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19話
しおりを挟むソフィアを屋敷から追放して、更に三年の月日が流れた。
あれからは特に大きな事件も起こらず、平和な日々を過ごせている。私とフィンも以前と変わらず、毎日のように身体を重ねて、深く愛し合っている。
──そう。以前とは何一つ変わらずに。
「んんっ……」
身体が幸せな気だるさで重たく感じる。
全身が温もりに包まれて、慣れ親しんだ大好きな匂いが鼻腔にふんわりと広がっていって。ずっとずっと、こうしていたいと願ってしまう。
「シャーリー」
愛する夫の声がふと聞こえたかと思えば、唇を柔らかく湿った感触に塞がれて。ゆっくりと瞼を開けると、近過ぎる距離に睫毛を伏せたフィンの顔があった。
「んっ」
微かにリップ音を立てて、唇が惜しむように離れていく。目の前のフィンの頬を指でそっと撫でると、彼は目元をくしゃりとさせて愛くるしい笑顔を浮かべた。結婚して五年経っても変わらず愛しく思える夫に、胸が切なく締め付けられる。
「おはよう、シャーリー。体調は大丈夫?」
「んっ……大丈夫」
自分と同じく真裸の彼に、甘えるように背中に腕を回す。フィンはそんな私をぎゅっと抱き締め返して、髪を梳かすようにして優しく撫でた。
「シャーリー。今日も病院行くんだよね。俺も今日は休みだから、一緒に行こう?」
「…………うん」
フィンの言葉に、少しだけ間を開けて返事をする。
──病院。フィンと不妊治療の為に通い始めて、三年が経った。そう、もう三年が経ってしまった。
先生は最善の治療を提案してくれて、フィンも仕事が忙しいのに全面的に協力してくれた。でも、私は赤ちゃんを授からなかった。時が経てば経つほど、フィンに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまって──同時に、三年前にソフィアに言われた『石女』という言葉が脳裏に焼き付いて離れなくなってしまった。
赤ちゃんが欲しいと、こんなにも心から願っているのに。
フィンと何度も深く愛し合っているのに。
私のお腹には小さな命が宿らない。
まるで、あの毒づいた言葉が纏わり付いて、呪いを掛けられてしまったかのようで。此のまま永遠に子供を授かることはないのではないかと、思い悩んでしまう。
もしもこの先ずっと、彼との子供が出来ることが無いのならば。フィンに迷惑を掛け続けてしまうのなら、一層のこと──
「フィン……」
「ん?」
掠れた声で呼びかけると、フィンは腕の力を緩めて私の顔を覗き込んだ。朝陽に照らされた藍色の瞳を真っ直ぐに向けられて、話を切り出すのを躊躇いそうになる。
「……あのね、わたし」
「うん」
「……もう今日で病院行くのやめようと思う」
喉の奥に詰まっていた言葉を出し切った途端、フィンの目が大きく見開かれた。同時に目頭がじわりと熱さに見舞われて、頬を伝って瞳から涙がはらはらと零れ落ちた。
「どうしたの。シャーリー」
「……ちょっと、ちょっとだけ、辛くなっちゃった」
「シャーリー……」
本当はさらっと話をするつもりだったのに、言葉にすればするほど涙が滲み出す。今まで心の中に抱えてきた苦しみと悲しみが、一気に溢れ出してしまう。
耐えきれず顔を隠すように両手で覆ったその時、全身が優しい温もりに包まれた。
「いいんだ。無理しなくていいんだ。シャーリーはよく頑張った。頑張ったよ」
「フィン」
「夫婦二人だけで人生を歩むのもいいじゃないか。今日はせっかくの休みだしさ、診察が終わったら、一緒に美味しいものでも食べに行こう」
「……うん」
あやすように背中を優しく叩かれて、より一層涙が込み上げる。
心優しい夫にぎゅっと抱きつき、顔を上げる。フィンはいつものように優しく微笑んでいて、彼の笑顔に引き寄せられるように目の前の唇に自らの唇を重ねた。柔らかな温もりにぐっと唇を押し付けて、隙間から漏れる熱い吐息に身体を震わせて、何年経っても変わらない口づけの感触に涙を流しながら、ゆっくりと顔を離した。
「……シャーリー。誰に何を言われても気にしたら駄目だよ。俺はシャーリーが笑って側にいてくれさえしたら、それだけで十分に幸せなんだ」
「……うん、ありがとう」
少しだけ眉を下げて穏やかに微笑むフィンに触れるだけのキスをして、ベッドから上体を起こす。
そして、机の引き出しに閉まっておいたあれをそっと取り出した。
「シャーリー……」
「……一応ね。また、ただの生理不順かもしれないけど、念のため」
背後から聞こえる、不安の色を帯びたフィンの声。私は誤魔化すように彼に笑いかけ、手にそれを握ったまま重い足取りでトイレへ向かった。
もしかしたら──という最後の小さな希望に心の中で縋りながら。
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