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第5章:僕が見つけたフォルテ(6)
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「彼は私の二学年下でした。学校で同級生に対しても敬語になってしまっていた私は、誰かとくだけた口調で話せるのが楽しくて、変に年齢差を意識されるのも嫌で、あえて学年を明かしていませんでした。ですから、彼が私を同級生だと勘違いしたのも無理はありません」
「ある日、彼は私に同じ高校に進もうと誘ってくれました。そのタイミングで、ほんとうのことを言うべきだったんだと思います。でも、私はついごまかしてしまいました。彼とじきに離れ離れになるという現実を、認めたくなくて」
二月のあの夜に一瞬だけ触れた遥奏の手の温もりが右手に蘇り、やがて焼けるような痛みに襲われた。
あのとき、僕は遥奏のことを何も知らなくていいと思った。
その結果、寂しさをひとりで背負わせてしまった。
手を伸ばせば届く距離にいたのに、僕は遥奏に触れようとしなかった。
「そのあと、私の心ない言葉のせいで喧嘩になってしまい、私は彼と会えないまま、京都に来てしまいました」
鉛のような重たい感情に襲われる。
あのとき僕が遥奏に八つ当たりしていなければ。冷静に話をしていれば。
「あの日の過ちさえなければ、もう少しだけ彼と関わって、その人生に影響を与えられたかもしれないと思うと、今でも後悔が消えません」
遥奏はそこで原稿用紙に視線を戻した。
初めと同じ凛々しい表情に戻り、再び口を開く。
「彼は、いつも自信がないように見えました。あんなに素敵な絵を描いていたのに、あんなに夢中で鉛筆を動かしていたのに」
遥奏の隣で絵を描くのは、すごく楽しかった。
あの大きな瞳の中で僕の絵がどのように輝くのかを想像している時は、画用紙の上で鉛筆が踊るように動いた。
「彼が自分の素敵なところを自覚して、自信をつけてくれたらいいなと思いました。ですが、私が彼と関わっている間には、それを実現することはできなかったみたいです。私はそのことを大変悔しく思っています」
遥奏の言葉が一つひとつ耳に入るたび、長い眠りから覚めるような感覚が、全身にじわじわと染み渡る。
「その悔しさを繰り返さないために、私はこの高校で精一杯音楽の勉強に励みます」
原稿用紙を握る遥奏の手が、ぴくりと動いた。
「音楽の力で、誰もが自分の『好き』に自信を持てるような世界を実現したいです。崖の下にいた私の背中を押してくれたあの子。彼のように、何かに夢中になれる美しい人、それでいて、自分の美しさを自覚できていない人に、私の歌声で少しでも輝くきっかけを与えられたら」
夢中。
スピーチで三度目となるその言葉が、スマホの画面から浮き出て、僕の全身に響き渡った。
遥奏からは、僕がそう見えていたのだろう。
夢中で絵を描いている人。絵を描くことが、この上なく好きな人。
遥奏から見た僕は、そういう人だった。
……いや。
遥奏から見た僕だけじゃない。
僕が——僕自身が、そうだ。
僕は、絵を描くことが好きだ。
遥奏に出会うよりも前から。
四歳のあの日、初めてウサギのぴょんくんを描いた時から、ずっとずっと好きだった。
その気持ちに蓋をし続けてきた。
小一の秋から六年間閉じられたままだったその重たい蓋を、遥奏の声が開けてくれたんだ。
「最後になりましたが」
長い長いスピーチが、とうとう終わりに差し掛かったようだ。
「誰にでも、胸の中に輝く『好き』があると思います。夢中になれるものがある人もいれば、夢中というほどでなくても、日常を少し彩ってくれる何かがあるはずです」
「そうした『好き』という気持ち一つひとつに真剣に向き合うことが、私たちの学び、そしてその先の人生を豊かにしてくれると考えています。ですから私は、今日一緒に入学式を迎えられた仲間一人ひとりの『好き』を大切にして、互いに勇気を与えられるような関係を築いていきます」
遥奏はそこで原稿用紙を閉じ、カメラをまっすぐ見据えた。
「以上をもちまして、新入生代表の挨拶といたします」
動画はそこで終了し、再生前と同じ静止画がディスプレイ上に現れた。
「ある日、彼は私に同じ高校に進もうと誘ってくれました。そのタイミングで、ほんとうのことを言うべきだったんだと思います。でも、私はついごまかしてしまいました。彼とじきに離れ離れになるという現実を、認めたくなくて」
二月のあの夜に一瞬だけ触れた遥奏の手の温もりが右手に蘇り、やがて焼けるような痛みに襲われた。
あのとき、僕は遥奏のことを何も知らなくていいと思った。
その結果、寂しさをひとりで背負わせてしまった。
手を伸ばせば届く距離にいたのに、僕は遥奏に触れようとしなかった。
「そのあと、私の心ない言葉のせいで喧嘩になってしまい、私は彼と会えないまま、京都に来てしまいました」
鉛のような重たい感情に襲われる。
あのとき僕が遥奏に八つ当たりしていなければ。冷静に話をしていれば。
「あの日の過ちさえなければ、もう少しだけ彼と関わって、その人生に影響を与えられたかもしれないと思うと、今でも後悔が消えません」
遥奏はそこで原稿用紙に視線を戻した。
初めと同じ凛々しい表情に戻り、再び口を開く。
「彼は、いつも自信がないように見えました。あんなに素敵な絵を描いていたのに、あんなに夢中で鉛筆を動かしていたのに」
遥奏の隣で絵を描くのは、すごく楽しかった。
あの大きな瞳の中で僕の絵がどのように輝くのかを想像している時は、画用紙の上で鉛筆が踊るように動いた。
「彼が自分の素敵なところを自覚して、自信をつけてくれたらいいなと思いました。ですが、私が彼と関わっている間には、それを実現することはできなかったみたいです。私はそのことを大変悔しく思っています」
遥奏の言葉が一つひとつ耳に入るたび、長い眠りから覚めるような感覚が、全身にじわじわと染み渡る。
「その悔しさを繰り返さないために、私はこの高校で精一杯音楽の勉強に励みます」
原稿用紙を握る遥奏の手が、ぴくりと動いた。
「音楽の力で、誰もが自分の『好き』に自信を持てるような世界を実現したいです。崖の下にいた私の背中を押してくれたあの子。彼のように、何かに夢中になれる美しい人、それでいて、自分の美しさを自覚できていない人に、私の歌声で少しでも輝くきっかけを与えられたら」
夢中。
スピーチで三度目となるその言葉が、スマホの画面から浮き出て、僕の全身に響き渡った。
遥奏からは、僕がそう見えていたのだろう。
夢中で絵を描いている人。絵を描くことが、この上なく好きな人。
遥奏から見た僕は、そういう人だった。
……いや。
遥奏から見た僕だけじゃない。
僕が——僕自身が、そうだ。
僕は、絵を描くことが好きだ。
遥奏に出会うよりも前から。
四歳のあの日、初めてウサギのぴょんくんを描いた時から、ずっとずっと好きだった。
その気持ちに蓋をし続けてきた。
小一の秋から六年間閉じられたままだったその重たい蓋を、遥奏の声が開けてくれたんだ。
「最後になりましたが」
長い長いスピーチが、とうとう終わりに差し掛かったようだ。
「誰にでも、胸の中に輝く『好き』があると思います。夢中になれるものがある人もいれば、夢中というほどでなくても、日常を少し彩ってくれる何かがあるはずです」
「そうした『好き』という気持ち一つひとつに真剣に向き合うことが、私たちの学び、そしてその先の人生を豊かにしてくれると考えています。ですから私は、今日一緒に入学式を迎えられた仲間一人ひとりの『好き』を大切にして、互いに勇気を与えられるような関係を築いていきます」
遥奏はそこで原稿用紙を閉じ、カメラをまっすぐ見据えた。
「以上をもちまして、新入生代表の挨拶といたします」
動画はそこで終了し、再生前と同じ静止画がディスプレイ上に現れた。
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