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第一章

カラスの当主

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一進いっしん様が隠居いんきょして、息子の九郎くろう様が引きぐらしいのう」

「隠居だって? そりゃあ何でまた。早ぐねえかい? 」

「九郎坊ちゃんが大学出て戻ってきたってよ。まだわけぇの、たしかツクヨミ様と同じくれぇかね」

 林道りんどう下の畑から年寄りたちの立ち話が聞こえてくる。あわいしじらおり浴衣ゆかたを着た男は、茫洋ぼうようとして気にも留めずそのまま屋敷へと歩いていった。



 朝食後の散歩から帰った男は居間の座卓ざたく頬杖ほおづえをつき、ぼんやりしていた。大きな白木しらきの座卓には、昨晩しらべ物のために出した古い書が乱雑らんざつに置いてあった。



「月読様」

「月読様っ! 」

 月読つくよみと呼ばれた男は、敷居しきいへ顔を向けた。

 そこには眼鏡めがねをかけた神経質そうな叔父――もとい、世話役せわやく加茂かも茂利しげとしが立っていた。ぼんやりとしていたので名を呼ばれた時に気づかなかった。

「ああモモリン、喉が乾いてるところにいいタイミングで……」

 月読はお茶でもいれてもらおうと返事ついでに顔をあげた。加茂茂利モモリンしびれを切らしたように対面へ座り、勝手に今日の予定を伝える。月読は大きな身体を丸め、加茂がつらつらべる予定を聞いていた。

「本日、あと1時間ほどで新しい【からす】の当主とうしゅがお見えになります」

「そうだったっけ? 」

 うねった前髪が顔へかかる。柔らかい髪を後ろにでつけ、月読は大袈裟おおげさ眉頭まゆがしらを上げて返事をした。

「昨日も申し上げましたが? 」

 加茂は卓上たくじょうの書物をテキパキと片づけ始める。

「早く顔を洗って着替えて下さい。それから人前ではモモリンと呼ぶのはおめ下さい、【月読】の当主としての威厳いげんそこなわれます」

 書物を片づける加茂から手厳てきびしい言葉が飛んだ。止めて下さいと言うわりには、微妙な渾名あだなのモモリンと呼ばれるのをあまりいやがっていない様子。どうやらこれはただの日常的な会話であるとにおわせる。

 月読はせわしなく動く加茂をしばらく見ていたが、のっそり立ち上がりぶつからないように鴨居かもいをくぐって移動した。



 
 顔をいた月読が鏡台きょうだいの前へいくと、白地に銀糸で描かれた繊細せんさいな柄のはかま一式が置いてある。加茂が前日に用意したものだった。

 着ていた淡いしじら織の浴衣を脱ぎ、折目おりめの付いた白地の着物をまといおびを巻く。いつの間にか片づけを終えた加茂が着付けを手伝った。月紋が刺繍ししゅうされた鉄紺色てつこんいろ羽織はおりを留めていると、鏡台の前へ座るよううながされる。
くしを持った加茂はよい香りの鬢付びんつけ油で長い髪をまとめ、たばってから銀糸の紐でむすんだ。

 先程の眠たげで茫洋とした男は何処どこへ行ったのか、りんとして冷たい氷の印象さえ感じさせる男が鏡に映っていた。



「まだ面会まで時間がありますので、こちらでお茶をどうぞ」

がと御座ございます」

 月読は流れるような動作で正座して湯呑ゆのみを手に取った。その姿を加茂がしげしげ見つめている。

「本当に別人ですよね……」

 加茂が感嘆するので月読は片眉をあげて答えた。



 お茶を飲み終えたあと客間きゃくまへ案内される。

 とこには季節の花をけた器があり、した左側には扇子せんすを収納した脇息きょうそくが置かれている。加茂はこれから来るであろう客人の座布団ざぶとんを用意する。ふいと窓の外へ視線をやれば心地のいい風が立ち、石楠花しゃくなげあざやかに咲いていた。

 そろそろ来るはずだと加茂は出迎えにむかった。玄関から応対するせわしい声が聞こえ、寸刻すんこくおいて扉の外より来客を告げられる。

「どうぞ」

 月読が声をはっすると客間の扉はひらき、武人のごとき体格の男たちがひかえていた。前ノ坊まえのぼう一進いっしんとその息子の九郎くろう、2人は一礼すると客間へ入った。正面へ九郎が座り、やや斜めうしろへ一進が腰を下ろす。月読ふくめ3人とも体格がいいため、本来広いはずの客間がせまい。

 形式的な挨拶がはじまった。

 まず一進が当主を退くことを表明、次に九郎が【からす】の当主として襲名しゅうめい言辞げんじを述べた。口上を深沈しんちんとして聞いていた月読は、一進には感謝とねぎらいの言葉を九郎には祝いと奨励しょうれいの言葉を贈った。

 新たな当主の挨拶も終わり散会さんかいしようと口をひらいた時、一進が唐突とうとつに話を切り出した。

「ときに月読殿つくよみどの、少々ご相談があるのですが……」

「相談? 」

「加茂殿の世話役せわやく、任期最後の1年を九郎へ変更したく存じます」

 謙遜けんそんした態度の一進、ほがらかそうな表情の裏は読めない。目を丸くした月読はまばたきを2度3度くり返したけれど、冗談ではなく本気であるとさとった。

「当主が世話役など前代未聞ぜんだいみもんです。烏の当主としての御勤おつとめは? 九郎は就任したばかりではないですか」

「それについては、前当主として問題ないと判断しています。加茂殿にも話を――」

「え……いやいやいや、まて、ちょっと待て」

 声色も表情も変えず押し切ろうとする一進に対し、それまでの涼しい顔をくずした月読は制止の言葉をかけた。チラリと九郎へ視線をうつすが、こちらもまったく表情は読めない。動揺どうようした顔を見られないようひたいへ手をあて隠す。



 たしかに九郎は優秀なのだろう。実際、家督かとくを継ぐと宣言せんげんしてから数カ月で引継ひきつぎをほとんど済ませた。しかし【烏】の家は大きい、見習みならいやそこで生活している者達、稼業かぎょうもあり当主としてやることは多い。

 世話役というのは、平たく言っても世話役で身のまわりの世話をする。朝早い時は起こしてもらったり、外出の用意や朝餉あさげ支度したく、仕事の手伝い等々。

――――それを九郎コイツがするのか?

 指のすきまからニコリともしない無愛想ぶあいそうな顔が見える。スケジュールの管理などは向いてそうだけど、そもそも烏の当主がれをする意味が不明だ。目的がさっぱり分からなくて月読はううむと唸った。



 月読はひと呼吸いれてから、泰然自若たいぜんじじゃくと言い放った。

「そうだな……【マガツヒ】の調査と討伐とうばつ依頼がきている。新しい烏の当主がマガツヒ討伐でどの程度か見定めて決める事とします」

 とある依頼いらいの案件を提示した。詳細については後日届けさせると伝え、世話役の返事はその後だと保留にする。

 こうして九郎の【烏】襲名しゅうめいは散会となった。烏たちは加茂に見送られ屋敷を後にした。





「はぁ疲れた……」

 月読は再び額へ手をあて項垂うなだれた。

 先見せんけんをしたり人を見通すこと。【月読】にとって最も得意な分野のはずなのに、前ノ坊が何をさくしていたのか分からなかった。

「まっったく読めん」

 さっきまで正面へ座っていた無表情な男を思い出しますます項垂れていると、加茂が戻ってきて座布団を片づけはじめた。

「世話役の事、知っていたのですか? 」

「知っていると言いますか……お話を頂いたのは本日の朝です」

「朝……か、貴方あなたは良いのか? 了承はしたのですか? 」

「一進様があまりに切実せつじつに申し出られましたので受諾じゅだくしました。今日この後にでもお話をしようと思っていたら、これほど話が進んでいるとは……」

 それまでたもっていた顔を一転させ、月読は大仰おおぎょうに溜息をついた。一進側からしっかりと根回ねまわしをされて、諸所しょしょへの申し立ても終わっているのだろう。

 どのような返答をしたかかれ、先刻のやり取りを伝えると加茂は苦笑を浮かべる。

「彼を相手に時間を置くのは悪手あくしゅです。それ……たぶん押し切られちゃいますね」

「ウソだろ……」

 まゆをハの字にした月読はなげいた。1週間もあれば良い断り文句くらい出て来るだろうと、希望をかける。それを見た叔父は困ったように顔をほころばせた。





―――――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます。

序盤は月読のまわりの情景などなど
R18パートは1章の後半から徐々に入っていく予定です。


用語集

敷居しきいふすま障子しょうじを取り付ける溝のある横木。出入り口などの下部へ設置されてる。
鴨居かもい…襖や障子の建具を取り付ける上部にあたる部材。
座卓ざたく…和室や畳のうえで使うローテーブル。
鉄紺色てつこんいろ藍染あいぞめをくり返したわずかに緑をおびた暗い青色。
脇息きょうそく…脇へ置いてもたれ掛かるための用具。ひじかけ。
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