115 / 154
第七章 紫
第113話 「わたくしはただ普通に」
しおりを挟む~第七章 紫~
ひとり王城の中庭で休んでいた私は、何かの薬を嗅がされ、気が付けば冷たい石の牢に囚われていたのだった。
――この場所には、以前来たことがある。
以前はセオが繋がれていた壁の鎖に、今は私が繋がれている。
ガチャガチャと鎖を引っ張ってみるが、外れる気配は全くない。
「一体誰が……どうして……?」
呟いたところで、答えが返ってくるはずもない。
私は、一旦深呼吸をして、考えを巡らせる。
ここは、前にセオが捕まっていた場所。
その時セオを捕らえたのは、恐らくアイリス王女だとセオは言っていた。
セオが捕まった時には、情報屋フローラも一枚噛んでいた。
ファブロ王国の王城で会ったアイリスは、訳の分からないことを言って、セオを目の敵にしていた。
その時に「虹の巫女をついに見つけて、わたくしの元へ連れてきた」などと言っていた気がする。
アイリスは、『虹の巫女』に何か思うところがあるのだろうか?
それだけではない。
可能性は、もう一つある。
魔女だ。
情報屋でもある『調香の巫女』フローラは、魔女を探している。
私がセオにとって大切な人だと気が付いたようだったし、私を人質として利用することを考えたとしても、おかしくない。
ただ……今の私が、セオにとって、助ける価値のある人間なのかどうかは分からないが。
一つだけ幸いなのは、今の私は六大精霊の力を全て使うことが出来るということだ。
城に戻るために空を翔ける風の力が必要になるかもしれないから、それだけ残しておけばいい。
気になるのは、ラスと一緒にセオを助けに来た時、牢屋を守っていた存在――老いた暗黒龍は、今もここにいるのだろうか。
もしドラゴンがいるとしたら、果たして自分一人で逃げ切れるのか。
脱出の方法に考えを巡らせていると、廊下をカツ、カツ、と近付いてくる足音が聞こえてきた。
冷たく硬い足音は、この部屋の前で止まる。
ギィ、と音を立てて木戸が開く。
手にしたランタンが映し出すその姿は――
「虹の巫女。起きたのね」
冷たい金色の瞳をこちらに向け、歪んだ微笑みを浮かべる、銀髪の女性。
聖王国の王女、アイリスだった。
「やはり、あなたが私を攫ったのね。目的は?」
「ふん、目的ですって? あなたの方が知っているんじゃないの?」
「……どういうこと?」
「しらばっくれるつもりね。さすがは疫病神が連れて来た女ね。何もかも気に食わないわ!」
「いや、本当に分からないのだけど……」
全く心当たりのない私は、当惑してしまう。
「そんなはず……っ! ……ああ、分かったわ、あの疫病神、あなたに何も話してないのね!? いいわ、全部話してあげるわ。それで絶望すればいいんだわ」
アイリスは、一人で納得したように捲し立てる。
続く言葉は、あまりにも自己中心的で、的外れな話だった。
「あの疫病神はね、小さい頃からずーっとわたくしに気があるのよ、間違いないわ! だって、目を逸らしもしないでいつもわたくしを見るのよ、気持ち悪い。
何を言っても表情が変わらないから、何考えてるのか全く分からないし――いくら近寄らないでって言っても、数時間もしたら忘れて、平気で城の行事に出てくるのよ?
嫌がらせしたら出て行くかと思ったのに、そんな気配も全くないし!」
「……いや、それは」
セオの感情が失われていたのだから、その反応は当然だ。
それにセオだって王族なのだから、アイリスの一存で行事を休んだり城を出て行ったりする訳がない。
まさかアイリスがセオの事情を知らなかったなんてことはないと思うのだが――この性格を目の当たりにしたら、その可能性が皆無とも言えない気がする。
「ようやく城から出て行くって言うから安心したら、『虹の巫女』を連れて戻ってくるって言うじゃない!
わたくしは知ってるのよ、お父様はわたくしに『虹の巫女』を継がせるつもりなんだわ。それでわたくしはあの疫病神と結婚させられて、お母様みたいに自由を奪われて城で一生を過ごすことになるのよ。
わたくし、お母様みたいにはなりたくないわ……」
城に幽閉され、人との会話も自由も失ったハルモニア王妃。
アイリスはその姿を見て、育ったのだ。
巫女になどなりたくないと思ったとしても、不思議ではない。
アイリスの父マクシミリアンは、やはりアイリスに『虹』を継承させるつもりだったのだろうか。
『旋律の巫女』ハルモニアを妃として囲い込み、『調香の巫女』フローラとも懇意にしているようだし……一体何の目的があって巫女を集めているのだろう。
「わたくしはただ普通に暮らしたいだけなの」
アイリスは、謳うように語り始める。
「わたくしは普通に街を歩いて、おしゃれをして、お友達とおしゃべりをして、可愛いものに囲まれて過ごしたいの。
普通に恋をして、好きな人とカフェでお茶をしたり、話題の演劇を見に行ったり、舞踏会でダンスをしたり」
夢見るように語る彼女の頬が、突如、ふにゃりと緩む。
「わたくし、たくさんの人に好かれているけれど、恋をしたことがなかったの。王都に来て、ヒューゴに出会って……生まれて初めて自分から人を好きになったのよ」
こうしていると、ごく普通の、恋する乙女のようだ。
「――だからね」
だが、夢見るような表情は、ふっと消えてしまう。
ゆらゆらと揺れるランタンの火に照らされ、口元が不気味な弧を描いていく。
「あの疫病神は、邪魔なのよ」
――嫌な予感がする。背中を悪寒が這っていく。
「まさか王都まで追ってくるなんて――しかも『虹の巫女』を連れて」
カツ、カツ、と音を立てながら、アイリスは一歩ずつ、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「あなたを消してしまったら、『虹』の名を持つわたくしは『虹』の力を継いでしまう。だから、ここに繋ぎ止めて――わたくしが、一生、飼ってあげる」
私の目の前に、アイリスの顔が迫ってくる。
ランタンに揺れるその瞳は、その言葉が本気なのだと物語っていた。
「そうそう、助けは来ないわ。わたくしね、ヴァイオレット王妃が、毒茸の小瓶を残していたのを見つけたの」
「……毒……? まさか……」
石の牢の中は寒いぐらいなのに、汗が背中をつう、と伝っていく。
「そうよぉ、そのまさかかもね? あは、安心して。人が死ぬ程の量はなかったから。ああ、でも体調が悪かったり精神的に弱ってたりしたら、目を覚まさなくなるぐらいのことはあるかもね」
「――! なんてこと……!」
「ちょうど今頃ね。疫病神も、死んだと思ってたのに急に出てきた大おじ様も、大おじ様の侍女も、それから黒猫の騎士も――みんなまとめて、美味しい毒入り茶を飲んでいる頃だわ」
「……だめ……やめて」
「あはははは」
声が掠れる。身体が震える――
私の反応を見て、アイリスは高らかに笑った。
「あはは、良かったわねえ、あなただけは助かって。それだけはその『虹』の力に感謝するのね」
「どうして……? どうして、そんなことするの……?」
「どうして? みーんなわたくしの前をうろうろして、邪魔だからよ。それ以外に理由が必要?」
「――そんなの、人に毒を盛る理由にならないっ!」
真っ暗だった視界が、ちかちかと染まり始める。
覆しようのない理不尽に触れて、絶望が、怒りに置き換わっていく。
「何言ってるの? そもそもヴァイオレット王妃だって、邪魔な人にポンポン毒盛ってたわよ?」
「だから毒の精霊は魔物化したのよ! どうしてそんなことが許されると思ったの!?
そのせいで私たちの両親も、火の精霊も、みんなの心も体も傷付いた……!」
「そんなの結果論よ。ヴァイオレット王妃は、自分に正直に生きただけ」
「たくさんの人を傷つけて、たくさんの人に迷惑をかけて、そんなの許されるはずない……!」
「じゃあ聞くけど、人の自由を奪おうとするのは、許されることなの? 人の自由を奪おうとする人を遠ざけようとするのは、悪いことなの?
わたくしにとっては、あいつらが邪魔なの、迷惑なの。わたくしは、ただ自由でありたいだけなのに、邪魔をするのはあいつらなのよ?」
あまりにも自己中心的なその言に、私の怒りは徐々にヒートアップしていく。
自由を奪われるどころか、そもそも『自由』なんて知らない人間だっているというのに。
「自由が欲しいなら、他にもやり方があったでしょう! ちゃんと腹を割って話し合ったことはあるの? 自分から外に飛び出そうとは思わなかったの!?」
「無駄よ、あの疫病神に何を言ったって。嫌いなものは嫌いなの。邪魔なものは邪魔なのよ。それに、お城から出たら、自分でお金を稼いだりしなくちゃならないじゃない。せっかく生まれ持った地位があるのに、そんなの面倒だわ」
「なんて身勝手なの……! そんなことで、そんな風に人に危害を加えて……っ、私、私……あなたを許さないっ!」
私の怒りが閾値を超える、そして。
――七色の光が、迸る。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる
佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます
「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」
なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。
彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。
私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。
それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。
そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。
ただ。
婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。
切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。
彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。
「どうか、私と結婚してください」
「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」
私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。
彼のことはよく知っている。
彼もまた、私のことをよく知っている。
でも彼は『それ』が私だとは知らない。
まったくの別人に見えているはずなのだから。
なのに、何故私にプロポーズを?
しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。
どういうこと?
============
番外編は思いついたら追加していく予定です。
<レジーナ公式サイト番外編>
「番外編 相変わらずな日常」
レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。
いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。
※転載・複写はお断りいたします。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる