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5話
しおりを挟むパトリツィアを先頭に、レベッカ達は城の中へと案内された。正殿の長い廊下を歩いている間も、アレッサンドは頑なにレベッカの手を握っていたが、パトリツィアはそれを目にしても何も口にしなかった。それどころか、パトリツィアはレベッカに視線を何度も向けて嬉しそうに微笑んでいて。
自分の婚約者に求婚した王女が何を考えているか分からず、レベッカは全身の肌をぞっと粟立たせた。
「アレッサンド。会いに来てくれて本当に嬉しいわ」
謁見の間へと続く、金の糸で刺繍が施された赤い絨毯の中央で足を止めるパトリツィア。彼女は柔らかな黄金の髪を揺らして振り返ると、愛嬌たっぷりの笑顔で微笑んだ。
シャンデリアの煌めきが落とされた黄金の瞳を向けられ、レベッカは思わずアレッサンドから手を離してしまう。
「わたくしね。貴方達……いえ、貴方が来るのを楽しみにしていたの」
パトリツィアは軽やかな動きでアレッサンドに近付き、そのまま彼の腰に腕を回した。ぎゅっと王女に抱き締められる婚約者の姿を目の前に、レベッカは何も出来ないままその場に立ち尽くす。同時に脳裏を掠ったのは、二人が結婚してしまうという最悪の結末。胸の奥が握り潰されたように酷く締め付けられ、レベッカは唇をきゅっと結んだ。
一方のアレッサンドは、動揺している様子は全く見られない。自分に抱きつく小柄な王女を見下ろしながら、薄い唇をそっと開く。
「……パトリツィア王女殿下。まだ私とレベッカの婚約関係は解消されていません」
「あら、それなら今はこういうことはしない方がいいわね。ふふっ」
パトリツィアはすんなりとアレッサンドから離れると、今度はレベッカに身体を向け──そのまま飛び付くようにして熱い抱擁を交わした。
「パ、パトリツィア姫……!」
「ふふふっ。レベッカ、とってもいい匂いがするわ」
何故か自分が抱き締められて戸惑うレベッカだったが、パトリツィアはそれに構う様子なく、甘えるように頬に顔を擦り寄せる。
「レベッカ。わたくしとアレッサンドの婚約が決まったら、貴女に話したいことがあるの」
「え……?」
パトリツィアはレベッカの頬を小さな手で包み込み、唇のすぐそばに口づける。レベッカは思わず後退りしそうになったが、パトリツィアに肩を掴まれて制された。
「きっと貴女も喜ぶと思うわ。楽しみにしてて」
穢れの無い可憐な笑顔を見せるパトリツィアに、レベッカの心は不安に苛まれていく。
(……話って、何なのかしら)
煌びやかな城の中に漂う不穏な空気。レベッカは微かに震える手を強く握り締め、先の道を進むパトリツィアの後に続いた。
「──忙しい中、よく来てくれたな。アレッサンド、レベッカ」
控えの間の中央。玉座に腰掛けたパトリツィアの父──ウィツールの国王が顎下に切り揃えられた髭を弄りながら、レベッカ達を見据えた。
全てを見透かしてしまいそうな鳶色の瞳に、厳粛とした表情、そしてパトリツィアと同じ絹のような黄金の髪。国の頂点に君臨した者として遜色ない威厳が空気を通して伝わり、レベッカの身体を震わせた。此れから王に直談判する内容を考えれば、尚更恐怖心が募る。
「私が呼んだのはアレッサンドだけだったと記憶しているが、レベッカは何か私に用があるのか」
「っ!」
王の視線が向けられ、レベッカの心臓が飛び跳ねる。何とか言葉を口にしようとしても、喉と口の中が酷く渇いて、声にならない。王の突き刺さるような眼差しを向けられる中、焦燥感に駆られるレベッカを擁護しようと、アレッサンドが一歩前へ出た。
「国王陛下。レベッカは私が連れてきました。今日は陛下とパトリツィア王女殿下にお話したいことがあるのですが、宜しいでしょうか」
「ほう。そなたはパトリツィアの夫となる男だ。何でも申すがよい」
国王は肘掛けに片腕を預け、自身の顎を擦りながらアレッサンドを見つめる。アレッサンドは音を立てて唾を呑み込むと、一度衛兵に預けていた鞄を手に取った。
「此れを見て頂きたいのですが」
国王の前に翳された厚手の紙──それは、レベッカとアレッサンドが婚約解消する旨が記されたものだった。提示された書類を前に、国王は睨むように目を凝らし、瞼を僅かに痙攣させる。
「私に渡す前に一度、議会に通す必要があるだろう。貴族院の承認はもう得たのか」
「いえ、必要ないと考えましたので」
「……なに?」
国王の表情が次第に険しさを増していく。謁見の間に広がる淀み始めた空気に、レベッカは胸元を汗ばんだ手で握り締めた。
しかし、アレッサンドは威圧感に臆することは無く。王をじっと見つめ返し、更に一歩前へ足を踏み出す。
「……単刀直入に言いますと、私はパトリツィア王女殿下との結婚は考えておりません」
アレッサンドが言葉を告げた刹那、細められていた国王の瞳が大きく見開かれた。眼力だけで人を殺められそうなほどの恐ろしい表情に、扉の側に立っていた衛兵が小さな悲鳴をあげる。
「どういう意味だ。アレッサンドよ」
「……恐らく、パトリツィア王女殿下と私が結婚をしたとしても、殿下はご満悦頂けないかと。寧ろ、彼女にとって今より悲惨な状況になるのではないかと考えております」
「言葉の意味が理解出来んぞ」
国王の声に苛立ちが表れ始めたその時、艶を帯びた皮革張りの椅子に腰を掛けていたパトリツィアが立ち上がった。
「アレッサンド。わたくし、貴方となら幸せになれるわ。だって、貴方のことを愛しているもの」
にっこりと笑うパトリツィアに対し、アレッサンドは表情一つ変えない。一つ深い息を吐き出すと、灰色の瞳を向けたまま、パトリツィアがいる方へゆっくりと歩き始めた。
「……殿下。偽りの愛を言葉にするのは、聞いていて心苦しい。悲しい気持ちになります」
「な、何を言っているの……? 愛していると言ってるじゃない。わたくしは貴方に一目惚れしたと、あの舞踏会の日に言ったはずよ」
何故か吃り始めるパトリツィアの声は、焦りを含んでいるようにも感じられる。アレッサンドは目を泳がせる彼女から視線を外さず、じわりじわりとにじり寄った。
「その件に関しては一つ疑問に思っていることがありますが……まぁいいでしょう。陛下、パトリツィア王女殿下、ご無礼をお許し下さい」
「な、なに……」
目の前にまで迫るアレッサンドに、パトリツィアは後退りをして距離を取ろうとする。しかし、彼の鋭い目付きで見下ろされたせいか、彼女はそれ以上動けなくなってしまった。
小動物のように震えるパトリツィアを前に、アレッサンドは小さく鼻息を漏らすと、彼女の頬にそっと手を伸ばした。
「……パトリツィア王女殿下。もし、貴女の愛に偽りが無いと言うのならば、それを証明して下さいませんか?」
「し、証明……?」
「ええ。この場で私に口づけをして下さい」
「っ!」
アレッサンドの一言に、その場にいた人々が一斉にざわめき始める。パトリツィアは疎か、国王も、衛兵も、そしてレベッカも、目と口を大きく見開いてアレッサンドを見つめた。
(ア、アレッサンド……! 一体何を言っているのですか……!?)
何故アレッサンドがそんなことを口にするのかと、レベッカは胸をざわめかせる。混乱と共に泣きたい気持ちがレベッカを蝕む一方、アレッサンドは硬直するパトリツィアに顔を近付けた。
「殿下。私を愛しているのなら、出来ますね?」
「っ……!」
パトリツィアは円らな瞳を大きく見開き、唇を微かに震わせる。明らかに動揺している表情を見せている王女だったが、覚悟をとうとう決めたのか──アレッサンドの両肩に手を乗せた。
「で、出来るわよ! どうせ結婚したら毎日のようにしなくちゃいけないんですもの! 目を閉じなさい、アレッサンド!」
「……はい」
言われた通りに瞼を閉じるアレッサンド。
パトリツィアは唇をぎゅっと結ぶと、つま先立ちをしてアレッサンドに顔を近付け──
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