【R18】黒豹と花嫁

みちょこ

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14話

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 獣人狩りの噂は聞いていた。

 由緒正しき血を継ぐ獣人一族が狙われることもあれば、混血の親子連れが狙われることもある。奴等は人間自体に興味はなく、誰をも問わず襲い掛かる。政府の監視の目を潜り抜けるためか、街中から離れた場所で事件は多発していた。

 最初は獣人の毛皮や骨に牙を裏で高額取り引きしているのではないかと政府は見做していたが、希少価値の高い部位を抉り取った形跡もない遺体が放置されることも散見されたらしい。獣人狩りの目論みは明確に掴めないままだ。

 どちらにせよ、ハルをこれ以上危険な目に合わせるつもりはない。助けに行かない選択肢はない。

 俺はハイエナの話を最後まで聞かずに、ハルの匂いを追った。

「……ぐっ、うっ……!」

 身体の内側からうごめく痛みに耐えながら、走る、奔る、ひたすら地面を踏む。このボロクソな状態での獣化は身に堪えたが、人間の身体でハルに追いつくわけもない。

 身体がしんどい。息が苦しい。このまま倒れたら確実に意識が飛ぶ。これ以上自分の身体に無理強いすれば死ぬかもしれない。
 だが、ハルを救うことさえできるのなら。望まぬ相手に奪われて一生後悔に苛まれるくらいなら死んだ方がマシだ。

「……っ!」

 霞む視界に見えた崖に沿った細道。姿ははっきりと見えないが、確実にハルの匂いは濃くなっている。鬱陶しいローベルトの匂いがまったくしないのが気がかりだが、ハルと一緒にいるんじゃなかったのか? リオンの匂いすらしねぇ。

 不審に思いながらも坂を下ろうとしたそのとき、妙なもんが見えた。

 ただの生き物にしては薄気味悪く、底知れない畏怖を感じる背中。一度戦って死にかけた熊獣人よりも遥かにでかい身体。
 何だ、あの化け物は──そう思ったのも束の間、奴の奥から風に靡く純白のドレスの裾が見えた。同時に身体の奥底がぞっと冷え、手先が震える。

 間違いない。あれはハルが着ていた花嫁衣装だ。
 姿形は完全には捉えられないが、この匂いもきっと。

「は、ハル……ごふっ」

 一刻も早く助けに行かなければ。
 そう頭では思っていても、身体はとっくの昔に限界を迎えている。胃の底から熱い液体が込み上げ、噴き出した液体が地面を赤く染めた。
 ここまで吐血したことは人生で一度もねぇぞ。本当に死ぬんじゃないのか、俺。

「くそったれ……」

 口からみっともなく血を垂らしながら、身体に鞭を打って一直線に走る。目指すは化け物とその奥にいるハルの元。掻っ攫ってそのまま逃げるのが一番だが、今の俺にハルを抱えたまま化け物から逃げ切ることは難しいだろう。

 となれば、残された選択肢は一つだ。

「……ハルから、離れ、ろ」

 化け物を前に怯え震えるハルの姿をしっかりと捉えたのと同時に、最後の力を振り絞った。後ろ足で地面を蹴り上げ、無防備な化け物の首元に勢いよく噛み付く。

 腹の底から咆哮の声を噴き出す化け物。
 ぐらりと崖の方面へと傾く身体。

 横目で見えたのは、花嫁衣装を纏うハル。
 とても、美しい。誰よりも綺麗だ。

 できれば、最期は泣いている顔じゃなくて、笑っている顔が見たかった。


『ン、ンヴァァァァァ』
 

 頭から血がすっぽ抜けたみたいに意識が遠退いていく。すぐ近くで化け物が喚いているはずなのに、声が遥か遠くから聞こえるような気がする。
 死ぬ直前なんてこんなものなのか。まぁ、どうせ死ぬんなら意識ははっきりとしてない方が瞬間的な痛みも薄れるだろうな。

 手を伸ばしているようにも見えるハルを見ながら、そんなことを考えて。そっと視界を閉ざした。







 ──おかあさんの毛、とてもきれい。きらきらしていてお星さまみたい。

 ──そう? でも私はハルの灰黒色の毛も好きよ。お父さんととても似ていて、綺麗な毛並みをしているわ。

 ──それは、お母さんがいつも梳かしてくれているから。


 仲睦まじい様子で二人笑い合う山吹色の毛の獣人と人間に近い姿をした幼子。母と娘、なのだろうか。娘はどことなくハルに似ているような気がする。よく喋って、よく笑う、俺の知っているハルだ。

 絵に描いたような幸せな親子の姿。果てしなく遠く感じられる光景をただただ呆然と見つめていた──が、どこからともなく飛んできた銃弾が母親の左胸を貫いた。
 

 ──おかあさん。


 地面にぐったりと横たわった母親に寄り添う幼い娘。ふんふんと顔の匂いを嗅いだり、血の気が抜けた頬を必死に舐めていたものの、母親は動かない。やがて母親の身体は骨となって砂のように朽ちていき、娘は一人になった。


 ──おかあさん。


 亡骸とも呼べない母親の遺灰から娘は離れない。行くところもないのだろう。小さな身体を縮めてたった一人眠っている。

 俺は母親の顔すら覚えていない。
 深い愛情をそそがれた子供ガキの気持ちなんて分からないし、その愛情を身に沁みて分かっている上ですべてを失ったときの悲しみも理解することはできない。

「……ハル」

 掠れた声でハルに似た娘の名を呼ぶ。
 
 目の錯覚か、幻でも見せられているのか、段々と今のハルに似始めてきた彼女の後ろ姿。俺の声なんて気づくはずもなく、娘は見窄らしい衣裳を纏った姿から純白の美しい花嫁姿へと変わっていく。細すぎる腕と声を震わせながら、目の前に聳える巨体を一人で持ち上げようとしていた。

「死んじゃ、だめ、だめ、死なないで、おねがい」

 そんな小せえ身体で動かせるわけがないのに。どうしてなりふり構わず頑張ってるんだよ。もういいって。馬鹿みたいにまっすぐ行動にしようとするから、周りにも騙されるんだっつの。俺みたいな奴からしか好かれないんだよ。

「は、る……」

 気づけば嘘かのように身体の痛みが消えていた。
 崖から落ちた癖にどうして立っていられるのか、まともに歩けるのか、意識がはっきりとしているのか。思うところは多々あったが、それよりも、そんなことよりも。

「っ!」

 目の前のことに必死で俺に気が付かないハルの手首を背後から掴む。
 枝みたいにほっせぇ腕。こんな貧弱そうな身体で無理するなよと心の中で汚い言葉を吐きながら、ウエディングドレスを纏ったハルを半ば無理やり振り向かせた。状況を理解できていないのか、ハルは目をまん丸に剥いている。

「す、ざっ、あっ」

 驚いたままのハルを抱き寄せ、腕の中に閉じ込める。痩せ細った背中に腕を回し、片手で後頭部を掴む。小さい。なんて小さいんだ。これ以上抱き締めればそのまま潰れてしまいそうだ。
 それなのに、腕の力を緩められない。ハルを手放すことができない。この温もりが自分の命よりも惜しい。  

「ハル。お前を連れ戻しに来た」

「あっ、あ、わたし」

「嫌だと言っても帰さない。二度と離したりはしない。ずっと、側にいてくれ。お前のことを愛している」

 自分でも引くくらい情けない声が漏れた。格好良さなんて微塵もねぇ。
 顔も覚えていない男からこんなことを言われたら、迷惑を通り越して恐怖でしかないだろう。

 じっと硬直しているハルを抱き締める腕に、自然と力が入る。このまま突き飛ばされるかもしれない、そんなことさえ思った。

「わ、わたしも……」

 ──背中に、小さな温もりがしがみつく。
 震えた声が喉元に触れる。
 温い雫が胸を伝っていく。

「好き……あなたのことが、スザクのことが……」

 胸元から聞こえたか細い声に、閉ざしていた瞼を開く。冷え切った息を吐き、ゆっくりと視線を落とすと、そこには光を灯した瞳から大粒の涙を溢すハルの姿があった。俺の、俺の知っているハルだ。

「ハ、ル……」

 本当に、ハルなのだろうか。戻ってきてくれたのだろうか。

 温もりを確かめようと、静かに泣き続けるハルの頬に手を伸ばしたそのときだった。

「薄汚い手で触れるなよ。汚い黒豹もどきめ」

「──っ!」

 背後から聞こえた声と共に、弾けるような銃声が脳天を貫く。左肩が吹き飛ぶような熱さに見舞われ、遅れて痛みがやってきた。

 (撃……たれた……?)

 まともに状況を把握することができないまま、大きくふらつく足元。顔を真っ青にしたハルが慌てて俺を支えようとしていたが、どこからともなく飛んできた一匹の狼が彼女を掻っ攫ってしまった。

「人間の作ったものは案外役に立つ。これで十分だ」

 ハルを捕らえたのはリオン。振り返った先に佇んでいたのは、銃を構えたローベルトだった。腹の底から殺意が込み上げたのも一瞬、脳が揺さぶられるような衝撃と共に目の前が白く眩んだ。

「番の契約を解こうとした直後に現れるとは。しつこい虫だ。だが邪魔されまい」

 どしゃっ、と膝から地面に崩れ落ちる。

 何とか起き上がろうとするも、背中に重石が乗せられたように動けない。首元は銃の側面で締めるように押さえつけられている。

 どうやら銃の端で殴られたらしい。
 額から真紅の液体が滝のように流れ、ローベルトが握る銃の手持ちには俺のであろう血がこびりついていた。

「……妙な化け物を退治してくれたことにだけは感謝してやろう。さぁ、リオン。さっさとその金狼の娘を縄で縛り上げろ。二度と逃げ出せないようにな」

「っ、ざけん、な」

「最悪世継ぎさえ産ませれば、番の呪いで死のうと構わんのだ」

 勝機を確信したのか、ローベルトはくくくっと喉の奥から笑い声を漏らす。手の届かない距離にいる狼姿のリオンは、じっと俺を見つめたかと思えば、足元で震えているハルを見下ろし、大きな口をゆっくりと開けて──

 やめろ、手を出すな。

 大声で叫ぼうとするや否や、リオンは鋭い牙を剥き出しにしてハルの首元に噛み付いた。


    
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