色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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終章 虹

第149話  痺れるほどに鮮やかな

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 デビュタント・ボール。
 ファブロ王国の社交シーズンは、この日から始まる。
 十五歳となり、新成人デビュタントを迎えた者たちが主役の舞踏会である。

 デビュタントの女性は、名前を呼ばれると、父親にエスコートされて入場。
 国王陛下の前まで歩み出て跪くと、陛下から祝福を与えられる。

 式典が終わると、楽団の生演奏でダンスが始まる。
 そして、ファブロ王国のデビュタント・ボールには、変わった決まりごとがある。
 ファーストダンスを踊る相手は、父兄、もしくは婚約者という暗黙の了解があるのだ。

 今年は、そのファーストダンスで、王太子のヒューゴが誰とダンスを踊るのか、注目が集まっている。
 ヒューゴのファーストダンスの相手、それがすなわち、未来の王太子妃となる女性なのだ。


 そして今年は例年とは違い、他国との国交が正常化しためでたい年でもある。
 今年のデビュタント・ボールには、聖王国や帝国からも来賓を招いているらしい。

 セオは……来てくれるだろうか。
 いや、期待するのはやめておこう。
 いつか迎えに来てくれると言ってくれてはいるが、迎えに来るのがいつなのか、はっきりとした約束はしていないのだから。
 それに、来てくれたとしても――いまだに『色』が戻っていない私に幻滅し、見限られてしまうかもしれない。


 ああ、駄目。
 うじうじしているのはやめよう。
 今日は私の晴れ舞台でもあるのだから。


 隣を見ると、緊張した様子の義父が、扉をじっと見つめて出番を待っている。
 義弟妹もまだデビュタントを迎えていないから、義父にとっても初めてのデビュタント・ボールだ。
 私が見ていることに気付くと、義父は油をさしていない機械みたいなぎこちない動きで、無理矢理笑顔を作った。
 義父は私と違って王城にも何度も足を運んでいるだろうし、式典や舞踏会でエスコートをするのも初めてではないだろうに。
 私以上に緊張している義父の顔を見ていたら、なんだか私の緊張も不安も緩んできた。


「パステル・ロイド子爵令嬢」

 ついに私の名が呼ばれた。
 義父の肘に指を添えて、私はゆっくりとボールルームに歩を進める――。




 ファブロ王国の王城、そのボールルーム。
 その最奥に据えられている玉座は、空っぽだった。
 玉座の主、国王陛下はいまだ王城の奥で眠ったままである。

 玉座の横には王太子ヒューゴが立っており、その後ろには騎士のカイが控えていた。
 ヒューゴは、私に真っ直ぐその目を向けて、ほんの少しだけ口角を上げる。
 私はごく僅かに頭を下げてから、義父のエスコートで、空の玉座に向かって歩いてゆく。

 後ろのカイも、私の顔を見てにこにこと笑っている。
 ノラは流石にいないかと思ったが、カイの騎士服の肩部分が不自然に引きれていることに気が付いた。
 きっとノラも、姿を消して見守ってくれているのだろう。

 空の玉座のもとに辿り着く少し前で、義父のエスコートが終わる。
 私は義父から手を離し、一人で玉座に進み出ると、その場で深く膝を折り、頭を下げた。

「パステル・ロイド子爵令嬢。今後の貴殿の活躍と健勝を祈る」

 ヒューゴが国王陛下の代わりに、よく通る声で祝福を授ける。
 簡単な祝辞の後でヒューゴは、ぼそっと一言、私にだけ聞こえる声で、囁いた。

「――ありがとう」

 私は、疑問符を頭に浮かべながら、顔を上げる。
 ヒューゴは、僅かに目を細めて、小さく頷く。
 やはり私はヒューゴの真意がわからないまま、淑女の礼をして、壁の方へ向かって歩いて行った。


 出番を終えたデビュタントたちの端に並ぶと、いくつもの好奇の視線が突き刺さる。
 虹色の髪の幻の令嬢で、有名人だと――以前ヒューゴが私のことをそう称した。
 あちらこちらからひそひそ声が聞こえてきて、私は少し気分が悪くなった。

 令嬢たちから顔を背けて上を向くと、豪華なシャンデリアが煌いている。
 顔を巡らせれば、職人の彫った立派な意匠の調度品。
 どちらを向いても落ち着かない。

 窓には重そうなカーテンがかかっていて、庭園へ続く掃き出し窓を隠している。その向こうにある庭園では、式典後のガーデンパーティーの準備がされているはずだ。

 今はまだ式典の最中で、ボールルームから出ていく者はいないが、ずっと刺さっている視線にも、密やかな話し声にも、うんざりしてきた。
 私は小さくため息をついて、こっそり庭へと出ていったのだった。





 薄暗い室内から外に出ると、陽射しの眩しさに目をすがめる。
 この庭園は、セオと一緒に散策したことがあった。

 綺麗に切り揃えられた灰色の芝生が続く庭園の一角に、今は背の高いテーブルがたくさん並べられている。
 ガーデンパーティーの準備は一通り終わっているようで、テーブルの上には大きな布が被せられていた。
 二人だけ残っている使用人も、そちらの一角で談笑していて、私が外に出ていることに気付いていないようだ。

 私はパーティーの開かれる一角とは反対の方、本来なら色とりどりに咲き乱れているのであろう、秋の花が植えられているフラワーガーデンへと歩いていく。
 花が咲き芝に覆われ、噴水やオーナメントがバランスよく配置されたこの庭園は、本当に美しい――白黒でなければ、誰もが心奪われるような景色なのだろう。


 以前セオと一緒に歩いた道を、ゆっくりと歩いていく。
 あの時は、色も香りも豊かな春の花が咲いていたっけ。
 今はあの時とは違う香りの、灰色の花々がフラワーアーチを飾っている。

 ひんやりと清浄な空気の中、デビュタント用の白いドレスを身に纏ったまま、フラワーアーチをくぐっていく。


 フラワーアーチのちょうど真ん中。
 頭上のアーチが途切れ、少し広くなっている場所で、私はぴたりと足を止めた。


 ――この感覚を、私は知っている。


 光差し込む楽園のようなその場所で、私は天を仰ぎ見た。



 ふわり。



 穏やかな秋の陽射しよりも優しく柔らかい、真っ白な光が、空から降り注ぐ。


 ――ああ。戻ってくる。
 欠落していた魂の欠片が。
 痺れるほどに鮮やかな、七色の世界が。


 それは、一年前と同じで。
 けれど、一年前と何もかもが違う。


 空がまばゆい光に包まれて、辺り一面が白に満ちて。


 ――空から降ってきた少年は、ゆっくりと地上へと降り立つ。


 音もなく、言葉もなく。
 ここにあるのは、眩しいほどに世界を満たす、色の――想いの、奔流。


 焦がれるほどに望んでいた、その美しいかんばせが、今私の目の前にある。

 長いまつ毛、すっと通った鼻筋。

 形良い唇は弧を描き、美しい微笑みをたたえている。

 柔らかな水色の髪は、式典に参加するためにしっかりと整えられ、どきりとするような色気を醸し出す。

 嬉しそうに細まった金色の瞳は、この上なく澄み渡っていて、私だけを映している。


「――パステル」


 少年は、声を発した。
 静かな、透き通った、美しい声で、私の名を呼ぶ。


 私は、溢れる衝動のまま、その胸の中に飛び込んだ。
 ぎゅう、とその背に腕を回す。

「セオ……!」


 空から降りてきた美しい少年は、ただただ無言で、私を抱きしめ返す。
 優しく、けれど強く。
 会えなかったその時間を、その隙間を、埋めるように――。
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