色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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第四章 藍

第60話 「それでも僕は」★セオ視点

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 今回もセオ視点でお送り致します。

********

「彼女は、僕の大切な人です。これ以上、彼女を侮辱しないで下さい」

 僕は、はっきりと言い放つ。
 エドワードの瞳に、醜く歪んだ炎が宿る。

「……はぁ? どこの誰だか知らないが、物好きなやつがいたもんだな。知ってるか? こいつ、こんなに気持ち悪い髪してる上に、目が見えないんだぜ。だからこんな髪でも堂々と生きていけるんだろうなぁ。俺様だったら恥ずかしくて……」

「いい加減にしろ」

 何度聞いても、不快な気分だ。
 これが『怒り』という感情なのだろうと、僕は薄々気がついている。

「僕は、パステルの髪も目も含めて、パステルの全部が好きだ。あなたに、パステルを侮辱する資格なんてない」

 後ろでパステルが、喉の奥で小さく悲鳴を上げて、僕の服の裾をきゅっと引いた。
 この後、僕が一言放てば、エドワードは右手でパンチを放ってくる。
 僕は密かに身構えて、その言葉を告げた。

「エドワードさん、帰って下さい」

「……あん? なんだよお前。生意気なんだよっ!」

 予想通りのタイミングで、予想通りの角度からパンチが飛んでくる。
 僕は、エドワードのパンチを右手で受け止めた。
 軌道がわかっていれば受け止めることは容易いかと思ったが、それでもエドワードのパンチは体重が乗っていて重く、ビリビリと右手が痺れてくる。
 僕は力を振り絞って、エドワードの拳を振り払った。

「……もう一度言います。エドワードさん、帰って下さい」

「……なんでお前なんかが……。くそっ、覚えてろよ。――この家とパステルは、俺様のだ・・・・・・・・・・・・・・……!」

 続けてパンチを放ってくることもなく、エドワードはあの時と同じ台詞を吐いて、足を踏み鳴らしながら玄関へと去って行ったのだった。

 僕は密かに息をついて、パステルの方を向く。
 パステルは、何だか難しい顔をして、真っ赤になって悩んでいた。

「――はて、護衛・・とお伺いしておりましたが、来るのが遅かったですな」

 トマスさんが、話しかけてくる。
 僕は今、パステルやエレナ、トマスさんにとってどういう立ち位置なのだろうか。

「それに、護衛が護衛対象に恋慕の情を抱くとは……あまりいただけませんぞ」

「……申し訳ありません」

「……お嬢様は我々にとって、前当主様ご夫妻が遺された宝物です。いかにお嬢様があなたを信頼していようとも、私自身が信用に値すると判断した者以外には、任せることは出来ません。よく覚えておきなさい」

 トマスさんは、きびすを返した。
 彼が僕を警戒し、見張っていたのは、真実パステルを心配していたからなのかもしれない。

 肝心のパステルは、いまだに赤い顔で、「好きとか、恋慕とか、いや、でも」などと呟いている。

 ……可愛い。

 思わず、口角が上がるのがわかる。
 僕はパステルに向き直り、正面からぎゅっと抱きしめた。
 パステルは、一瞬驚いたように身を固めたが、そろそろと僕の背中に腕を回してくれる。

「……セオ……?」

 ためらいがちに見上げるパステルの目は、やはり焦点が合っていない。
 しかしその目は若干潤んでいて、僕の言葉を待っているようだった。

 ――僕は、この表情に、弱い。

「……パステル。僕、パステルのこと、好きだよ。友達なんかじゃない、もっと、もっと大切に思ってる」

 好き、というのは僕の本心だ。

 もう、ずっと前から、心にくすぶるこの感情には気がついていた。
 そして、僕がこの感情の意味と名前を理解したのは、ほんの数日前――パステルに求婚した時のことだった。
 自分の気持ちを言葉に乗せた時に初めて、この感情に名前がついたのだ。

 けれど、僕の感情はまだ、全て元通りに戻ったわけではない。
 パステルが信じてくれなくても、仕方がなかった。

 僕はこの思考を掻き消すように、パステルを抱く力を、強くした。

「……セオ……」

 ――今の君は、僕をどう思っているのだろう。
 また、僕を受け入れてくれるだろうか。



 その後、僕はパステルを湖まで連れ出した。
 闇の精霊に会うためだと告げると、パステルは突然頭を抱えて、何かを必死で思い出そうとしていた。
 だが、結局思い出せなかったようで、ずっと難しい顔をしている。
 それでも、湖に行く必要があることは直感したようで、僕の手をしっかりと取って、空の旅に身を任せてくれた。

 僕たちは、かつて別荘があった場所を訪れている。
 そこには、形こそいびつだが、きちんと手入れされている墓碑が四基、並んでいた。

「セオ……ここは……?」

「僕の両親と、パステルの両親が眠っている場所」

「……お父様、お母様……」

 パステルは、焦点の合わない目を閉じ、膝をついて黙祷を始めた。
 僕も、墓碑に向き合い、パステルと同じように祈る。

 ――父上。母上。
 僕は、またパステルを守れなかった。辛い思いをさせてしまった。
 あの時、僕が油断していたから。
 僕に、戦う力がなかったから。
 そのせいでパステルは、視力を失って、記憶がねじれて……僕のせいで……。


「――後悔しているのか?」

 僕の頭の中に、低くゆったりとした声が響く。

「……はい」

 声が、近づいてくる。

「力が、欲しいか?」

 僕はゆっくり目を開ける。
 辺りは真っ暗で、闇に包まれている。
 ――パステルの視界も、こんな感じなのだろうか。

 僕は、質問に返答しなかった。

「闇の力が、欲しくはないのか? 過去に戻ってやり直せる、一度限りの特別な力。復讐に使うもよし――」

「僕は」

 闇の精霊の言葉に重ねるようにして、僕は拒絶の意を示した。

「戻りません。僕が後悔しているのは、今回の過去・・・・・ではなくて、前回の過去・・・・・です」

「――ほう?」

 闇が、面白そうにわらった。

「パステルはあなたの力を使ったのですね? パステルは、対価として沢山のものを失いました。僕が今、ここで生きているのは彼女のおかげなのでしょう」

「まあ、そうだな。それで?」

 闇は、徐々に輪郭を取り始める。

「僕があなたの手を取れば、パステルのやったことも、パステルの想いも、踏みにじることになる。
 それに、僕は巫女ではない。神子も巫女も不在では、あなたが僕に力を貸すことは、出来ないでしょう?
 あなたは僕を試しているだけだ」

「虹の巫女が、生涯盲目でも良いと言うのか? 汝を愛する気持ちを失ったままでも、良いというのか?」

 闇は、人の形を成した。深い深い藍色の、人の形を。

「……構いません。パステルの目が見えなくなってしまったのは、冷たいようだけれど、前の・・パステルが選んだことです。
 僕はどんな彼女でも大切にする。
 パステルの気持ちが僕に向いていなくても、これから一生向くことがないとしても、恨まれたとしても、それでも僕は彼女を守る」

「くくく」

 闇が、再びわらった。冷たく、しかし優しく。そして心底満足そうに。

「くはははは、なかなか良い余興だった。用意が出来たら、再び我の元を訪れよ。本来の預かり物も、返してやろう」

 そして、僕は、光の世界に戻っていった。


 僕の隣には、跪き、祈りを捧げているパステル。
 パステルは、ゆっくりと目を開けると、僕の方を向いた。

 そして、僕と目を合わせ・・・・・、花が綻ぶように、愛おしげに笑ったのだった。
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