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しおりを挟む「――早く早く、準備間に合わなくなっちゃう」
「大丈夫だろ。露店なんて飽きるほどやってんだし、ぱぱっと終わる」
「今日は新商品を出すから期待しとけよ!」
「ふふっ、あたしンとこもようやくお披露目だよ。いっつも同じモンばっか出しててつまんなかったからねェ」
「限定のクッキー、今日こそ手に入るかしら……」
「こんなに早く並ぶんだから大丈夫だって!」
賑やかな街の人々の声を聞きながら、中心地に立つ市へ向かう。
この街は……というかこの世界自体、中世ヨーロッパ的な街並みが広がりながらも、どこか前世の現代的なものも混ざり合っている。中世と現代のハイブリットというべきか。
ちらりと横に視線をずらせば、見事なガラス張りのショーウインドウが目に入る。
そこにはひとりの女性がいた。
着ているのはシンプルな濃い青のワンピース。長い金髪を三つ編みにして、左耳の上には中心が白く縁にかけてが紫のグラデーションになった花が飾られ……いや、生えている。
女性にしては長身だけど、それは花人の中でのこと。魚人から見れば普通で、獣人から見れば華奢な部類に入るだろう。
白い肌に映えるラピスラズリに似た色の瞳はややつり気味に整い、どこか冷たそうな印象だ。
……この顔、確実に美形なんだけどちょっときついんだよね。でも微笑むと母上に似て春めいた雰囲気に変わる。
そう、僕は女だ。
みんなに王子と認識されていても、生まれてからずっと男として生きていても、前世も今世も女だった。
僕は生まれてくる前に男児だと予言されていた。
予言をしたのは宮廷魔術士長で、王族専属の医術士長も同じ見解だったようだ。
王家では珍しい男児の誕生に国内は沸いた。もしかしたら歴史上一割にも満たない、男性の王を戴く時代に出会えるかもしれないと。
だけど生まれたのは女児。その場にいた人達は、産んだ母上も含め大いに焦った。
今更国民に〝すみません間違えました〟と言うことができるか? 否、ここは隠し通すしかない――
いや、無理でしょう。そんなフィクションじゃないんだから。
そう思う人は残念ながらその場にいなかったらしい。
そして第一王女になるはず僕は、第一王子フラディオールとして生きる羽目になったのである。
幼い頃は何も考えずにいた。妹が産まれてから何か変だなと思い始めた。前世の記憶が蘇ったら完全におかしいと確信した。
両親は確かに僕を愛してくれていた。僕にフラディオーラという本当の名前をくれたから。
でも国民の期待を裏切れなくて、僕の存在を否定し続けた。あなたは王子だと、揃って苦しげな顔で口にして。
僕は年々フラディオールとして生きるのがつらくなっていた。自分を偽り続けるのは、僕にとって恵まれた身分や愛する家族の存在を差し引いても苦痛だったのだ。
せめて妹が、リリィが成人するまでは。
そう言われて我慢してきた。父上が病で儚くなっても、ずっと。
父上はかなり女性的な美形だったから、母上によく似た僕の性別を疑う者はいなかった。僕は常に微笑み、理想の王子を演じ続けた。
王にはならない――それだけを公言して。
そして今年、ようやくリリィが成人し王太子候補に名を連ねることとなった。
さてこれからどうやって王子をやめよう。臣下に降ろうか、病でも得たことにして静養に引っ込もうか、いっそ変装して平民になってみようか。
そんなことを考えていた折に、狼王子の来訪である。
実物の狼王子はすごかった。なんというか、カリスマオーラが半端ない。
僕より二つ年下にも関わらずアダルトな美形主人公感が出ていたし、更にこう……こちらに対して圧が強いのだ。
そして何より目力が強い。〝逸らしたら喉笛食いちぎる〟とでも言わんばかりのそれで常に見られ、僕は彼の前に出る度冷や汗をかく羽目になった。
そんな彼に喧嘩を売り始めた取り巻き達に担ぎ上げられたのは、全くの予想外だった。
王子をやめたくても悪名を残すつもりなんてなかった。でもゲームの悪役が避けきれないのなら仕方がない。
こうなったら派手に自爆してやる。リリィが女王になった時害になる輩を巻き込んでフェードアウトだ。そう腹を括って――
「今に至る、と……」
「ちょいとディーラ、どうかしたのかい?」
「いえ、ちょっとぼうっとしてしまって。もう市が始まりますか?」
「まだもう少しあるけどさ」
意識が過去に飛んでいても手は動いていたらしい。
手元の台には瓶に詰まった手作りのジャムや花蜜がきちんと置かれていて、お隣さんからは香ばしいパンのにおいが伝わってくる。
「大丈夫かい? 具合がよくないなら息子に店番させようか」
「いえ、ちょっと以前のことを考えていただけです。ありがとうございます、ヨランダさん」
パン屋の女将、垂れ耳犬獣人のヨランダさんは、この街に来たばかりの僕を色々助けてくれた大恩人だ。
こうして市の露店が開けるようになったのも、全ては彼女のおかげである。
――女王陛下によって断罪された元王子は、国境を越えた『還らずの大洞窟』に呑み込まれた。
おそらくフラディオール王子の末路はそう語られているだろう。欲深い者を呑み込むという曰く付きの洞窟にひとりで入るのを、旅人や隊商が目撃しているはずだ。
実際の僕は母上直属の隠密部隊長と共に洞窟を脱出し、そこからいくつか国をまたいで現在西の獣国にいる。
いつか表舞台から消えたときのために、偽名で慈善事業や出資をしていた甲斐があった。
隠し財産を元にツテを駆使して隊商に紛れ込み、旅をしながら定住できそうな街を探して半年程。
気に入った街は狼王子の母国だったものの、彼はリリィの婿になるから大丈夫だと判断し定住を決めた。
そして僕は街中で宿や職を探そうとしている最中。大切な結婚指輪を落としたというヨランダさんと知り合い、彼女を助けたことがきっかけで僕は普通の街娘としての準備を整えることができたのである。
僕はもう二十二歳、この世界だと十六歳から二十歳という結婚適齢期を少しばかり過ぎている。
そんな女のひとり暮らしだ。少し詮索されたが、どう見ても訳ありの元貴族か富裕層な僕の容姿で大体を察してくれた。
陽気な人が多く、治安も悪くない。過ごしやすい街だ。何より、街からそう遠くない場所に森があるのがいい。緑を愛する花人の僕にとっては最高の環境だ。
定住を決めて四ヶ月程経ったけど、結構うまくやれていると自負している。
ヨランダさんともすっかり仲良しになり、今では僕のことを愛称で呼んでくれているくらいだ。
「そうかい……ま、あんたはただのフラディオーラさ。うちのパンにぴったりなジャムの作り手。それでいいじゃないか」
どうやらヨランダさんは僕のことを〝若くして未亡人になり、父親にエロ貴族の後妻になるよう言われ逃げ出した貴族令嬢〟と思っているらしい。
別に貶められているわけでもないし、真実を言えるわけがないので勘違いを正したりはしない。噂好きで話を膨らませるのが得意な彼女の考える設定はおもしろいからね。
「元々ヨランダさんとご主人の作るパンは世界一ですからね。特にあのチキンと卵のサンドは絶品です」
「はははっ! レッドバードの肉にはあたし特製のソースと硬めのパンが最高なのさ! あれは昔っからの定番で、なんと殿下方も喜んでくれた逸品だよ」
「殿下?」
「ああ、ここら一帯のご領主様のご子息がレギ殿下の幼馴染でね。昔はシギ殿下も連れて三人でお忍びって感じで街に遊びに来てたよ。うちのパンと東の定食屋のごった煮が好物らしくて……全く、王族なのにらしくない方々だったねぇ」
ヨランダさんが懐かしむように空を見上げる。
レギ殿下はこの国の第一王子だ。そしてシギ殿下は……あの狼王子のこと。
西の獣国第二王子、シギ・ライゼ。
狼族の王家で唯一残る独身者で、現在二十歳。彼はその容姿だけじゃなく、全体的に神に愛されたチート級王子だ。
言わずもがな、身分は最上級。王家独自の条件で妻帯した上ではあるが、現王や第一王子までもが認める王太子筆頭候補。
更に体躯は立派だわ、耳尻尾も獣人的に整っているわ、剣の腕も魔術の上でも一級品だわ、それでいて一切驕らない性格だわ……どうしてそこまで主人公の設定を盛ったのか、ゲームの制作陣に問いたい程のスペックをお持ちなのである。
「そうそう、来るたび街のガキんちょたちより楽しそうにしてたわねぇ~。そういえば聞いた? シギ殿下、国に戻ってきたらしいわよ」
ヨランダさんの声が聞こえたらしく、私とは逆隣にいた露店の八百屋の奥さんが会話に参加してくる。
同時にあっさりと、爆弾を落とした。
「へぇ、そうなのかい! あたしとしたことが耳が遅かったね……」
「私だって国境に行ってる弟に聞いたのよ。あの堅物殿下が〝嫁をもらいに行く〟って出て行った時は国中びっくりしたもんだけどねぇ~」
え、国にって、ここに? シギ王子? 何で? どうして。
たしかにだいぶ時間が経っているのにリリィとの結婚について噂程度にも聞かないと思っていたけど……
もしかして、もしかして……うちの妹を捨てたとか、そんなわけは、あったら……どうしてくれようか。
呆然としながらも、何とか情報を拾うべく口を開く。
顔がきちんと笑みを保てているか、自信はなかった。
「……ええと、以前東の花国に向かったとか、小耳に挟んだような」
「ああ、それはあたしもばっちり聞いたよ! 何でも初恋の姫君がいるとか釣書の姿絵で一目惚れしたとか」
「でも結局お目当ての姫君は見つからなくて、他の国まで探し回ってたんだけど一度こっちに戻ってくることになったらしいわよ。人生賭けての恋って感じでパッション溢れてていいわよね~」
「へ、へぇ……」
ふたりの声が遠い。頭が追いついていかない。
じゃあ……じゃあ、妹は人違いだったと。
……いや、いやいや、〝第一王女と交流を深めたい〟って言ったのはシギ王子だろう。うちの王女は第一王女はリリィだ。間違えるはずもない。
実際僕の取り巻きが邪魔をしていた時も、ふたりは仲睦まじそうにしていて……
…………うん?
して、いたかな?
シギ王子の秘密裏の申し出を知っていたのは、母上と宰相とたまたま書状を開けた時にその場にいた僕だけだ。
母上はまずリリィには何も言わず引き合わせようとし、国賓の接待役に彼女を指名したのだ。
王子の来訪から三ヶ月間。確かにリリィと王子は一緒にいたけど……
思い返してみれば、それは恋人同士というよりも……婚約者候補だった公爵令息と同等、いやそれ以上の距離感があったような気がする。
その時は完全にリリィルートに入ったと確信していたから単にリリィが恥ずかしがっているのかと思っていた。でもあれは恋人同士にしては他人行儀だったかも……?
もしかして本当に人違い? そして周りの勘違い?
誤解はされやすい状況だった。その状況を作ったのは母上や僕で、当人達は全くその気はなかったと?
だったら僕の自爆フェードアウトは何のため……いやあれは貴族の膿を出すのと僕のフラディオーラデビューの派手なきっかけになったと思えば、何とか……
眉間を抑えそうになる僕を気にせず、噂好きの奥さん方の話は続く。
と思ったら八百屋の奥さんは僕とヨランダさんを手招きして呼び寄せ、意味ありげに声を潜めた。
「ここだけの話、シギ殿下は消えた初恋の姫君の居場所を掴んだらしいのよぉ」
「へ、ぇ……?」
「戻ってくるのは姫君を迎え入れる準備のため。だから殿下と一緒に旅に出た側近が先んじて戻ってきて~バタバタしてるの」
「そうかいそうかい、最近あの方に似た男を見かけるのはそういうことだったのかい……!」
側近と言えば……ゲームだと唯一主人公側の男キャラだったサウル・アロネン卿か。
茶髪に糸目という、凡庸に見せかけて策士とでもいいそうな容姿だったけど、実際の印象は薄かった。というかあの王子の隣にいると霞み過ぎてあまり顔が思い出せない。
駄目だ。頭痛がする。
ふたりの話題が三軒隣の花屋の旦那さんが浮気をして奥さんにフライパンでお尻を叩かれたことへと変わっていたことすら気づけなかった。
詫びが何だ狩りが何だとどんどん話が流れていくので、申し訳ないながらもしばらく放っておく。
すると、市の開始を告げる鐘が鳴った。
いつの間にかヨランダさんの露店の前にはお客さんが並んでいた。
また楽しげに世間話をしながら接客をする彼女を横目に、僕も目の前のお客さんに声をかける。
――初恋の姫君、か。
狼王子にそんな設定、あったのかな。
それともゲームと現実はやっぱり違うということか。
わが妹、リリィに目もくれないとは……シギ王子は余程その姫君が忘れられないんだろう。
初恋ならきっと今より幼い頃なはず。それなのに他国の姫君とは、噂通り姿絵で一目惚れしたのかもしれない。
第一王女とわかっているなら相手はだいぶ絞られる。きっと王子は無事に姫君を見つけて、ハッピーエンドを迎えるのだろう。
……何だか、少し気が抜けた。
主人公たる狼王子はヒロインのひとりであるリリィのことを好きにならず、別の姫君を一途に捜している。
そして悪役としてのフラディオールは道化のような結末を迎えたけど、フラディオーラは生きている。
「いらっしゃい! 焼きたてパンはどうだい? こっちの白パンは隣のジャムをつけたら最高さ!」
元気なヨランダさんの声が、市の活気に馴染んで響く。
耳が水色のヒレになっている魚人の男性と、白い兎耳の獣人の女性が手を繋いでパンを選んでいる。
どこか急いだ風な茶色い狐耳の男性が向日葵の花人の女性とぶつかりそうになり、避けようとして結局僕の露店の角に手をぶつけていた。
謝りながらも走り去っていった男性の行方を見届ける前に、どこか恥ずかしげに花蜜を購入したいと言う熊耳の男性へ笑みを向ける。
その後小さな猫獣人の子どもがお小遣いで買いたいけと足りないと言ったジャムを、少しだけおまけしてあげた。
全て、全てが現実だ。僕を含めた全員が、ちゃんと生きている。
ここはゲームの世界でも現実だって思っていた。
でもここからは少し違う。〝ゲーム〟は全部終わり。
僕の中で、今この瞬間――ようやく世界が完全に現実となった。
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2024年12月追記
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