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 ――たとえば、すごく不幸な生い立ちの少女がいたとする。
 少女は逆境にあってもめげずに夢を持ち続け、やがて最高で特別な幸せを手にする。

 不幸がなければ、彼女にはそれに立ち向かうしたたかさが身につかず、幸せを得られなかっただろう。

 そして、もしも。
 彼女の不幸のきっかけを作ることになるのが、自分自身だったとしたら。
 その不幸な状況を作るか作らぬか、自分自身が選べるとしたら。

 その時は、一体、どうするべきなのだろうか――。


~*~


 シンデレラの実母に転生した。
 そのことに気づいたのは、私が突然熱で倒れて、三日三晩うなされた後だった。

「おかあさま! おきて! おかあさま!」

 悲しそうに何度も私を呼ぶ、娘の声で目を覚ます。

「……エ、ラ……」
「あっ! おかあさま、おきた! おかあさま、だいじょうぶ?」

 目に大粒の涙を溜めて私の顔をのぞき込んでいるのは、娘のエラだった。
 三歳になったばかりの彼女は、輝く金髪と宝石のような青い瞳をもつ、器量の良い娘だ。

「ええ、大丈夫よ。ありがとう、エラ」
「よかったぁ。おかあさま、しんじゃうのかとおもった……」
「ふふ、この通り。お母様は死んだりなんか――」

 死んだりなんかしない、と言おうとしたところで、私はうなされている間に夢で見た、もう一人の人生を思い出した。

 黒髪黒目、文明の発達した世界に住む、会社員の女性、有紗ありさ
 今の私は、緑色の瞳と、エラと同じ金色の髪を持つ、男爵夫人――奇しくも同じアリサという名だが、その女性とは、容姿も境遇も、似ても似つかなかった。

「おとうさまーっ、おかあさまが、おきたよーっ」

 エラは、私が微笑んだのを見て安心したのか、とてとてと走って、父親を呼びに行く。

「……エラって……有紗の故郷で有名な、あの童話の主人公よね」

 ――灰かぶり姫。シンダー・エラ……すなわち、シンデレラ。

「私は……シンデレラの実母?」

 有紗の記憶を思い返す。

 シンデレラの継母たちがくつろいでいたリビング。
 王子の使いの大臣が、シンデレラと義姉たちにガラスの靴を履かせようとした玄関ホール。
 シンデレラの暮らしていた屋根裏部屋。
 シンデレラの母の、形見のドレス。

「全部……うちの屋敷だわ。それに、あの城……間違いない」

 私は、窓から見える美しい王城を眺める。
 尖塔の配置、青みがかった屋根の色、輝かんばかりに真っ白な城壁。

 それに、何度か招かれたことのある、城内のボールルームを頭に思い描く。
 赤いカーペット、黄金色のシャンデリア、入り口からボールルームへと伸びる大きな階段。

 ――間違いなく、シンデレラの世界で王族が居住している、あの城だ。

「つまり。私は……もうすぐ、死ぬ?」

 シンデレラの実母は、作中に登場しない人物だ。
 なぜなら、シンデレラが幼い頃に他界してしまうから。

「そして、私が死んだら……あの人は新しい妻を迎えて……」
「――アリサ! そんなことを言うな!」
「ダニエル? ……聞いていたの? どこから?」

 悲しみを目一杯顔に貼り付けて、私の枕元に駆け寄ったのは、夫のダニエル。
 ダニエルは焦茶色の髪と、エラとそっくりの青い瞳を持つ愛妻家だ。

「……私はもうすぐ死ぬ、というところから」
「まあ……」
「アリサ。どこか……悪いのかい? 普通の風邪ではなかったのか? すぐに医者を……」

 ダニエルは、エラとそっくりな目元を悲しそうに歪めて、ベッドの上に投げ出されていた私の手を、自身の両手でぎゅっと握る。

「いいえ、その必要はないわ。この通り、もうすっかり元気よ」
「じゃあどうして、そんな縁起でもないことを口にしたんだ。僕は、僕はアリサ一筋なのに……こんなにも君を愛しているのに。君がいない世界なんて、考えられないよ」

 ダニエルは、私の額に優しく口づけを落とした。
 今にも涙が浮かんできそうな彼の瞳には、私に対する確かな愛が込められている。

「アリサ……僕は、君以外の女性を愛することはない。絶対にね」
「ダニエル、でも……」
「……もし。考えたくもないのだけれど、もし万が一、君がいなくなってしまったとして。エラのため、家のために後妻を娶ることになったとしても、僕がその女性を愛することはないだろう。僕には、君だけなんだ」

 ダニエルは、本気のようだ。
 そういえば、有紗の記憶を思い返しても、彼と後妻の間には実子は生まれていない。
 ――そして、ダニエルも、エラを置いてこの世を去ってしまうのだ。

「……ダニエル。私も貴方を愛しているわ。けれど、何より私が望んでいるのは、エラの幸せなの」

 記憶によると、ダニエルが再婚を決めたのは、エラに母親が必要だと思ったからだ。
 彼が愛していなくても、彼は必ず新しい妻を迎える。そう、決まっているから。

「それはつまり……」
「おとうさま、おかあさま」

 ダニエルが口を開こうとしたところで、部屋の入り口からこちらを覗いていた小さい影が、瞳に涙をためて駆け寄ってきた。
 エラは、父親に思いっきり抱きつく。

「エラはねえ、おとうさまとおかあさまが、だいすきなの。ふたりがいれば、エラはなんにもいらないの。だから、おかあさま、おとうさま、おねがい。しなないで」
「エラ……」
「エラはね、おとうさまがいれば、たからものもおもちゃもいらない。おかあさまがいれば、きれいなドレスもピカピカのいしも、くまさんのぬいぐるみも、なーんにもいらないの」

 エラはダニエルから離れると、私の胸元に顔を押しつけて、わんわんと泣きはじめる。
 ダニエルはエラの後ろからかかえ込むようにして、私とエラをいっぺんに抱きしめた。

 この物語は、シンデレラの世界なのかもしれない。
 エラが王子様と結ばれて幸せになるためには、私とダニエルは退場しなくてはいけないのかもしれない。

 ――けれど、私はこの世界で、エラの母親として、ダニエルの妻として暮らしてきた記憶がある。
 簡単にこの命を手放せるほど、愛する夫の命を諦められるほど――そして、いくら最後に幸せを掴むとはいえ、娘が虐められ辛い思いをする未来をそのまま受け入れられるほどの、心の器を持ってはいない。

 ――それに何より、可愛い我が子の成長を、ずっと間近で見守っていたい。

「ダニエル……お願い。お医者様を呼んで、身体の検査をしてもらいたいの。私も、あなたも」
「ああ、分かった。すぐに手配しよう」

 私はやはり、生きることを諦めたくない。
 夫と娘の幸せも、諦めたくない。

 まずは、目先の課題――病による私自身の死を、回避するために動く。
 話は全て、それからだ。
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