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第一章

九郎と奇妙な生活1

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 御山から戻った月読は私邸の道場にいた。

 静かにゆっくりと呼吸を繰りかえす。基本のかまえをとり、腰を落としてけんを打つ。
一、二、三……、頭の中でかたを忠実に再現しながら手足を動かす。冷えていた身体は徐々に温まりひたいより汗が流れる。
片足を踏み出して下段蹴かだんげりから上段蹴じょうだんげりを振ったあと道場の入り口に人影を見つけた。足を振りきり姿勢をもどし、その人影をかえりみる。

  いつから居たのだろう、腕組みをした九郎が戸へもたれかかってこちらを見ていた。

からすの方は終わったのか? 」

 うなずいた九郎は、何も言わず月読の前へと立った。

 師は前ノ坊一進まえのぼういっしん、月読と九郎は同門どうもんという事になる。

 向きあった2人は構え、まなじりを決して拳骨けんこつかわす。双方鏡のように蹴りを繰りだし、互いに打った足で受け止め重い音がひびく。体勢をととのえた月読が拳を打てば、当然のごとく九郎は防御してから拳をかえす。

「……つっ」

 打撃の重い音が空気をふるわせ、月読もそれを受け流す。すかさず脇腹を蹴り、九郎もそれに応酬おうしゅうする。2つは1つになったかのごと組手くみてが続いた。



「お前の拳は重いなぁ」

 顔の汗をタオルでぬぐい、月読は道着の両腕をまくった。九郎の拳をガードした部分はうっすら赤くなっていた。ひじから下を冷やすようにブラブラさせ、月読はかなわんと呟く。

あきら、烏の道場へは行かないのか? 」

 廊下を歩いていると九郎が口をひらいた。高校を卒業するまで烏の道場へよく通っていたが最近は顔も出していない、もっぱら家の道場で修練しゅうれんしていてたまに他の道場へ顔をだす。月読は歩きながら曖昧あいまいな返事をした。九郎のいない4年の間にちょっと、いや色々あったと考えて頭を抱えたくなったが平静をよそおい会話をつづける。

 集落の西に西会館という大きめの施設があり、集落の者が使える道場がある。色々な家の者が入り混じって修練するので鍛えるのには丁度良ちょうどいい。月読の話を九郎は寡黙かもくに聞いていた。

「……おい、まさか一緒に入る気じゃないだろうな」

 月読は脱衣所のまえで足を止めた。めったに表情を変えない九郎の頭にハテナマークが立っている。

「ここは烏の家じゃないんだ、風呂場は広くない」

 烏の家は数十人単位で人が出入りするため、風呂場は広くシャワー室まであるのだ。先に入るよううながしたが九郎は後でいいと言い台所へ行ってしまった。



 月読は髪をほどき熱いシャワーを頭から浴びて汗を流した。時間をかけずさっさと風呂からあがる。

 脱衣所にいた九郎がこちらを見たまま固まった。月読も驚いて動きを止めたが、何事も無かったように置いていたタオルを手に取る。どうやら着替えを持ってきた様だ。いちおう世話役の仕事をしていると感心しつつ月読はタオルで水滴をぬぐい、硬直している男の手から自身の浴衣を奪い取った。

「突っ立ってないで、早く入ったらどうだ? 」

 黒地縞柄くろじしまがらの浴衣を着ておびを締めながら脱衣所の扉を開ける。背後で呟くような返事が聞こえた。



 乾かした髪を適当にまとめ、結んだ毛先が落ちないようにたばねる。

 いつの間にやらスポーツ飲料が座卓ざたくへ用意されていた。風呂に行く前に用意したのだろうか、茶ではないところが如何いかにも九郎らしい。コップの中身を飲んでいたら、黒のTシャツにカーゴパンツの九郎が出てきた。

 月読は軽い疑問を投げかける。

「今日はオフなのか? 」
「いいや、大体こういう格好だ」

 よく一進いっしんが許可したものだ。これも時代の流れかと、月読はスポーツドリンクを飲み干す。運動で流した汗を補うように身体へ染みわたる。時計へ視線をやれば針は8時を少し回った位置を指している。

「これから西会館の食堂へ行くけど、いっしょに来るか? 」
「今から食べるのか? 」
「軽く、な。今朝はよく動いた。お前の腹がいてないなら別に来なくていい」

 涼し気な黒染め麻の上衣を羽織はおり、西側の出入り口へ向かうと九郎も付いてきた。



 客間と道場の間にある廊下を渡り、道場の通用口から出た。

 集落の西は地形的に低い場所へ位置する。防風林ぼうふうりんをぬけて急な石階段を下りると、モダンな和風建築わふうけんちくが軽快な陽光に照らされていた。改築した新しい建物がならび、道場や湯屋ゆや、食事処と来訪者が泊まれる宿泊所もある。閑静かんせいな集落の東側にくらべ人の往来が多くにぎわってる。

 食事処は大きなガラス窓で店内で明るい、木張りの内装は2階まで吹き抜け広々とした空間になっている。階段は宿の宴会場へ続きまるでホテルのよう、食事処しょくじどころと呼ぶには和風モダンで洒落しゃれた建物だ。

 月読は窓側の席へ腰をおろし注文した盆を置いた。値段もやさしく好きなメニューを組合せられるのでモーニングの時間帯はそこそこ混雑している。向こうの席へ座っていた人物と目が合い会釈された。

 レジ横で壮年の男と話していた九郎が向かい席へ腰かけた。月読はドーナツをもぐもぐと食べながら鷹揚おうように尋ねる。

「誰だったんだ? 」
「【おに】の者だ。今までどうしていたのか聞かれた」
「そういや、帰ってきて1カ月過ぎたくらいか」

 九郎の盆を見ると、肉をふんだんに盛り付けた生姜しょうが焼き定食がのせられている。今から食べるのかと言っていた割には食欲旺盛しょくよくおうせいで感心する。

ドーナツを味わった月読は、優雅ゆうがにシナモンラテを飲んで表通りを見ていた。

「よくそんな甘い物に、甘い飲み物を重ねて飲めるな」

 正面から聞こえた無遠慮ぶえんりょな声に月読は片眉をあげた。



 言い忘れていたことを九郎へ伝える。御山の奈落は三半規管を揺さぶられるため、朝食は御山から戻ったあと食べたほうがいい。

「なぜ朝食の時に言わなかったんだ? 」

 九郎は目を少し見開みひらいた。この男の表情が変わるのは珍しい、月読は観察しながらラテのカップを口へ傾ける。遠慮していたわけでは無いけど、食事を作ってくれた九郎に言うのは何となく気が引けた。

「そりゃ、腹が減ってる時に出されたら食べるだろう」

 ぬけぬけとした意見を述べると、射貫いぬくほどするどい目がこっちを見てくる。目から光線ビームが出てきそうで怖い。

「……分かった。これからは遠慮なく言ってくれ」

 ちいさく息をついた九郎は鋭い目付きのわりにあっさり頷いた。



 食事処を出て石段をのぼる。他愛のない会話のなか、月読は九郎が朝食をとっていた時間を尋ねた。【烏】は朝の修練や夜どおしの仕事もあって食事の時間はまちまち、下の者なら決まった時間があるが九郎はスケジュールを決める側だ。

「はぁ、大変だねぇ」

 月読は眉尻まゆじりをさげ、のんきに口を開く。さらに会話は九郎が御山を離れた4年間の話におよぶ。

「大学かよってるあいだは修練していたのか?」
「父の知りあいの道場があって、講義が終わってから通っていた」
「あいわらず一進殿は謎のツテを持ってるな」

 一進の顔のひろさを賛嘆さんたんする。無愛想ぶあいそうな九郎がどんな大学生活を送っていたのか想像しがたいけど、それなりに謳歌おうかしていたようだ。

「楽しかったか? 」

「……ああ」

 九郎の声がやや沈んだ。後ろを歩く彼の表情は分からないのに、じっと見つめる視線を背中に感じた。気に留めず月読は話をつづける。

「彼女とか、紹介してくれても良かったんだぞ」
「興味がない」
「おまえなぁ――――」

 続けようとしたが剣呑けんのんとした雰囲気に言葉をつぐむ。ふり返ったら九郎の黒々とした双眸そうぼうがいつになく真剣な色をび、ばつが悪くなって早足で階段をのぼった。先に石段を上りきった月読は静かに嘆息たんそくし、風に乱れた髪をかきあげた。
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