1 / 1
桜の木とわたし
しおりを挟む桜の咲く季節に産まれたから咲《さき》と名づけられた。
私の家には大きな桜の木がある、この木の下で毎年お婆ちゃんが中心となり、家族で花見をする。それが我が家の決まりだった。暖かい日差しの中、小学生迄はその行事が楽しみだったが、中学校入学につれて煩わしく感じるようになった。
無口で不器用なお父さんはお婆ちゃんの言いなりで、私に同じ事を言ってくる。唯一この家で私の味方だったお母さんは、私の中学卒業を楽しみにしていたが、それを見る事無く、病気で他界した。
「お婆ちゃん、今年はもういいよ」
「ダメじゃ、御神木は大切にせにゃならん」
「神木って、それただの木じゃん!」
「咲は何も分かっとらんっ、いいか、今年こそは絶対に参加するんじゃよ!」
毎年お婆ちゃんと言い合ったあげく、私が花見に参加する事は無く、高校を卒業した翌日、家を出た――――
***
「またか......」
激安家賃のアパートのドアを開けると、暗い部屋にぼやっと光る人影がある。
私は幽霊を見る事が出来るようになった。それは突然現れて、何も言わず、何もせずに、気がつくとスーッと消えていくだけのものだった。
昔から霊感などは全く無かった為、初めて見た時は驚いたが、二年も経てば恐怖心は無くなり、今では共存していた。曰く付きの物件を借りたのも、早く実家から逃げ出したい、ただそれだけだった。
「あー、もしもし咲かい?」
部屋の明かりを付けて通話ボタンを押す。着信は実家だった、予想はしていたが、やはりこの時期になると、この人から電話がかかってくる。
「何お婆ちゃん、花見なら行かないよ」
「ダメじゃ! 今年こそは――――」
中学の時から毎年同じ言葉を聞いている。会話を遮るように通話終了ボタンを押してスマホをベッドへ投げる。その後私も仰向けに寝転んだ。隣で鳴り続けるスマホを無視して目を瞑ると、お母さんを思い出す。お母さんが居てくれたら、味方になってくれたのかな、見せたかったな、大学生になった私。
潤んだ瞳を開けると幽霊が天井にいた、私は小っ恥ずかしくなり急いで涙を拭き取る。
「もう! どっかいってよ」
煙草の煙りをかき消すように腕を振る。それに合わせて、幽霊は消えた。ハァー、と溜め息をつく。写真立てに入ったお母さんはいつも笑顔だった。
***
春は嫌いだ。就職してもう何年も花見をしていないのに相変わらず毎年実家からかかってくる電話は当然のように無視した。
「ずっと鳴ってるよ、いいの?」
「実家だから、いいのいいの」
彼氏には言っていない、花見の事も、そして今も私の右斜め後ろに付きまとう二体の幽霊も。お祓いをしても、部屋にお札を貼っても、私から離れてくれなかった。それどころか、就職と同時に幽霊アパートから引っ越したのに、大事なデートのちょうど今朝、一人増えて二体になった幽霊は、私の側を離れてくれなかった。
ディナーを済ませた後、夜桜を見に川沿いの道を歩く、そこは花見をする人々で賑わっていた。少し離れた場所に来ると桜の木の数に比例するように、人の数も減った。静けさの中、急に真面目な顔になった彼が私の前に立ち、進路を塞いだ。
「あのさ......」
絶対プロポーズだ、一瞬で分かった。右手をジャケットのポケットへ突っ込んで握りしめている。
嬉しい、大学から付き合っていた彼と結婚できる、返事はもちろんオッケー、可愛く返事しなきゃと考えたタイミングでスマホが鳴る。
「あっ」
「あ、いいのいいの」
「いや、出ていいよ......」
着信は実家。こんな時にまで私の邪魔をするお婆ちゃん、本当嫌い、お婆ちゃんなんて、桜の木なんて、無くなればいいのに! 私は奥歯を噛み締めて通話ボタンを押す。
「だから、花見なら行かないって!」
『早く病院に来い、お婆ちゃんが倒れたんだよ!』
「えっ?」
聞こえてきた声は凄まじい勢いのお父さんだった。スマホを下ろすと彼を見て「さっきは何だったの?」と聞く、「それはこっちの台詞」と言われた私は、事情を話し、病院へ急いだ。
到着した時にはもう、お婆ちゃんは冷たくなっていた。今朝縁側で倒れているのをお父さんが見つけたらしい、不器用なお父さんはメールをすることができなかったらしく、今朝から鳴り続けていたスマホはその事を知らせる為だった。
***
彼に話の続きを聞けたのは半年経った夏の暑さが残る秋だった。感動は薄れてしまったが、やはりプロポーズだった。私は二つ返事で答えると、滞りなく挙式の準備が進められた。二体の幽霊は消えてくれないが、実家の花見は来年から無くなるだろう。そう思うと私の心は軽くなった。
庭の桜が満開になった日、私達は結婚式を挙げた。
友達の余興も終わり、皆んな笑顔のまま披露宴も終盤に差し掛かった。今まで生きてきた中で一番幸せだった。
「ここで新婦、咲さんのお父様からのご依頼で、お庭にある桜の木をライブ映像でスクリーンに映し出させていただきます」
「えっ?」
照明が消え、今朝家にセットしてきたカメラを通じて壁一面のスクリーンに満開の桜が映し出された。「うわー」と歓声が湧く中、ネクタイの曲がったままのタキシードを着たお父さんが、立ち上がり一礼する。
「綺麗な桜だね」
隣の彼も少し驚いた様子だったが、私に顔を近づけ小声で言った。それを無視するように真っ直ぐお父さんを見る私の眉間には皺がよっていた。幸せな気分だったのに、最高の気分だったのに、突然私達の知らない事を勝手にするこの人、やはり桜なんか無くなればいいのに!
ゆっくりと歩いてスクリーンの横に立つお父さん。更に一礼して、マイクを握る。
「えー、この木は我が家に代々伝わる御神木でして――――」
「もう......やめてよー」
誰にも聞こえ無いような小さな声で言う、会場全員がスクリーンと、その横に立つお父さんに注目した。どうせ不毛な事だろうと、私は恥ずかしさのあまり俯いた。
「咲、結婚おめでとう。お母さんも喜んでるよ」
......何言ってんの? 御神木だから? 死んだお母さん? バカじゃないの? 私は俯いたまま顔を上げなかった。
最悪――――
......
............
『咲......おめでとう......』
懐かしい声、柔らかな暖かい声、この声は......
お母さん!!
顔を上げると、私の後ろから飛び出した光の人型がスクリーンの下、お父さんの隣に移動したと思うと、その形はお母さんの姿になった。
「お母さん!」
涙が溢れる。ずっと会いたかった、今日の私を一番見てもらいたかったお母さん。
『お母さんね......ずっとあなたと一緒にいたのよ......彼と出会った時も、喧嘩して泣いてた日も、初めて就職して頑張った日も......』
「お......お母......」
ぶわっと溢れ出す涙を手で拭う。彼と喧嘩して泣きながら帰った日、私は「邪魔」と、幽霊にモノを投げて八つ当たりをした。残業が続きヘトヘトになって帰った夜、ソファーで寝てしまい、朝目を覚ますと、掛けた覚えの無い布団が掛かっていた。あれも全部お母さんだったんだ......
涙が止まらない、ハンカチを渡されて目を抑えるが、鼻水と涙で直ぐにぐちゃぐちゃになった。
『我が家の魂は一年に一度、この桜が満開になった日にのみ、姿を現わす事が出来るのじゃよ......』
お母さんの隣に現れると、笑顔で言った。もう一体は、お婆ちゃんだったんだ。最後に見たお婆ちゃんの笑顔はいつだっただろう。
毎年花見を強要していたのは、私をお母さんに合わせる為だったんだ......それを私は......
無くなればいいのに......なんて......
子供の頃以来だろう、私が人前で大声で泣いたのは。
勿論、周りの人には見えていないだろう。ただ私が桜の木を見て、父親のスピーチを聞き、そして涙しているようにしか見えないだろうが、それでもよかった。
――ありがとう。
一番大切なものが、そこにはあった。あの日から私は幽霊を見れなくなり、子供が出来た。今は何不自由なく暮らせている。ただ一つだけ、我が家に決まり事を作った。
――春になると、私の実家へ行き、満開の桜の木の下でお花見をする事――
――了――
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】その同僚、9,000万km遠方より来たる -真面目系女子は謎多き火星人と恋に落ちる-
未来屋 環
ライト文芸
――そう、その出逢いは私にとって、正に未知との遭遇でした。
或る会社の総務課で働く鈴木雪花(せつか)は、残業続きの毎日に嫌気が差していた。
そんな彼女に課長の浦河から告げられた提案は、何と火星人のマークを実習生として受け入れること!
勿論彼が火星人であるということは超機密事項。雪花はマークの指導員として仕事をこなそうとするが、日々色々なことが起こるもので……。
真面目で不器用な指導員雪花(地球人)と、優秀ながらも何かを抱えた実習生マーク(火星人)、そして二人を取り巻く人々が織りなすSF・お仕事・ラブストーリーです。
表紙イラスト制作:あき伽耶さん。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
汚れて見えた星空に
にわ冬莉
ライト文芸
本当は行かないでほしい。
だけど、あなたは行ってしまうのね……。
その背中に、私は呟く。
「絶対に戻ってきてくださいね」
それは一方的な、約束──。
2度読むと、見える映像が変わる不思議なお話。
十年目の結婚記念日
あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。
特別なことはなにもしない。
だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。
妻と夫の愛する気持ち。
短編です。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
伊緒さんのお嫁ご飯
三條すずしろ
ライト文芸
貴女がいるから、まっすぐ家に帰ります――。
伊緒さんが作ってくれる、おいしい「お嫁ご飯」が楽しみな僕。
子供のころから憧れていた小さな幸せに、ほっと心が癒されていきます。
ちょっぴり歴女な伊緒さんの、とっても温かい料理のお話。
「第1回ライト文芸大賞」大賞候補作品。
「エブリスタ」「カクヨム」「すずしろブログ」にも掲載中です!
消極的な会社の辞め方
白水緑
ライト文芸
秋山さんはふと思いついた。仕事を辞めたい!
けれども辞表を提出するほど辞めたい何かがあるわけではない……。
そうだ! クビにしてもらえばいいんだ!
相談相手に選ばれた私こと本谷と一緒に、クビにされるため頑張ります!

雪が降る空、忘れたくない日。【声劇台本】【二人用】
マグカップと鋏は使いやすい
ライト文芸
○タイトル
雪が降る空、忘れたくない日。
二人用です。
性別年齢不問、語尾等言いやすいように変更してください。
○あらすじ
昨年出会った二人。
けれど今年の冬が来る前に、別れの日がやって来た。
思い出を忘れないために、渡したものは…
動画・音声投稿サイトに使用する場合は、使用許可は不要ですが一言いただけると嬉しいです。
ワクワクして聞きに行きます。
自作発言、転載はご遠慮ください。
著作権は放棄しておりません。
使用の際は作者名を記載してください。
性別不問、内容や世界観が変わらない程度の変更や語尾の変更、方言、せりふの追加は構いません。
こちらは、別アプリに載せていたものに、加筆修正を加えたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる