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第三章 続 魔女と天使の腎臓

右目も左足もない私と両目も手足もない親友

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【理由。聞いてもいい?】

 やはり二週間も私と繋がっていないザンドにとって、そのカミングアウトは相当な衝撃だったのだろう。私はサプライズの成功に笑みを浮かべながら、心境の変化についてザンドに打ち明けた。

「私もね。上級の魔女にまでなっておいて勿体ないなーとは思うんだけど。……あー、いや。……ううん、違う。上級の魔女になったからこそ、魔女を辞めようって思えたのかも。確かにこの力は凄いよ。ロボットを作るっていう縛りはあるけど、それでもこの世界の人間からしたら神様にも匹敵する力だもん。……でも、神様になって好き勝手するのって、きっと退屈だ」

 私はそっと目を瞑り、上級魔女になってからの三ヶ月間の記憶を呼び起こした。東京から北海道までの距離を一時間ちょっとで辿り着いたのなんてほんの序の口で、その直後に合流の契約を果たした私は、その二倍以上の速さで沖縄にまで辿り着く事が出来た。上級の世界に足を踏み入れた私は、間違いなく人間を超越したその力に満足し、そして自惚れていたんだ。……あの時点では、間違いなくそうだった。

「神様になるって言うのはね、この世の全てが小学校低学年レベルの算数ドリルになる事だって、私は思う。結果が見え切った世界。何もかもが思いのままの、つまらない世界。それって単純な足し算や九九を繰り返しているのと、何も変わらない。私が思うに魔法ってさ、人の願いを何でもかんでも叶え過ぎなんだよ。ドラゴンボールみたいに苦労して掻き集めた末にやっと一つの願いが叶うならまだしも、上級魔女なんて一回でも試練を突破したら、後はずっとやりたい放題じゃん?」

 やりたい放題。そうだ。私は万能に限りなく近い魔法の力に溺れ、やりたい放題の日々に身を投じていた。それが楽しいか楽しくなかったかと言えば、そりゃあ楽しい。本当に楽しかった。その気持ちに嘘はない。……でも、きっとその楽しさはいつまでも持続したりはしない。私はその事に気付いてしまったのだ。

「例えばこの魔法があれば、私は簡単に世界一のお金持ちになれる。適当な場所に忍び込んで好きなだけ盗めるし、なんならもっと手っ取り早く、全国のATMから好きなだけ引き下ろす事だって出来るもん。世界一のお金持ちになって、好きな食べ物も好きなお洋服も好きな男も思いのままに手に入るようになって。……そしてある日、ふと気づくんだ。その境地に至った時点で、私の中でのお金の価値は、ただの紙クズも同然に成り下がるんだって。その瞬間、そんな紙クズで不自由なく買い漁った食べ物も、お洋服も、男も。何もかもが無価値になる」

 私は冷蔵庫の中に収納されているケーキを思い出しながら言葉を続けた。三日前の私は、それこそ餓鬼のように差し入れられたケーキをドカ食いしたものだけど、今日の私は三日前の私のように、全てのケーキを平らげる事はなかった。二個程ケーキを食べた辺りで満足し、残りのケーキは冷蔵庫の中に保管してしまった。別にケーキが美味しくなかったというわけではない。ただ、私にとってのケーキの価値がその程度になってしまったという、それだけの話である。

「物の価値って言うのは簡単に手に入らないから価値になるんだよ。魔法で盗んだお金で限定SSRを引けた時の喜びは、小学生の私が何ヶ月もお小遣いをやりくりしてゲームソフトを買った時の喜びには遠く及ばなかった。これから先の人生で私が食べる事になるどんな高級な料理の味も、五年間を耐え忍んだ末に食べた三日前のケーキの味に及ぶ事は絶対にない」

 三日前のケーキは、本当の意味で私にとって価値のあるケーキだった。五年もの闘病生活を経た上で口にした、砂漠の中で見つけたオアシスにも等しい価値があったはずだ。……でも、今日のケーキは普通に美味しいだけだった。それはただの感想であり、そこには何の感動も感涙も存在しない。五年ぶりのケーキだったからこそ、私は涙を流しながら感動し、感涙し、そして貪る事が出来たのだ。ケーキが当たり前のように食べられると理解した今、私の中でのケーキの価値は、目を見張る勢いで暴落している。そしてこれは、きっと魔法でも同じ事が言える。

「思えば私が魔法に魅了されたのも、万能の力そのものに憧れたからじゃなかった。最初はお米を数センチ動かすくらいしか出来なかったのに、魔法の訓練を重ねる事で出来る事が増えて行くのが楽しかったんだよ。昨日出来なかった事が今日出来るようになる快感が、たまらなく気持ちよかった。ただただ思い通りになるだけだったら、きっと私はすぐに魔法に飽きていたと思う。思い通りにならないスランプを乗り越えたからこそ、私は魔法に価値を見出せたの。……思い通りにならないって、きっと人間にとって最高の贅沢なんだよ。そしたらほら、見て。私はそんな最高な贅沢を二つも持ってる」

 私は失った片足と片目を指しながら言葉を続けた。

「この障害を魔法で軽々と乗り越えたら、この先の人生、私は死ぬまで足し算や九九を解くだけのつまらない生き方しか出来なくなると思うんだ。そんな勿体ない真似に手を染めるのは、何か嫌だなって思った。私は魔法に頼らずに、自分の力で乗り越えてみたい。努力する事の楽しさは、他でもないザンドが教えてくれた事だもん」

 私はザンドに手を伸ばし、努力の楽しさを教えてくれたこの愛しい親友の事を優しく抱きしめた。

「私、退院したら自分の力でリハビリを頑張ってみようと思うの。こんな体になった私は、これから先の人生で、色んな健常者に後ろ指を指されながら笑われるんだと思う。健康な体で生まれておきながら、何の努力もしないくせに不満だけは一丁前。そうやって毎日をダラダラ生き続けるだけのクソ程、私みたいな自分以下の底辺を見つけて、笑って、そして安心するんだ。人間って、自分以下の人間を見ている時が一番安心出来る生き物だから。……でさ。悔しい話だけど、私がそんなクソ共に馬鹿にされるような障害者である事に、変わりはないんだよね。だって、私は社会の助けがないと生きていけない雑魚になっちゃったから」

 窓の外に目を向けると、あの女の子の姿は既になかった。とっくに病院の中に入ってしまったらしい。次にあの子の顔を見れるのは、面会時間終了が迫った二十時過ぎになるだろう。ザンドが私に努力する楽しさを教えてくれた恩人なら、あの子は私に努力の方角を教えてくれた恩人の一人だ。あの子のおかげで、私はそれまで一度も考えた事のない将来の夢について考える事が出来た。

 糖尿病患者として過ごした五年間は酷く虚しい物だったけれど、もしも糖尿病にならなかったら、あの台風の日に私はザンドと出会う事がなかったはずだ。そしたらあの子と出会う事だってなかったのだ。私が生きたこの五年間は、私の人生を蝕む無駄な五年間だったと心の底から思う。でも、無意味な五年間には絶対にしたくない。

「何の努力もしないクソ共に笑われる生き方なんてごめんだよ。そんな奴らが安心する為の玩具として生き続ける人生なんて、絶対に嫌。だから私は魔法抜きで努力がしたい。努力する健常者には勝てなくても、努力しないクソ共にくらいは勝てるような人間になってマウントを取れたら、絶対に気持ちいい。だから私は……」

 そして。

「……ザンド?」

 将来の夢とこれからの決意を垂れ流していた私の口は、ザンドの眩い発光によって堰き止められてしまうのだった。

「……え。ちょっとザンド」

 ザンドの体が光っている。これまでに類を見ない勢いで、激しい光を放っている。黄金色を凌駕した白色の光。私は別に魔法を使おうとしているわけじゃない。仮に魔法を使おうとしたとして、ザンドのこんな激しい発光を見た事なんて一度もない。

「どうしたの? ねぇ!」

 ザンドと出会って初めて目の当たりにしたその現象への対処が思いつかず、私はザンドをより強く抱きしめたり、或いはザンドの表紙を摩ったりしながら、なんとかその発光を止める術はないかと模索した。

「……止まった?」

 そんな私の試行錯誤が報われたのかはわからないけれど、ザンドの発光は次第にその勢いを弱め、一分もしない内にいつも通りのザンドに戻って行った。一体今のは何だったんだろう。

「ねぇ、本当にどうしたの? 大丈夫?」

 私はザンドの異変を心配し、ザンドを気遣ったつもりでそう訊ねたのだけれど。

【別に。何でもない】

 ザンドからの返答はやけに冷たかった。そして。

「別にって……。そんなの絶対嘘じゃん」

【大した事じゃないよ。人間で言う所のゲロみたいなもんだから】

「ゲロ? 嘔吐の事?」

【そ。イヴっちが魔法を使ってくんないからさ。こうして吐き出さないと、私の体が爆発しちゃう】

「……」

 やっとザンドからことの真相が語られたかと思えば、どうやらこの異変の原因には、少なからず私も関与している事が明かされてしまった。

 ザンドのような魔書に閉じ込められた精霊は、大気中を漂う精霊を自動的に捕食しながら魔力を溜め込んでいる。ザンドと出会ってから移植を受けるまで、ほぼ毎日魔法を使っていたから気が付かなかった。ザンドは長期間魔法を使わないと、そんな事になってしまうのか。

「それって辛い?」

 だから私は尚更ザンドの事が心配になったものの。

【辛いって言ったら何? イヴっちはうちを使ってくれんの?】

「……」

【くれないんでしょ? どうせ。イヴっち、私から卒業したいんだもんね】

「……」

 魔法からの卒業を願った私は、ザンドの事を深く傷つけてしまったのだろうか。そんなつもりで言ったんじゃないんだけど。

「待ってザンド。私、魔法を卒業したいって言っただけで、ザンドと離れ離れになりたいって言ったわけじゃないよ。ザンドと離れるつもりは絶対にない。それこそ私の寿命が尽きるその日まで、ずっとザンドと一緒にいるつもり。大学を卒業してちゃんと稼げるようになったら、ザンドやポチと一緒に暮らせる部屋を借りて一緒に住もうとも思ってるし……」

 それは私が将来先生になる事よりも優先したい夢でもあった。私がザンドと自由に話せる空間は、いつだって限られている。私の狭い自室か、お母さんも看護師さんもいなくなった後の病室か、或いは魔法で大空に飛び立った時か。私にとって、自分の部屋を借りて一人暮らしをすると言うのは、親友とのかけがいのない時間を増やす為の確実的で直接的な手段なのだ。ポチと言う、ある意味ザンドよりも秘匿しなければならない存在を生み出してしまったからには、尚更である。

 そして、そんな夢の一人暮らしだって、やっぱり私は自分の力で成し遂げてみたい。ザンドと言う親友を、魔法に頼らないと一緒に過ごせない遠い世界の住人にしたくない。自分の力でお金を稼いで、自分の力で部屋を借りて、魔法に頼らなくても一緒に過ごせる普通の友達になりたいって。

「魔法って、絶対に私じゃないとダメなの? 魔法ならポチの体でザンドの好きな魔法を使えばいいじゃん」

 ……そう、思っているんだけど。

【今だから言うけど。私、イヴっちがお母さんと喧嘩してるとこ、ずっと見てたから】

「……え」

 そんな私の願いとは裏腹に、ザンドは存在しない手を使って私を突き放して来るようだった。

【イヴっちがお母さんに殺されそうになってた所も、イヴっちがうちに助けを求めていた所も、全部見てたから。わざと知らんぷりしたんだよ。イヴっちに助かって欲しかったから。健康になったイヴっちと、一日でも長く好き勝手遊び回る毎日を過ごしたかったから】

 ザンドが私から離れて行く。足を持たないザンドは自分から動く事も出来ないのに。今もこうして、私に抱きしめられながら逃げられずにいるのに。

【イヴっちってさ、私の元ご主の何倍も楽しい奴だった。毎回毎回発想がイカれててちょいちょい引く事もあるけど、それでも次はどんなサイコな物を見せてくれるんだろうってワクワクしてね。一緒にいて、本当に飽きないんだ。……それなのに体が普通になった途端、心も普通になっちゃうんだね】

 密着しているはずのザンドの姿が、果てしなく遠い。

【イヴっちが退院するまではここにいるよ。それまでよく考えておいて。退院した後、前と同じようにうちを使って好き放題遊んでくれるのか。それとも今言ったみたいに、普通の人間としての人生を全うするのか。……後者を選ぶんなら、そん時はもういいや。私はポチと二人でどっかに行く。イヴっちはイヴっちで幸せに暮らせば?】

 私は分厚い壁の向こう側に行ってしまったザンドに訊ねてしまった。

「……何でそんな事言うの?」

 懇願するように訊ねてしまった。

「……私、ザンドしか友達がいないのに」

 けれどその問いにザンドが答えてくれる事はなかった。
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