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第1章:不意打ちのメロディー(1)
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「明日は絶対来いよ、わかったな?」
片桐先生の重たい声。
キュッと腕を組む仕草は、遠隔で僕を羽交い締めにしているかのよう。
「篠崎も、日々練習を積み重ねれば団体戦に出られるはずだ。なるべく休まないように」
自分のラケットだけ気体でできているんじゃないか、そう疑うくらいボールがラケットに当たらない僕にとって、先生の励ましには全く現実味がない。
「はい、すみません……」
僕は一礼すると、そのまま先生と目を合わせないようにして、職員室を後にした。
部活をサボる言い訳のレパートリーがそろそろ苦しい。体調不良、親戚の法事、課題……。
卓球部の練習に行かなくなってから一週間と少し。さすがに怪しまれている様子だし、そろそろ行った方がいいのかな。
はあ。
正門に近づいた僕に、強い向かい風が襲いかかった。
十一月のひんやりとした風。「今ならまだ引き返せるぞ。練習に参加しろ」と警告しているみたいだ。
肌寒い説教を無視して、僕は校舎から足を踏み出した。
正門前の信号が青になり、信号待ちをしていた人たちが、一度に歩き出す。
部活を引退した三年生や帰宅部が三々五々と談笑しながら歩く中、僕はひとりスタスタと足を動かした。
横断歩道を渡り切り、左に曲がる。
「お腹すいたー ちょっと寄ってかない?」
「賛成! ハンバーガー食べたい!」
前を歩く女子二人組の陽気なやりとり。うちひとりは、たしか僕と同じクラス。名前は……なんだっけ……ワタナベさんだったか、ワタベさんだったか、忘れちゃった。
中学校に入学してもう半年ほど経つわけだけど、未だにクラスメートの顔と名前が怪しい。
でも、それはお互い様だ。
あのワタナベさんだか、ワタベさんだかにも、以前「シガラミくん!」と呼ばれたことがある。僕の苗字の読みは「シノザキ」だ。「シ」しか合ってない。
たしかに、いろいろとしがらみの多い人生ではあるけどさ。
女子二人組が右手の方のファーストフード店に吸い込まれていって、道が開けた。
前の人にペースを合わせる必要がなくなって、僕は足を早める。
なるべく早く、学校を離れたい。
学校から五つ目の信号を渡って少し歩くと、右手の方に、石畳の階段。
四十段くらいあるそれを、ひいひい言いながら登る。体力のない僕には、これだけで一苦労だ。
残り数段となったところで、目の前の景色が灰色から青色に変わる。
着いた。
校門から歩くこと三十分弱。
見上げれば広がる、澄み渡った空。
目線を下げれば、群青色の川が流れている。
ここは、枝杜川えとがわ河川敷。
このあたりの住民の憩いの場であるとともに、関東圏の穴場観光スポットともなっている。
足元には、さっき登ったのと同じくらいの段数の階段。
階段を降りきって、柔らかい芝生を歩き、やがて川岸にたどり着いた。
川岸は、コンクリートでできた五段ほどの階段になっている。
僕はその一番上で腰を下ろし、スクールバッグを左手の方に置いた。
ファスナーを開き、中からペンケースとA4サイズのスケッチブックを取り出す。
——部活をサボり始めてから、ほぼ毎日ここに来ては絵を描いている。
最初は、ぼーっと河川敷を眺めていた。
なんとなく、それだけじゃ物足りなくなって、スケッチを始めた。
最初は、使い切った数学ノートの表紙の裏に。
次の日は、入れっぱなしだった用済みのプリントの裏側に。
三日目、どうせならと思って、使っていなかったお年玉でスケッチブックと色鉛筆を買った。
そうして毎日、川岸から見える風景を描いている。
別に絵を描くのが好きってわけじゃないけど、部活をサボっている間の時間を潰すのには、ぼーっと風景画を描くのはちょうどよかった。
下書きが終わり、ペンケースから色鉛筆を取り出した。
よく研いだ水色の色鉛筆を寝かせて、力を入れすぎないようにしながら、手首を左右に動かす。
白い画用紙に少しずつ色が浮かび上がり、やがて今日の空そっくりの澄んだスカイブルーが現れた。
「ふっ、ふっ、ふっ......」
すぐ後ろから、ランニング中の人——声からしてたぶん中年男性——の息遣いが聞こえる。
「じゃあさ、今度そこ行こうよ!」
「行こ行こ!」
さらに後ろから、若い女性数人の楽しそうな会話。
顔も名前も知らない人たちの声が、そよ風のように僕の背中を通り過ぎていく。
ここの河川敷にいる人たちは、僕にとってはみんな「風景」。
僕の周りを取り囲んでいて、それでいて僕に関わってくることはない音。
その一つひとつにいちいち耳を傾けることはなかった。
だから、気づかなかった。
「何してるの?」
斜め後ろから近づいてくる人の気配に。
スケッチブックに黒い影が落ちたことで、僕はすぐ後ろに人が立っていることを悟る。
振り返ると、そこには知らない女の子。
じーっと、僕の手元を覗き込んでいた。
片桐先生の重たい声。
キュッと腕を組む仕草は、遠隔で僕を羽交い締めにしているかのよう。
「篠崎も、日々練習を積み重ねれば団体戦に出られるはずだ。なるべく休まないように」
自分のラケットだけ気体でできているんじゃないか、そう疑うくらいボールがラケットに当たらない僕にとって、先生の励ましには全く現実味がない。
「はい、すみません……」
僕は一礼すると、そのまま先生と目を合わせないようにして、職員室を後にした。
部活をサボる言い訳のレパートリーがそろそろ苦しい。体調不良、親戚の法事、課題……。
卓球部の練習に行かなくなってから一週間と少し。さすがに怪しまれている様子だし、そろそろ行った方がいいのかな。
はあ。
正門に近づいた僕に、強い向かい風が襲いかかった。
十一月のひんやりとした風。「今ならまだ引き返せるぞ。練習に参加しろ」と警告しているみたいだ。
肌寒い説教を無視して、僕は校舎から足を踏み出した。
正門前の信号が青になり、信号待ちをしていた人たちが、一度に歩き出す。
部活を引退した三年生や帰宅部が三々五々と談笑しながら歩く中、僕はひとりスタスタと足を動かした。
横断歩道を渡り切り、左に曲がる。
「お腹すいたー ちょっと寄ってかない?」
「賛成! ハンバーガー食べたい!」
前を歩く女子二人組の陽気なやりとり。うちひとりは、たしか僕と同じクラス。名前は……なんだっけ……ワタナベさんだったか、ワタベさんだったか、忘れちゃった。
中学校に入学してもう半年ほど経つわけだけど、未だにクラスメートの顔と名前が怪しい。
でも、それはお互い様だ。
あのワタナベさんだか、ワタベさんだかにも、以前「シガラミくん!」と呼ばれたことがある。僕の苗字の読みは「シノザキ」だ。「シ」しか合ってない。
たしかに、いろいろとしがらみの多い人生ではあるけどさ。
女子二人組が右手の方のファーストフード店に吸い込まれていって、道が開けた。
前の人にペースを合わせる必要がなくなって、僕は足を早める。
なるべく早く、学校を離れたい。
学校から五つ目の信号を渡って少し歩くと、右手の方に、石畳の階段。
四十段くらいあるそれを、ひいひい言いながら登る。体力のない僕には、これだけで一苦労だ。
残り数段となったところで、目の前の景色が灰色から青色に変わる。
着いた。
校門から歩くこと三十分弱。
見上げれば広がる、澄み渡った空。
目線を下げれば、群青色の川が流れている。
ここは、枝杜川えとがわ河川敷。
このあたりの住民の憩いの場であるとともに、関東圏の穴場観光スポットともなっている。
足元には、さっき登ったのと同じくらいの段数の階段。
階段を降りきって、柔らかい芝生を歩き、やがて川岸にたどり着いた。
川岸は、コンクリートでできた五段ほどの階段になっている。
僕はその一番上で腰を下ろし、スクールバッグを左手の方に置いた。
ファスナーを開き、中からペンケースとA4サイズのスケッチブックを取り出す。
——部活をサボり始めてから、ほぼ毎日ここに来ては絵を描いている。
最初は、ぼーっと河川敷を眺めていた。
なんとなく、それだけじゃ物足りなくなって、スケッチを始めた。
最初は、使い切った数学ノートの表紙の裏に。
次の日は、入れっぱなしだった用済みのプリントの裏側に。
三日目、どうせならと思って、使っていなかったお年玉でスケッチブックと色鉛筆を買った。
そうして毎日、川岸から見える風景を描いている。
別に絵を描くのが好きってわけじゃないけど、部活をサボっている間の時間を潰すのには、ぼーっと風景画を描くのはちょうどよかった。
下書きが終わり、ペンケースから色鉛筆を取り出した。
よく研いだ水色の色鉛筆を寝かせて、力を入れすぎないようにしながら、手首を左右に動かす。
白い画用紙に少しずつ色が浮かび上がり、やがて今日の空そっくりの澄んだスカイブルーが現れた。
「ふっ、ふっ、ふっ......」
すぐ後ろから、ランニング中の人——声からしてたぶん中年男性——の息遣いが聞こえる。
「じゃあさ、今度そこ行こうよ!」
「行こ行こ!」
さらに後ろから、若い女性数人の楽しそうな会話。
顔も名前も知らない人たちの声が、そよ風のように僕の背中を通り過ぎていく。
ここの河川敷にいる人たちは、僕にとってはみんな「風景」。
僕の周りを取り囲んでいて、それでいて僕に関わってくることはない音。
その一つひとつにいちいち耳を傾けることはなかった。
だから、気づかなかった。
「何してるの?」
斜め後ろから近づいてくる人の気配に。
スケッチブックに黒い影が落ちたことで、僕はすぐ後ろに人が立っていることを悟る。
振り返ると、そこには知らない女の子。
じーっと、僕の手元を覗き込んでいた。
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