上 下
32 / 48

32 痛み

しおりを挟む
 ラインハルト視点です。

――*――

 私がエミリアの異常に気づいてすぐ、アレクが侍医を呼びに行ってくれた。
 私はエミリアの手を握って待とうと思っていたのだが、侍医が到着すると、邪魔だからといってアレクにひっぺがされ、自分の部屋に連れて行かれたのだった。


 どうやらエミリアは、声が出せないだけではなく、体も満足に動かせないようだった。
 先程握った手も冷え切っていて、僅かに震えていた。


 侍医が診察をしている間にナイジェル殿も私の部屋を訪れ、私はエミリアの状態を説明した。
 ナイジェル殿はエミリアが攫われた瞬間に一緒にいたため、物凄く責任を感じているようだった。
 だが、そもそもの責任の所在は私にある。
 エミリアに危険が迫っている可能性を知っていたのに、守ってあげられなかった……本当に悔しい。

「……私のせいだ。もっと早くエミリアを見つけてあげられれば……」

「殿下は悪くありません……私が出された飲み物を無防備に飲んでしまったせいです」

「いや、せめて騎士を一人付けておけば良かった……」

「警戒しているのが露見したら、今回の一網打尽計画が失敗していたかもしれません……やはり私の危機感が足りませんでした……」

「それ以前に城に来てはいけないと警告していれば良かったんだ……エミリアを不安にさせたくないと思い、今回の件を伝えなかった私が悪い……」

「私も悪いのです……公爵邸の周囲をこそこそ嗅ぎ回っている者がいたので、逆に耳目の多い城の方が安全かと思い、エミリアが早めに登城するのを許可したのです……」

「いや、私が」

「私のせいで」

「あの、失礼を承知で申し上げますが、いい加減にして頂けませんかね」

 延々と続く、私とナイジェル殿の責任の押し付け合い……ではなく受け取り合いにアレクが強めのツッコミを入れた。

「殿下、あなたも大怪我してるんですからちゃんと休んで下さい。今無理をしてしまうと、右腕、下手したら障害が残りますよ。先程は殿下もエミリア様も互いの様子が気になるだろうと思ったので許可しましたが、今日はもうこの部屋から出ないで下さいよ」

「うぅ……分かった」


 その時、ノックの音が聞こえ、アレクが隣の部屋の扉を開き、入ってきた侍医がエミリアの状態を話してくれた。

 話を聞くまでは、毒物の影響ではないかと私は心配していたのだが、どうやらそうではないらしい。
 エミリアを診察していた侍医の見立てによると、精神的に大きな傷を負ったことで現れた症状ではないかという事だ。
 時間が経ち、心の傷が癒えるのを待つしかないそうだ。

 エミリアは、慣れ親しんだ公爵邸で療養させるのが一番良いだろうという事で、夜会の終わりを待たず、ナイジェル殿とモニカ嬢と三人で帰宅する事になった。
 念のため城からも騎士を一人、交代で公爵邸に派遣する事にした。

「殿下、本当に申し訳ありません……。此度の件、私は自分の無力さを痛感致しました。……エミリアが回復するまで、今度こそ、今度こそ必ず私が責任を持って守ります。殿下はご心配なさらず、どうかお身体の回復にお努め下さい」

 そう語るナイジェル殿の瞳には、強い決意が宿っている。
 モニカ嬢も隣でしっかりと頷いている。

「……分かった。エミリアの事、くれぐれも宜しく頼む」


 こうして、長い長い一日は、各々の心に多くのしこりを残して、幕を閉じたのであった。


 ********


 クーデターの日から、一週間と少しが経った頃。
 私の身体の傷は、深かった右腕の傷を除いて、ほぼ完治していた。
 右腕の傷も順調に癒えており、痛みは少しあるものの、痺れなどはもう残っていないし、指先も問題なく動かせる。


 あれから私はエミリアに、毎日一輪の花とメッセージカードを贈っていた。
 私自身が外出を禁止されているので、見舞いに行けなかったのだ。

 侍医に少し見舞いに行くぐらい良いだろうと不満を言ったところ、どうやらエミリアが私の満身創痍の姿を見た事もエミリアの心の傷になっている可能性が高い、だから早く傷を治して元気な姿を見せに行くことが一番だ、と返された。
 ……確かに荒事の苦手な優しいエミリアには衝撃的な光景だったかもしれない。
 私は、エミリアの精神失調が自分自身の冷静さを欠いた行動の結果だという事に衝撃を受け、悔いたのだった。


 侍医によると、私の外出禁止も間もなく解かれるとの事だ。
 私はメッセージカードに、「私の傷はもう殆ど完治した。エミリアさえ良ければ、近いうちに是非見舞いに行きたい」と書き記した。

 メッセージカードの返事をくれた事は無かったが、登城する度に私の部屋に見舞いに来てくれるナイジェル殿によると、エミリアは毎日花とメッセージカードが届くのを楽しみにしている様子で、カードを渡してやると大切そうに胸に抱いて涙を流しているらしい。

 エミリアは少しならベッドから起き上がれるようになり、ゆっくりだが順調に回復しているようだ。
 だが、夜は毎晩魘されていて、心配になったモニカ嬢がエミリアの寝室にベッドを移し、一緒に休む事にしたらしい。
 それから少しずつ魘される時間は短くなってきているが、モニカ嬢ももうすぐ隣国に戻らなくてはならないため、頭を悩ませているとの事だ。


 外出禁止が解かれたのは、それから二日後の事だった。
 私は見舞いの花束を持って、早速アレクと共にブラウン公爵邸へと向かった。

 派遣した騎士は、今日もちゃんと仕事をしているようだ。
 猫の侵入すら許さないとばかりに、魚を咥えた野良猫を一生懸命追いかけている。

「なあアレク、もう騎士の派遣は必要ないと思うか」

「奇遇ですね、俺も殿下にそれを聞こうと思ってた所です」



 エミリアの部屋に通されると、予想外にもエミリアは立ち上がって笑顔で出迎えてくれた。
 だが、まだあまり力が入らないようで、足元がふらつき、倒れそうになってしまう。
 私は駆け寄って、すぐにエミリアを抱きとめた。

「エミリア……! 会いたかった……」

 私はエミリアを優しく抱きしめる。
 少し痩せてしまったようだが、エミリアはちゃんと暖かくて、ちゃんと私の腕の中にいる。
 アレクと侍女が部屋から出て行く音が聞こえたが、私達は、しばらくそのまま動かなかった。


 私はエミリアをベッドに寝かせると、私も座ってエミリアの手を取り、他愛もない話をたくさんした。
 勿論、クーデターの話やフリードリヒの話はエミリアを不安にさせてしまうので、話さない。
 最近は書類仕事ばかりで退屈だとか、もうすぐ学園の新学期が始まるとか、ホリデーの時に見た演劇の話とか。

 エミリアはくるくると表情を変えて、時には笑い、時には驚き、時には頷いて私の話に耳を傾けてくれる。
 私しか話してはいないが、メッセージカードと違って決して一方通行ではない。
 エミリアの嬉しそうな顔を見て、私自身も久しぶりに自然と笑っている事に気がついたのだった。

 しかし楽しい時間はあっという間だ。

「可愛いエミリア、今日は君に会えて良かった。また来るよ」

 エミリアも、私の大好きな、天使のような美しい笑顔でうん、と頷いてくれる。
 私は目を細めて笑みを深くし、エミリアの手の甲にキスを落とすと、公爵邸を後にしたのだった。

 その夜、エミリアは不思議と魘される事なく、ぐっすりと眠っていたのだそうだ。



 それから更に数日後の夕方。
 エミリアは、劇的に回復していた。

 夜も魘されなくなったし、だいぶ長時間でも立っていられるようになって、庭を散歩する事も出来るようになった。
 身体を起こしていられるようになったので、ペンを持つ事も出来るようになり、意思の疎通もスムーズになった。
 私も毎日エミリアの元へ通い、その変化を共に喜んだ。

 モニカ嬢も安心して隣国に戻り、学園の新学期も今日から始まった。
 エミリアはまだ学園には行くことが出来ず、特別に自宅で療養しながらの学習が認められた。

「エミリア、今日から学園が始まったんだ。新しい教科書を持って来たよ。分からない所があったら私が教えるから、メモしておいて」

 エミリアは頷くと、申し訳なさそうな表情をしながら教科書を受け取った。

「良いんだよ、エミリア。私も毎日君に会いたいからね。ゆっくりやっていけばいいよ」

 私がそう言えば、エミリアは頷いてほろりと涙を零す。
 私はエミリアをそっと抱きしめ、これまでいつもそうしていたように、頭を撫でてあげたのだった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

役立たずの私はいなくなります。どうぞお幸せに

Na20
恋愛
夫にも息子にも義母にも役立たずと言われる私。 それなら私はいなくなってもいいですよね? どうぞみなさんお幸せに。

悪役令嬢に転生しましたが、行いを変えるつもりはありません

れぐまき
恋愛
公爵令嬢セシリアは皇太子との婚約発表舞踏会で、とある男爵令嬢を見かけたことをきっかけに、自分が『宝石の絆』という乙女ゲームのライバルキャラであることを知る。 「…私、間違ってませんわね」 曲がったことが大嫌いなオーバースペック公爵令嬢が自分の信念を貫き通す話 …だったはずが最近はどこか天然の主人公と勘違い王子のすれ違い(勘違い)恋愛話になってきている… 5/13 ちょっとお話が長くなってきたので一旦全話非公開にして纏めたり加筆したりと大幅に修正していきます 5/22 修正完了しました。明日から通常更新に戻ります 9/21 完結しました また気が向いたら番外編として二人のその後をアップしていきたいと思います

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

幽霊じゃありません!足だってありますから‼

かな
恋愛
私はトバルズ国の公爵令嬢アーリス・イソラ。8歳の時に木の根に引っかかって頭をぶつけたことにより、前世に流行った乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまったことに気づいた。だが、婚約破棄しても国外追放か修道院行きという緩い断罪だった為、自立する為のスキルを学びつつ、国外追放後のスローライフを夢見ていた。 断罪イベントを終えた数日後、目覚めたら幽霊と騒がれてしまい困惑することに…。えっ?私、生きてますけど ※ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください(*・ω・)*_ _)ペコリ ※遅筆なので、ゆっくり更新になるかもしれません。

転生モブは分岐点に立つ〜悪役令嬢かヒロインか、それが問題だ!〜

みおな
恋愛
 転生したら、乙女ゲームのモブ令嬢でした。って、どれだけラノベの世界なの?  だけど、ありがたいことに悪役令嬢でもヒロインでもなく、完全なモブ!!  これは離れたところから、乙女ゲームの展開を楽しもうと思っていたのに、どうして私が巻き込まれるの?  私ってモブですよね? さて、選択です。悪役令嬢ルート?ヒロインルート?

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

虐げられた人生に疲れたので本物の悪女に私はなります

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
伯爵家である私の家には両親を亡くして一緒に暮らす同い年の従妹のカサンドラがいる。当主である父はカサンドラばかりを溺愛し、何故か実の娘である私を虐げる。その為に母も、使用人も、屋敷に出入りする人達までもが皆私を馬鹿にし、時には罠を這って陥れ、その度に私は叱責される。どんなに自分の仕業では無いと訴えても、謝罪しても許されないなら、いっそ本当の悪女になることにした。その矢先に私の婚約者候補を名乗る人物が現れて、話は思わぬ方向へ・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...