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第二章 青
第34話 「しかえし」
しおりを挟む「パステル、大丈夫?」
「う、うん」
青い箱から溢れてきた記憶に衝撃を受けていると、横から私を心配する声がかかった。
声をかけてくれたセオも、どこか辛そうな表情をしている。
「セオも、大丈夫? 苦しそうに見えるけど……」
「最後の記憶を見たら、少し……胸が痛くなった」
「……え?」
「ラスの時にも思ったけど、パステルの記憶に触れると、僕も同じ記憶を見られるみたい。その証拠に、最初の馬車の記憶は、パステルしか持たない記憶のはず」
私は、その言葉に、セオの顔をまじまじと見た。
最後の記憶で見た、表情豊かな幼いセオ。
その頃よりも儚げな、大人びた顔立ちになったセオ。
何かに耐えるような、苦しそうな表情が、過去と現在で、重なり合う。
「『空の神子』よ。旅を続ければ、そなたの痛みは、強くなります。ですが、得るものも大きいでしょう。『虹の巫女』よ。そなたも、これから先、色々なことを知り、向き合うこととなるでしょう。けれど、心を強く持ちなさい」
乙姫は、さっ、と扇を閉じ、扉を指し示した。
タツノオトシゴの妖精が、重い扉を開いていく。
帰れということだろう。
「乙姫様、ありがとうございました」
「良いのですよ。妾の務めですから。『虹の巫女』よ、困った時には妾が力になりましょう。また会える日を楽しみにしています」
「はい。心から感謝致します。では、失礼します」
「ありがとうございました。失礼致します」
私とセオがお礼を言うと、メーアとルードも深く頭を下げ、私たちは玉座の間から退出したのだった。
海の底は、深い深い青だ。
飲み込まれてしまいそうな、昏い青。
けれど、地表に近づくにつれて、明るくなっていく。
二人の人魚の歌声に包まれながら、私とセオは無言で泳いでいた。
青と緑の中間のような透き通った色に変わってきた頃に、メーアとルードは歌うのをやめた。
光を浴びてきらめく灰色の魚群が、近くを通り過ぎてゆく。
頭上では海面がゆらゆらと揺らめいている。
「海面に顔を出したら、魔法を解くわ。少しの間、息を止めていてね」
私たちが頷いたのを確認して、メーアとルードは私とセオを海面に引っ張り出した。
足が、しっかり砂を踏んでいる感触がある。
魔法が解けたようだ。
閉じていた目を開けると、あまりの眩しさに一瞬目がくらんだ。
白い砂、青い海、その上には抜けるような青い空。
「わぁ……!」
視界には、見渡す限り、青が溢れていた。
空の澄んだ青、遠くの海の深い青、近くの海の緑がかった青。
自分の足元の水は、なぜかあまり青くない。
手で掬ってみても、やはり青いわけではない。
水も空気も透明なのに、空も海も青くて、しかもそれぞれ違う青だというのは不思議だ。
「パステル、海から上がろう。風邪をひくよ」
セオが声をかけてくれて、私は振り向いた。
「あ……」
「どうしたの?」
海中では気が付かなかったが、セオの髪は、空よりも淡い、薄い青色だ。
水を吸って、額や頬に貼り付いている。
私は、思わずセオの頬に手を伸ばした。
まじまじとセオを見て、頬に貼り付いた髪を耳にかけていく。
「パステル……?」
「セオの髪、とっても綺麗な色……水色? 空色? なんて呼んだらいいかしら」
涼しげな空色。
爽やかな水色。
セオの色。
私はその色を手に取り眺めながら、引っ張らないように気を付けつつセオの髪を整えていく。
しっとり濡れた水色の髪に夢中で、私は、セオの表情の変化に気がつかなかった。
「……パステル」
「ん?」
「僕……恥ずかしいって気持ち、分かったような気がする」
セオは、私から目を逸らして、小さな声でそう言った。
私は、ずっと承諾もなくセオの髪を触っていたことにようやく気がついたのだった。
「……あ……! ごめんなさい!」
私は慌てて謝ったが、セオの反応は予想外のものだった。
「だから……しかえし」
「えっ?」
今度は、セオが私の髪を整えはじめて、至近距離で感じるセオの動きのひとつひとつに、頬を染めることになったのだった。
「……っくしゅん!」
「まったくもう。秋だっていうのに、海から上がらないでいちゃついてるから、そうなるのよ」
私とセオに乾いたタオルを渡してくれたメーアは、呆れ顔だ。
少し離れたところで、ルードも苦笑いしている。
「いちゃ……!?」
「あー最悪だわ。傷心の乙女の前で、よくやるわね」
「~~~~~!!」
身体は冷え切って震えているが、顔からは火が出そうだ。
そんなつもりは一切なかったのだが、周りからはどんな関係に見えているのだろうか。
私には友達も恋人もいたことがないから、いまいち距離感というものが分からない。
「ほら、城に戻るわよ。お風呂を貸してあげる」
「いえ、そんな、甘える訳には……っくしゅん!」
「ほらほら遠慮しない。これで熱でも出されたら、フレデリック様に何を言われるか」
結局私とセオは、メーアの護衛騎士が貸してくれたふかふかの毛布にくるまれ、震えながら皇城に連れて行かれたのだった。
皇城でお風呂を借りて存分に温まった私が客間に入ると、すでに上がっていたらしいセオと、大きな体躯の男性が話している所だった。
なんとなく、男性のシルエットに見覚えがあるような……と思っていると、セオが私に気付いたようで、目が合う。
男性もセオの視線を追って振り返って、私は驚愕した。
「おお、嬢ちゃん、きちんと温まったかい? この季節の海は寒かったじゃろう」
「あれ? フレッドさん……ですよね?」
「はっはっは、カッコいいじゃろう」
目の前にいるフレッドの変わりように、一瞬誰だか分からなかった。
髭も髪も短く整えられ、騎士が好んで着用するような、華やか且つ動きやすい服装を身に纏っている。
オーバーオールは白を基調とした揃えの騎士服に、足元の長靴は革のブーツに変わっている。
極め付けは、膝の辺りまである、重そうなマントだ。
服もマントも、刺繍や飾りボタンで丁寧な装飾が施されていて、豪奢だが華美ではない。
「はい! すごく印象が変わりましたね!」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
「お祖父様、時間」
「おお、そうじゃった。ちゃちゃっと謁見してくるから、また後での」
フレッドはニカっと笑うと、そう言い残して客間を出て行った。
「ちゃちゃっと謁見……?」
「皇帝陛下に呼ばれて来たみたい」
謁見をちゃちゃっと済ませて良いものなのかは知らないが、世界が違いすぎて気が遠くなりそうだ。
私は、気を取り直して、水の神殿で見た記憶についてセオに尋ねることにした。
「ところで、セオ。セオのお母様って、どんな方なの?」
「……母上は、パステルの前の、『虹の巫女』だった」
「やっぱり……」
私の髪色が、最初は虹色ではなかったこと。
セオの母、ソフィアが虹色の髪を持っていたこと。
メーアが、巫女の力は人から人に継承されると言っていたこと。
――十中八九、私の力はセオの母ソフィアから継承された物だ。
「あの最後の記憶の後、母上はパステルに力を引き継いだ。確かなことは言えないけど、その時に僕の感情とパステルの色は、失われたんだと思う」
「一体、何が……」
「僕もあまり覚えてない。僕が気を失ってしまったのか、記憶に鍵がかかっているのかは分からないけど。……きっと、自分たちで取り戻さないといけないんだ」
「……そう、だよね」
この先私の記憶を取り戻していくことで、私とセオに何が起こるのかは分からない。
けれど、知らなくてはならない。
一人では辛くても、二人ならきっと、乗り越えられる。
「これからも、よろしくね。セオ」
「こちらこそ。よろしく、パステル」
私が手を差し出すと、セオは優しくその手を握り返してくれた。
私が嬉しくなって笑みを深めると、セオも、美しい目を細めて、柔らかく微笑んだのだった。
~第二章・終~
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