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第一章 緑
第15話 「初めての友達」
しおりを挟むしばらくして、私の涙が落ち着いた頃。
結局、私は恥ずかしくなって、一度自分の部屋に戻ってしまった。
セオの辛そうな表情を見て、思わず抱きしめてしまったが……きっと淑女として、良くなかっただろう。
顔を洗って目を冷やし、ぼんやりとソファで休んでいると、エレナが呼びに来た。
セオの部屋に、二人分の食事を用意してくれるようだ。
お礼を言って部屋を出ようとすると、エレナは私を呼び止めた。
「お嬢様、あのお客様が、先日トマスとイザベラが申していた不思議なお客様なのですね?」
「……ええ、そうよ。二人は信じてくれなかったけど」
「トマスやイザベラはともかく、私は信じますよ。私もあの日、不思議な光を見ましたからね」
「え……?」
「ふふふ、歳で目がちかちかしたのかと思いましたけどね。トマスもそう思ったのではないかしらね? あの人、頭固いですから」
「……そう、だったの」
「――お嬢様、エレナは味方ですからね。覚えておいて下さいね」
「……? それは、どういう……」
「さあ、参りましょう。愛しの殿方がお待ちですよ」
「……!? ち、ち、違うわよ!!」
エレナは悪戯っぽく笑っている。
――味方って、そういう事か。
いつになく真面目に言うから、何か深い意味があるのかと思った。
一瞬、心配というか、遠くを見ているような――寂しげな視線を寄せたと思ったのだが、気のせいだったのだろう。
「ごめんね、お待たせ」
「ううん、大丈夫」
私が席に着くと、エレナがお皿を並べてくれる。
だが、セオの事はトマスとイザベラに秘密にしなくてはならないので、一通り用意したらすぐに客室から出て行った。
玄関口で遭遇したのがエレナで、心底良かったと思う。
終始無言で食事は進んだ。
無言でも、不思議と気まずくはない。
セオのマナーは、やはり完璧だった。
フレッドの孫という事は分かったが、結局セオの出自は謎のままだ。
私は食後のお茶を手ずから淹れた。
紅茶の華やかな香りが、鼻腔をくすぐる。
お茶を用意した所で、私はセオに先程の件を謝罪しようと、口を開いた。
「パステル」「あの、セオ」
またしても話すタイミングが被ってしまい、私は思わず笑ってしまった。
セオも驚いたのだろうか、いつもより目が大きく開いている気がする。
「ふふふ、セオ、先にどうぞ」
「いや、パステルから。山では、僕が先だったから」
「ふふ、分かった。……あの、ね、さっきのこと、謝りたくて」
「……謝るようなこと、ない」
「ううん。突然抱きついたりして、嫌だったよね。しかも泣き出すなんて、我ながら情けないよ……。ごめんね」
「……嫌じゃなかった」
「セオは、優しいね……。好きでもない女の子に抱きつかれたりしたら、普通、すごく嫌なのよ」
「僕、別に優しい訳じゃない。……嫌だとか、好きだとかも感じないから」
「……そう、かな」
心に、チクリと棘が刺さる。痛みの理由は、分からない。
「けど……」
セオはうつむいて、少しだけ考えるような仕草をしたのち、いつものように私を真っ直ぐに見た。
「僕、もっと知りたい。パステルが教えてくれた、色んな感情を。――嬉しい、わくわくする、恥ずかしい、心配する」
セオは、手元に視線を落とす。
ひとつ、ふたつ……と、指折り数えながら、言葉を羅列していく。
そして、最後にひとつ、細くしなやかな小指を曲げる。
セオは言葉を切って、じっと私を見つめた。
「――それから、好き、という感情も」
「……セオ……」
セオの瞳は真摯であり、何か決意を秘めているようにも見えた。
セオは、自分を変えたいと願っているのかもしれない。
「……セオ。私、セオの力になれるかな?」
セオは、私の目を見て頷いた。美しい瞳が、揺れている。
「パステルにしか、できない。……でも、僕と関わると傷つくかもしれない。それでもパステルは僕と一緒にいてくれる?」
「当たり前よ。さっきも言ったけど、私、セオに会えて良かったって、心から思ってるよ」
私は、セオが安心出来るように、しっかり笑って、そう返答した。
先程のセオは、本当に辛そうだった。
セオの抱えている物は重くて、一人ではいつか、つぶれてしまう。
解決するかは分からないし、いつまでかかるかも分からないけれど……私がその重い物を、一緒に抱えてあげたかった。
――それに何より、純粋に、誰かに頼られることが、嬉しかった。
私は、誰かに頼られたことも、真っ直ぐに向き合ったこともない。
誰かに頼りにされるのがこんなに嬉しいことだったなんて、知らなかったのだ。
とはいえ――私自身は、この眼のせいで誰かを頼って迷惑をかけてしまうのが、すごく嫌だったのだが。
セオは、しばらく胸に手を当てて考えていた。
かと思うと、何かを決意したように、唐突に顔を上げて、話し始める。
「パステル、さっき言おうとしたこと、言っていい? パステルに、お願いがある」
「うん、なあに?」
「明日、僕と一緒に、『風の神殿』に行ってほしい」
「風の神殿……? そこに、何かあるの?」
「風の神殿は、ラスの住処。場所は、崖山の頂上」
「崖山……」
崖山は、ここから北……この国と聖王国の境にある、一万メートル級の山である。
麓から切り立った崖が続いており、普通の人間には登ることが出来ない。
「普通の人には到底行けない場所だけど、僕はラスの加護を受けた『空の神子』だから、僕と一緒なら問題ない。……僕と一緒に、行ってくれる?」
「うん。ラスさんには聞きたいことがあるし、行くよ」
「ありがとう。……でも、行く前にひとつ、言っておかないといけないことがある」
「なあに?」
「風の神殿で何が起こるのか、僕にも分からない。それでも、僕、パステルと一緒に進まないといけない。だから……、巻き込んで、ごめん」
「ううん、いいの。友達は、助け合うものよ。私、セオの力になりたいの」
「……ありがとう、パステル」
「ふふ。偉そうに言ったけど、実は友達なんて今までいた事ないんだ。だから、ちょっぴり、張り切ってる」
「僕も、パステルが初めての友達」
「セオ……ありがとう」
セオは、私のことを友達だと思ってくれている。
セオがいてくれれば、どんな困難が待っていても怖くないと、そう思えた。
友達。
まるで魔法のような言葉だ。
数日前、セオが急にいなくなってしまった時に心を冷たくしたすきま風は、もう入って来なくなったようだった。
翌朝、夜が明ける前に、セオは私の部屋を訪ねてきた。
辺りはまだ暗いが、東の空がわずかに白んでいる。
黄昏の時間よりは、見えやすい。
昨日のように玄関先で誰かに会うのも困るので、今日は自室の窓から出て行くつもりである。
エレナだったら良いが、トマスはまず間違いなく義父にセオの事を報告するだろう。イザベラもトマスに報告するから、同じだ。
既に準備を終えていた私は、セオの手を取り、光に包まれて濃灰色の空へと飛び立った。
目的地は、精霊の棲む山、崖山——。
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