モノクロの世界に君の声色をのせて

雫倉紗凡

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第3章:重ね塗りのシンフォニー(4)

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 恐怖のような表情を顔に貼り付けたまま、時間が止まったみたいに動かない。
「遥奏?」
 繰り返し呼びかけても、遥奏は反応しなかった。
 
 僕の目の前には、声をあげて泣く男の子と、フリーズした遥奏。
 周囲の人々は、こちらに目もくれず通り過ぎていく。
 いったいどうすればいいのか、僕にはわからない。
 わかっているのは、この場をなんとかできる人間が僕しかいないということだった。
 脈が、速くなる。
 ごくりと唾を飲み、かがんで男の子に目線を合わせて話しかけた。
「ね、ちょっと、び、びっくりしちゃったよね」
 同年代ともろくに話せない僕。小さい子供との話し方なんて全くわからなかった。

「うわああああああん」
 男の子は、一向に泣き止まない。
 どうしたらいいんだろう。
 焦れば焦るほど、思考がまとまらなくなる。

 ふと男の子の背後に目をやると、水槽が視界に入った。
 小さな青い魚が、どこへ向かうともなくのんびり泳いでいる。
 その悠長な動きを見ていると、不思議と僕まで落ち着いてきた。

 焦るな、考えろ。
 この場で僕ができることは、なんだ。
 泣いている男の子と固まった遥奏の横で、僕は必死に頭を回転させた。

 ……なぜ、こんなことを思いついたのかは自分でもわからない。
 けど、一か八かやってみることにした。
 カバンからスケッチブックと筆記用具を取り出す。
 簡単な魚のイラストを描いて、男の子に見せた。

「み、見て、お魚さん!」
 子供と話すときにふさわしいであろう声の調子を、精一杯作ってみた。
 男の子が画用紙に目を向けてくれたことを確認して、余白にもう一匹形の違う魚を描いてみた。
「どっちが好き?」
 先に描いた方を指差す男の子。
「こっちが好きなんだね!」
 相変わらず涙を流しながら、頷く男の子。

「じゃあ、今度はクイズ。お兄ちゃんが絵を描くから、何描いたか当ててね」
 男の子は、まだすすり泣いていた。
 僕は画用紙に、二足歩行の鳥類を描いた。とがった唇、黒い背中。
「これなーんだ?」
「ペンギン」
「すごいね!」
「それくらいわかるよ」
 初めて、内容のある言葉を返してくれた。

「お、じゃあ、今度は君が絵を描いてみせてくれる? 何描いたのかお兄ちゃんが当てるから」
 幸い、僕のカバンには画材一式が入りっぱなしだった。
 カバンからいくつかの色鉛筆を取り出して、「どれがいい?」と尋ねてみた。
 男の子が、紺色を指差す。
 僕は、スケッチブックと色鉛筆を男の子に手渡した。
 男の子が紺の色鉛筆を使って白紙の上に表したのは、丸みを帯びた細長い動物。
 あんまりリアルに描けてはいないけど、何を表したかったのかギリギリ見当がついた。

「イルカかな?」
 男の子がこくりと頷いた。
「ママと、イルカみるってやくそくしてた」
 そういえば、館内で何度かイルカショーの案内を見かけた。たぶんそれだろう。
「おっけー。じゃあ、イルカショーの時間までにママを見つけないとね。大丈夫。きっと見つかるよ」
 そう言って僕はあたりを見回した。
「えっと、迷子センターは……」
「こっち」
 いつのまにかフリーズが溶けていた遥奏が、階段の方を指差していた。
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