色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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第二章 青

第23話 「水の精霊の神子」

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 夕方になり、帝都の教会へ向かった私たちは、『川の神子みこ』である神官長と会っていた。

 神官長は、こう言っては失礼になるかもしれないが、まさに普通を絵に描いたような人だった。
 中肉中背で、人の良さそうな顔立ち。
 年齢は三十歳前後だろうか。

 特筆すべき点があるとすれば、この人になら何でも話して大丈夫だろうという、不思議な安心感のあるオーラが漂っているという点だ。
 私たちがそれぞれ自己紹介を終えると、神官長は丁寧に頭を下げ、姿勢を戻してから挨拶をした。

「帝都正教会で神官長を務めております、ルードと申します。何卒よろしくお願い致します」

「忙しいのに無理を言って、すまんのう」

「いえ、とんでもない。迷える子羊たちを導くのも、私どもの大切な務めですから。……しかし驚きました、まさかあなた様がおいでになるとは」

「今日は、そなたに『神子』としてこの二人の相談に乗ってもらいたくて、時間を取ってもらったのじゃ。ワシはただの保護者であって、お主の知るワシではない」

「左様でございましたか。しかと心に留め置きましょう。……では、本題に入ります。セオ様、パステル様、本日はどのようなご用件でございますか?」

「実は……」


 私は、ルードに事情を話した。
 私が色を判別出来ないこと、私の眼の『色』を六大精霊が記憶と共に封印していること、私の記憶が戻ると同時に失われたセオの感情も少しずつ戻ってくること。
 そして、その封印を解くために、二人で一緒に六大精霊に会う必要があること。


「なるほど。水の精霊に会うために『水の精霊の神子』の力が必要なのですね。ですが、お覚悟はよろしいのですか? 話を聞く限り、その記憶が全てあなたの元に戻るのは、危険を伴うことのように思われるのですが」

「危険だとしても、私は、色づいた世界を見てみたいです。そしてその美しさを、セオと一緒に感じてみたい。……それに何より、両親やセオと過ごした大切な時間を、どうしても思い出したいのです」

「僕も、もっとたくさんのことを知りたいです。嫌な感情も少しずつ感じるようになっているけど、それより、パステルの感じる喜びや楽しさを、僕も感じたい」

 ルードの問いかけに私とセオが迷いなく答えると、ルードは深い色の瞳で、私たちの目を交互に覗き込んだ。

「迷いはないようですね。良いでしょう、協力させていただきます」

「ありがとうございます……!」

「お二人は信頼し、想いあっているのですね。なんと美しい」

 ルードは優しく微笑み、フレッドも頷いている。
 私はセオの顔をちらりと見た。
 セオもこちらを見ていたようで、目が合って、私は一人で気恥ずかしくなってしまった。

「初々しいですねえ。さて、水の精霊が住まう『水の神殿』ですが、深海にあるのです。私たち『水の精霊の神子』ならば問題なく行けますが、私の力ではお一人しか同伴させることが出来ません。お二人以上で行くなら、私以外の『水の精霊の神子』、すなわち『海の神子』『湖の神子』『滝の神子』のいずれかの力が必要になります」

「水の精霊の神子様は、たくさんいらっしゃるのですね」

「ええ。その分、一人一人が持つ力は、他の精霊の神子に比べて小さいと言われています。不便に思ったことも不満に思ったこともありませんけどね。ですが、今回のようなケースでは、少しだけ困りますね」

 ルードはそう言って、自嘲する。
 すると、今まで後ろで静かに見ていたフレッドが、ルードに話しかけた。

「のうルードよ、他に協力してくれそうな神子はおるのか? ワシは『海の神子』しか知らぬのだが、ちと頼むのが難しくての」

「うーん…少なくとも、『滝の神子』様は無理でしょうね。まだ赤子ですから。逆に『湖の神子』様はお年を召されて、病に伏せっておられます。体調次第では可能かとは思うのですが……」

「ううむ……」

 フレッドは顎に手を当てて、唸り始める。
 そこに一石を投じたのは、セオだった。

「お祖父様、それなら仕方ない。『海の神子』に頼むしかない」

「じゃが……」

「僕は平気。どっちみち呼ばれているから、話してみる」

「……ワシは、まだ動けないぞ」

「お祖父様は、ついて来なくても大丈夫。僕一人で何とかする」

「今回は、公式訪問ではない。変な条件は、絶対にのんではならんぞ」

「わかってる」

 フレッドの目がいつになく真剣な光を帯びる。
 セオも、どこか硬い雰囲気だ。
 私には話がさっぱり見えない。

「……ねえ、セオ、どういうこと?」

「『海の神子』は、ベルメール帝国の皇女殿下。会う度に僕に無理な要求をしてくるから、あまり頼りたくなかった」

「皇女殿下……?」

「パステルもさっき会った。『海の神子』は、メーア様だ」

「…………!!」


 私は、衝撃のあまり、しばしそのまま固まってしまったのだった。



 その後、フレッドはルードと話があるということで、私とセオは先に宿に戻ることになった。

 すっかり陽は落ちて、夜のとばりが下りている。
 だが、ロイド子爵領と違って、帝都の大通りはそこかしこに灯りが点いていて、歩くのに苦労しない。

 私はゆっくり歩きながら、セオに気になっていたことを問いかけた。

「ねえ、セオ。そろそろ、事情を聞かせてもらえない? 帝国の皇女様と付き合いがあるなんて、普通の家庭じゃないよね?」

「今の僕は、何者でもない。約束を果たすまでは戻れないから、今の僕は家名を持たない、ただのセオだ」

「その約束というのは、ラスさんとした約束とは違うの?」

「ラスとの約束の他に、僕が外に出る時に、元いた所に戻る条件として約束したことがある」

「その条件って……?」

「……ある人を、連れてくること。ただし、完全な状態・・・・・で」

「ある人って?」

 セオは、真っ直ぐに私の目を見る。
 その瞳は、街路灯の光を反射して、不安げに揺らめいている。

「……僕の心が導いた先、辿り着いた人」

「それって……」

「パステルのこと」

 私を、完全な状態・・・・・で連れてくること――

 それが、セオが家に帰るための条件で、私の所に来た理由……?

 セオは、私を完全な状態・・・・・――すなわち、全ての色と記憶を解放した状態に戻すために、真実を知るラスの元へと、私を連れて行ったのだろうか。


 そうだとすると、セオと仲良くなれたと思っていたのも、最初からそうなるように考えた上での行動だったのだろうか。
 確か、ラスが私を連れてくる条件としてセオに提示したのが、私とセオの信頼関係を構築することだったはず。

 セオの感情は、読みにくい。
 私の独りよがりで、私が勝手にセオに友情と好意を抱いてしまっていたのだろうか。

 セオの瞳をじっと見るが、今は何の感情も読み取ることが出来ない。
 街路灯の光が反射して、揺れているだけだ。

「セオ……そのために、セオは私に近づいたの……?」

 確認しようと問いかけた私の声は、小さく震えてしまった。

「…………」

「……そっか」

 沈黙は肯定である。

 私は悲しくなってきて、目を伏せた。
 セオの顔が見られない。

 私はセオと友達になれたと思っていたし、そう信じたい。

 セオは感情が薄くとも、優しいひとだ。それだけは確かである。
 付き合いが短くとも、決して上辺だけの友情なんかではないと信じたい。

 ——けれど、もしかしたら結局は、セオに上手く誘導されていたのかもしれないと、心のどこかで小さな疑念が生まれる。

 だが、それでも。

 緑色が戻ってきて感じた幸福感は本物であり、他の色も見えるようになりたいと思う気持ちは強くなっている。
 それに、いつか両親の記憶も思い出せる可能性が高い。

 六大精霊を探すという私の決意は、変わらない。

「……セオ、それでも私、水の精霊様に会いに行くよ。だから、明日、私もセオと一緒にメーア様に話をしに行く」

「パステル……ごめん」

「早くセオがお家に帰れるように、私も頑張るね」

 私は出来るだけ明るい声で、セオに話しかけた。
 セオの視線がずっと私に向いているのを感じてはいたが、私はセオの方を向くことは出来なかった。

 私は顔を上げて、道の先を真っ直ぐ見る。
 ぼんやりする視界を我慢しつつ、少しだけ上を向いた。
 これ以上目を伏せていると、涙が落ちてきてしまいそうだ。

「……パステル。僕、今は家に戻ることよりも、やってみたいことが出来た。僕、パステルと……」

「いいの、言わないで。私なんかに気を遣わなくても、いいのよ。……さ、宿についたね。明日は、一緒に皇城に行こうね。ふふ、緊張しちゃうな。おやすみ、セオ」

 私はセオの顔も見ずに無理矢理口元だけ笑みの形を作って、一方的にまくし立てた。

 逃げるように自分の部屋に戻ると、私はすぐさまベッドに飛び込む。
 枕に顔を埋めて、ただひたすら、声を殺して泣いたのだった。
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