色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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序章 白黒と透明

第7話 「さよなら、パステル」

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 私は、見逃さなかった。
 セオが――笑った。
 間違いなく、笑ったのだ。

「セオ……」

「ん?」

 やっぱり、微妙に口角が上がっている気がする。

「いま……笑った……?」

「え?」

「笑ったよね? やっぱり、セオには、感情があるんだよ」

「僕……笑ったの?」

「うん」

 私は嬉しくなって、にこりと笑った。

 窓の外からだろうか、ふわりと甘い花の香りが届く。
 何の花だろう。うちの庭には咲いていない種類だ。

 なんとなく、ふわふわした気持ちでセオの顔を見つめていると。何故か、突然。
 セオの笑顔と言える程でも、微笑みと言える程でもない、柔らかい表情は、消えてしまった。

「……パステル、ごめん。僕、行かなきゃ」

「……え?」

 セオはいつもの無表情に戻ると、私の手をそっと離して立ち上がった。
 そのまま魔法の家に歩み寄って手をかざすと、わずかな光と共に、魔法の家はすぐさま手乗りサイズに戻る。

「セオ……どこかに出かけるの?」

 セオは小さくなった魔法の家を懐にしまいながら、振り返って頷いた。
 私を真っ直ぐに見るその瞳からは、何の思いも読み取れない。

「熱、下がるまで無理しないで。窓……寒かったら閉めてもいい」

「え……?」

 ――窓を閉めてもいい?
 そうしたら、セオはどうやって帰ってくるというのか。

「ねえ、セオ、帰ってくるよね……?」

 セオはその質問には答えず、窓枠に手を掛けた。
 窓を大きく開くと、セオは白い光に包まれて、ふわりと宙に浮かんだ。
 セオが私の前に降り立った時と同じ――世界は、白で包まれていた。

「さよなら、パステル」

「セオ……!? 待って……っ!」

 ――嫌だ。行かないで……。
 私が引き留めるのも虚しく。
 セオは、別れを告げると、あっけなく、空へと舞い上がって消えてしまったのだった。

「セオ……」

 残されたのは、普段と変わらないモノクロの世界。
 私の呟きは、灰色の空に溶けて、冷たい風に散らされてしまったのだった。






 その日は、結局、ほとんど一日中寝て過ごした。
 熱はほぼ下がっていたのだが、今日はなぜだか動く気が全然起きない。
 少し肌寒いが、部屋の窓は細く開けたまま、私は布団を肩まで掛けて丸くなる。


 こうしていても、頭に浮かんでくるのはセオのことばかり。


 どうして、セオは私の所に来たんだろう。
 どうして、突然どこかへ行ってしまったんだろう。
 どうして、帰ってくるって約束してくれなかったんだろう。


「また、帰ってきてくれるかなぁ」


 今日は休みにして良かった。
 この状態では、もう何も手につかないだろう。

 私は、どうしてこんなにセオのことが気になるのだろうと自問する。
 答えは、すぐに出た。

 今まで私には友達がいたことがない。
 けれど、セオはきっと、私にとって初めての友達だ。

 友達の心配をするのは、きっと普通のことだろう。
 友達の相談に乗ったりするのも、友達ともっと話したいと思うのも、きっと普通のこと。


「セオに、さよならって、言えなかった……」


 思い出すのは、真っ直ぐに私を見つめる目。
 頬に触れる、ひんやりとした指先。
 林檎を剥いて、口元に差し出してくれたこと。
 何かに悩んでいるような、何かを押し殺したような表情。
 最後に、ほんの少し上がった口角。

 ずっとセオのことばかり考えてしまって――なんだか、ぐるぐるする。

「……帰って、くるよね」

 私はそう独り言ちて、目を瞑る。
 窓から吹き込んでくる風は、無情なほど、冷たかった。


 その夜、セオは帰ってこなかった。






 それから三日ほど経ったある日。
 私は、執務の合間に庭を散歩していた。

 熱は、セオのいなくなった翌朝には完全に下がり、今まで通り執務をこなせるようになっていた。


 あれからセオは姿を見せていない。
 窓は閉めてもいいとセオは言っていたが、いつも結局細く開けたままにしている。


 ロイド子爵家は、相変わらず閉ざされている。
 門は固く閉ざされ、誰かが買い出しに行く時ぐらいしか開くことはない。
 何も、そう、何も変わらない。


 閉ざされた世界。
 私を嘲る者も憐れむ者もいないし、与えられた仕事もあるし、何不自由ない生活が出来る。
 安心で、平和で、変化のない世界だ。

 ……でも今は、一週間前には感じなかった物足りなさと、寂しさがある。
 心に穴が開いて、そこからすきま風が入ってくるみたいだ。


 たった三日間、それもほんの少ししか会っていない友人の顔を思い浮かべながら、私はベンチに腰掛けた。

 思い返すと、このベンチに座っている時に、セオが空から降ってきたのだ。
 突然のことだったが、不思議と怖くなくて、あっさりと受け入れられる自分がいた。
 私はふぅ、とひとつ息をついて目を閉じる。

 鳥の声、風そよぐ音、少し冷たい空気、金木犀の香り。
 耳の奥でセオの声が蘇る。
 パステル、と呼ぶ澄んだ声を思い出して、私は――自分の名が美しい響きを持っていたのだと、初めて気がついた。


 パステルという名は、私の本当の・・・両親が付けた名だと、聞いている。

 父と母は私が幼い頃に事故で亡くなってしまった。
 直接聞いた訳ではないので、本当のところは知らないが――おそらく、この不可思議な虹色の髪を見て、パステルという名を付けたのだろう。

 実父は前ロイド子爵で、現ロイド子爵の兄だった人だ。
 残念ながら、私は両親の顔を覚えていないので、思い入れも薄い。


 育ての父――すなわち義父は、残された私を不憫に思い、私を養子として迎えた。
 当時私は五歳だったが、義父と義母には二歳の男の子と、生まれたばかりの女の赤ちゃんがいた。

 義両親は私を暖かく迎えてくれたし、望むものを与えてくれた。
 だが私は本当の家族ではないという引け目というか、邪魔なのではないかという疎外感をずっと感じていたように思う。
 特に、義弟、義妹と一緒にいる時はそれが顕著だった。


 それでもまだ屋敷の中では平和だった。
 だが、私はとある時点から、外の世界に対して完全に心を閉ざしてしまった。
 それ以降は義弟や義妹とも関わりを持たなくなり、屋敷が静かになる社交シーズンが待ち遠しくなったのである。

 私が心を閉ざしてしまってからも話をする事ができたのは、義両親と、今マナーハウスに残っているトマスとエレナ、イザベラの五人だけ。

 トマスとエレナは、私の祖父が子爵だった頃から子爵家に仕えていて、義両親以上に私を可愛がってくれた。
 イザベラも、歳はひと回り離れているが、頼れる姉のように思っている。
 とはいえ、その五人とも、生活や仕事をする上で必要な最低限の会話しかしないのだが。


 そう考えると、セオとの会話は、久しぶりに心はずむものだった。
 セオに言えた立場ではない……私自身も、楽しいという感情を長らく忘れていた気がする。


「……セオ……」

 私は、初めて出来た友人の名をぼそりと呟く。
 セオは、どこにいるのだろうか。
 元気にしているだろうか。

「……会いたいな」


 私が一言、小さくこぼしたその時。


「ねえねえ、虹色のお姉さん。お友達に会いたい?」

「……へっ!?」

 突然聞こえた見知らぬ声に、私は目を開けた。
 目の前には、いつの間にか、私よりいくつか年下の子供が立っていたのだった。


~序章・終~
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