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最終話
しおりを挟むスザクの家に戻ってきてから、半年の月日が流れた。以前と同じように一緒のベッドで寝て、一緒にご飯を食べて、一緒に外を散歩して。なんの変哲もない幸せな日々が少しずつではあるけれど帰ってきたように思えた。ある一点だけを除けば。
「まだ姿戻らないね……」
いつものように寄り添って寝ながら、手櫛でといたばかりのスザクの頭を撫でる。日に日に身体が縮こまっていく黒豹の身体は、いつの間にか両手におさまるほどの大きさになってしまった。
原因は分からない。鳴き声すら出さず、じっと私の側をついて離れない。どうせならと自分も狼となってスザクと戯れようもしたこともあったけど、首や口元をガシガシと甘噛みされて牽制された。
いつになったら人間の姿に戻るのだろう。
「……どんな姿のままでもスザクが好きだよ」
ぎゅうっと苦しいくらいにスザクを抱き締め、大好きな匂いを堪能する。
スザクは素っ気ない顔でふんっと鼻を鳴らし、されるがままにだらんと寝そべる。どんな姿であったとしてもスザクはスザク。中身は何ひとつ変わらない。
「でもこのままの姿じゃ結婚できないね……」
「……」
「スザク、私ね、今日で十五になるんだ」
この世界で獣人同士の結婚が認められるのは、十五を迎えてから。スザクからの求婚の言葉を忘れたことなんて一度もない。大好きな人と本当の家族になれる日を、心の底から待ち侘びていた。
「楽しみだね、結婚……」
毛布のように滑らかでふわふわの温もりを抱き締めたまま、うとうとと眠りにつきそうになったそのとき、硝子が砕け散る場違いな音が静寂を打ち破った。
「はーい! 見つけた見つけた! 黄金のオオカミちゃん!」
「っ!?」
突然聞こえた甲高い声に、即座に振り返る。堂々と窓を突き破ったのか、硝子の破片が悲惨に飛び散った床の上をハイエナ達が我が物顔で佇んでいた。
腕の中のスザクは鼻の付け根に皺を寄せ、低い唸り声を上げる。
「えぇ? 何だいそのちっこい黒豹は。もしかしてスザクかい?」
「ぎゃはは! 何だよ、スザク! 一体どうしたんだ? ただの子猫ちゃんじゃねぇか!」
ハイエナ集団の一匹が、茶化すようにスザクへと手を伸ばす。けれど、ものの数秒でガブリと噛まれていた。ハイエナはみっともなく悲鳴を上げ、血が噴き出す手をおさえながら仲間の背後へと逃げ込む。
相当痛かったのかもしれない、背中を向けて蹲りながら震えていた。
「ふん、今日はそこの黒豹に用はないよ。話があるのはあんたさ、小娘」
「え?」
ハイエナ達の紅一点である女性が、一歩前へと踏み出す。口元を歪ませ、瞳孔を見開くその姿に、本能が危険を報せる。
威嚇し続けるスザクを抱え、咄嗟に唯一の出口である扉へと向かおうとした──けれど。
「ほーら、そんな簡単に逃がすわけないよ」
「っ!」
頭上を軽々と飛び越えてきた女ハイエナに前方を塞がれ、後方も他のハイエナ達に囲まれてしまった。逃げる隙間も見当たらない。身体が小さな自分にとっては、無数の巨人に囲まれているような圧迫感を覚えてしまう。
「あーあー。可愛い、震えちゃってぇ。このちっちゃなオオカミちゃんが一生楽して暮らせるお金に代わると思うとゾクゾクするねぇ」
女ハイエナは薄気味悪い笑みを浮かべて、舌舐めずりをする。
じわりじわりと距離を一歩ずつ縮められ、逃げ場がなくなっていく。
「わっ、私を売るの!?」
「売るか食うかはまだ決めてないよ。ただやっぱりみすみす手放すのは惜しいってね」
「あの時は助けてくれたのに!」
「え? そんなことあったかい。覚えてないねぇ」
わざとらしくとぼけたように話す女ハイエナ。ぐへへと変な声で笑う周囲の取り巻き達。恐怖で身体が震え、ぎゅっとスザクを抱き締めようとした瞬間、ふわりと鼻腔に懐かしい匂いが広がった。
「ほら、やっぱりただのクズ集団じゃねーか」
低い嗄れ声が耳を擽ったのと同時に、ふわりと何かに持ち上げられる身体。
突然の浮遊感に咄嗟に閉じてしまった目を見開くと、耳を生やしたいつものスザクの姿が視界に飛び込んだ。
「やっと戻ったか。くそ面倒くせぇ」
「スザク……ひゃっ!」
再会に浸る間もなく、目の前の景色が物凄い速さで通り抜けていく。何が起こっているのかは分からない。ただただハイエナ達の短い悲鳴と「逃げるな!」と喚く声が散らばって聞こえる。
私はただひたすら振り落とされないようにと、スザクの身体にしがみついていた。
「待ちな、スザク!」
気が付いたら外に出ていたのか、スザクに抱えられた状態のまま屋根の上まで乗り出していて。顔をスザクから逸らすと、睨みを利かせる女ハイエナの姿が数歩先にあった。
気のせいか、さっきより表情に余裕がないように見える。
「あんたさぁ、人様に助けてもらっておいてさぁ……! 私達の縄張りでせっ、えっ、あんなことして甘ったるい匂い残してくれたおかげで、仲間達の半分が使い物にならなくなっちまったんだよ! 棲家を駄目にしたお詫びとしてそのオオカミ娘を寄越しな!」
「んだよ、そんなことか。だったらこの家はもういらねーからやるよ。ハルは死んでもやらないけどな」
憤りを隠せず肩で大きく息をする女ハイエナに、スザクは躊躇なく近づく。
あろうことかそのまま彼女に空いた手を伸ばし、子を宥めるように頭をぽんぽんと撫でた。
「あの時はハルを助けてくれてありがとう。心の底から感謝してる」
「はっ、なんだい、急に! 気持ち悪い!」
「お前達がいなければ、ハルに二度と会うことはできなかった」
「い、今更そんな……は、はひっ……」
流れるように女ハイエナの首筋を指先で掻くスザク。獣の本能に抗えていないのか、気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らしている。明らかに心を許している顔だ。
「こんなことしたって……くぅ、あっ、そこもっと」
「だから今までのことも水に流そう。家賃代はこれでいいぞ」
「は……気持ち……え?」
女ハイエナが恍惚としている隙をついて、スザクはさっと距離を取る。
私を抱え直したその手には、ハイエナの匂いが染み付いた小袋が握られていた。中からはじゃらりと金貨同士が擦れるような音が聞こえる。
まさか。まさかのまさか。
「スザクぅぅぅ! 金返せ、このクズ野郎!」
「お前達が今まで横取りしてきた分だろうが。じゃあな」
慌てて追い掛けようとする彼女を横目に、スザクは高々と屋根から飛び降りる。そのまま振り返らず、荒れ地を抜け、野を駆け抜け、懐かしい街を通り過ぎていく。
私一人を抱えているのに、息ひとつ切らしていない。颯爽と地面を蹴って、前へ前へと進んでいく。
「す、スザク、そんなことしたらまた、あの人達追ってきて」
「追いかける気力をなくすくらい遠いところに行く。お前も一緒だ。拒否権はない」
背中に回っていたスザクの腕が、より一層私をきつく抱き締める。ハイエナ達の乱入で一息つく暇もなかったけれど、今更涙が出そうになった。やっとやっと、元のスザクに会えた。
でも、こんなところで泣いたら、スザクは絶対に嫌な顔をする。感情を誤魔化すように唾を喉の奥へと流し込み、話題を逸らすことにした。
「っ、ど、どうして今になってヒトの姿に戻ったの?」
「あ? 戻ったんじゃなくて戻れたんだよ。どこかの過保護な親が娘に必要以上に手を出さないように呪いでもかけたのかもな」
「え? え? 呪い?」
訳が分からず戸惑っていると、スザクの瞳がこちらを向いた。普段は口が悪いのに、濁り一つない透き通った綺麗な目。
はっと息を呑んだのも束の間、スザクはその場に足を止めて、顔を近付けて。
「っ!」
キスされる。そう早とちりしてしまい、反射的に目を閉じてしまった。
──しかし、いつまで経っても唇に感触は得られない。代わりに聞こえたのは、パチンッと前髪に何かが当たったような音。何かと思って瞼をおそるおそる持ち上げると、先ほどよりもスザクの顔が近くにあった。
「なんでせっかくお前にやったのに身につけてねぇんだよ。持ってるだけじゃ意味ねぇだろうが」
「あっ……」
気付いたら、懐かしいあの場所に来ていた。
私達が出会った、とても綺麗とは言えない裏市場の路地裏。その脇に放り捨てられた鏡には──あの日、馬車で私に大切な記憶を呼び戻してくれた髪留めをつけた自分の姿があった。
「こ、これ」
「お前にプレゼントしたんだよ。女に贈り物するなんて小っ恥ずかしいことしたの、初めてなんだ。今更要らないなんて言わないでくれ」
スザクはぷいっと素っ気なく目を伏せる。
いつもは無愛想を装っているのに、柄にもなく頬から首まで真っ赤で。すざく、って呼ぶと、何だよって目を背けたまま応えてくれた。
「いっしょう、一生、大切にする」
「ん」
「ありがとう。好き、大好き。スザク」
「知ってる」
「一番、好き。世界で一番好き。誰よりもスザクが好き」
「しつこい」
少しだけ乱暴に後頭部を掴まれ、牙が見え隠れした唇で同じところを塞がれる。勢い余って歯と歯が当たってしまい、一瞬だけ唇を離して、ちょっとだけ笑ってしまった。
そのとき、スザクがつられるように目元を綻ばせて、口元を緩めて。初めて見るその顔は、すぐに次の口づけで視界を阻まれてしまった。
「──愛している、ハル。誰よりも」
***
ここは人間と獣人、そして二つの種族の血を分かつ者、様々な姿形をした生き物が行き交う街。種族同士の争いや混血種族への差別は絶えず、貧困の差も何年経とうと変わることはなかった。
おそらく、この国は変わることがない。
とある者はそう自分に言い聞かせ、とある者は軽視し、とある者は落胆し。時代の流れに身を任せる者がほとんどであった。
──この国に革命を起こす者が現れるまでは。
彼の名はハルク。
共に半獣である両親の血を引き継ぐ一人の少年。
黒豹の血が流れる父からは厳しく育てられ、狼獣人の血が流れる母親からは無償の愛情と優しさをそそがれてきたという。
多くの妹や弟達に囲まれ、両親から深く愛されてきた彼は、国の民のために尽力し、すべての種族が平等に暮らすための一歩となった政策を打ち出したのだ。
どうして他人のためにそこまで尽くすのか、と後に妻となる狼獣人の娘に尋ねられたとき、彼は不器用に笑って答えたそうだ。
──これは呪いという名の誓いで結ばれた黒豹である父とその花嫁となった母。二人から生まれた物語なのだと。
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いつも本当にありがとうございます(^^)
花雨様
ありがとうございます!
気が向いたときにゆっくり読んでいただけると幸いです😌