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第一章
鬼
しおりを挟む髪をきれいに結い上げ浅縹色――やわらかい青色の刺繍羽織を着た月読は、広い石畳を南へと歩いていた。夏の名残は強く、頭上から降りそそぐ日光は道のうえへ蜃気楼をつくる。
集落の南には広大な敷地を有する屋敷があり、自然の岩や樹木と共存した庭と広壮な洋館が建っている。
ここは【鬼】の邸宅。
元来【鬼】の一族は海辺に広大な土地を所有していた。御山の中腹で最初に暮らしはじめたのも彼等と云われている。海側へ下れば、鬼の血を引くという子孫たちの暮らす郷があり、現在もなお有力な一族だ。
邸宅へ到着すると、玄関の扉がすうっと開いた。
「お待ちしておりました」
白い男が出迎えた。肌の色だけでなく短めの髪も白い、目は赤褐色で年は判別しにくいが30代から40代に見える。白子と呼ばれるもの、けれども【鬼】の中に居てはそれもたいして珍しくはない。
男に案内されて邸宅の廊下を歩く、外の暑さが嘘のように邸内はひんやりとしていた。人の気配は多数あるのに声はまったく聞こえない不自然な静けさ。
邸宅の南側にある和室へ通された。白い男が月読の来訪を告げると、扉の内側から嗄れた声がした。
「良う、参られた」
海の見える窓がついた座敷の奥にニコニコと笑う小さな爺様が座っていた。膝で猫が丸まり眠っている。
小さな爺様は【鬼】の当主、磐井鬼平である。やや緊張した月読が端座して一礼すると鬼平は話しかけてきた。
「調子はどうだね? 変わりはないか」
「特には、御蔭様で平穏に暮らしております」
「今日は寄るのかね? 」
修練のために術場へ寄るか訊かれ、月読は返事をした。
「そうか、申し付けておく。後で行くといい」
鬼平は白い猫を撫でた。猫の毛のように柔らかい口調で近状を尋ねられ、呼応した猫が月読の声にあわせてニャーと鳴く。目の前にいる爺様、外見からは判断できない空恐ろしさを感じる。【御山の長老会】で強い発言権をもち、前当主の磐井隼英の父というが本当の年齢は誰も知らない。本当に人間なのか疑うこともある。
さまざまな事象、御山のこと、何をどこまで知っているのか、鬼の現当主は不気味の一言に尽きる。しかし鬼平に多大な恩を受けているのもまた事実。
ひと通り面会を済ませたら、ふと思い浮かぶ事があった。
「どうされたね? 」
「いいえ、何も」
察知した鬼平が尋ねてきてヒヤリとする。思い浮かんだことを即座にかき消して退室した。
ここ数年、通っている道場のひとつに鬼の術場がある。
天井へ届きそうな高い扉のそばへ行くと1人の【鬼】が待っていた。手足の細ながい男は指南役、甲羅を持ったマガツヒ討伐の時にもいた術者だ。挨拶を済ませ、月読は道衣に着替えた。
術に関して【鬼】は非常に優れ、多彩な能力と技を持っている。肉体的な戦闘に向いてないかと言うとそうでもない、個々の能力はバラバラだが鬼の力を結集すれば【烏】を上回る。だが鬼達は荒くれが多数いて、強いトップがいなければ烏のようにはまとまらない。
指南役と向かいあい、力を制御するため倣う。
月読は静かに瞑想し、己の内面へ意識を向ける。身体の底より湧きいでるバラバラの力を纏める。更なる内側に表と裏の2本の線が在り、1つに撚り合わせていくと太い1本の柱となった。
どちらがどちらであったのか、もはや定かではない。其処にはただ月読がいた。
訓練を終えた月読は、指南役に礼をして術場を立ち去る。
――――疲れた。
袴を着けかえた月読は廊下を引きかえした。集中力と精神力を使うため、神経が痺れて疲労感が半端ない。
先ほどの白い男が話しかけてきた。
「月読様、お帰りですか? 」
「湯谷さん。ええ、今終わった所です」
湯谷とは、この白い男のことだ。
【月読】になる前、頻繁に邸宅へ出入りしていた。その時分から湯谷を知っている。マガツヒ対策の会議や訓練で定期的に行き来するが彼は用事でいないことも多く、こうして会うのは数カ月ぶりだった。
「あの頃に比べ、本当に大きくなられましたね」
むかしは月読が見上げていたけど、いまでは湯谷が見上げる。大袈裟に眉頭をあげ困った顔で笑うと湯谷は音も出ないような声で呟いた。
「その笑い方、あの方にそっくりですね……」
月読は目を伏せ、遠く失ったものを懐かしむように微笑んだ。
湯谷に頼み、鬼の文献を持ち帰ってながめる。
各家には残された書物があって、鬼の邸宅にも御山の古い文書が多数存在する。こうして借りて閲覧できるが、そういった公開文書の内容は月読や烏の物と然程変わらない。鬼の当主だけが知る禁書や秘文書も存在して知りたいという欲求はある。けれども鬼平に借りを作るのは何より怖い、どんなに優しくても彼らは【鬼】なのだから。
月読はめくっていたページを閉じた。
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