格闘系女子しののめラオ

弱キック

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【翌朝6時 自宅2階 果央の部屋】
 果央、ベッドから起床。朝のトレーニングのためジャージに着替える。その生活音に誘われ、隣に布団で寝かせておいた少女も目を覚ました。
 「起きたね。おはよー」
 「???」
 少女は状況が理解できず、キョロキョロと周囲を見回した。
 「あそっか、日本語ダメなんだっけ。グ……グッモーニン」
 昨夜の男たちは言葉が通じなかった。彼らに追われていたこの少女も恐らく同じだろう。
 「えっと……ユ、ユーダウン、ツカレテ。ダカ~ラ、アイ、ハコンダ、マイハウス」
 果央はジェスチャーも交え、昨夜の経緯を必死に説明した。
 「というわけなんで、んっと……ユー、セーフ、フォ……フォーエバー!」
 『もう安全だから安心して』と言いたいらしい。
 少女は果央の言葉を最後まで聞いてから答えた。
 「つまりあなたがあいつらを追い払ってくれたのね。ありがと、感謝するわ」
 流暢な日本語だった。
 「しゃべれるんかーい!」
 「主要先進国の言語なら一通り。ほかも辞書さえあればどうとでも」
 「なにそれ天才じゃん。でもまぁそれなら助かるわ。あたしは東雲果央。あなたは?」
 「エレーナ」
 「どっか痛いトコとかない?」
 「ええ、おかげさまで平気よ」
 言う割にエレーナの顔色は青く、声にも覇気が感じられなかった。
 「まだ疲れが取れてないっぽいね。襲われてた理由とか諸々聞きたいことあるけど、とりあえずもう少し寝なよ」
 「悪いけどもう行かなきゃ。早く消えないと、またあいつらに襲われるわ」
 エレーナは布団から出ようとしたが、立ち上がり際に足がもつれて転倒した。
 「キャッ!」
 「ほら、やっぱ無理だって。昨日の人たちならあたしが何度でも追い払ってあげるからさ、今はゆっくり休んだ方がいいよ」
 「あなたはあいつらの本気を知らないだけ。面倒に巻き込まれたくなかったら、これ以上関わらないで」
 エレーナは布団の脇にあったスーツケースにしがみつき、無理やり立ち上がった。本気で出ていくつもりのようだが、今にも再び転びそうだ。
 「その調子じゃ100メートルも歩けないっての」
 「いいからほっといて!」
 騒がしい割に力がこもっていない。保護された獣の威嚇さながら、不安な気持ちがひしひしと伝わってくる怒声だった。
 「ったく、このわからず屋!」
 果央はエレーナに背後から抱き着き、布団に押し倒した。
 「ちょっ!? 放し――」
 「元気がなけりゃなんにもできないって、どーしてわかんないかな」
 暴れないよう両足をエレーナの胴体に絡め、首に回した左腕は右腕をクロスさせて固定。総合格闘技でおなじみの胴絞めスリーパーホールドだ。
 「ぐぇっ……」
 「ちゃんと食べて、ちゃんと寝る。人間はね、そうしないと生きてけないの」
 絞まる頸動脈、遠のく意識。弱った少女が格闘家に抵抗できるはずもなく、早くも手足の力が抜けている。
 「気合も大事だけど、まずはしっかり体を作らなきゃ」
 母親のようなお説教だが、エレーナの耳には届いていなかった。スリーパーの名に偽りなく、彼女は完全に落ちていた。
 「よーし、大人しくなった。でも見張っとかないとまた出てっちゃいそう。むぅぅ……」
 今日は平日で、果央は普通に学校がある。冬哉は午前中から一般教室があり、佳那子も支部の会合で外出予定。しかし拾った手前ほったらかしにはできないし、かといって見張りを頼めそうな知り合いも思い浮かばなかった。
 「休むしかないか」

【午前11時 果央の部屋】
 欠席の許可を家族と学校にもらい、軽く家事なども済ませて11時。果央はスマートフォンをいじって暇を潰していた。
 エレーナはまだ眠っている。
 「流石にお昼には起きるかな」
 少なくとも半日は何も食べていないから空腹のはず。とりあえず野菜スープでも食べさせよう。そんなことを考えながらネットのニュースを眺めていると……。
 「ぐわぁぁぁー!」
 物々しい悲鳴に次いで、大きく壁を揺らすほどの衝突音。道場からのようだが、温和な兄の稽古では絶対に聞こえるはずのない音だった。
 「なんだろう、嫌な予感」
 その疑問に答えるように、誰かが階段を駆け上ってこちらに近づいてくる。そしてノックもなしに乱暴にドアが開けられた。
 「ら、果央ちゃん、大変だ!」
 現れたのは一般教室の門下生だった。余程の大事件なのか、顔面蒼白で目を白黒させていた。
 「時田さ~ん、ノックぐらいお願いするッス」
 「うをっ、ごめん……てかそんなことより大変だ、道場破りだよ!」
 教室では師範代である果央の方が上の立場だが、一般教室の門下生は全員彼女より年上であるため、稽古の時間以外は妹や娘のように扱われていた。
 「いまどき? でも道場には兄ちゃんいるっしょ?」
 「いま時間を稼いでる。だけど相手は集団で、しかも日本語が通じないんだ」
 間違いなく昨夜の男たちだ。道場破りではなく、エレーナを追ってきたのだろう。
 「了解ッス。あたしに任せて」
 言うが早いか、果央は部屋を飛び出した。時田も後について道場へ。
 「…………んん……?」
 喧騒に叩き起こされる形でエレーナが目を覚ました。起きがけに果央が慌てて出ていく姿を目撃し、おおよその状況を理解する。
 「あの子が相手をしている間に逃げ……ううん、奴らがアレを使ったら1分ももたない」
 再び地震のような衝撃で壁が揺れた。迷っている暇はない。
 「……くっ、賭けるしか」
 エレーナはスーツケースに手を伸ばした。

【午前11時5分 道場】
 道場に着いて果央が最初に目にしたのは、壁にもたれかかった3人の門下生だった。この道場のトップスリーで、うち1人に至ってはプロの大会にも出場するほどの実力者だ。にもかかわらず手も足も出なかったようで、ほかの門下生たちに介抱されていた。
 道場の中央には冬哉の姿が。片膝をついて息を切らし、扇状に並んだ例の男たちを見上げていた。
 男たちはダメージひとつ負っていない様子。興奮して暴れるでも敗者をあざ笑うでもなく、淡々と冬哉を見下ろしながら、外国語で何か話していた。
 「アンタら、これはちょっとやりすぎじゃね?」
 果央は既に爆発寸前だ。
 「次は救世七星流の奥義をぶっ放すって言ったよね? まぁ言葉は通じてないだろうけどさ」
 男たちの1人が果央を見て言った。
 「Приведите Елену」
 当然ながら、果央も彼らの言葉が理解できなかった。
 「なに言ってるかわかんないって。日本語、日本語ぷりーず」
 別の1人が意思の疎通ができないことを理解し、スマートフォンの翻訳アプリ画面を果央に向けた。抑揚のない機械音声が流れる。
 「エレーナ ヲ ワレワレ ニ ワタシテクダサイ」
 「あーやっぱりね。でも答えはわかってるはず」
 果央は飛び蹴りで襲いかかった。
 「お断わりだよ!」
 全体重を乗せた右足が、アプリ画面を見せた男の胸板にヒット。軽量級とはいえ大抵の相手をKOできる威力……のはずだが、男は痛がるどころかビクともしなかった。
 「うそ、昨日はヨユーだったじゃん」
 「果央、離れろ!」
 冬哉の険しい声。それとほぼ同じタイミングで、男の胸から何かが飛び出した。
 「ひゃうっ!」
 出てきたのは長さ1メートル近い巨大な口だった。ワニのそれとよく似ていて、中には凶悪な牙が上下にビッシリと並んでいた。
 冬哉の警告でかろうじて難を逃れた果央。一瞬でも遅れていたら、今ごろは足1本まるまる失っていただろう。
 「ゲゲッ、バケモノ!?」
 「気をつけろ、こいつら全員似たような体だ」
 果央は冬哉や門下生たちの敗北理由をようやく理解した。人外相手に普通の空手が通じるわけがない。
 「でも救世七星流なら」
 果央はスライディングでワニ男の下に潜り込んだ。ワニの口は可動部分も実在の動物と同じで、上部は大きく開くが下部はほぼ動かなかった。
 「隙あり!」
 両手をクロスさせて床を叩き、その勢いで逆立ちの体制から捻りを加えて上昇。相手の顎部に蹴りを放つ。それが救世七星流サンライズ穿孔脚(さんらいずせんこうきゃく)である。
 「どうだ」
 人間相手なら顎の骨を確実に砕く危険な技。だがワニの口は頑強な骨に加え、分厚くも柔軟な皮膚に覆われていた。すなわち結果は、渦状の足跡を少し付けただけ。果央は跳ねたボールのように真下に戻された。
 「ぬぅぅ、ちっとも効かない」
 果央は後ろに飛んで体勢を整えた。すぐに攻撃の構えを取るも、頭の中はほぼ真っ白だった。これまでも格上の相手に負けたことはある。しかしそれは才能や修練の差であり、努力で克服できる可能性はあった。今回のように生物としての根本が違う戦いは初めてだ。努力でどうこうできる問題ではない。
 いつの間にかワニ男の仲間たちも、体の一部を異形に変えていた。肩からカマキリの鎌。ゾウの顔。背中にヤマアラシの針。尻尾と、足の倍近い長さの手はテナガザルか。
 「うわぉ、妖怪変化」
 こんな化け物相手に兄たちはよく無事だった、と果央は思った。しかし実態は手加減されたようである。死人が出る事件になれば世間から騒がれるが、怪我人程度ならば誰も気に留めないからだ。たとえ化け物にやられたと訴えても、フェイク画像が飛び交う現代、確実な証拠がなければゴシップ誌ですら採り上げないだろう。
 カマキリ男が外国語で何か言っている。
 「(上から許可が下りたんでな。昨夜の借りを返させてもらうぜ)」
 殺しはしないまでも、果央だけは全力で叩き潰すつもりのようだ。
 「(いくぞ)」
 男たちは散開し、果央を包囲した。
 「どうしたもんか……」
 まずは右側からヤマアラシの針が襲いかかってきた。こちらは実在する動物と違い、水中銃のように針を飛ばせるようだ。
 「せいっ」
 果央は上半身を少し捻ってこれを回避。しかし針の軌道に気を取られ、足首に迫るテナガザルの手を見落としてしまった。
 「のあっ」
 文字通り足元をすくわれて転倒。そこへ間髪入れず、カマキリの鎌が振り下ろされる。
 「へうっ」
 横に転がり逃れるも、その先にはゾウ男が待ち構えていた。
 「ヤバ」
 巻き寿司さながら、自らの胴体で長い鼻を巻き取ってしまう。そのままゾウ男の頭上高く待ちあげられ……
 「待って待って待って待って待って」
 力いっぱい投げ飛ばされた。
 「どぅぇぇえええー!」
 顔から壁に激突しそうになるも、そこは戦い慣れした格闘家。どうにか体を丸め、接地面の広い背中で当たっていく。
 「ぎゃん!」
 激しい衝撃で道場全体を揺らしたが、戦闘不能になるほどのダメージは負わなかった。
 「果央!」
 「果央ちゃん!」
 心配して叫ぶ冬哉と門下生たち。
 「あー大丈夫ダイジョーブ。ちゃんと受け身は取れてるよ」
 果央は笑顔で無事を伝えた。
 「とはいえヤバイなぁ。このままじゃ勝てない。何か武器、武器は……?」
 道場にあるのは木刀やヌンチャクといった木製武器がいくつか。化け物相手では焼け石に水である。
 「(無駄だ、私たちには勝てんよ)」
 「(大人しくあの小娘を引き渡せば良いものを)」
 「(本気で痛めつけて心を折るんだ。そうすれば口封じにもなる)」
 男たちが再び果央を取り囲もうと歩み寄る。
 「ピ、ピーンチ!」 
 果央が濃厚となった敗色に焦りを感じた、その時だった。入口の引き戸がガラガラと開き、息を切らしながらエレーナが現れた。
 「果央、まだ無事!?」
 「エレーナ?」
 「これ、受け取って!」
 エレーナは銀色に輝く何かを果央に投げた。
 「ふに?」
 受け取ったそれは、両手に収まる大きさの輪だった。見た目は鉄かステンレス製のようで、しかし触ってみるとゴムのように柔らかく、伸縮性もあった。装飾は特になく、代わりに超小型のモニターと計器らしきものが取り付けられていた。
 「ブレスレット?」
 「二の腕にはめて、『ブートアップ』と言いなさい」
 真剣に指示を飛ばすエレーナに対し、果央は照れ臭そうにはにかんだ。
 「えー、この歳でニチアサごっこはちょっと恥ずかしいかも」
 エレーナはキレ気味に吠えた。
 「死にたくなかったら早く言え!」
 「うひぃぃー! ブブ、ブートアップ!」
 助けた相手になぜ高圧的な態度を取られなければならないのか、などと一瞬考えた果央だったが、それでもエレーナの一喝に気圧され、慌ててブートアップと叫んだ。すると左腕にはめたばかりのブレスレットから英語音声が流れだした。
 「Command received. Acceleration Gear boot up」 
 次いで謎の黒い煙が噴き出し、果央の全身を包み込んだ。煙は無臭で、息苦しさを感じる前に消えていた。この間、およそ1秒弱。
 「いったい何が……へぬ?」
 視界に見慣れない数値やアイコンが入り込む。まるでパソコン画面のような。違和感はそれだけではなかった。手足、よく見ると全身が、甲冑らしき装甲に覆われているではないか。
 「マジでニチアサじゃーん!」
 果央は頭を抱えて叫んだ。
 「今のあなたは運動能力が5倍。そいつらなんてもう敵じゃないわ」
 「いやそんなことより何よこれ? ライダー? それとも5人で戦う系?」
 「説明は後。とにかく今は戦いなさい」
 頃合いとばかりに男たちが向かってくる。
 「ぬぅぅ、どうせなら魔法少女が良かった」
 果央はブツクサと文句を言いながらも腰を落とし、左手を開いて軽く前に出した。
 トップバッターはサル男。鞭のようしなる右手を振り回し、大振りながら軌道が予測できないパンチを放った。
 「甘い!」
 果央はその拳を見ることなく、気配だけで動きと攻撃箇所を察知。左手でいなしつつ、相手のみぞおちに右の掌底打ちを叩き込んだ。ところが!?
 「ウグェッ」
 サル男は腹部に手のひらサイズの風穴を空け、膝から崩れ落ちた。傷口と口から溢れ出る血が止まらない。
 果央は想定外の威力に狼狽した。
 「ちょっ……えっ!? ただの掌底だよ? 貫通とかおかしいでしょ」
 「い、言ったでしょ、5倍って」
 さも当然であるかのように平静を装いつつも、エレーナの声は震えていた。彼女もここまで強力だとは予想していなかったようだ。
 男たちも動揺し、ざわざわと相談を始めた。下手に手を出せばサル男の二の舞になる。しかし仕事で来ている以上、何の収穫もなく帰るわけにはいかない。
 彼らの煮え切らない態度にエレーナの叱咤が飛んだ。
 「くだらない相談より薬! ちゃんと持ってるでしょ。早くそのサルに与えなさい」
 ヤマアラシ男が困惑しつつ答える。
 「ど、どうしてお前が敵の心配を?」
 エレーナもヤマアラシ男も外国語で話している。しかし果央にはどちらも日本語で聞こえた。どうやらギアが会話を自動翻訳してくれているらしい。これなら逆に果央がしゃべった場合も外国語に変換してくれそうだ。
 「死人が出ると面倒なことになるってだけ。アンタたちもここの人たちを殺す気はないでしょ。わかったら早く投与を」
 カマキリ男はエレーナの言い分に釈然としないものを感じながらも、上着のポケットからスチール製のケースを取り出した。中には注射器と青い液体が。それを慣れた手つきでサル男の首筋に打つ。すると流れていた血が瞬時に止まり、傷口もみるみるうちに塞がった。
 「わわっ、魔法みたい」
 常識では考えられない現象を目の当たりにした果央は、ゲームの回復システムを連想した。
 「命が助かる代わりにしばらく行動不能になるわ」
 「それ聞いて安心した。人殺しなんてヤだかんね」
 救世七星流は一子相伝の暗殺拳などと拳二郎は嘯くが、法治国家の現代日本、言うまでもなく殺人はご法度である。拳二郎も果央も当然そんな経験はなかった。
 「薬はまだあるはずだから、遠慮なく叩き潰して」
 「オッケー。んじゃ~ちょっとカッコつけちゃうよ」
 今の果央はまさに無敵だった。ただでさえ常人離れした救世七星流の動きが、衣装のアシストによって特撮の域にまで達していた。
 「救世七星流、踝投げX! (くるぶしなげえっくす)」
 「救世七星流、猛覇尻固め! (もうはしりがため)」
 「救世七星流、蒲公英突き! (たんぽぽづき)」
 瞬く間にカマキリ男、ワニ男、ヤマアラシ男の三人を完封。残るはゾウ男1人となった。
 「アンタも倒したいトコだけど、そうすっと仲間の介抱する人がいなくなるっしょ。だから見逃したげる」
 ゾウ男は傷ついた仲間に注射を打つと、彼らを鼻と肩で担ぎ、苦々しい顔で道場から出て行った。去り際の『覚えていろ』という捨て台詞が小物然としていて痛々しかった。
 「ふぅ、どうにか凌げたわね」
 エレーナは安堵の溜め息。
 「どうにかじゃないっての」
 果央はエレーナに抗議。
 「何が何だかサッパリだよ。あの人たちは何者で、このニチアサ衣装は何なのさ?」
 「わかってる、一から全部説明するわ。でもその前に……」
 「その前に?」
 エレーナは道場の壁にかけられた時計を見た。
 「あ、タイムオーバー」
 「ほへ?」
 果央は何の前触れもなく、衣装を着た時と同じように煙に包まれた。煙は今回も1秒足らずで消え失せたが、中から現れた果央は一糸まとわぬ全裸になっていた。
 「んにゃぁぁぁー! なんでぇぇぇー!?」
 果央は大慌てで大事な部分を隠しつつかがんだ。
 「とと、とりあえずこれを」
 冬哉が道着の上を脱いで果央にかけた。
 門下生一同は果央の裸を見て一瞬固まったが、すぐさま状況を察して顔を背けた。余談だが、鍛え抜かれた果央の体は良くも悪くも無駄がなく、門下生の誰一人として邪な気分にはならなかったという。
 「ギアはまだ開発途中でね、30分経つとウルが蒸発しちゃうのよ」
 「ギアだのウルだの知るかー! それよか服返せー!」
 冷静に淡々と語るエレーナとは対照的に、果央は恥ずかしさで全身が沸騰しそうなほど熱くなっていた。そしてエレーナが言ったことは全く理解できなかった。
 「悪いけどもうないわ。詳しいことは着替えついでに、あなたの部屋で話しましょ」
 
【午前11時50分 果央の部屋】
 「さて、じゃあ説明させてもらうわね」
 エレーナが使った布団を片付け、代わりにローテーブルと座布団を設置。新しいジャージに着替えた果央、エナジードリンク片手のエレーナ、そして生真面目にメモ帳とペンを用意した冬哉が卓を囲んだ。
 「まずは私の素性から。私はクルーシブルから逃げてきたの」
 「く……苦しいぶる?」
 話はまだ始まったばかりだというのに、果央は聞き覚えのない言葉を聞いて、早くも思考を放棄しかけていた。
 「クルーシブル。日本語に訳せば『るつぼ』になるかしら。武器商人とか頭のおかしい金持ちなんかの出資で成り立ってる、胡散臭い研究機関よ」
 そこでは出資者たちの金儲けを目的に、モラルや人権を無視した様々な研究が行われているという。エレーナはロシアの片田舎に建てられた施設にいたが、クルーシブルの支部は世界中にあり、組織の正確な規模は彼女にもわからないらしい。
 「私はある計画の主任研究員だったわ」
 その計画とは、次世代兵士の開発だった。武器や戦闘機の高性能化、ドローンを使った新戦術、兵士人口そのものの減少など、世界の戦場は群の数による優劣から、再び個の実力による優劣にシフトし始めている。そこで1人で戦況を変えられるほどの超人を売り込めば、クルーシブルが世界を裏から牛耳ることができると考えたそうだ。
 計画を進めるにあたり、ふたつの研究チームが開発担当に選ばれた。ひとつはエレーナ率いる機械工学チーム。こちらは先ほど果央が装着した『アクセラレーション・ギア(以下、ギア)』による外装強化を提案していた。
 もうひとつは、Dr.ミリガン率いる遺伝子工学チーム。こちらはカマキリ男たち、すなわち遺伝子操作による肉体強化を提案していた。
 そして両チームを競い合わせ、最終的に勝利した方を主力商品として売り込む算段だったという。 
 「ちょっと待った」
 冬哉が説明の途中で口を挟んだ。
 「遺伝子操作なんて技術的に危険だし、モラルの面からも拒絶する人は多いだろ? 常識で考えれば君のチームの勝ちでは?」
 「常識で考えれば、ね。でもその常識は、平和な先進国でしか通用しないものよ」
 「……なるほど」
 世界には命の価値が低い国などいくらでもある。しかもそういった国ほど武力の需要が高いのだ。
 「もっと言うと、どちらの案にも一長一短があったの。ウチの方は人体への影響が少ない代わりに高価で、量産するにはまだまだ改良が必要。ミリガンの方は安価だけど、人体に影響でまくり」
 「つまり長い目で見れば君の方が将来性があり、今すぐ稼ぐならミリガンという人の方が適していると?」
 「ええ。理解が早くて助かるわ」
 「…………(お昼なに食べよっかなぁ)」
 果央は2人の会話についていけず、昼食のことを考えていた。
 「ミリガン案で稼ぎつつ君の案を進める、なんてのは都合よすぎかな?」
 「残念ながら予算は限られてるわ。だから先日、コンペの名目で実戦勝負を行ったの」
 「結果は?」
 「勝ってたら逃亡なんてしないわよ。コンペに勝利したミリガンは、その勢いで支部の実権まで握ってしまったわ。おかげでウチの研究はチームごと解体。元からあいつと仲が悪かった私は、お払い箱どころか命を狙われたってわけ」
 身の危険を感じたエレーナは、早々に試作段階のギアだけを持って組織から脱出。当てもなく各地を転々とした挙句、日本で疲労の限界を迎え、追跡者であるカマキリ男たちに捕まったという。
 「果央がいなかったら、私は昨夜の時点で殺されていたわ。本当に感謝してる」
 果央は特に照れも恩着せがましくもせず、当然のことをしたまでだと軽く流した。
 「でもさ、なんでわざわざ日本に来たの? エレーナみたいなキンパツの美人さん、ここじゃ目立ちすぎると思うんだけど」
 「ふふ、日本は外国人旅行者が多いじゃない。その中に紛れ込めば安全よ」
 エレーナはドヤ顔で胸を張った。
 「そっかぁ、ナイスアイディアだね」
 果央は心から感心した。
 いくら旅行者が増えようが、日本人の方が多いから目立つだろう。冬哉はそう思ったが、場の空気を読んで黙っておいた。
 エレーナの話は続く。
 「私の素性に関してはこんなところかしら。次はギアについてね」
 「そうそう、それ! 裸にひん剥かれたこととか、いろいろと聞きたかったんだ」
 「わかってる。一通り話すわ」
 ギアは俗に言うパワードスーツである。装着者は身体能力の飛躍的な向上に加え、内臓コンピュータ『ミーミル』によってデータ解析や自動翻訳などのアシストも受けられる。最大の特徴は、気体金属『ウル』が装甲を形成していること。ウルはエレーナが開発した新素材で、普段は気体の状態で専用カートリッジに収納。ブレスレットから出た指示に従い固体化する。重さをほとんど感じないほど軽く、耐久性も金属で最も硬いタングステンを上回る。ただし固体の状態でいられるのは今のところ30分間だけで、それを超えると蒸発する。またその際に繊維、要するに着ていた衣服もまとめて融解および蒸発させてしまうという問題があった。
 「ぬぅぅ、ならば今後の着用を拒否する」
 果央の目は本気だった。
 「ギアには既にあなたのデータが記録されてるわ。フォーマットには時間がかかるし、その間に襲われたら今度こそ終わりよ」
 「だからってマッパはヤだ! エレーナのことは守るけど、待遇の改善を要求する」
 それからしばらく、2人はギア改良の可否について言い争った。エレーナが言うには、改良は可能だが必要な機材と設備が足りないとのこと。対する果央は、それなら着たくないの一点張り。十代少女として当然の反応とは言え、このままではいつまで経っても話がまとまらないだろう。
 見かねた冬哉が妥協案を出した。
 「いずれは改良するとして、とりあえず5分前になったらエレーナが警告したらどうだ?」
 エレーナが快諾する。
 「そうね。ついでに着替えも用意しておくわ」
 しかも着替えは全て彼女が自腹で購入するという。果央は学校の制服と道着、それにジャージしか着ないが。
 「ぐぬぬ……もし誰かに裸を見られたら、もうゼッタイに着ないかんね」
 果央の方も渋々ながら、提案を受け入れることにした。ギアは着たくないがエレーナは見捨てない、そこが果央の良いところである。
 「ところで」
 仲裁ついでに冬哉はエレーナに尋ねた。
 「この騒ぎに終わりはあるのか? できれば化け物の道場破りはもう勘弁してほしいんだが」
 師範が勝てない相手に何度も来られては、空手道場として商売上がったりなのだ。
 エレーナは伏し目がちに答えた。
 「ホントはすぐ出ていくつもりだったんだけど、果央にギアを渡しちゃったから……」
 前述の通りフォーマットには時間がかかる。また出ていくにしても、エレーナには特に行く当てはないのだろう。そのあまりにも弱々しい声に、迷惑を被っている冬哉の方が逆に罪悪感を感じてしまった。
 「ごめん、君はずっといてくれて構わないんだ。だけど騒ぎがもっと大きくなるんなら、いっそ警察に助けてもらうべきじゃないかな」
 「常識外れの化け物と、関係者でも実態が掴めない組織よ? 平和ボケした日本の警察が勝てる相手じゃないわ」
 「なのにあたし1人で戦えと?」
 「もちろん組織と戦えだなんて無茶は言わない。研究成果が果央に倒されたと聞いて、ミリガンは自分の目で直接それを確かめに来るはず」
 エレーナはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、空になったドリンク缶(アルミ製)を握り潰した。
 「その時に叩けば、私の大逆転勝利よ」
 美しい顔が邪悪に歪む。研究を妨害されたこと、組織を追い出されたこと、命を狙われたこと……etc エレーナにはミリガンに対する恨みが山ほどあった。
 「こわっ! 悪の科学者だ」
 果央は助ける相手を間違えたかなと思ったり思わなかったり。
 「そんなワケで果央、あなたにはもう少しだけ付き合ってもらうわ」
 「うぃ~。まぁ乗りかかった船だもんね」
 「ギアにももっと慣れてもらわないと。単純なパワーアップだけじゃなくて、内臓機能がいろいろとあるのよ」
 「いいけどマッパは――」
 「わかってる。とりあえず今日はもう襲ってこないはず。今のうちに着替えを買いに行きましょ」
 エレーナの読み通り敵は来なかった。冬哉と門下生たちは化け物騒ぎを忘れ、いつもの午後を過ごした。道場破りや弟子入りなどの珍客が絶えないこの道場は、関係者の誰もがトラブルに慣れっこだという。果央も元気になったエレーナを連れ、食事に買い物にと、貴重な休みを堪能したのだった。
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