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第1章 クリスタ
3話
しおりを挟む異例の速さで執り行われた結婚式から数週間。始まった新婚生活は甘いものからは程遠く、地獄のように感じられた。
閨を共にすることは一度足りともなく、父親が二人のためにと購入した大きな寝台は、クリスタが寝るだけのものと化していた。テオの外の仕事が忙しかったということもあるが、たまに帰った日でさえも彼は仕事部屋に籠っていた。
会話どころか挨拶さえもほとんどない生活が続き、クリスタの心は鉄の錘が括りつけられたように重くなっていくばかり。
当たり前と言えば、当たり前なのかもしれない。だって、テオは他に恋人がいたのに、好きでもない自分と強制的に結婚させられる羽目になったのだから。
辛くて今にも逃げ出したい気持ちで一杯だったが、自分のために事を成してくれた父親を心配させたくない。
クリスタは行き場のない苦しみに蓋をして、なにがあっても笑顔で振る舞うように心掛けた。
こうして時は過ぎ、テオと夫婦になって更に三ヶ月が過ぎた頃。二年前に冷戦状態が解かれた隣国との戦争が激化し、上流階級の出身であるクリスタの生活にも少なからず影響が出てきた。今まで当たり前のように仕入れることができた食料や衣類も輸出入制限で数は減り、兵役を課せられた影響で街中からは日を増すごとに若い青年達が姿を消していった。
戦争の色が目に見えて生活を侵食していく中、クリスタの家に届いた一通の手紙。毎年、当たり前のように行われていた古城の舞踏会が今年で最後になるとの知らせが届いた。
このご時世だから、贅沢ができなくなるのも仕方がない。昔からの憧れだった愛する人との舞踏会、テオは一緒に踊ってくれるだろうか。クリスタはぼんやりと頭の中で考えながら、数少ない夜会服から着ていくものを選んだ。
──テオの瞳の色と同じ藍色のドレスを。
舞踏会当日も仕事に追われていたテオとは、城門で待ち合わせ。四頭立ての豪奢な馬車から降り立ったクリスタを前に、誰もが目を見張った。
古城の主だった人物の銅像の前で佇んでいたテオを除いては。
「行くぞ」
テオは人間味を感じさせない冷めた表情で告げ、城内へと向かう。彼はクリスタに歩幅を合わせることなく、足早に前へと進んでいく。
「待って……」
クリスタは慣れない靴で静寂な廊下を駆け、会場の入口まで差し掛かったテオを追う。
今日は。今日だけは話したいことがたくさんあった。だって、今日は大好きなテオの誕生日でもあったから。
使用人に頼んで、厨房を貸してもらった。テオが好きだと聞いた料理を作った。手作りのケーキも焼き上げた。贈り物だって用意した。
今まで夫婦として会話をしたことなんて、ほとんどなかった。今日くらいは、話をさせて。他愛もない会話でいいから。身体の触れ合いなんてなくてもいいから。どうか、今夜だけは──
「あっ!」
どうにかテオに追い付こうと足を踏み込んだそのとき、クリスタの足首がぐにゃりと曲がった。
クリスタの細い身体は硬く冷たい床に崩れ落ち、か細い悲鳴だけが宙に残される。先を歩いていたテオはすぐさま振り返り、クリスタの元にまで走った。
「なにをしているんだ、クリスタ」
「ご、ごめんなさ……」
「いいから足を見せてみろ」
淡い色のドレスを捲られ、わずかばかり赤く腫れた足首を睨まれる。恐ろしくも見えるその形相にクリスタは、薄紅色の唇をきゅっと噛み締めた。
また、迷惑を掛けてしまった。こんな顔をさせてしまった。結婚式が終わったあの日から、もう泣かないと決めていたのに、クリスタの目頭がじんわりと熱を帯びていく。
(いつも、私のせいで。ごめんなさ──)
心の中でクリスタが懺悔の言葉を呟いた刹那、ヒールの踵が床に当たる音が響き渡った。
「……テオ? なにをしているの?」
頭上から降り注いだ甘く澄み透った声。それが誰なのか、咄嗟に判断できなかったクリスタは当たり前のように顔を上げ──言葉を失った。
一つに纏められた長く美しい黒髪。
真っ赤なドレスに劣らず華やかで美しい顔立ち。
そこにいたのは、数ヶ月前の晩餐会でテオと密会していた女性だった。
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