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第一章

マガツヒ

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 古い【月読】のつたえは口伝くでんだった。近年、しるされた書はこう訳されていた。

『オオマガツヒが目覚め、まがものが闊歩かっぽする大きな厄災の時代に月読より白が生まれる。月読の白はマガツヒを平定し、オオマガツヒとこの世をへだてふさぐ』

 マガツヒはオオマガツヒより生まれる。オオマガツヒの欠片と言われるものが、取りむしばんで【マガツヒ】とる。

――――では、【オオマガツヒ】とは? 【奈落ならく】とは何だ?



 深い眠りのなかり動かされ目を覚ますと、かたわらに加茂かもが座っていた。

「おはようございます」

 加茂はいつもより真剣な顔だ。夜明け前の空はまだ暗い、月読は大きな欠伸あくびをしながら朝の挨拶を返す。

「昨日は夜更よふけまで文献ぶんけんを読んでいたのでしょう。体調は大丈夫ですか? 」

 朝食の用意をした加茂は気づかいの言葉をかけてくる。知っている加茂も夜中まで帰らず起きていたのだろう、これは参ったと月読は苦笑いした。

「大丈夫だ、問題ない」

 朝餉あさげの汁物を口にしてから答えた。





 空がしらみはじめた早朝、烏面からすめんをつけた黒い山伏やまぶしの集団が大門前にいた。彼らは【からす】達だ。昔からの仕来しきたりにならい、烏面をかぶり修験者しゅげんじゃた格好をして、その衣服には烏の紋がえがかれてる。

 月読が歩けば烏の集団は左右へ割れた。その先ひときわ威圧いあつ感があり、身丈みたけの高い烏が指示を出していた。黒づくめで面をかぶっていても誰か分かる、九郎だった。

 全身白い装束しょうぞくの月読は、白いカラスのごとく黒い烏のなかでは異様に目立つ。

 九郎の腕がのびて月読へ通信機を手渡した。顔をおおっていた白い面布めんぬのを上にあげ、耳へ装着すると烏達の通信が聞こえる。
烏面のあごは駐車場を指した。其方そちらには重厚な大型ワゴン車2台とSUV車1台が駐車していた。外から内側の様子はほとんどど見えない。ドアを開けた烏達は次々乗りこみ、最後に月読と九郎が乗車して一路いちろ目的地へと向かう。

 面布をつけた月読は烏面をはずして座る九郎を横目で観察した。手足を保護するプロテクターや丈夫そうな履物はきもの、山伏に似てるけれど実戦にそなえた装備だ。

 1時間ほど走り、車は人気ひとけのない山中の駐車場へ停まった。下は崖になっていて海へつづく川が流れている。車から装備を下ろした烏の一団いちだんは川沿いを登る。道なき道を奥へわけ入ると山深い谷間へ辿たどりついた。とっくに太陽は昇っているがきりのせいで周辺は薄暗うすぐらい。

「マガツヒが目撃されたのはこの辺りか? 」

 言葉にどうじて九郎がうなずいた。

『最初の作戦通りだ。異常事態いじょうじたいがあった場合、作戦は移行する。――れ! 』

 耳へ装着した通信機から声が聞こえ、烏達のまとう空気がいさみ立った。号令にしたがい烏達は二手に別れ、谷の奥へと走っていく。木々をうようにけ、あっという間に見えなくなった。

「では我々も行くか」

 月読も岩を駆けのぼり、九郎も残った2人の烏と共にうしろを走る。

 ゆるやかに谷を登るスピードは徐々じょじょに速くなった。崖の岩場をえ、太いみきを踏み台に木から木へと移動する。まるで運動能力の限界を試すように、谷を吹きぬける風となって疾走しっそうした。



『――――月読』

 並走する黒い影に気づいた時、横を走る男は通信機で交信してきた。

『ここをくだった辺りが合流地点だ』

 了解したと返した月読は目のまえにあった木のみきつかみ、ぐるりと回った反動で体の向きを下方へと修正した。重さと衝撃に耐えられるものを瞬時に判断して、突出した岩や枝を足場に崖を降下する。崖下には岩棚いわだながあり、身体をしならせて落下の衝撃を逃がす。

続いて九郎がそのまま両足で着地し、追いついた2人の烏も岩棚へと降り立つ。

「あれか」

 岩棚から見下ろせば6~7メートルの岩に囲まれた袋小路ふくろこうじの地形があった。水は枯れているけれど古い滝のあとだろう、下は浅い窪地くぼちになっている。

 その時、森の向こうで地鳴じなりがした。

「後はまかせる」

 九郎を一瞥いちべつし、窪地へおりた月読は両手でいんむすび静止する。

 真上の岩棚に位置した九郎は通信機を使い部下へ指示を出す。九郎についてきた2人の烏は月読の左右へ待機した。



 空気を金切かなきり声が谷へひびきわたる。

『来たぞ』

 九郎の覇気はきのある声が通信機を介して聞こえる。最初に出発した烏達に追い立てられ、木々をぎたおし【マガツヒ】が姿を現した。

 牛4頭を重ねあわせた大きさのソレは、真っ黒な体に蜘蛛くものごとき足が8本えた化け物だった。体中にたくさんうごめく穴があって、そこから耳をふさぎたくなるようなおぞましい金切り声をあげている。ベトベトした体液はれながされ地面へ尾を引いた。

 追い詰められた化け物は、月読の姿を見つけると鳥肌のたつ声をあげ飛びかかった――――だが飛び掛かれなかった。

 四方八方から一斉にワイヤーロープが化け物の体へ巻きつき、先端のくいが地面へ打ち込まれる。綱自体に術がほどこされバチバチと火花が散り、ふり払おうとした化け物は苦悶くもんうなった。



 力の駆け引きはひるむことのない烏側へ軍配が上がったかのようにみえた。

 しかしそれで終わりではなかった。マガツヒは8本の足を地面へめり込ませ、少しずつ前へ動きはじめた。腹についている無数の口から空気が吐きだされ異音がする。
鋼索こうさくが喰いこみ、体は裂け赤黒い液体が混ざる。それを物ともせず月読へ向かって進みつづける。烏達はワイヤーを手でつかみ力の限り踏みとどまるが、鋭利えいりな爪は地面をえぐり進むたび地面へ固定されたワイヤーが1本ずつね上がっていく。

 化け物は止まらない。

 左右に控えていた2人の烏が盾の役割を果たすべく前へ出る。



 先に動いたのは白い面布をかぶった男だった。

 術式が完成してしうとなえた月読は右手をマガツヒへかざす。化け物は白い光りを放つ丸い壁におおわれ、発生した結界でワイヤーもブツブツッと切れた。結界へ閉じこめられた化け物は、蠢く複数の口々から恐ろしい呪詛じゅその声をあげる。月読へ呪詛を吐き、壁をき不快な音を立てた。

 しか極限きょくげんまで集中した月読の内は、らぎのない水面の様に澄んでいた。

 おそろしく低い声が響き、一切のたわみなく言い放つ。

「断」

 右の2本の指を真直まっすぐ切るようにスッと上げた。

 キンッ!という音が鳴り、化け物は空間ごと縦に切れた。白い結界は切れず球体を保ち、化け物は黒い液体をらして動かなくなった。のちにゆるりと黒い煙が上がり球体の中で消えていく。

 見守る烏達も時が止まったかのごとく静止した。しばらくして討伐は終わったのだと、安堵あんどの声が広がる。

 マガツヒがキレイに消えたことを確認した月読は昨日の文献を思い返していた。九郎が降りてきて大事ないかいてきたけど思案にふけり返事を忘れた。

あきら

 通信機を介さない声が真横で聞こえた。烏面からすめんを外した男は真剣にこちらをうかがっている。

「……ああ、大丈夫だよ。問題ない」

 九郎には見えないと知っていて、月読は面布の下で苦笑した。



 マガツヒが谷へ撒き散らした不浄ふじょう処理で九郎と烏達の半分は現場へ残り、月読はもう半分をともなって帰還した。屋敷へ到着すると加茂が出迎える。けがれ落としの水垢離みずごりをするため、裏手から衝立ついたてに囲われた水場へ入った。着ていた装束をすべて脱ぎ、おけへ溜めた冷水を頭からかぶる。



 水を被って行うみそぎは、日課としてほぼ毎朝行っている。

 寒い時期は手早く済ませるが現在は5月なかば、冷水も気持ちのよい季節となってきたと月読はしみじみ思う。いつもより時間をかけて水垢離を行ない身体を丁寧にぬぐい、藍染あいぞめの浴衣ゆかたそでを通す。

 加茂が温かい茶を居間の座卓へ用意した。

「どうでした? 」
「まあ、まあ、かな」

 マガツヒ討伐が気になる様子の加茂は心配そうに聞いてくる。加茂は【マガツヒ】を直接見た事はない、あれは意図して見るものでもない、出来れば関わりたくもないと言うのは月読の本音だ。



――――だが仕方がない、自分はそのように生まれたのだから。

 月読の心の奥で、ゴリッと何かがつぶされる音がした。





―――――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます~

もろもろの用語説明です。

烏面からすめん…烏天狗の面、くちばしがある。
面布めんぬの…顔を覆う白い布。人ならざる霊の侵入をふさぐ布。
水垢離みずごり…冷水を浴びて体のけがれを除き清浄にすること。滝や川、海水、湧き水、温泉水で行うこともある。みそぎ
※SUⅤ…大きなタイヤで座面が高い、スポーツやレジャーに適した車。
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