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35 十年前の奇跡

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 エミリア視点です。

――*――

 王族の居住区域を後にして、私は殿下と一緒に城の中庭を散策していた。
 中庭は人払いされていて、殿下と二人きりだ。

「綺麗……」

 中庭には色とりどりの花が咲き誇っていて、まさに見事の一言であった。
 公爵邸にも大きな庭があるが、この中庭の美しさは格別である。

「薔薇の見頃はもう少し先だが、今はヒヤシンスが美しく咲いている。この色は、庭師が長年品種改良を続けて、今年初めて咲いたんだ。今までにない色合いだろう?」

「ええ、暖かい色合いのヒヤシンスは、初めて見ました。色とりどりでとっても綺麗……。それにすごく良い香りです」

「私は青いヒヤシンスが一番好きだな。あっちにはストック、チューリップ、その奥にはマーガレットやフリージアも咲いているよ。あとは、中庭にはないが、城の裏手にはパンジーが沢山咲いていて、それもまた綺麗なんだ」


 こうやって中庭でゆっくりしていると、十年前、殿下と出会った日のことを思い出す。
 あの日も今日と同じような、うららかな春の日だった。
 私はこの中庭で、今日と同じように花をのんびり眺めながら父と兄の用事が終わるのを待っていて、そこへ殿下がお声をかけてくれたのだ。

「……こうしていると、思い出すよ。エミリアと出会った日の事を」

「まあ……殿下もですか? 実は、私も殿下と初めてお会いした日の事を考えておりましたの」


 私に声をかけてくれた殿下を見て、世の中にこんなに美しい少年がいるのかと、思わず見惚れてしまったのだ。
 さらに、殿下はこの中庭に咲いている花の名を一つ一つ教えてくれて、その聡明さと優しさと丁寧な物腰に、私はすぐに惚れ込んでしまった。


「エミリアを初めて見たのは、君がお母君とモニカ嬢と共に、ブラウン公爵とナイジェル殿が謁見室に向かうのを見送っていた時だ。君はあちこち物珍しそうに辺りを見回していたな」

「……! お恥ずかしい限りです……」

「恥ずかしくないさ、とても可愛らしかったよ。その後すぐにお母君とモニカ嬢は何処かへ行って、君は一人になった。それで、話しかけるチャンスだと思ったんだ。私はその頃から色んな令嬢を紹介されていたが、興味を持つ事は無かったのに……その時は何故か君から目が離せなかった。私は君に声をかけて、君は振り返って微笑みかけてくれて……私は、その時、君に恋をしたんだ」

「……!」

 ……知らなかった。
 殿下は、私と出会ったその日に……私と同じその時に、私と一緒に恋に落ちたのだ。
 じわじわと、心の底から歓喜が湧き上がってくる。

「殿下……、私も……」

 私は、頬に熱が集まるのを感じた。
 囁くような声で、殿下に思い切って伝える。
 殿下は、穏やかな優しい表情で、私の言葉を待ってくれている。

「私も、十年前のあの日――殿下に初めてお会いしたあの日、この中庭で声をかけていただき、貴方を一目見たその時……ラインハルト様、私も貴方に恋をしたのです」

「……!」

 殿下は息を呑み、その表情は歓びに満ちてゆく。

「……ラインハルト様、私は、貴方と出会ったその日に、父におねだりをしたのです。正直、叶うとは思ってもいませんでした。……ラインハルト様……私、父に、貴方と婚約したいっておねだりしたんですよ」

「……エミリアも……?」

「……も……?」

 殿下は、その銀色の瞳を揺らし、どこか呆然としていた。
 だが、すぐに表情を引き締め、真剣な表情になった。
 その瞳だけが、熱に浮かされたように揺れている。

「……私も、君と出会った日の夜、父上に頼み込んだんだよ。――エミリアと婚約したいって」

「……!」

 私は、今まで私の一目惚れで、父の地位のお陰で殿下と婚約出来たと思っていたが……殿下も同じ想いで婚約に応じてくれていたのだ。
 それどころか、殿下の方も私を望んでくれていた……。


「エミリア……私は、十年前から、ずっと君の事だけを愛している。君と出会ったその日から、君が隣にいない人生なんて考えられなくなったんだ。……ふふふ、自分で言っていて思うが……私の愛は重いだろう?」

 それを言うなら、私だってそうだ。
 殿下のいない人生なんて、もう考えられない。
 だからこそ私は、殿下を失うかもしれないと思った時に、身体の自由を失ってしまうほどの心の傷を受けたのだ。

「……ラインハルト様……。私も同じですわ。ラインハルト様の愛が重いと言うなら、私の愛は多分もっと重いですわよ」

「言ったな? 私も負けてないぞ? エミリアに受け止めきれるかな?」

「ふふ、ラインハルト様こそ、受け止めて下さいますか?」

「当たり前だ……! ほら、エミリア、おいで」

 そう言って殿下は満面の笑顔で、大きく腕を広げた。
 私が思い切り殿下の腕の中に飛び込んで、ぎゅう、と抱きつくと、殿下も抱きしめ返してくれる。

「ふふ……本当ですね。これからも、受け止めて下さいね」

「ああ。これから、ずっと」

 その言葉に、私の頬を一筋の涙が伝っていった。
 そうして私達は、あの日の出逢いと、想いが通じ合った奇跡に感謝しながら、しばらく抱きあっていたのだった。


 ********


 主治医に完治宣言を貰ったことで、私は学園に復学する事が出来た。
 とは言え、もう学園では中間テストも終わっていて、あと二ヶ月で期末テストを受け、私達は卒業を迎える。

 クラスの皆は、私の復学を喜んでくれた。
 殿下やアレクが事情を深く聞かないようにと事前に言ってくれていたようで、誰も何も聞いてこなかったのは有り難かった。


 ただし、プリシラだけは別だ。
 私が復学して殿下の側にいるのを見た時は、「なんで!?」と大騒ぎして、アレクに摘み出されていた。

 だが、気のせいだろうか……プリシラも秋学期の時ほどグイグイ来なくなったような気がする。
 殿下を絶対に落とそうとかそういう気概みたいなものが減って、何となくいつもの癖というか習慣で突撃してくるだけ、みたいな感じがするのだ。
 お陰で、私が涙を流す回数もかなり減った。


 私に対する態度にも少し変化があって、私が復学した次の日には彼女のバイト先『さん爺のおやつ』の新作どら焼きを持ってきてくれた。
 殿下に渡していたので殿下宛かと思いきや、同じどら焼きが三つと、メッセージカードが入っていたのだ。
 カードには可愛らしい丸文字で、エミリア様とアレク様の分も入っています、復学のお祝いです、と書いてあった。

 私はすごく嬉しくなってしまって、夜なべして刺繍したイニシャル入りのハンカチをお礼に渡した。
 だが素直ではないプリシラは何でもないフリを装っていて、アレクに注意されて渋々――だが嬉しそうな顔で、お礼を言っていたのだった。




 そして復学から更に数日後の休日、私はブラウン公爵家の皆と一緒に城へと向かっていた。
 今日は、殿下の18歳の誕生日である。
 王太子の成人を祝う式典と、晩餐会が開かれるのだ。
 私はこの日のために、外出禁止の解除を急いだのである。


 成人を祝う式典は、多数の貴族を招待し、厳粛に執り行われた。
 殿下は普段よりも更に煌びやかな衣装を身に纏い、あまりにも美しく神々しく、後光が差しているかのようだった。
 その決意を秘めた表情と堂々たる様には威厳があり、彼は素晴らしい為政者として立派に国を統治するだろうと、誰しもが予感したのであった。


 本来ならこの後立食形式のパーティーが開かれる筈だったのだが、数ヶ月前にクーデターがあったため、式典だけを行うと通知されている。

 だが、私達は別だ。
 式典参加者が帰った後に、王族とその家族、親戚だけで晩餐会が開かれる。

 私はまだ家族ではないが、殿下の婚約者とその家族として晩餐に招待されていた。
 国王陛下や王妃様も私の体調を案じて下さっていたようで、元気になってくれて良かった、巻き込んでしまって済まなかった、と暖かい言葉を掛けてくれた。

 晩餐会は暖かい雰囲気で恙無く進み、公爵家から殿下に誕生日の祝いの品が贈られ、私達はその場を辞した。


 殿下は帰りがけに少しだけ私との時間を取ってくれて、私は会場近くの廊下で、公爵家からとは別に、殿下に個人的なプレゼントを渡した。
 銀糸で刺繍を施した、ハンカチである。
 以前に渡したイニシャル入りのシンプルな物とは違って、下品にならない程度に花や鳥などのモチーフも散りばめてある。
 そして今回はイニシャルではなく、殿下のお名前をしっかり刺繍してある。

「街へ行って贈り物を選ぶ事が出来ませんでしたので、屋敷でこれを刺繍しておりました。成人のお祝いですのに、ささやかな物で申し訳ありません。気に入っていただけると良いのですが……」

「『愛しのラインハルト様』……ふふ、ありがとう、エミリア。嬉しいよ……これは時間がかかっただろう」

 殿下は嬉しそうに、ハンカチを広げて眺めている。
 喜んで貰えたようで、私は一安心した。

「本当に上品で美しい品だ……。それに、君が私のために、時間をかけて贈り物を用意してくれた事が何より嬉しい。刺繍を施す間、私の事を想ってくれていたと思うと……嬉しくて舞い上がってしまいそうだ」

「喜んでいただけたなら、良かったですわ……。ラインハルト様、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう、エミリア」

 殿下は私を軽く抱きしめ、額にキスを落としたのだった。
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