夢を喰む魔女の白い結婚

矢口愛留

文字の大きさ
上 下
3 / 3

後編

しおりを挟む

 それから数日。
 ヴィクトル様は、久しぶりに『夢喰ゆめはみの香草』を混ぜたハーブティーを飲んでくれた。

 私はいつものように、ヴィクトル様の夢にもぐる。
 今日も、彼が立っているのは、戦場となった荒れ野だった。
 空には、いつもと同じく分厚い雲がかかっている。

 けれど、今日の夢は、普段と様相が異なっていた。
 敵も味方も、誰一人ヴィクトル様の近くにいないのだ。

 私は普段と同じように、青い小鳥の姿を借りて、ヴィクトル様に近づいた。

『ヴィクトル様』

 私はそう発するが、口から出てくるのはピイピイというさえずりの音だけ。
 小鳥の姿を借りた私は、ヴィクトル様の差し出した指先に止まる。

「しばらくぶりだな、青い鳥よ。待っていたぞ」

『貴方は、私を待っていたのですか?』

「ああ」

 言葉になっていない囀りの声なのに、彼には私の言うことが分かっているようだった。

「いつも俺を悪夢から救いだしてくれるのは、君なんだろう? 青い鳥――いや、アルマ」

『……!』

 ヴィクトル様が私の名を呼ぶと、青い小鳥の姿が、私の意思に反して光の粒子に変わっていく。
 光の粒子は再収束し、私――アルマ・フランソワの姿をとった。

「どうして、お分かりに?」

「君が、病床で私にこう言った。『過去は変えられないけれど、未来は変えられる。それができるのは、痛みを知る貴方だけ』と」

「……! まあ、うっかりしてしまったわ」

「それが決め手ではあったが、それだけではない。私が悪夢を見なくなってから、君は日中ずっと眠そうにしていた。まるで私と入れ替わるかのように。……日中に眠かったのは、夜に、ずっと私と一緒にいてくれたからなのだろう?」

「……もう隠し立てする必要もありませんわね。ご明察ですわ、ヴィクトル様」

「アルマ……ずっと、聞きたかったことがあるのだが……」

 ヴィクトル様は、言い淀んで、かぶりをふった。

「いや、やめておこう。それより、ここは夢の中だ……なら、許される、よな?」

「え? 何が――」

 尋ねようとした私の言葉は、突然唇に触れた柔らかな感触に塞がれてしまった。
 ヴィクトル様の逞しい腕が、私の背中に回る。
 夢の中なのだから好きにすればいいのに、ヴィクトル様は壊れ物を抱くように、私を優しく抱きしめた。

「アルマ……私は、君を愛さないと言ってしまった。なのに、今はこんなに君を愛しく思う。私は、どうしたら君に許してもらえる?」

「ヴィクトル様……」

 間近で見る彼の瞳は、夢の中でも優しく澄んでいた。夢なのに、不安に潤んでいた。
 私は、彼の背中にそっと自分の手を添える。

 雲が切れ、空からは柔らかな光が降り注ぐ。
 ヴィクトル様の秀麗なかんばせが、光に照らされ淡く色を帯びる。

「何度も言ったでしょう? 過去は変えられないけれど、未来は変えていけると。それができるのは――」

「痛みを知る、私自身……か」

 彼の返答に私が頷くと、今度こそ、私は光の粒子となって、空へ舞い上がっていった。
 夢が終わり、目覚めの時が来るのだ。
 悪夢から解き放たれた彼は、決意に満ちた表情で、光差す空を見上げていた。





 夢から戻った私は、昼過ぎまで眠って、夕食の席でヴィクトル様と顔を合わせた。
 ディナーは二人で、いつも通り屋敷でいただく予定なのに、なぜか私は侍女に身だしなみを綺麗に整えられ、外出用の上品なドレスを着せられている。
 ヴィクトル様も軍服ではなく貴族服を身にまとい、髪もセットされていて、いつも以上に凛々しい。

「アルマ、話がある」

 ディナーの後で、ヴィクトル様は人払いをした上でそう切り出した。
 その秀麗なかんばせには、うっすらと緊張が宿っている。

「昨晩、夢で話したことを覚えているか」

「……はい」

「そうか」

 私が頷くと、ヴィクトル様は小さく微笑んだ。

「なら……聞きたかったことがあると言ったのも?」

「ええ、覚えておりますわ」

 ヴィクトル様は、私をソファーまでエスコートした。
 一人分の空間をあけて、隣同士、並んで座る。

「アルマ。私は、君に最初から冷たく当たっていた。なのに、どうして、自分を犠牲にしてまでも私を救おうとしたのだ?」

「それは……公爵閣下の頼みで、貴方の体調を気にかけるように言われたから……というのが最初のきっかけです。けれど、それだけだったら、本気で取り組んだりしませんでした。私が身を削ってでも、何としても貴方を救おうと思ったのは、私自身が、貴方に笑ってほしいと願ったから」

「……どうして、そこまで?」

「うーん、どうしてでしょうね。貴方に同情したから? お飾りとはいえ、貴方の妻だから? 放っておけなかったから? ……いえ、どれもしっくりこないわ」

 私は、首を傾げて少し考える。
 隣を見ると、澄んだ青い瞳と視線が交わって、私はその答えにピンと来た。

「分かったわ。きっと、私が貴方に惚れてしまったから、ですわね」

「ほ、惚れ……?」

「貴方は、最初から優しく紳士的でした。寝不足で体調が悪いにも関わらず、私を気遣ってくれましたし、使用人にも優しく接していました。お仕事に対しても真面目で手を抜かず、真剣に領民や国のことを思っています。私は、そんな貴方に、人として惚れ込んでしまったのですわ」

「人として……か」

 ヴィクトル様は、ふ、と笑みをこぼした。

「それでも嬉しいことには違いないが。……だが、アルマ」

「はい、何でしょう」

「私は君を、人としても、女性としても、愛してしまった。愛さないと宣言したのは自分なのに、何を言っているのかと思うだろうが……それでも、いつの間にか、君を心から愛しいと思うようになっていた」

 ヴィクトル様は、私の手を取った。
 彼の手は、緊張からか、冷たくなっている。

「三年間の契約ではなく、君さえ良ければ……アルマ・フランソワ、君を、本当の妻として迎えたい」

「……それって……」

「結婚してくれないか、アルマ。仮初かりそめなんかではなく、心から望む、愛しい妻として」

 真っ直ぐな彼の言葉に、視線に、頬がじわじわと熱を帯びてゆく。

「わ……私、その、貴方を」

「――今はまだ、『人として』でも良い。けれど、いつか、『男として』君に惚れてもらえるように努力するから」

 切実な眼差しが、私を射抜く。
 私は、冷えたヴィクトル様の手をあたためるように、上からもう一方の手を重ねた。

「ヴィクトル様。心配なさらなくても、私、貴方をお慕いしていますわ……男性として。本当の、夫として」

「……! アルマ……!」

 一人分あいていた空間が、二人の距離が、ゼロになる。
 ヴィクトル様の抱擁は、夢の中と同じく、やはりどこまでも優しかった。

「夢じゃない、よな」

「ええ。夢ではありません」

「じゃあ、これも、ノーカウントかな?」

 ヴィクトル様は、私の顎に手をかけて、低く甘く囁いた。

「――ええ。夢の中のことは、幻……ですから」

 私はそっと瞼を閉じる。
 正真正銘、はじめてのキス。
 唇に落ちた感触は、夢よりもあたたかく、優しいものだった。

「……今度は、幸せな夢を、二人で見ましょうね」

「ああ。夢でも、現実でも、幸せにする」

 すっかりクマの消えた美しい目元が優しく細まり、私は再び目を閉じる。

 甘く優しい幸せが、彼を苦しめる悪夢を全て溶かしてしまう日も、きっともうすぐだろう。
 内に眠る夢喰ゆめはみの力によるものだろうか、私はそんな確信を抱いた。

 ――愛しいひとと、甘く深い口づけを交わしながら。



 〈了〉
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

貧乏子爵令嬢ですが、愛人にならないなら家を潰すと脅されました。それは困る!

よーこ
恋愛
図書室での読書が大好きな子爵令嬢。 ところが最近、図書室で騒ぐ令嬢が現れた。 その令嬢の目的は一人の見目の良い伯爵令息で……。 短編です。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~

瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)  ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。  3歳年下のティーノ様だ。  本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。  行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。  なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。  もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。  そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。  全7話の短編です 完結確約です。

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください

楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。 ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。 ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……! 「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」 「エリサ、愛してる!」 ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

この魔法はいつか解ける

石原こま
恋愛
「魔法が解けたのですね。」 幼い頃、王太子に魅了魔法をかけてしまい婚約者に選ばれたリリアーナ。 ついに真実の愛により、王子にかけた魔法が解ける時が訪れて・・・。 虐げられて育った少女が、魅了魔法の力を借りて幸せになるまでの物語です。 ※小説家になろうのサイトでも公開しています。  アルファポリスさんにもアカウント作成してみました。

雇われ妻の求めるものは

中田カナ
恋愛
若き雇われ妻は領地繁栄のため今日も奮闘する。(全7話) ※小説家になろう/カクヨムでも投稿しています。

冷徹公に嫁いだ可哀想なお姫様

さくたろう
恋愛
 役立たずだと家族から虐げられている半身不随の姫アンジェリカ。味方になってくれるのは従兄弟のノースだけだった。  ある日、姉のジュリエッタの代わりに大陸の覇者、冷徹公の異名を持つ王マイロ・カースに嫁ぐことになる。  恐ろしくて震えるアンジェリカだが、マイロは想像よりもはるかに優しい人だった。アンジェリカはマイロに心を開いていき、マイロもまた、心が美しいアンジェリカに癒されていく。 ※小説家になろう様にも掲載しています いつか設定を少し変えて、長編にしたいなぁと思っているお話ですが、ひとまず短編のまま投稿しました。

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

処理中です...