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第一章 変わりゆく王国
5-5 母娘の再会
しおりを挟むステラ様の立ち上げた新しい組織の名は、シンプルに、『治療院』だ。
治療院は、傷や呪い、毒の治療を受け持つ聖女だけではなく、感染症や内疾患に詳しい医師、薬師、看護師、助産師など、人の健やかな生活に関わる多くの職業人を招いた、ハイブリッド型の組織である。
当初はこれまでの教会を『旧教会』、ステラ様の組織を『新教会』とする案もあったが、ステラ様は教会の名を使うことを拒否した。
全く新しい体制で、全く新しい気持ちで、スタートを切りたかったのだという。
もちろん、今まで教会がしてきたように、単純に治療をした回数によって、職員の給金や待遇が上がるということもない。
治療の回数だけでなく、質、難度、満足度なども踏まえ、総合的に評価される仕組みを作ろうと、現在色々と試みているようだ。
ちなみに、教会を抜けた神官たちは、事務仕事や食事係、洗濯係など、それぞれの希望と適性に合わせて働いているようだ。なお、神殿騎士たちは、変わらず警備業務に就いている。
治療院の設備が整い、王都内外に拠点が揃い始めると、王太子殿下は魔法石の供給を少しずつ減らしていった。
南の丘教会出身で、魔法石研究所に在籍していた聖女と神殿騎士たちも、希望があれば少しずつ治療院へと活動の拠点を移していった。
けれど逆に、研究所に新たに入ってくる聖女たちもいる。王太子殿下が、魔法石の精製に聖女の力が必要だということを公にしたためだ。
研究所を立ち上げた当初と比べると、そのメンツは半分ぐらい入れ替わっていた。
もちろん、教会に所属したままの聖女や神官も多い。
突然環境が変わったからといって、自分で居場所を決めて良いのだと言われても、すぐに順応できる者ばかりではないのだ。
長年教会に勤めてきた者たちは、特にその傾向が強かった。そもそも、これまで外を知らず、上の言葉を疑うこともなく、閉鎖的な環境で生きてきたのだから。
そんな中、私も、ステラ様の治療院に誘われた。それも、直接だ。
物心ついてから初めて会った実の母親は、確かに私とよく似ていた。けれど、苦労の跡がしっかりと目元に刻まれている。
優しげな海色は不安に揺れ、頬の筋は固く、緊張している様子だった。
「ミア・エヴァンズ嬢……はじめまして」
ステラ様との会話は、そんな堅苦しい挨拶から始まった。
「聖女ステラ様。どうか、私のことはミアとお呼び下さい。敬語も不要です。それから――私は覚えていないのですが、お久しぶりです。……お会いしたかったです」
「……! ミア……、私がどれほど、この日を待ち望んだことか……」
ステラ様は、私とよく似た海色の瞳から、大粒の涙をこぼし、両手で顔を覆った。
私がその背をそっと撫でると、ステラ様は一瞬びくりとしたが、素直に受け入れてくれる。
「クロムさんから、伝言、受け取ったわ。私は、あなたに恨まれていても、憎まれていてもおかしくない……そう思っていたの。だから……、少し、驚いたわ」
ステラ様は、潤んだ声で、ゆっくり……しかし、はっきりと、話してくれた。
「あなたを置いて出て行ってしまった私に……感謝の言葉を贈ってくれるなんて。あなたが、立派な人たちに囲まれて、愛されて生きてきた証拠だ、って思ったわ。私、嬉しくて、安心して、それから……申し訳なくて……」
そこまで言って、ステラ様は再び声を詰まらせた。
彼女は、私と目を合わせると、涙を拭って微笑む。
「ミア。改めて、私からもこの言葉を贈るわ。――ありがとう」
生まれてきてくれて、ありがとう。
ここまで立派に育ってくれて、ありがとう。
私を受け入れてくれて、ありがとう。
色んなありがとうが、ステラ様のその一言には詰まっていた。
だから、私も、少し勇気を出して、一歩踏み出すことに、決めた。
「ス……、ううん。お母様……」
「……! いま、なんて」
ステラ様は、目を見開いた。
私は、今度こそはっきりと、しかと目を見て、呼ぶ。
「――お母様」
「ミア……!」
今度は、私が、ステラ様――お母様の腕の中に、閉じ込められる番だった。
こうして、私とお母様の再会は、堅苦しい空気で始まり、あたたかな空気で終わった。
再会を喜び合った後で、ステラ様は私を治療院へと誘ってくれた。私が聖女として覚醒していることを、知っていたためである。
けれど私は、魔法石研究所での勤務を続けることを選んだ。
魔法石研究所には、創設の時からお世話になっているし、やはり私が大々的に聖女として活動すると、エヴァンズ子爵家に迷惑がかかると思ったからだ。
それに、魔法石に対して、愛着や責任感が生まれつつある、というのもある。
この先、魔法石がもたらす発展を、幸福を、この目で最初に見て、感じたい。私もウィル様に当てられたのか、シュウ様たちに影響を受けたのか、研究者気質が少しあるみたいだ。
ステラ様にそれを説明すると、彼女は納得してくれたようだった。
ステラ様は、聖女だけでなく、聖魔法を使えなくても医療に携わってきた人や、強い志を持つ人を、高く評価している。
今後は、聖魔法と医術や薬学を組み合わせて、より一層高度な治療を、人々に提供できるようになるだろう。
そして、教会は、自然と規模を縮小し、本来の役割――すなわち、故人を弔い、祈りを捧げ、心を穏やかに保つ場として残っていくと、ステラ様は考えていた。
「目に見えない救いも、祈りも、人々には必要だから」
彼女は、深い海色の瞳で、空を見上げる。亡くなってしまった人を、偲んでいるのかもしれない。
こうして、ステラ様の治療院が設立された頃。
教会の上層部も、がらりと一新されることとなった。
蓋を開けてみると、なんと、ほとんどの大神官が、黒い靄におかされていたことがわかったのだ。
順番に解呪を施していくと、子供返りしてしまったり、うわごとを呟くだけになってしまったり、ガードナー侯爵と同じく植物状態になってしまったり――とにかく、彼らは業務を続けるどころか、普通の大人として生活するのも厳しい状態になってしまった。
ただ、彼らは、精神年齢が幼児期で止まってしまっていたり、強いストレス状態にあったりしたものの――普通の人間が知り得ない、魔族や呪いに関する知識を有していた。
おそらく彼らは、幼児の時代、あるいは精神や魂に病を抱えた状態で呪いにおかされ、変質してしまったのだろう。
その時点から、元々の性質は変わらず知性を有するようになり、解呪後に元の精神状態に戻る――元魔兎のブランと同じである。
彼らは魔法騎士団の療養施設に入れられ、その代わりに、名も顔も公表済みの神官長たちが、大神官に昇進することになった。
肝心の大神官長は、行方をくらませてしまっていて、なかなか見つからない。
だが、公開尋問の日に解呪を行った大神官が、落ち着きを取り戻したのちに、その容貌や特徴を証言してくれたようだ。
それによると、大神官長は、紅い瞳と浅黒い肌をもつ、冷たい風貌の若い男だったと。
そして彼は、長い期間、大神官長を務めているのに、全く姿形が変わらなかったと。
すなわち。
教会には、最初から……正確には、おそらく数十年前、最後の魔族が人前から姿を消したと言われている頃から、その頂点に深い闇が君臨していたのだ。
もしそうなら、紅い目の男は、相当狡猾で慎重な存在である。
またどこかに隠れて、反撃のチャンスを狙っていることだろう。見つけ出すのは困難かもしれない。
だが、教会の捜査が一段落した魔法騎士団が、国内各地の魔獣を討伐しながら、目撃情報を集めている。
魔族の思惑や行動についてはほとんどわからないままだが、状況は確実に好転し始めていると言えるだろう。
そして。
騎士団が新しい行動を起こしたのが、治療院設立からさらに半年後――春のことだった。
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