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第五章 橙
第68話 「毒茸の解毒薬」
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倉庫の隠し部屋から持ち出した小箱は、大きさこそ片手でも持てる程度だが、ずっしりと重みがある。
飾り気のないシンプルな意匠であるが、箱の角は丸く削られており、分厚い紺色の布が張られている。いかにも衝撃に強そうな造りになっていた。
前回は鍵がかかっていて中身を調べられなかったが、今回は、思い当たる鍵を持っている。
別荘にあったおもちゃ箱に入っていた、母アリサから託された鍵だ。
私はセオを呼びに行き、トマスにも立ち会ってもらって、小箱を開けることにした。
「開けるね」
鍵は小箱の鍵穴に抵抗なく入る。
かちゃりと小さな音を立てて、小箱の鍵は開いた。
ゆっくりと小箱の蓋を持ち上げると、一番最初に目に付いたのは、手紙だった。
その封筒には、差出人は書かれておらず、流麗な字で宛名だけ書いてある。
見たところ、母アリサの筆跡ではないようだ。
「宛名は――フレデリック・ボーデン・エーデルシュタイン様、ならびにセオドア・シエロ・エーデルシュタイン様」
「僕と、お祖父様へ?」
私がセオに封筒を手渡すと、そこに書かれた文字を確かめるように、じっと見ている。
手紙の下に入っていた物は、二つ。
一つは黒っぽい小瓶で、しっかりと栓をした上、蓋の部分がぐるぐる巻きにされている。
何やらラベルが貼ってあったが、私がよく見る前に横から手が伸びた。
トマスが手に取り、小瓶を睨むように眺めている。
もう一つの物は、透き通った硬質な球体だ。サイズは拳大で、素材はガラスか水晶だろうか。
一見、占い師が使う水晶玉によく似ているが、あれは完全に透明な物だ。
この球体は、外側は透き通っているものの、中央の部分が灰色に濁っている。
先を見通す占術の類には向かないだろう。
何に使う物なのか、皆目見当もつかなかった。
「ねえ、セオ。このガラス玉、何だと思う?」
私が声をかけると、セオは封筒を手にしたまま、箱の中を覗き込んだ。
「水晶玉みたいだけど、真ん中がオレンジ色に光ってるね。うっすら魔法の力を感じるけど、下手に触らない方がいいかも」
「オレンジ色なんだ……。そっか」
「何かの魔法道具かもしれない。手紙と一緒に、お祖父様に見せてみよう」
「そうだね」
残るは、トマスが手にしている黒っぽい小瓶だ。
私とセオの話が終わった所で、視線はトマスの方へと集まる。
「……トマス、その瓶は何だったの?」
「これは……デイビッド坊ちゃんが調合なさった、毒茸の解毒薬ですな」
トマスはそう言って、丁重に小瓶を戻す。
「毒キノコの解毒薬? どうしてそんな物が?」
セオが尋ねると、トマスはふむ、と少し思案してから返答する。
「……もしかしたら、二十年前の事件と、関係があるやもしれません」
そう言ってトマスが話し出したのは、例の別荘があった湖畔で、二十年前に起こったとある事件の話だった。
――二十年前。
私の父デイビッド・ロイドは、領内の森で毒キノコが大量発生しているという報告を受け、執事兼護衛であったトマスと共に、湖畔の森へと向かった。
トマスは元狩人で森に詳しかったし、父は薬草や毒物について、他の追随を許さない程詳しかった。
そこで出会ったのが母アリサと、セオの母ソフィアだった。
聖王国から繋がる迷宮の奥に魔物化した精霊が棲んでいたらしく、彼女たちはそれを鎮めるためにやって来たという。
ソフィアは森の毒キノコ大量発生も魔物がらみだと推測し、父とトマスは彼女らと共に行動することにした。
セオの父オリヴァーと、今朝湖畔の墓地で出会ったカイ。
彼らもアリサたちのパーティーメンバーで、父デイビッドは彼らと迷宮内で出会ったそうだ。
迷宮の奥に潜んでいたのは、毒の精霊が魔物に変じた、大蛇だった。
母アリサが雷精の力を借りてどうにか鎮めたのだが、今際の際に毒茸由来の毒を噴出したらしい。
その時に、父デイビッドの調合した解毒薬が役に立ったのだという。
「この解毒薬を目にしたのは、その時が最初で最後でした。毒茸は毒性が強いものの扱いも難しく、一般的なものではないそうなので」
「うーん……毒……魔物化した毒の精霊……? ねえ、魔物化って何?」
「アリサ様は当時原因が分からないと言っておりましたが、どうやら精霊なるものが我を忘れて凶暴化する事件が時折起こっていたそうなのです」
トマスの後を引き継ぐように、セオも話し始める。
「今は、魔物化の原因は、加護を受けている者が精霊の力を悪用し続けたせいだっていう説が有力だよ。
最近ではそれが知れ渡って、聖王国でも帝国でも、精霊の力を他者を害することに使ってはいけないっていう教育がされてる。
だから、魔物化する精霊もすごく減ったんだ」
「じゃあ、二十年前に誰かがずっと毒の精霊を悪用していたってこと?」
「恐らくね。精霊が魔物化した時点で、その精霊の加護をうけていた人間も気が狂ってしまっていることが多い。
そして精霊を鎮めた後は、命こそ消えないものの、精霊の力が戻るまで、精霊と一緒にその人間も長く眠りについてしまうんだ」
「そうなんだ……」
「でも二十年前の事件と、この小箱の中身に何の関係があるのかは、手紙を読んでみないと分からないね。明日の朝になったら、お祖父様の所に行ってみよう」
そうして朝を待って、私たちはフレッドの滞在するベルメール帝国の帝都に向かったのだった。
飾り気のないシンプルな意匠であるが、箱の角は丸く削られており、分厚い紺色の布が張られている。いかにも衝撃に強そうな造りになっていた。
前回は鍵がかかっていて中身を調べられなかったが、今回は、思い当たる鍵を持っている。
別荘にあったおもちゃ箱に入っていた、母アリサから託された鍵だ。
私はセオを呼びに行き、トマスにも立ち会ってもらって、小箱を開けることにした。
「開けるね」
鍵は小箱の鍵穴に抵抗なく入る。
かちゃりと小さな音を立てて、小箱の鍵は開いた。
ゆっくりと小箱の蓋を持ち上げると、一番最初に目に付いたのは、手紙だった。
その封筒には、差出人は書かれておらず、流麗な字で宛名だけ書いてある。
見たところ、母アリサの筆跡ではないようだ。
「宛名は――フレデリック・ボーデン・エーデルシュタイン様、ならびにセオドア・シエロ・エーデルシュタイン様」
「僕と、お祖父様へ?」
私がセオに封筒を手渡すと、そこに書かれた文字を確かめるように、じっと見ている。
手紙の下に入っていた物は、二つ。
一つは黒っぽい小瓶で、しっかりと栓をした上、蓋の部分がぐるぐる巻きにされている。
何やらラベルが貼ってあったが、私がよく見る前に横から手が伸びた。
トマスが手に取り、小瓶を睨むように眺めている。
もう一つの物は、透き通った硬質な球体だ。サイズは拳大で、素材はガラスか水晶だろうか。
一見、占い師が使う水晶玉によく似ているが、あれは完全に透明な物だ。
この球体は、外側は透き通っているものの、中央の部分が灰色に濁っている。
先を見通す占術の類には向かないだろう。
何に使う物なのか、皆目見当もつかなかった。
「ねえ、セオ。このガラス玉、何だと思う?」
私が声をかけると、セオは封筒を手にしたまま、箱の中を覗き込んだ。
「水晶玉みたいだけど、真ん中がオレンジ色に光ってるね。うっすら魔法の力を感じるけど、下手に触らない方がいいかも」
「オレンジ色なんだ……。そっか」
「何かの魔法道具かもしれない。手紙と一緒に、お祖父様に見せてみよう」
「そうだね」
残るは、トマスが手にしている黒っぽい小瓶だ。
私とセオの話が終わった所で、視線はトマスの方へと集まる。
「……トマス、その瓶は何だったの?」
「これは……デイビッド坊ちゃんが調合なさった、毒茸の解毒薬ですな」
トマスはそう言って、丁重に小瓶を戻す。
「毒キノコの解毒薬? どうしてそんな物が?」
セオが尋ねると、トマスはふむ、と少し思案してから返答する。
「……もしかしたら、二十年前の事件と、関係があるやもしれません」
そう言ってトマスが話し出したのは、例の別荘があった湖畔で、二十年前に起こったとある事件の話だった。
――二十年前。
私の父デイビッド・ロイドは、領内の森で毒キノコが大量発生しているという報告を受け、執事兼護衛であったトマスと共に、湖畔の森へと向かった。
トマスは元狩人で森に詳しかったし、父は薬草や毒物について、他の追随を許さない程詳しかった。
そこで出会ったのが母アリサと、セオの母ソフィアだった。
聖王国から繋がる迷宮の奥に魔物化した精霊が棲んでいたらしく、彼女たちはそれを鎮めるためにやって来たという。
ソフィアは森の毒キノコ大量発生も魔物がらみだと推測し、父とトマスは彼女らと共に行動することにした。
セオの父オリヴァーと、今朝湖畔の墓地で出会ったカイ。
彼らもアリサたちのパーティーメンバーで、父デイビッドは彼らと迷宮内で出会ったそうだ。
迷宮の奥に潜んでいたのは、毒の精霊が魔物に変じた、大蛇だった。
母アリサが雷精の力を借りてどうにか鎮めたのだが、今際の際に毒茸由来の毒を噴出したらしい。
その時に、父デイビッドの調合した解毒薬が役に立ったのだという。
「この解毒薬を目にしたのは、その時が最初で最後でした。毒茸は毒性が強いものの扱いも難しく、一般的なものではないそうなので」
「うーん……毒……魔物化した毒の精霊……? ねえ、魔物化って何?」
「アリサ様は当時原因が分からないと言っておりましたが、どうやら精霊なるものが我を忘れて凶暴化する事件が時折起こっていたそうなのです」
トマスの後を引き継ぐように、セオも話し始める。
「今は、魔物化の原因は、加護を受けている者が精霊の力を悪用し続けたせいだっていう説が有力だよ。
最近ではそれが知れ渡って、聖王国でも帝国でも、精霊の力を他者を害することに使ってはいけないっていう教育がされてる。
だから、魔物化する精霊もすごく減ったんだ」
「じゃあ、二十年前に誰かがずっと毒の精霊を悪用していたってこと?」
「恐らくね。精霊が魔物化した時点で、その精霊の加護をうけていた人間も気が狂ってしまっていることが多い。
そして精霊を鎮めた後は、命こそ消えないものの、精霊の力が戻るまで、精霊と一緒にその人間も長く眠りについてしまうんだ」
「そうなんだ……」
「でも二十年前の事件と、この小箱の中身に何の関係があるのかは、手紙を読んでみないと分からないね。明日の朝になったら、お祖父様の所に行ってみよう」
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