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第四章 魔獣と呪いと聖魔法
4-16 魔兎
しおりを挟む季節は、夏――。
魔女に会いに行く準備が着々と進んでいく中、王都の近郊に魔獣が現れたという緊急の魔法通信が届いた。
それは奇しくも、ウィル様の十七歳の誕生日、当日だった。
本来なら誕生日パーティーが開かれる予定だったが、魔獣討伐が終わってからということに。
急いで出かける準備を済ませると、オースティン伯爵家の正面玄関に、馬に乗ったシュウ様が到着した。
シュウ様は研究職の人だけれど、貴族の嗜みとして、乗馬も修得していたらしい。
「聖剣技の実験のため、王都近郊で魔獣が出たら知らせてくれと魔法騎士団に頼んではいたが……よりによって今日とはな。すまないね、ウィリアム君」
「いえ、とんでもないです。さあ、急ぎましょう」
黒い乗馬服を着たシュウ様が、馬上から声をかけてきた。
オースティン伯爵家の馬も、ちょうど使用人に引かれて厩舎から出てきたところだ。
「ミア嬢も、準備はいいか?」
「はい。問題ありませんわ」
私も、緊張しながらもしっかりと頷く。
今日は、私も討伐に同行させてもらうことになっているのだ。
「ミア。怖いかもしれないけど、支えてあげるから心配せず俺に身を委ねて」
「ありがとうございます、ウィル様」
私は聖女のローブと、顔を隠す長いヴェールを身に纏っている。裾の長いローブでは馬に跨がれないので、ウィル様に横抱きにして馬上に乗せられ、後ろから支えてもらう。
私とウィル様の準備が整ったところで、シュウ様の先導により、私たちは出発したのだった。
「ミア、大丈夫かい?」
「ええ、おかげさまで。こんなに速いのに風を受けないのは、ウィル様の魔法ですか?」
「ああ、微弱な風の結界を張っているんだ。いずれ魔道具として開発してもいいかもしれないな……そうしたら、風の魔法を使えない人でも、安全に遠乗りに行ける」
ウィル様は、魔道具の機構について考え始めたのだろう。ぶつぶつと難しい単語や計算式を呟いている。
相変わらず魔法のこととなると、夢中になってしまうようだ。それでも、馬に乗り慣れているからだろう、シュウ様の馬についていく手綱捌きは安定している。
そもそも、どうして今日の討伐に私がついていくことになったのか。なぜ騎士ではないシュウ様が一緒なのか。そして、どうしてたった三人で討伐へ向かっているのか――。
それは、聖剣技の実験をするために他ならない。
聖剣技の真価を探るために、どうしても一度魔獣と相対してみる必要があったのだ。
今日現れたのは、群れを作っていない弱い魔獣だそうだ。一人でも充分――なんなら、騎士ではなくても、大人の男性が何人かいれば討伐できる程度の魔獣らしい。
出現したのがもっと強力な魔獣だったら、魔法石研究所から何人か応援に来てもらうことになったと思う、と言っていた。
ちなみに、私は聖女として同行し、必要があればウィル様に加護を重ねがけする予定だ。
また、現地で怪我をした人の治療をする場合もあるかもしれない。
対外的には、私は聖女ではないことになっているため、顔を隠すヴェールを着用している。
そして、ウィル様も聖剣技を使う予定ということで、普段の黒い騎士服ではなく、神殿騎士の白い騎士服を着用している。
見慣れないので新鮮だが、白い騎士服もよく似合っていた。
白いハットの広いつばが、国宝級の秀麗なお顔に影を作っている。
遠目からだと、ウィル様の顔はよく見えないだろう。
今は、一緒に馬に乗っている私が独り占めである。
「ふふ、どうしたの、ミア。そんなに見つめて」
「えっ? あっ、その、ごめんなさい」
私はヴェールを着けているし、彼も考え事をしていたから、見つめていることには気付かれていないと思いきや……しっかりバレていた。
私は恥ずかしくなって、視線をそらす。ウィル様が、嬉しそうに表情を緩めたのが、視界の端で見えた。
「ところで、ミア。出かける前にも話したけれど、俺は神殿騎士として、ミアは聖女として振る舞うことになっている。人に会う機会もあるだろうし、どこで見られているかもわからない。本名を名乗ってはいけないよ」
「ええ、承知しておりますわ。ウィル様のことは、ミドルネーム……ルークという名でお呼びすれば良いのですよね」
「うん」
私は、再びウィル様のお顔に視線を向けた。
真面目な話をしているのに、表情は優しく甘い笑顔のままだ。
私がどきりとしてしまったことに気付いたのか、ウィル様は小さく笑い声をこぼした。
「ふふ。よろしく頼むよ、愛しの聖女様」
「はっ……、はい、ルーク様」
「おっと、敬称も敬語もいらないよ。むしろ、敬語を使わないといけないのは俺の方だ。ミアは、俺のことを使用人とでも思って接してくれればいい」
「そ、そう言われましても……難しいですわ」
「なら、着くまでに慣れないとね」
そう言って、ウィル様の瞳が悪戯っぽく細められる。
彼は私の耳元に口を近づけ、甘い声で囁いた。
「麗しの聖女様。俺は、貴女の下僕です。貴女に身も心も捧げ、お支えすることを誓います。ご要望がございましたら、なんなりと」
「ひえぇ、や、やめて下さい」
「ほら、敬語はいりませんよ。俺だけの、愛しい聖女様。ヴェールでよく見えないけれど、きっと貴女の頬は甘く赤く、美味しそうに色付いているのでしょうね」
「ル、ルーク! これ以上、甘い囁きは禁止っ」
「ふふ。よくできました」
「――もうっ」
これ以上は心臓が持たない。
私は、顔をぷいと背け、口を閉ざす。
後ろから、満足そうに小さく笑う声が聞こえたのだった。
*
そうして馬を走らせること、半刻ほど。私たちは、現場に到着した。
真っ黒な靄に覆われた小さな魔獣は、農地に植えられている作物を食んでいたようだ。
「あの魔獣は、はぐれ魔兎。動物のウサギと同様、野菜……特に人参が好物のようだな」
「ウサギ……ですか」
「ああ。おそらく、野ウサギが呪力の影響で凶暴化したのが、魔兎なのだろう。脚力が強く素早いので、身体強化を施していないと捉えるのが難しい。その脚力から繰り出される蹴りも高火力だ」
魔兎に逃げられないよう、結界を張る準備をしているウィル様に代わり、シュウ様が解説をしてくれる。
私たちは魔兎にけっこう近づいているのだが、未だに気付かれていない――これは、シュウ様の魔法の効果によるものだ。
アイザック様の霧魔法を参考に開発したオリジナル魔法で、光学迷彩がどうだとか、空気の密度を操って匂いや気配、音までも消すのだとか、色々説明してくれたが……私にはてんで理解できなかった。
「さて……結界を張り終わったようだな」
ウィル様は、自身と魔兎の周囲に、氷の魔法結界を張った。さらにその上に、私の付与した加護から聖力を取り出し、網状に張り巡らせていく。
結界を張り終わったのを見て、シュウ様も発動していたステルス魔法を解く。そして、ウィル様の動きを分析し始めた。
「氷の結界か。広範囲に展開し、強度を下げているな。魔兎の蹴りを食らうと一発で割れてしまう程度の強度だが……なるほど、そのための聖魔法か」
「氷の上に、聖魔法の白い網……あれで、強度を上げているのですか?」
「ああ、そのようだ。彼の魔力と、きみの聖力の相性が良いからこそ、可能な芸当だな。減衰せず、互いに強度を高め合っている」
魔兎は、自身が結界で囲まれたことに気がついたようだ。
食べていた人参を放り投げ、結界に穴を開けようと、得意の蹴りを放った。
しかし。
「やはり、強度が飛躍的に上がっている。魔兎には、あの結界を破ることはできないようだな」
「プギィィ!」
魔兎は、出られなくなってしまったことに憤慨しているようだ。結界内に唯一存在する他者――すなわち、ウィル様の方に照準を定め、脚に力を溜めている。
「ルーク……!」
「大丈夫だ、問題ない」
私はウィル様が心配になり、両手を胸の前で組み合わせて、ぎゅっと握る。
一方、シュウ様は、至極冷静に成り行きを見守っていた。
そして、魔兎が脚に力を込めて空高く跳躍した瞬間。
ウィル様は、そこを狙って、剣を抜く。抜きざまに、剣先から聖力の塊を放出した。
聖力の光は、魔兎に直撃。黒い靄ごと魔兎を包み、呑み込んでいく。
光はゆっくりと地上に降りてきて、その後には――
「きゅううん」
黒い靄が綺麗さっぱり消えて、すっかり大人しくなった魔兎が、ウィル様を見上げていたのだった。
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