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第九話 公爵令嬢は甘い夢を見る

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 クロエは、夢を見ていた。
 スティーブと婚約を結んだ頃の夢。
 甘く優しい、過去の幸せ。

 スティーブは、美しい少年だった。
 その見目ももちろんだが、クロエが本当に美しいと思うのは、彼の心の在り方だ。

 将来は王太子となり、国王となることが定められたスティーブに逆らう者は、この国にはほとんど存在しない。
 けれど彼は、権威を振りかざすこともなく、おごり高ぶることもしない。
 むしろ自分がその地位に追い付けるよう、ひたすら努力を絶やさない少年だった。

 クロエはずっとスティーブの努力をそばで見ていた。

 同年代の貴族令息の、なんと幼いことか。
 貴族令嬢の、なんと夢見がちなことか。

 彼らは努力せずとも、その権利を当然のように享受できるものだと思っている。
 今ある栄光は父や母や、その両親、そのまた両親――彼らの祖先から脈々と受け継がれてきたものであって、先人たちの努力なしには得られなかったものなのだ。

 だから、クロエはスティーブに負けないように、ひたむきに努力した。
 王子妃教育を受ける他の令嬢たちが、その厳しさに音を上げ始めても、クロエは文句一つ言わずに粛々と課程をこなした。

 王子妃教育は、クロエ以外の高位貴族家の令嬢も、受けていた。
 それは、スティーブや他の王子たちの婚約者選びの一環として、である。
 ある程度の課程をこなした時点で及第点をもらった令嬢が、王子の婚約者候補となることができるのだ。

 そして、その数名の令嬢の中から、クロエがスティーブの婚約者として選ばれた。
 クロエの成績が良かったこともあるが、スティーブがクロエを気に入ったのである。

 そのきっかけは、ある日、スティーブがクロエに何気なく尋ねた、この言葉だった。

「クロエ嬢、どうして君はそんなに頑張るんだい? 地位を得るということは、とても大変なことだ。君はそれを分かっているのか?」

 クロエは、スティーブから突然話しかけられたことに驚いたが、すぐに彼を労わるように優しく笑って、告げた。

「知っていますわ。だって、殿下が常に血の滲むような努力をなさっていることを、わたくしは存じ上げておりますもの」

 スティーブは、この言葉に衝撃を受けた様子だった。

 王族と結婚するということは、国と結婚すること。
 その意味を、クロエはしっかりと理解していた。
 王子妃という地位と権力、そして美麗な夫――他の令嬢が欲しているものとは違う、もっと高い位置まで、クロエにはきちんと見えていたのだ。

 スティーブは、クロエを王宮の中庭へと連れ出した。
 美しい花々が咲き乱れる庭園の中。
 花を愛で、二人の時間を楽しみ、笑い合いながら、ゆっくりと散策をする。

 スティーブは、ある花壇の前で立ち止まった。
 彼はエンゼルランプの花を一輪、ナイフで摘み取ると、クロエに差し出す。

「これから一生、命を賭して君を守ると約束する。クロエ嬢、私の婚約者になってくれないか?」

 クロエは、その花を嬉しそうに受け取った。

「はい。よろしくお願い致します。でも……」
「……何か、問題でもあるのか?」
「いいえ。殿下に守っていただくだけではなくて、わたくしにも殿下を、そしてこの国を守るお手伝いをさせてください」
「……!」

 スティーブは、空と同じ澄んだ青色の瞳を、大きく見開いた。
 その瞳は、すぐさま嬉しそうに、柔らかく細まった。

「――ありがとう。君を選んで、良かった」

 美しい、優しい青に、吸い込まれるようだった。

 このとき。
 クロエは、スティーブに、恋をしたのだ。

◇◆◇
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