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8 ラインハルトの愛するひと

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 ラインハルト視点です。

――*――

 私は、困っていた。
 昨日から、エミリアが可愛すぎる。

 いや、ずっと可愛かったしいつでも美しいのだが、改めて想いが通じ合ったからだろうか、本当に可愛くて困る。

 そのせいで朝はアレクにまで嫉妬してしまった。
 折角幸せな気分を満喫していたのに、アレクが現れたせいでエミリアは私から手を離してしまったし、何より私が敬称でしか呼ばれないのにアレクは名前を呼ばれていた。

 ――ずるい。

 プリシラとかいう非常識な令嬢のおかげでアレクを撒くことが出来たのは、私にとっては僥倖だった。

 授業中も、珍しくぼんやりしていたエミリアが気になって密かに視線を向けていたら、偶然彼女もそのタイミングで私の方に目を向けたのだ。
 彼女は少し驚いたような表情を見せたが、私が微笑むとエミリアも天使の微笑みを返してくれた。
 私は照れ臭くなって教科書に目を落とした。


 今は王城で晩餐の準備が整うのを待ちながら、急ぎの公務だけ片付けている所だ。
 私は何度目になるか分からないため息をつく。

「……殿下、いい加減締まりのない顔をするのはやめてくれませんか」

「何だと、失礼だぞアレク」

「少しは俺の身になって考えて下さいよ。横でずーっとにやにやしたり、ため息ついたりしてたら、気になって集中できないでしょうが」

「うぅ……すまん」

 アレクとは幼い頃からの付き合いだから、こうやって腹を割って話が出来る。
 側近であると同時に、親友でもあるのだ。
 私にとっては、家族を除いたらアレクはエミリアの次に大切な人間である。
 だが今日は生憎エミリアで頭が埋め尽くされている。

「だってエミリアが可愛いから……」

「……はぁ」

 アレクは盛大にため息をつく。

「ならさっさとこの書類片付けて下さいよ。終わり次第エミリア様を呼びに行きますから」

「わかった、がんばる」

「……殿下ってこんなに頭悪かったでしたっけ。とりあえず俺は終わってる書類を各部署に届けてきますから、その書類ちゃんとやっといて下さいよ」

「わかった、まかせろ」

 私の気のない返事を聞いて、アレクは、仕方のないやつだとでも言いたげに肩をすくめ、執務室を出て行った。

 王太子に対してこんな失礼な態度を取れるのもアレクだけである。
 アレクが戻って来る前に終わらせておかないと、また怒られそうだ。

 私はしばし集中して書類に取り組むのであった。


 ********


 晩餐の準備が整い、私はエミリアと向かいあってテーブルに着いていた。

 今日は給仕は不要だと女官に言ってあるので、前菜からデザートまで全ての料理が既に並んでいる。
 とはいえテーブルは充分に広いので、置き場に困るような事はない。

 部屋には、私とエミリアとアレクの三人だけ。
 扉の前では騎士が人払いをしている。

「エミリア、今日も君は美しいね。夜空に輝く月の女神も嫉妬してしまいそうだ」

「まあ、お上手ですこと。殿下の方こそ、あまりの美しさに夜空を彩る星たちも霞んでしまいそうですわ」

 今日は見事に曇っている。
 言ってから気付いたが言葉の選択を間違えた。
 時々アレクにも言われるが私はちょっとだけ天然らしい。

「殿下のそう言った所、とても好ましいですわよ」

 またこの女性ひとは可愛い事を言う。



 これ以上ボロが出る前に、私は本題に入ることにした。

「エミリア。今日君を呼んだ理由は、分かるかい?」

「……ええ。昨日私が早退してしまった件、ですわね」

「ああ。単刀直入に聞くが、プリシラ・スワローという令嬢が関わっているのではないか?」

「……!!」

 ――ビンゴだ。

「どうして、それを……?」

 エミリアは不安そうに瞳を揺らして、私を見つめている。

「入学式の途中でエミリアが出て行った時、心配になってアレクに後を追わせたんだ。その時にアレクが、君とその令嬢が話をしているのを聞いたそうだ。……アレク」

「はっ。失礼致します」

 アレクは前に出てきて、礼をしてから話し出す。

「まず初めに、盗み聞きするような形になってしまい、申し訳ございません」

「いえ、大丈夫よ。それに、陰ながら見守って下さっていたのでしょう? ……ありがとう」

「勿体ない御言葉です。……その際に、プリシラ嬢がエミリア様から殿下を奪うと宣言していたのを耳にしました。また、その後に何か言っていたのは存じていますが、全く意味が分からなくて……。エミリア様は、何かご存知なのではありませんか?」

「……ええ」

 エミリアの瞳に、涙が溜まりはじめる。
 きっと不安と戦っているのだろう。

「エミリア……辛いことかも知れないが、話してほしい。ここには私とアレクしかいない。泣きたければ、いくらでも泣いていい。勿論、ここでの話は他言しない。アレクにも聞かれたくないのなら、アレクも退出させるが……どうかな?」

「……いえ……、殿下にも、アレクにも是非聞いていただきたいのです」

 エミリアはたっぷり間をあけて、話し始めた。
 必死に涙を堪えているようだ。


「これから私がお話しする事は、常人には信じられない内容でしょう。ですが、私にとっても、プリシラにとっても紛れもない事実です。信じていただけなくても構いませんわ。頭がおかしいと思われても仕方がありません。それでも、私はすでに退路を断たれてしまっています。ですので、私の知り得る限りの真実を、お伝え致します」


 エミリアの表情が変わった。
 王太子妃教育を受けている時や社交の場で見る、気丈な表情である。

 昨日からエミリアは人が変わったように弱った姿を見せる事が多くなったが、この時私は、気丈な彼女も泣き虫な彼女も、どちらも愛しいエミリアその人なのだとはっきり確信した。
 だから、続く言葉を聞いても、私は意外にもすんなり受け入れられたのだった。


「私とプリシラは、転生者です。私にもよく分からないのですが、突然、別の人生の記憶が蘇ってきたのです。……とは言っても、これまでここで生きてきた17年間の私が消えた訳ではありません。私が前世の記憶を思い出したのは、昨日の入学式の最中、プリシラと目が合った瞬間です。前世の私はとても泣き虫だったようで、その影響で、昨日から事あるごとに涙が止まらなくなってしまって……」

「なるほど、だから入学式で突然泣き出してしまったんだな」

「……殿下は信じて下さるのですか?」

「今日も昨日もその前も、私は君と一緒に過ごしてきた。君自身に何かが起きたことには気付いたが、エミリアの本質が変わった訳ではないことぐらい、わかるさ。きっと、泣き虫の君は今まで眠っていただけで、ずっとエミリアの中に存在していたんだ」

「殿下……ありがとうございます」


 エミリアはひとつ肩の荷が下りたようだ。
 受け入れられるかどうか心配だったのだろう……当然である。

 私はエミリアを深く愛している。
 どんなエミリアでも受け入れられる自信がある。

 だが、続く話には、どうしても腑に落ちない点があった。


「それで……更に信じられない話なのですが、この世界はどうやら私が前世で読んだとある物語と、同じ世界のようなのです。その物語では、私は今から一年後に、殿下に婚約破棄され爵位剥奪の上修道院送りにされて幽へ……」

「いや、待て待てまてそれは信じられないぞ」

「殿下、どうか落ち着いて下さいませ。物語の話であって、今の時点で既にその話と現実にはズレがあります」

「……すまない、取り乱した。続けてくれ」

 私は思わずエミリアの話を遮ってしまった。
 今こんなに幸せなのに私から婚約破棄なんて、絶対にするはずがない。

「……そのお話では、私――エミリアは殿下の事が大好きでしたが、殿下はエミリアに愛情を持っていないように描写されておりましたわ。エミリアも殿下の気持ちが自分に向いていない事に気付いていました。――ね、違っているでしょう?」

 私はうんうんと勢いよく頷く。
 現実世界のこの私は、エミリア一筋である。

「それで、物語では男爵令嬢プリシラが、殿下に猛アプローチするのです。殿下はプリシラに絆されて、徐々に彼女を愛するようになります。エミリアは、そんな彼女に嫉妬して、卑劣な嫌がらせを繰り返すのですわ。そして、殿下はその嫌がらせの証拠を集め、卒業パーティーの日にエミリアを断罪します」

「……うーん、やはり信じられないな。そもそも私がエミリア以外を選ぶ訳がないし、エミリアもそのような短絡的な行動を起こす女性ではない。しかも卒業パーティーという注目を集める場でそのような大きな事を起こすなど、普通に考えたらしないだろう」

「そうなのです。ただ、私もその物語を一度しか読んでいないので詳細を覚えていませんし、プリシラというもう一人の転生者が気にかかります。……恐らく彼女は、私よりずっと物語に詳しいと思われます。それに、相対してみて、殿下に対する執着心が異様に大きいように感じましたわ。物語通りに進んでいないと感じたら、何らかの手段で修正しようとしてくる可能性もありますわね」

「……エミリアが悩んでいるのは、プリシラ嬢がエミリアの悪事を捏造して陥れ、私が婚約破棄せざるを得ない状況に持ち込もうとするのではないか、という事かな?」

「……仰る通りです」

 エミリアは、先程の気丈な表情から一転、不安そうな表情に戻った。
 確かに、『したこと』の証拠を捏造するのは、『しなかったこと』の証拠を集めるより容易い。
 一旦悪事を捏造されれば、その時点で評判も信頼も失ってしまいかねないし、失ったものを取り戻すのも容易ではない。


「……なら。いっその事、物語通りに進めてみるのはいかがでしょう?」

 そう提案したのはアレクだった。
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