏の家で修練を済ませたら九郎に声を掛けられた。
高校の友人たちとガレージへ集まった。バイクを囲み他愛なく語らい、同年代の無邪気な笑い声がガレージへこだまする。彼女が出来た友人から喜びの声明があり、すみで駄弁っていた他の友人が羨ましがって絡む。
「はあぁ、モテるヤツぁいいよなぁ~」
いつのまにか彼女彼氏の話は飛び火し、友人の佐藤がこちらを見ていた。月読がさも興味なさそうに見返せば、佐藤は眉毛を中央へ寄せてシワをつくりフレーメン反応のごとき微妙な顔をみせた。バイクを調整していた九郎は、佐藤とのやり取りをながめ静かに笑う。
「いま笑っただろ九郎! オメエはどうなんだよ」
照準はこちらから逸れて、バイクを調整している男へ絡みにいった。
団欒も終わり、九郎のバイクの後部座席へ乗った。高校生にもなると2人ともガタイが良くタイヤが沈む、バイクは外灯の点きはじめた街なみを通りすぎ山道をのぼった。バイクを降りて集落の石畳を歩いていると、夕陽に照らされた茜雲が映り月読はその風景をずっと眺めた。
「いつもそうやって何処かを見ているな」
「そうか? 」
月読が眉頭をあげて戯ると、後ろに立っていた九郎は顔をふせる。
「まるで……ここに居ないみたいだ」
眉頭を上げたままの月読は、返す言葉も表情も思い浮かばなかった。
話題を変え先頃のマガツヒ退治について尋ねる。九郎はマガツヒ討伐へ参加できるほど成長していた。黒く塗り潰された双眸が月読を見つめていた。いつからこんな目をする様になったのだろうと月読は心のすみで嘆いた。
気がつけば高校を卒業する年だった。
―――――――――――――――
読んで頂きありがとうございます。
下降ぎみなので次回は和気あいあいとした閑話「奇妙な龍神」「明と九郎の高校生活」の更新です。
もろもろの用語説明です。
※神殿…神的な礼拝対象を奉置する建物。俗なるものから分離した空間。神霊の寄りつくところ。
※幣殿…神へ奉納する物を捧げる建物。
※祭祀…神を祭る儀式。
※祭壇…生贄や供え物を捧げる高く設えた場所。祭器、祭具を置く。
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