上 下
32 / 71
インターミッション

ちびセトカの日々④

しおりを挟む
インターミッション ちびセトカの日々④


 王立学校の女子寮の入り口に掲げられている名札の一覧に、一つ真新しい隙間ができていた。
 日焼けした四角い木製の札のなかにできた隙間は、いやに白く見えた。
 その前で、ライムが両ひざをついて、泣いていた。

「ライム……」

 グレイプがライムの肩に手を置いた。
 ライムはうつむいたまま、自分の頭から大きなリボンを引きむしり、寮の廊下の床に叩きつけた。

「あたしなら! あたしなら、良かったのに! どうしてセトカなの!」

 いつも大人びた口調で冷静沈着なライムが、声をうわずらせて泣いていた。

 その騒ぎに、ほかの生徒たちも集まっている。
 その中から、一人の女子生徒が進み出た。いつもライムたちをからかっている先輩だった。

「よおライムちゃあん。お友だちがいなくなって、泣いてるのぉ?」

 ライムはキッとその顔を睨みつけた。

「なんだっけぇ? なんとかって、えらーい貴族様に身請けしてもらったんだろ。良かったじゃねえかよぉ。怖い魔物と戦わずにすんでさ」

「あんたなんかに、あの子の気持ちがわかるもんか!」

「ひょー。怖っ。女の嫉妬ってやつ? おまえも、貴族様に見初められるようにそんなかわいいリボン、いっつもつけてたのにねー。やっぱりそんな陰気な顔じゃあ無駄だよな。セトカちゃんみたいな美人にはかなわねえんだよ。キャハハ」

 イヨが、その先輩の顔をいきなり殴りつけた。そして狼狽するその胸倉をつかんで低い声を出した。

「あんたなんかに、ライムのリボンのことを言われたくねえよ。こいつが、どんな思いでつけてたか……。いっつも隣にいるこいつがさ、自分がブスだとセトカがよけいに目立つからって、こんなリボンつけてさ。ちょっとでもかわいく見せようってさ……。こいつが。こいつがさ……」

 イヨは泣いていた。泣いて、先輩を殴った。
 吹き飛んだ先輩は腰を抜かして、そのまま這って逃げて行った。

 孤児出身の王立学校の女子生徒が自由を手にする方法は2つある。
 1つは、兵士となって10年間勤め上げ、生き残って除隊する権利を得ること。もう1つは、貴族や商人などの有力者に見初められて、身請けされることだ。
 それを拒む権利は、子どもたちにはなかった。彼女たちは、国家の所有物だったからだ。
 身請けされる子どもは、かわいらしい子ばかりだ。養女としてもらわれていった彼女たちが、どのような扱いを受けるのか、ライムたちもみんな、子どもながらに悟っていた。

「あんなに。あんなに、この街を守りたいって言ってたセトカが、どうして!」

 ライムは声をあげて泣いた。グレイプが、イヨが、仲間たちがみんなライムを抱きしめて、同じように涙を流した。
 去っていく親友を、救うことができないちっぽけな自分たちが、くやしかった。くやしくて、たまらなかった。




「顔を、あげたらどうだ」

 聖白火騎士団の団長執務室で、バレンシアは土下座をしていた。
 それを椅子に座ったまま見下ろしている団長のベルガモットは、値踏みするように言った。

「お前は、赤燐隊(せきりんたい)に呼ばれてるんだろう。いいのか、うちで。お前なら、赤燐隊でも出世できるぞ」

「お願いします! アタシは来年卒業したあと、この白火(はっか)で、どんな任務でもこなします。だからあいつを、戻してあげてください」

 ベルガモットはため息をついた。

「わからないものだな。お前たちは喧嘩ばかりして反目をしていると聞いていたが」

「あいつは!」

 バレンシアは床に手をついたまま顔をあげた。

「セトカは、すごいやつです。こんなガタイのアタシに、あんなちびが挑みかかってきて、どんなにやっつけてもやっつけても、挑みかかってきて……。諦めないんです。アタシはあいつを……尊敬しています」

「喧嘩の武勇、音に聞こえるお前に、そこまで言わせるとはな」

 バレンシアの声がうわずって震えている。

「あ、アタシは、いつか、あいつと肩を並べて戦いたいと思っていました。せ、戦場で、生き死にの場面で、背中を預けられるやつだって。あいつは仲間想いです。信じられないくらい。どんな時も、仲間のために自分の血を流せるやつです。アタシも、そんな人間に、なりたいです」

 ベルガモットは、バレンシアの告白に感情を揺さぶられた様子もなく、ただじっと見下ろしていた。そして、おもむろに髪の毛をかき上げて、隠れていた右目をあらわにした。

 バレンシアはそれを見て息をのんだ。ベルガモットの右目の周りは火傷でただれていた。顔の半分の左側の端正な姿と、あまりにもかけ離れた傷跡だった。

「私は、自分で自分の顔を焼いた。こうして、下劣な貴族どもの手から逃れたんだ。あの子は、自分がどういう目で見られていたか、知らなかったのか」

 バレンシアは、団長に圧倒されながらも答えた。

「世間知らずなやつなんです。そんなこと知らなかったでしょう。あいつはまだ12歳のガキなんですよ。……あいつは、アタシに、魔王を倒してくれって言いました。その12歳のガキがです。身請けされる自分にはもうできないからって、アタシに託したんです。そんな夢みたいなことって、思いました。でも、同時に思ったんです。こいつとなら。こいつとなら、いつか、って……!」

 ベルガモットは、バレンシアの、体の奥底から絞り出すような声を聞いた。
 そしてしばらくして、椅子に深く座り直し、ため息をついてから口を開いた。

「わかった。私も、あの子のことは惜しいと思っていた。……先代の団長が、今は国の有力貴族に嫁いでいる。なんとかしてもらえるよう、相談してみる」

「あ、ありがとうございます! お願いします!」

 ベルガモットは、首を横に向け、執務室の壁に飾られた歴代団長の肖像画を見回した。

「いつか……。お前か、セトカが、この列に加わる日がくるのかも知れないな」

 そう言って、彼女ははじめて微笑んだ。




 3年の月日が経った。

 王立学校の卒業式に、ライムは久しぶりに大きなリボンをつけて臨んだ。 あの日から、ずっとしまってあったリボンだ。
 隣の椅子に座る女子生徒が、耳元でささやいた。

「私、そのリボン好きだったよ。とっても似合ってる。かわいい」

 ライムはなぜか頬を赤らめた。そんなこと言われるなんて思っていなかったからだ。二人の胸元には、同じ星型のブローチが光っている。

『卒業生代表、前へ!』

 隣の子がライムに微笑んでから、スッと立ち上がった。ライムは、同じくらいの背丈だったその幼馴染が、いつの間にかスラリと背が伸びているのに、あらためて気づかされた。
 それが、今は誇らしかった。
 たったひとり、整然と椅子に座っている卒業生たちのなかを、颯爽と歩いてゆくその姿が、自分のことのように、誇らしかった




 聖白火騎士団の寮の前で、バレンシアとトリファシアが鎧を洗っていた。鎧や靴が、二人の横にずらりと並んでいる。自分たちの分だけではない。先輩たちの分もだ。そんな洗濯のような雑用も、下っ端の仕事だった。

「聞いた? バレンシア。あの子、総代だったそうよ」

 長い髪を無造作に後ろで束ねたトリファシアが、ブラシを動かしながら言った。

「女子で総代なんて、王立学校はじまって以来だって言ってたわ」

「ああ。聞いた」

 額に汗を浮かせたバレンシアは、ムスッとして手を動かしている。

「どうしたの。不機嫌そうね」

「んなことねえよ」

 ブラシで鎧をこする音が大きくなった。
 トリファシアは横目で相棒を見ながら、意味ありげに微笑んでいる。

「卒業して、どこに入るのかしらね」

 バレンシアは、それにぶっきらぼうに答えた。

「近衛第一騎士団の、青槍(せいそう)騎士団だろ。昔から総代は、青槍って決まってる」

「女子が入れるかしらね。あの超エリート部隊に」

「入れるに決まってるだろ! 総代なんだぜ。もし女子だからって理由で入れないってんなら、アタシが怒鳴り込んでやる」

「もう。私に怒らないでよ」

「ふん」

 バレンシアは、ぷいっと下を向いて、鎧をゴシゴシと洗う。
 そうして二人で並んで洗濯をしていると、ふいに前から声がした。

「ちょ、ちょっと。団長室に呼ばれてるんだから、寄り道しちゃだめよ」

 数人の、王立学校の制服を着た女子生徒たちが寮の前に立っていた。
 その中の1人が、仲間に服を引っ張られながらも、かまわずに前に進み出た。
 バレンシアは、鎧を洗う手を止めて、その子を見た。

「先輩。競争しましょう」

 そう呼びかけられて、バレンシアは立ち上がった。自然に、犬歯がこぼれた。

「ああ。なにをだ」

「どっちが先に、聖白火騎士団の、団長になるか」

 バレンシアは、自分の中に、小さな火が灯ったのを感じていた。それが、彼女を、どうしようもなく震わせた。

「いいぜ」

 それを聞いて、セトカは微笑みながら拳を前に突き出した。見るものを笑顔にする、爽やかな笑顔だった。


 ――インターミッション ちびセトカの日々・完
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~

喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。 庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。 そして18年。 おっさんの実力が白日の下に。 FランクダンジョンはSSSランクだった。 最初のザコ敵はアイアンスライム。 特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。 追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。 そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。 世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。

異世界で穴掘ってます!

KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語

転生幼女の攻略法〜最強チートの異世界日記〜

みおな
ファンタジー
 私の名前は、瀬尾あかり。 37歳、日本人。性別、女。職業は一般事務員。容姿は10人並み。趣味は、物語を書くこと。  そう!私は、今流行りのラノベをスマホで書くことを趣味にしている、ごくごく普通のOLである。  今日も、いつも通りに仕事を終え、いつも通りに帰りにスーパーで惣菜を買って、いつも通りに1人で食事をする予定だった。  それなのに、どうして私は道路に倒れているんだろう?後ろからぶつかってきた男に刺されたと気付いたのは、もう意識がなくなる寸前だった。  そして、目覚めた時ー

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる

遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」 「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」 S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。 村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。 しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。 とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

処理中です...