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桜の木とわたし
しおりを挟む桜の咲く季節に産まれたから咲《さき》と名づけられた。
私の家には大きな桜の木がある、この木の下で毎年お婆ちゃんが中心となり、家族で花見をする。それが我が家の決まりだった。暖かい日差しの中、小学生迄はその行事が楽しみだったが、中学校入学につれて煩わしく感じるようになった。
無口で不器用なお父さんはお婆ちゃんの言いなりで、私に同じ事を言ってくる。唯一この家で私の味方だったお母さんは、私の中学卒業を楽しみにしていたが、それを見る事無く、病気で他界した。
「お婆ちゃん、今年はもういいよ」
「ダメじゃ、御神木は大切にせにゃならん」
「神木って、それただの木じゃん!」
「咲は何も分かっとらんっ、いいか、今年こそは絶対に参加するんじゃよ!」
毎年お婆ちゃんと言い合ったあげく、私が花見に参加する事は無く、高校を卒業した翌日、家を出た――――
***
「またか......」
激安家賃のアパートのドアを開けると、暗い部屋にぼやっと光る人影がある。
私は幽霊を見る事が出来るようになった。それは突然現れて、何も言わず、何もせずに、気がつくとスーッと消えていくだけのものだった。
昔から霊感などは全く無かった為、初めて見た時は驚いたが、二年も経てば恐怖心は無くなり、今では共存していた。曰く付きの物件を借りたのも、早く実家から逃げ出したい、ただそれだけだった。
「あー、もしもし咲かい?」
部屋の明かりを付けて通話ボタンを押す。着信は実家だった、予想はしていたが、やはりこの時期になると、この人から電話がかかってくる。
「何お婆ちゃん、花見なら行かないよ」
「ダメじゃ! 今年こそは――――」
中学の時から毎年同じ言葉を聞いている。会話を遮るように通話終了ボタンを押してスマホをベッドへ投げる。その後私も仰向けに寝転んだ。隣で鳴り続けるスマホを無視して目を瞑ると、お母さんを思い出す。お母さんが居てくれたら、味方になってくれたのかな、見せたかったな、大学生になった私。
潤んだ瞳を開けると幽霊が天井にいた、私は小っ恥ずかしくなり急いで涙を拭き取る。
「もう! どっかいってよ」
煙草の煙りをかき消すように腕を振る。それに合わせて、幽霊は消えた。ハァー、と溜め息をつく。写真立てに入ったお母さんはいつも笑顔だった。
***
春は嫌いだ。就職してもう何年も花見をしていないのに相変わらず毎年実家からかかってくる電話は当然のように無視した。
「ずっと鳴ってるよ、いいの?」
「実家だから、いいのいいの」
彼氏には言っていない、花見の事も、そして今も私の右斜め後ろに付きまとう二体の幽霊も。お祓いをしても、部屋にお札を貼っても、私から離れてくれなかった。それどころか、就職と同時に幽霊アパートから引っ越したのに、大事なデートのちょうど今朝、一人増えて二体になった幽霊は、私の側を離れてくれなかった。
ディナーを済ませた後、夜桜を見に川沿いの道を歩く、そこは花見をする人々で賑わっていた。少し離れた場所に来ると桜の木の数に比例するように、人の数も減った。静けさの中、急に真面目な顔になった彼が私の前に立ち、進路を塞いだ。
「あのさ......」
絶対プロポーズだ、一瞬で分かった。右手をジャケットのポケットへ突っ込んで握りしめている。
嬉しい、大学から付き合っていた彼と結婚できる、返事はもちろんオッケー、可愛く返事しなきゃと考えたタイミングでスマホが鳴る。
「あっ」
「あ、いいのいいの」
「いや、出ていいよ......」
着信は実家。こんな時にまで私の邪魔をするお婆ちゃん、本当嫌い、お婆ちゃんなんて、桜の木なんて、無くなればいいのに! 私は奥歯を噛み締めて通話ボタンを押す。
「だから、花見なら行かないって!」
『早く病院に来い、お婆ちゃんが倒れたんだよ!』
「えっ?」
聞こえてきた声は凄まじい勢いのお父さんだった。スマホを下ろすと彼を見て「さっきは何だったの?」と聞く、「それはこっちの台詞」と言われた私は、事情を話し、病院へ急いだ。
到着した時にはもう、お婆ちゃんは冷たくなっていた。今朝縁側で倒れているのをお父さんが見つけたらしい、不器用なお父さんはメールをすることができなかったらしく、今朝から鳴り続けていたスマホはその事を知らせる為だった。
***
彼に話の続きを聞けたのは半年経った夏の暑さが残る秋だった。感動は薄れてしまったが、やはりプロポーズだった。私は二つ返事で答えると、滞りなく挙式の準備が進められた。二体の幽霊は消えてくれないが、実家の花見は来年から無くなるだろう。そう思うと私の心は軽くなった。
庭の桜が満開になった日、私達は結婚式を挙げた。
友達の余興も終わり、皆んな笑顔のまま披露宴も終盤に差し掛かった。今まで生きてきた中で一番幸せだった。
「ここで新婦、咲さんのお父様からのご依頼で、お庭にある桜の木をライブ映像でスクリーンに映し出させていただきます」
「えっ?」
照明が消え、今朝家にセットしてきたカメラを通じて壁一面のスクリーンに満開の桜が映し出された。「うわー」と歓声が湧く中、ネクタイの曲がったままのタキシードを着たお父さんが、立ち上がり一礼する。
「綺麗な桜だね」
隣の彼も少し驚いた様子だったが、私に顔を近づけ小声で言った。それを無視するように真っ直ぐお父さんを見る私の眉間には皺がよっていた。幸せな気分だったのに、最高の気分だったのに、突然私達の知らない事を勝手にするこの人、やはり桜なんか無くなればいいのに!
ゆっくりと歩いてスクリーンの横に立つお父さん。更に一礼して、マイクを握る。
「えー、この木は我が家に代々伝わる御神木でして――――」
「もう......やめてよー」
誰にも聞こえ無いような小さな声で言う、会場全員がスクリーンと、その横に立つお父さんに注目した。どうせ不毛な事だろうと、私は恥ずかしさのあまり俯いた。
「咲、結婚おめでとう。お母さんも喜んでるよ」
......何言ってんの? 御神木だから? 死んだお母さん? バカじゃないの? 私は俯いたまま顔を上げなかった。
最悪――――
......
............
『咲......おめでとう......』
懐かしい声、柔らかな暖かい声、この声は......
お母さん!!
顔を上げると、私の後ろから飛び出した光の人型がスクリーンの下、お父さんの隣に移動したと思うと、その形はお母さんの姿になった。
「お母さん!」
涙が溢れる。ずっと会いたかった、今日の私を一番見てもらいたかったお母さん。
『お母さんね......ずっとあなたと一緒にいたのよ......彼と出会った時も、喧嘩して泣いてた日も、初めて就職して頑張った日も......』
「お......お母......」
ぶわっと溢れ出す涙を手で拭う。彼と喧嘩して泣きながら帰った日、私は「邪魔」と、幽霊にモノを投げて八つ当たりをした。残業が続きヘトヘトになって帰った夜、ソファーで寝てしまい、朝目を覚ますと、掛けた覚えの無い布団が掛かっていた。あれも全部お母さんだったんだ......
涙が止まらない、ハンカチを渡されて目を抑えるが、鼻水と涙で直ぐにぐちゃぐちゃになった。
『我が家の魂は一年に一度、この桜が満開になった日にのみ、姿を現わす事が出来るのじゃよ......』
お母さんの隣に現れると、笑顔で言った。もう一体は、お婆ちゃんだったんだ。最後に見たお婆ちゃんの笑顔はいつだっただろう。
毎年花見を強要していたのは、私をお母さんに合わせる為だったんだ......それを私は......
無くなればいいのに......なんて......
子供の頃以来だろう、私が人前で大声で泣いたのは。
勿論、周りの人には見えていないだろう。ただ私が桜の木を見て、父親のスピーチを聞き、そして涙しているようにしか見えないだろうが、それでもよかった。
――ありがとう。
一番大切なものが、そこにはあった。あの日から私は幽霊を見れなくなり、子供が出来た。今は何不自由なく暮らせている。ただ一つだけ、我が家に決まり事を作った。
――春になると、私の実家へ行き、満開の桜の木の下でお花見をする事――
――了――
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