上 下
10 / 48

10 騎士アレク・ハーバート

しおりを挟む
 アレク視点です。

――*――

 俺がモニカ様と出会ったのは、俺が7歳、モニカ様が6歳の頃だ。
 モニカ様は、ブラウン公爵に連れられて、母君、兄君、姉君と共に一家総出で王城を訪れていた。
 ブラウン公爵は、9歳になった嫡男を陛下と大臣達に紹介するために登城していた。
 この国では18歳で成人を迎えるが、高位貴族家の嫡男はその半分の9歳から本格的な文官教育が始まる。
 公、候、伯爵家の嫡男は、その時期が来ると順番に王城に呼ばれ、挨拶をするのだ。

 その間、夫人とモニカ様、エミリア様は中庭で二人が戻るのを待っていたのだが、モニカ様は騎士を描いた絵物語がお好きで、騎士団を見学したいと仰った。
 エミリア様は荒事が苦手という事で、中庭でお一人で待つ事になさったようだ。
 どうやら、殿下はその時にエミリア様と出会い、一目惚れしたらしい。


 一方、俺は騎士団長である父、ハーバート伯爵について来て、騎士団の訓練に混ぜてもらっていた。
 物心ついた頃から木剣を振るい、将来は騎士になるのが目標だった。
 手合わせには参加出来なくとも、間近で騎士達の戦い方を見て観察出来るだけでも勉強になる。

 その日は観戦だけでなく、珍しく若手の騎士が稽古をつけてくれていたのだった。
 手加減しつつもきっちり稽古をつけてくれる騎士に、俺は必死に食らいついていく。
 足がもつれて体勢を崩したところに、運悪く騎士の木剣が頬を掠め、肌が少し切れてしまった。

「きゃあ! 大変!」

 普段聞き慣れない高いトーンの声が聞こえて、俺は驚いた。
 そちらに目をやると、金色の髪を肩口で揃えた女の子が、両手で顔を覆って震えていたのだ。
 隣に座っているのは、その子の母親だろうか、心配そうな顔をしている。

「アレク、すまん。大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。かすり傷です。……あの、そちらの御婦人方は?」

 俺は手拭いを頬に当てて止血しながら、稽古をつけてくれていた騎士に質問する。

「ブラウン公爵夫人と、御令嬢のモニカ様だ。見学にいらしている」

「そうですか。気付きませんでした。……あの、公爵夫人様、モニカお嬢様、俺は大丈夫ですから、ご心配なさらないで下さい」

 俺は、心配顔の公爵夫人と、未だに震えているモニカ様に声をかけて安心させる。
 モニカ様は顔を覆っていた手をずらした。
 指の間から青い瞳が覗いている。

「本当に? でも、血が出ているわ」

「押さえていればすぐ止まります。いつもの事ですから」

 モニカ様は完全に手をどけたが、まだ心配そうに見ている。
 俺はにこりと笑ってみせた。
 笑うと頬の傷が引き攣れて痛んだが、それよりもモニカ様を安心させたかった。
 それが俺とモニカ様との出会いだった――。


 だが、俺は殿下と違って、その頃から恋に落ちていた訳ではない。
 俺がモニカ様への恋心を自覚したのは、この二、三年のことだ。

 幼馴染で元々仲が良かった殿下だが、五年ほど前に正式に近衛騎士兼側仕えとなってから、共に公爵家を訪れる事が多くなった。
 殿下がエミリア様と過ごされている時に、俺とモニカ様もお茶の席に同席することが多かったのだ。

 モニカ様も俺に好意を持ってくれていた――というか後から知ったのだが、モニカ様は幼い頃から騎士に憧れていて、たまたま王城で出会った俺を覚えていたようだ。
 俺が、時々エミリア様に会いに来ていた殿下の御付きの騎士になっていて、大層驚いたらしい。


 いつしか俺とモニカ様の想いは通じ合い、殿下にも、ブラウン公爵家にも、ハーバート伯爵家にも、結婚のお許しをいただいた。
 だが、俺は殿下の側近、モニカ様はエミリア様の妹。
 殿下の結婚が無事に済むまでは、婚約を公にすることはできない。
 俺とモニカ様は、殿下とエミリア様が会う時にだけ二人で会う事が許されるという関係だった。


 モニカ様は昨年度は同じ学園に通っていたが、先週から一年間限定で、語学の勉強のため隣国の貴族学園に留学している。
 俺が騎士として未来の国王夫妻に仕えたいと思うのと同じく、モニカ様も大好きな姉夫妻のために、結婚した後も外交官として働きたいのだそうだ。

 モニカ様のいないこの一年間にこのようなトラブルが起きた事は、むしろラッキーだったと言わざるを得ない。
 殿下とエミリア様の為とはいえ、俺がエミリア様を好きだと偽り、得体の知れない令嬢の手足となっているのを見ているのは、とても辛いことだろう。


 ********


 ある日の放課後のこと。
 俺は、殿下とエミリア様と三人で教室に残って、過ごしていた。
 他の生徒はもう皆帰っている。
 これは、罠なのだ。

「アレク様ぁー! いらっしゃいますかぁ?」

 ……来た。
 プリシラ・スワローである。

 隣にいた殿下は冷め切った目で、エミリア様は嫌な物を見るような目で見ている。
 エミリア様はすっと席を立ち、教室から出て行ってしまった。
 殿下はエミリア様が出て行くのを、捨てられた子犬のような目で見ている。
 というかこの人、演技なんて出来るのだろうか。

「なんだ君は、相変わらず騒々しいな」

 俺はため息をついて振り返ると、思わず苦言を呈してしまった。

「ごめんなさぁい。あの、これ、こないだぶつかった時に落とされましたよねぇ?」

 プリシラ嬢が差し出しているのは、先日俺が故意に落とした押し花のしおりだ。

「ああ。わざわざ済まないな」

「おや? これはエミリアが昔、城で配っていたしおりじゃないか? アレクはまだ持っていたのか?」

 ……エミリア様の事となると殿下がしゃしゃり出てきて困る。

「……ええ、まあ」

「あっ、ラインハルト殿下ぁ! こんにちはぁ! 今日もとっても格好いいですねっ!」

「え? あ、ああ、それはどうも……」

「良かったら今度ぉ、一緒にランチしませんかぁ!?」

「いや、遠慮させてもらうよ。……ちょっと失礼」

 あ、逃げた。
 でもプリシラ嬢にも別に変わった様子はないし、想定内なのだろう。
 そしてこういう令嬢だと分かってはいても、やはり苛々するな。

「おい、君。先日から殿下に対して失礼だぞ」

「えー、ランチに誘うぐらい、いいじゃないですかぁ。それよりアレク様ぁ、さっきお返ししたしおり、エミリア様に貰ったものだったんですかぁ? さっきも三人でいらっしゃったみたいですけど、アレク様はエミリア様とも仲が良いんですかぁ?」

「エミリア様は殿下の婚約者だ。俺は殿下の騎士だから、お会いする事もよくあるが」

「ちょっと……お耳、いいですかぁ?」

「……何だ」

 そう言って、プリシラは俺に耳打ちをする。

「……アレク様って、エミリア様の事がお好きなんでしょう?」

 ……吐息がかかって、ぞわぞわと寒気がする。
 俺は、小声で返答した。

「……その話、どこで聞いた」

「ビンゴかしらぁ?」

 そう言って、プリシラは耳元で続ける。

「エミリアの事、手に入れたいと思わない?」

 俺は少し後ずさって、プリシラ嬢の目を見る。
 ピンク色の瞳は妖しく光っていて、底知れない何かを感じさせる。

「……俺に何をさせたいんだ」

「私は殿下を手に入れたい。あなたはエミリアを手に入れたい。手を組んで、二人を婚約破棄に持ち込むのよ。そうすれば私は未来の王妃。あなたは、地位や名誉は失うかもしれないけれど、代わりに一生エミリアと暮らしていける。修道院送りになるエミリアの護衛に名乗りを上げて、その道中で攫ってしまえばいいのよ。スワロー男爵領に、匿う場所を提供してあげるわ」

「……っ! 不敬な……! お前、俺がそんな事に協力すると思うのか?」

「ええ、するわ。未来は決まっているの。あなたは、私と手を組む運命なのよ」

「……お前は、何者だ?」

 思わず、ごくりと唾を飲み込んでしまう。
 俺は、恐怖を感じていた。
 騎士として、暗殺者と対峙したこともある。
 その俺が、今、本気で逃げ出したいと思っている。
 この女は危険だと脳が警鐘を鳴らしている――。

「私は、世界の運命を知る者。私はあなたの手で、王太子妃になる。あなたは私の手で、愛しい女を手に入れる」

 ――俺の目には、獰猛な顔で狂気の笑みを零す、ピンク色の悪魔が映っていた――。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

88回の前世で婚約破棄され続けて男性不信になった令嬢〜今世は絶対に婚約しないと誓ったが、なぜか周囲から溺愛されてしまう

冬月光輝
恋愛
 ハウルメルク公爵家の令嬢、クリスティーナには88回分の人生の記憶がある。  前世の88回は全てが男に婚約破棄され、近しい人間に婚約者を掠め取られ、悲惨な最期を遂げていた。  彼女は88回の人生は全て自分磨きに費やしていた。美容から、勉学に運動、果てには剣術や魔術までを最高レベルにまで極めたりした。  それは全て無駄に終わり、クリスは悟った。  “男は必ず裏切る”それなら、いっそ絶対に婚約しないほうが幸せだと。  89回目の人生を婚約しないように努力した彼女は、前世の88回分の経験値が覚醒し、無駄にハイスペックになっていたおかげで、今更モテ期が到来して、周囲から溺愛されるのであった。しかし、男に懲りたクリスはただひたすら迷惑な顔をしていた。

時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。

屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。) 私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。 婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。 レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。 一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。 話が弾み、つい地がでそうになるが…。 そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。 朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。 そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。 レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。 ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。 第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

婚約者に嫌われているようなので離れてみたら、なぜか抗議されました

花々
恋愛
メリアム侯爵家の令嬢クラリッサは、婚約者である公爵家のライアンから蔑まれている。 クラリッサは「お前の目は醜い」というライアンの言葉を鵜呑みにし、いつも前髪で顔を隠しながら過ごしていた。 そんなある日、クラリッサは王家主催のパーティーに参加する。 いつも通りクラリッサをほったらかしてほかの参加者と談笑しているライアンから離れて廊下に出たところ、見知らぬ青年がうずくまっているのを見つける。クラリッサが心配して介抱すると、青年からいたく感謝される。 数日後、クラリッサの元になぜか王家からの使者がやってきて……。 ✴︎感想誠にありがとうございます❗️ ✴︎(承認不要の方)ご指摘ありがとうございます。第一王子のミスでした💦 ✴︎ヒロインの実家は侯爵家です。誤字失礼しました😵

悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています

平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。 自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。

ループした悪役令嬢は王子からの溺愛に気付かない

咲桜りおな
恋愛
 愛する夫(王太子)から愛される事もなく結婚間もなく悲運の死を迎える元公爵令嬢のモデリーン。 自分が何度も同じ人生をやり直している事に気付くも、やり直す度に上手くいかない人生にうんざりしてしまう。 どうせなら王太子と出会わない人生を送りたい……そう願って眠りに就くと、王太子との婚約前に時は巻き戻った。 それと同時にこの世界が乙女ゲームの中で、自分が悪役令嬢へ転生していた事も知る。 嫌われる運命なら王太子と婚約せず、ヒロインである自分の妹が結婚して幸せになればいい。 悪役令嬢として生きるなんてまっぴら。自分は自分の道を行く!  そう決めて五度目の人生をやり直し始めるモデリーンの物語。

牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。 表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。 小説家になろうさんにも投稿しています。

処理中です...