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第三章 続 魔女と天使の腎臓
私を孤児にしたお父さんとお母さんへ
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「あーあ……。なんかセンチメンタル」
ガラスに映る私の顔は、眉の垂れ具合からも分かる通りのへこたれ具合だった。
「こうも悪魔悪魔言われ続けるとさー、流石の私も傷ついちゃうって。指を差されて馬鹿とかブスとか言われてるのと同じだよ」
ガラス越しにアームの動きを見ながら、他でもないザンドに語りかける。アームはスルリと目当ての品をすり抜けて、何もない空中を虚しく掴んだ。一定の金額が投入されなければ商品を掴めないように調整されている、俗に言う確率機という機種なのだろう。
「……っち」
私はゲーセンの卑怯なやり方に舌打ちをしつつも、しかし二回目以降は機械化させた指先と確率機を融合させる事でアームを自在に操りながら、楽々と天使がモチーフの小さなぬいぐるみを掴み取った。
「やりー」
受け取り口からぬいぐるみを取り出し、小さく折り畳んだ腰部の翼にボールチェーンで括り付ける。このくらいの可愛げがあれば、少しは悪魔からかけ離れたイメージにはなるだろうか。わざわざここまであからさまな天使アピールをしているのだ。最後まで生き残った五人に関しては、私の事を悪魔だと呼び次第、とびっきりの苦痛を与えて殺してやろう。そんな決意を胸に秘め、私は堂々と歩いてゲーセンを後にした。
サイボーグ(コンパクトモード)。小さく折りたたんだ翼と、左足の義足以外を全て解除したサイボーグの形態であり、人前で堂々と街歩きをする際に用いる姿でもある。
歩き方は相変わらずぎこちないものの、足首まで覆い隠すぶかぶかしたスラックスのおかげで、魔法で作った義足が人目につく事はない。歩行時には松葉杖を使っている事もあって、側から見れば私は足を怪我しているだけの通行人Aにしか映らないはずだ。義足丸出しで街を歩いた時はあんなにも注目を浴びたのに、義足をスラックスで隠しながら松葉杖をつくと、誰も私の事を見てきたりはしない。お母さんの言う通りだ。同じ不自由な歩き方でも、足があるのとないのとではここまで人目って変わるものなんだね。
また、この姿で行動する際には背中のリュックも欠かせない。どれだけ健常者の姿を真似ようとしても、私の生命維持に必要不可欠な腰部の翼だけは解除するわけにはいかないからだ。リュックの中では、コンパクトに折り畳まれた黒の双翼が、今もなお私の体調を監視しながら、透析と投薬の措置を行っている。もっとも、仮に生命維持装置の必要性がなくなったとしても、天使の象徴であるこの翼だけは解除したいとは思わないのだけれど。デザインの九割を魔法に一任したこの姿ではあるけれど、翼のデザインだけは私が拘ってイメージした物なのだから。
私は繁華街を暫く歩き、人通りの少ない住宅街の路地に入った所でザンドを取り出した。
「ザンド」
そして私に最大の自由を齎してくれる全開のサイボーグ形態に姿を変えて、生き残った五人の内の最初の一人を殺すべく、夜の街へと飛び立った。
「えっと……、あったあった! あそこだ」
東京の上空から地上を見回す。目当てのマンションはすぐに見つかり、私は空からマンションのベランダへと降り立った。
ベランダの窓は、内側から大きなカーテンによって塞がれていた為、中の様子を確認する事は出来ない。やろうと思えばヘルメットの機能で透視する事も可能だが、しかしどうせ私は今からこの部屋に侵入する。わざわざ透視なんかしなくても、直接入って見れば良いだけだ。
「ザンド」
私はザンドを取り出し魔法を唱えた。私の扱う魔法はロボットを生み出す魔法。視認可能な範囲でなら、どこでも自由にロボットを生み出す事が出来る。私は窓とカーテンの間に遠隔操作が出来るロボットの腕を生み出し、施錠されたベランダの鍵を内側から開けた。
「おっじゃましまーす!」
堂々とベランダの窓を開け、室内へ最初の一歩を踏み出そうとしたその時。
「うわっ⁉︎」
私の背後から大きな風が吹き込んだ。ベランダと屋内を隔絶するカーテンが盛大に吹き上げられ、部屋の内部の詳細な状況が私の視界に飛び込んで来る。そして。
「……」
「……」
真っ暗な部屋で、自分の身の丈程はあるであろう大きなぬいぐるみを抱きしめていた女の子の姿が目に入った。……いや、目に入ったって言うか、目が合った。
「あー……。こんばんは」
ひとまず女の子に挨拶をしながら、私は考える。私の姿を目撃したこの子の事はどうしてしまおうかと。ターゲットの子供にこの姿を見られるのもこれで二度目だっけ。前回は口裂け女ごっこのアイデアを提供してくれた感謝から見逃してあげたんだっけ。
あの少年は幼かった。身長だってアスタよりも小さかったのだ。あれ程の幼さなら、見逃した所で私の目撃情報が広まる結果に繋がるとは思えなかった。だから私はあの子を見逃したわけだけど。
「……こ、こんばんは」
女の子は突如現れた私に動揺しながらも、礼儀正しく挨拶を返してくれた。大した度胸である。私を見るや、真っ先に泣き叫んだあの男の子とは大違いだ。彼女の身長からして、小学校低学年程度の年齢である事は容易に想像がついた。
小学生かー。なるほどなるほど、小学生か。うーん、小学生か。そっかそっか、小学生かぁ……。微妙な所だ。彼女が私の事を大人に話したとして、果たして大人は彼女の証言を鵜呑みにするだろうか。子供の悪戯と一蹴するには、小学生という彼女の身分は決して馬鹿には出来ない。この子の存在が私にとってのリスクにしかなり得ない事は明白である。なら決まりだ。殺そう。
「お父さんはいる?」
「……え? ……いない」
「どこにいるのかわかる?」
「……病院」
「どこの?」
「……新宿」
「そっか。ありがとう」
必要な情報も手に入れた事だし、私は彼女を殺害するべく、ベランダの外から右手を伸ばして彼女の眉間に指先を向けたのだけれど。
「もしかして天使さん?」
「……」
彼女の口から、予想外の言葉が飛び出して来た。その言葉が私の鼓膜に届いた瞬間、真っ直ぐに伸びた私の右腕がだらりと情けなく垂れ落ちた。
「そう見える⁉︎」
遂に見つけた私と感性の合う人物に、胸が高鳴るのを感じた。私は居ても立っても居られなくなり、入室への第一歩を踏み出したのだ。勢いよく踏み出し過ぎてしまったのだ。
「あっ……⁉︎」
その結果、私は足を滑らせた。この姿での移動は飛行が基本。それなのに私は天使と呼ばれた嬉しさに身を任せ、よりによって失った左足で勢いある一歩を踏み出してしまい、そして足を滑らせて転んだ。
「いたた……」
顔を上げると、女の子はそんな私を見下ろしながら戸惑いの表情を浮かべているような気がした。実際の表情はよくわからない。転んだ勢いでヘルメットがすっぽりと脱げ、素顔を晒してしまったからだ。足の壊疽と同様に、私の目にも糖尿病性網膜症の影響が加速度的に現れている。最後に視力を測った時は、左右共に0.2だったっけ。部屋の暗さも相まって、ヘルメット越しにモニターで目視しないと、女の子の表情なんてわかるはずもない。
おまけに私が足を滑らせた影響は、私の腰にも甚大な被害を齎していたのだから堪ったもんじゃなかった。私が勢い良く転んだ拍子に、ベリリと言う鈍い音が私の背中から鳴ったのだ。より正確に言うと、私の腰から生える双翼から鳴った。更に具体的に言うなら、それは先程取り付けたばかりのゲーセンの景品が窓枠に引っかかり、首から上が引き千切れてしまった音だった。
「あーあ……」
首の皮一枚繋がった状態とは正にこの事だろう。私はボールチェーンを取り外し、辛うじて首が繋がっているだけの天使のぬいぐるみを見てため息を吐く。折角手に入れたのに、もったいない。転んだ不幸に物を壊した不幸。二つの不幸に心が沈む。はてさて、この鬱憤はどうしたものか。私の事を天使と呼んでくれた上で申し訳ないのだけれど、ヘルメットが脱げて私の素顔まで見られた事だし、もう目の前にいるこの子で憂さ晴らしでもしてしまおうか。素顔を見られたこの子を生かしておくのは、もはや私にとってはリスクでしかない。
私は視線と殺意の矛先をぬいぐるみから女の子の方へと移し、そして。
「直してあげよっか?」
「……」
私に向けられた女の子の手のひらに、首の取れかかった天使のマスコットをポンと乗せた。
「……」
「……」
彼女と二人、同じソファに腰掛けながら、彼女の器用な手先を食い入るように見つめる。彼女はまず、取れかかった人形の首と体をギュッと押し付け、大きな針を刺す事で簡易的に固定した。この地図に刺すピンのような見た目の大きな針ってなんだっけ。確か小学生の時に家庭科の時間で習ったはずだけど……。
「思い出した。薪割りだ」
「マチ針だよ」
マチ針らしかった。彼女は人形の首と胴体をマチ針で固定した後、糸を通した針で人形の首と胴体をぐるぐると縫い付けていく。
「それは知ってる。なみ縫いってやつだよね?」
「コの字とじだよ」
コの字とじらしかった。彼女はそのままコの字とじを二周三周走らせ、テキパキと人形の首と胴体をくっつけていった。小学校で家庭科を習うのって、確か五年生からだったはずだ。彼女の体はどう見ても低学年程の体躯だけど、その幼さでここまで器用に針と糸を使い熟すとは。家庭的な作業が趣味なのだろうか。
「はい。出来た」
彼女は最後に糸の端で玉を作り、人形の内部に押し込む事で、見事千切れかけた私のぬいぐるみを新品同様の綺麗さで復元してみせたのだった。
「おー……! 縫い口が全然見えない」
彼女から人形を受け取り、首と胴体の繋ぎ目を凝視する。なんともまぁ綺麗な縫い口である。私も傷の縫合方法とかならある程度覚えてはいるけれど、ここまで綺麗に縫合する自信は流石にないや。
「凄いね。きみ何年生?」
「二年生」
彼女に問いかけると、彼女はVの字に指輪立てながら答えてくれた。
「家庭科で習ったわけじゃないよね? あれって五年生からだし。一人で練習してたの?」
「違う。お父さんと」
「へー。お父さん家事出来るんだ。うちのクソジジイとは大違い」
そんな彼女の話を聞いて、私は自分のお父さんの事を思い出す。仕事一筋で、残業とノルマに追われてばかりのうちのお父さんを。
今でこそ銀行員のお父さんと専業主婦のお母さんとで役割分担をしているものの、でも仕事だけに専念している人って、定年退職した後は、家事が出来ない上にお金も稼いで来ない厄介者にしかならないんだよね。そういう夫婦って、定年後はただの役立たずと化した亭主に奥さんが愛想を尽かして、熟年離婚に至ったりするんだっけ。……ま、うちに限っては熟年離婚なんて絶対にさせないけど。あの家族擬きは熟年離婚をする以前に、そもそも熟年に達する事さえないのだ。私の命が尽きる最後の瞬間に、この手で私諸共葬り去ってやると決めているのだから。
……なんて考えていると。
「ううん。お父さんも家事出来ないよ」
女の子が私の予想を否定した。
「お母さんが入院してるから、元気になるまで二人で家事の練習をしてるの」
「……ふーん」
入院。女の子の口から出て来たそのワードに親近感を覚えてしまうのは、やはりこんな体を持ってしまった私の性なのだろうか。……ま、この子のお母さんの事なんて私とは何の関係もないんだけどさ。
「病気?」
「怪我。車に轢かれちゃって、今は手と足に輪っかをくっつけてる」
「輪っか? 創外固定器の事?」
「わかんないけど……。でも明日、手の骨に入ってるネジを取る手術をするって」
「あー、じゃあ創外固定器で合ってるよ。ネジを取るって事は抜釘手術だね。なるほどなるほど、そりゃあ確かに心配だ。お母さん、いつから入院してるの?」
「三ヶ月前から」
「……へ、へー。三ヶ月前かー」
私は苦笑いを浮かべながら視線を逸らした。前言撤回。魔女の限界に到達し、自暴自棄になってつまらない事故を起こし続けていた時期の私と一致する。……いや、でも私が手を下さずとも交通事故なんて常日頃から起きているんだし、この子のお母さんを入院させたのが私だって決めつけるのは。
「……うん。なんか車のタイヤがいきなり爆発しちゃったんだって」
だったら間違いなく私の仕業だった。苦笑いが止まらない。私は不自然にならない程度の笑みを維持しながら彼女の事を励ました。
「ま……、まぁでもほら。生きてたんでしょ? ならよかったじゃん」
「……良かったの?」
訝しげな視線を向けられる。命は取り留めたとは言え、それでも母親と数ヶ月も離れ離れになってしまった不幸に対して、良かったと言うのはまずかっただろうか。
「良かったんだよ」
……でも。
「私の両親なんて、両方とも事故でおっ死んじゃったもん」
交通事故なんて、普通は死んでもおかしくはないのだ。それで命が繋ぎ止められたなら、それは良かったと言ってもいいはずだ。良かったと言うべきだ。特にあの頃の私は、わざわざ時間帯を夜に限定して事故を起こしまくっていたのだから。
日本の交通事故において、最も被害者の生死を左右する要因が時間帯である。昼に発生した交通事故というのは、よっぽど致命的な外傷を負わない限りは極めて生存率が高いものだ。あちこちの病院にお医者さんが在席しているからである。
しかし夜間の交通事故ともなると、そうはいかない。医者というのはどれだけ立派に聞こえても、結局は商売。いつ運ばれるかもわからない急患の為に、長時間病院に在席し続ける志の高いお医者さんなんて、滅多にいるものではない。
多くの医者が帰宅してしまった後の夜の病院というのは、絶対的に医者の数が足りておらず、酷い所では大学卒業したてで何の実務経験もない研修医しか配置していない病院も多いと聞く。そんな医者不足な夜間帯に事故なんて起こそうものなら、あちこちの病院をたらい回しにされた挙句に呆気なく死んでしまうのが関の山だ。私はその事をよく知っている。
「……そうなの?」
「うん」
そうなってしまった人の事を、よく知っている。そうなってしまった人の話を、何度も聞かされている。
「なんか、真夜中に私が産まれそうになったみたいでさ。それで二人とも大慌てで病院に向かったんだろうね。時間も時間だから寝起きでパニックになってたんだよ。そんな状態で車の運転なんかしたもんだから、うっかり事故を起こしちゃったんだ。お父さんは即死。後部座席のお母さんは病院までは持ち堪えたらしいけど、頭を強く打ったのが原因で意識が戻る事はなかった。なんかお母さん、車の中でお腹を庇うように倒れてたみたいなんだよね。それで私だけは無事に産まれて来れたんだって、周りの大人からはそう聞いてる」
ふと隣を見ると、女の子は私の服の裾を握り締めながら俯いていた。この子は私の事を天使と呼んだのだ。天使を傷つけてしまったと思い、悔やんでいるのだろうか。
「デデーン! うーそー!」
だから私はザンドを取り出し、かつて001号にもそうしたように【ドッキリ大成功!】の文字を浮かべたザンドを見せつけながら、彼女の事を揶揄ったのである。そして。
「ま、待って待って! ごめん! ごめんってば! ぶたないで!」
殴られた。しかし痛みにも達しない女の子の非力な拳がどこか愉快で、思わず笑みが溢れてしまった。
ガラスに映る私の顔は、眉の垂れ具合からも分かる通りのへこたれ具合だった。
「こうも悪魔悪魔言われ続けるとさー、流石の私も傷ついちゃうって。指を差されて馬鹿とかブスとか言われてるのと同じだよ」
ガラス越しにアームの動きを見ながら、他でもないザンドに語りかける。アームはスルリと目当ての品をすり抜けて、何もない空中を虚しく掴んだ。一定の金額が投入されなければ商品を掴めないように調整されている、俗に言う確率機という機種なのだろう。
「……っち」
私はゲーセンの卑怯なやり方に舌打ちをしつつも、しかし二回目以降は機械化させた指先と確率機を融合させる事でアームを自在に操りながら、楽々と天使がモチーフの小さなぬいぐるみを掴み取った。
「やりー」
受け取り口からぬいぐるみを取り出し、小さく折り畳んだ腰部の翼にボールチェーンで括り付ける。このくらいの可愛げがあれば、少しは悪魔からかけ離れたイメージにはなるだろうか。わざわざここまであからさまな天使アピールをしているのだ。最後まで生き残った五人に関しては、私の事を悪魔だと呼び次第、とびっきりの苦痛を与えて殺してやろう。そんな決意を胸に秘め、私は堂々と歩いてゲーセンを後にした。
サイボーグ(コンパクトモード)。小さく折りたたんだ翼と、左足の義足以外を全て解除したサイボーグの形態であり、人前で堂々と街歩きをする際に用いる姿でもある。
歩き方は相変わらずぎこちないものの、足首まで覆い隠すぶかぶかしたスラックスのおかげで、魔法で作った義足が人目につく事はない。歩行時には松葉杖を使っている事もあって、側から見れば私は足を怪我しているだけの通行人Aにしか映らないはずだ。義足丸出しで街を歩いた時はあんなにも注目を浴びたのに、義足をスラックスで隠しながら松葉杖をつくと、誰も私の事を見てきたりはしない。お母さんの言う通りだ。同じ不自由な歩き方でも、足があるのとないのとではここまで人目って変わるものなんだね。
また、この姿で行動する際には背中のリュックも欠かせない。どれだけ健常者の姿を真似ようとしても、私の生命維持に必要不可欠な腰部の翼だけは解除するわけにはいかないからだ。リュックの中では、コンパクトに折り畳まれた黒の双翼が、今もなお私の体調を監視しながら、透析と投薬の措置を行っている。もっとも、仮に生命維持装置の必要性がなくなったとしても、天使の象徴であるこの翼だけは解除したいとは思わないのだけれど。デザインの九割を魔法に一任したこの姿ではあるけれど、翼のデザインだけは私が拘ってイメージした物なのだから。
私は繁華街を暫く歩き、人通りの少ない住宅街の路地に入った所でザンドを取り出した。
「ザンド」
そして私に最大の自由を齎してくれる全開のサイボーグ形態に姿を変えて、生き残った五人の内の最初の一人を殺すべく、夜の街へと飛び立った。
「えっと……、あったあった! あそこだ」
東京の上空から地上を見回す。目当てのマンションはすぐに見つかり、私は空からマンションのベランダへと降り立った。
ベランダの窓は、内側から大きなカーテンによって塞がれていた為、中の様子を確認する事は出来ない。やろうと思えばヘルメットの機能で透視する事も可能だが、しかしどうせ私は今からこの部屋に侵入する。わざわざ透視なんかしなくても、直接入って見れば良いだけだ。
「ザンド」
私はザンドを取り出し魔法を唱えた。私の扱う魔法はロボットを生み出す魔法。視認可能な範囲でなら、どこでも自由にロボットを生み出す事が出来る。私は窓とカーテンの間に遠隔操作が出来るロボットの腕を生み出し、施錠されたベランダの鍵を内側から開けた。
「おっじゃましまーす!」
堂々とベランダの窓を開け、室内へ最初の一歩を踏み出そうとしたその時。
「うわっ⁉︎」
私の背後から大きな風が吹き込んだ。ベランダと屋内を隔絶するカーテンが盛大に吹き上げられ、部屋の内部の詳細な状況が私の視界に飛び込んで来る。そして。
「……」
「……」
真っ暗な部屋で、自分の身の丈程はあるであろう大きなぬいぐるみを抱きしめていた女の子の姿が目に入った。……いや、目に入ったって言うか、目が合った。
「あー……。こんばんは」
ひとまず女の子に挨拶をしながら、私は考える。私の姿を目撃したこの子の事はどうしてしまおうかと。ターゲットの子供にこの姿を見られるのもこれで二度目だっけ。前回は口裂け女ごっこのアイデアを提供してくれた感謝から見逃してあげたんだっけ。
あの少年は幼かった。身長だってアスタよりも小さかったのだ。あれ程の幼さなら、見逃した所で私の目撃情報が広まる結果に繋がるとは思えなかった。だから私はあの子を見逃したわけだけど。
「……こ、こんばんは」
女の子は突如現れた私に動揺しながらも、礼儀正しく挨拶を返してくれた。大した度胸である。私を見るや、真っ先に泣き叫んだあの男の子とは大違いだ。彼女の身長からして、小学校低学年程度の年齢である事は容易に想像がついた。
小学生かー。なるほどなるほど、小学生か。うーん、小学生か。そっかそっか、小学生かぁ……。微妙な所だ。彼女が私の事を大人に話したとして、果たして大人は彼女の証言を鵜呑みにするだろうか。子供の悪戯と一蹴するには、小学生という彼女の身分は決して馬鹿には出来ない。この子の存在が私にとってのリスクにしかなり得ない事は明白である。なら決まりだ。殺そう。
「お父さんはいる?」
「……え? ……いない」
「どこにいるのかわかる?」
「……病院」
「どこの?」
「……新宿」
「そっか。ありがとう」
必要な情報も手に入れた事だし、私は彼女を殺害するべく、ベランダの外から右手を伸ばして彼女の眉間に指先を向けたのだけれど。
「もしかして天使さん?」
「……」
彼女の口から、予想外の言葉が飛び出して来た。その言葉が私の鼓膜に届いた瞬間、真っ直ぐに伸びた私の右腕がだらりと情けなく垂れ落ちた。
「そう見える⁉︎」
遂に見つけた私と感性の合う人物に、胸が高鳴るのを感じた。私は居ても立っても居られなくなり、入室への第一歩を踏み出したのだ。勢いよく踏み出し過ぎてしまったのだ。
「あっ……⁉︎」
その結果、私は足を滑らせた。この姿での移動は飛行が基本。それなのに私は天使と呼ばれた嬉しさに身を任せ、よりによって失った左足で勢いある一歩を踏み出してしまい、そして足を滑らせて転んだ。
「いたた……」
顔を上げると、女の子はそんな私を見下ろしながら戸惑いの表情を浮かべているような気がした。実際の表情はよくわからない。転んだ勢いでヘルメットがすっぽりと脱げ、素顔を晒してしまったからだ。足の壊疽と同様に、私の目にも糖尿病性網膜症の影響が加速度的に現れている。最後に視力を測った時は、左右共に0.2だったっけ。部屋の暗さも相まって、ヘルメット越しにモニターで目視しないと、女の子の表情なんてわかるはずもない。
おまけに私が足を滑らせた影響は、私の腰にも甚大な被害を齎していたのだから堪ったもんじゃなかった。私が勢い良く転んだ拍子に、ベリリと言う鈍い音が私の背中から鳴ったのだ。より正確に言うと、私の腰から生える双翼から鳴った。更に具体的に言うなら、それは先程取り付けたばかりのゲーセンの景品が窓枠に引っかかり、首から上が引き千切れてしまった音だった。
「あーあ……」
首の皮一枚繋がった状態とは正にこの事だろう。私はボールチェーンを取り外し、辛うじて首が繋がっているだけの天使のぬいぐるみを見てため息を吐く。折角手に入れたのに、もったいない。転んだ不幸に物を壊した不幸。二つの不幸に心が沈む。はてさて、この鬱憤はどうしたものか。私の事を天使と呼んでくれた上で申し訳ないのだけれど、ヘルメットが脱げて私の素顔まで見られた事だし、もう目の前にいるこの子で憂さ晴らしでもしてしまおうか。素顔を見られたこの子を生かしておくのは、もはや私にとってはリスクでしかない。
私は視線と殺意の矛先をぬいぐるみから女の子の方へと移し、そして。
「直してあげよっか?」
「……」
私に向けられた女の子の手のひらに、首の取れかかった天使のマスコットをポンと乗せた。
「……」
「……」
彼女と二人、同じソファに腰掛けながら、彼女の器用な手先を食い入るように見つめる。彼女はまず、取れかかった人形の首と体をギュッと押し付け、大きな針を刺す事で簡易的に固定した。この地図に刺すピンのような見た目の大きな針ってなんだっけ。確か小学生の時に家庭科の時間で習ったはずだけど……。
「思い出した。薪割りだ」
「マチ針だよ」
マチ針らしかった。彼女は人形の首と胴体をマチ針で固定した後、糸を通した針で人形の首と胴体をぐるぐると縫い付けていく。
「それは知ってる。なみ縫いってやつだよね?」
「コの字とじだよ」
コの字とじらしかった。彼女はそのままコの字とじを二周三周走らせ、テキパキと人形の首と胴体をくっつけていった。小学校で家庭科を習うのって、確か五年生からだったはずだ。彼女の体はどう見ても低学年程の体躯だけど、その幼さでここまで器用に針と糸を使い熟すとは。家庭的な作業が趣味なのだろうか。
「はい。出来た」
彼女は最後に糸の端で玉を作り、人形の内部に押し込む事で、見事千切れかけた私のぬいぐるみを新品同様の綺麗さで復元してみせたのだった。
「おー……! 縫い口が全然見えない」
彼女から人形を受け取り、首と胴体の繋ぎ目を凝視する。なんともまぁ綺麗な縫い口である。私も傷の縫合方法とかならある程度覚えてはいるけれど、ここまで綺麗に縫合する自信は流石にないや。
「凄いね。きみ何年生?」
「二年生」
彼女に問いかけると、彼女はVの字に指輪立てながら答えてくれた。
「家庭科で習ったわけじゃないよね? あれって五年生からだし。一人で練習してたの?」
「違う。お父さんと」
「へー。お父さん家事出来るんだ。うちのクソジジイとは大違い」
そんな彼女の話を聞いて、私は自分のお父さんの事を思い出す。仕事一筋で、残業とノルマに追われてばかりのうちのお父さんを。
今でこそ銀行員のお父さんと専業主婦のお母さんとで役割分担をしているものの、でも仕事だけに専念している人って、定年退職した後は、家事が出来ない上にお金も稼いで来ない厄介者にしかならないんだよね。そういう夫婦って、定年後はただの役立たずと化した亭主に奥さんが愛想を尽かして、熟年離婚に至ったりするんだっけ。……ま、うちに限っては熟年離婚なんて絶対にさせないけど。あの家族擬きは熟年離婚をする以前に、そもそも熟年に達する事さえないのだ。私の命が尽きる最後の瞬間に、この手で私諸共葬り去ってやると決めているのだから。
……なんて考えていると。
「ううん。お父さんも家事出来ないよ」
女の子が私の予想を否定した。
「お母さんが入院してるから、元気になるまで二人で家事の練習をしてるの」
「……ふーん」
入院。女の子の口から出て来たそのワードに親近感を覚えてしまうのは、やはりこんな体を持ってしまった私の性なのだろうか。……ま、この子のお母さんの事なんて私とは何の関係もないんだけどさ。
「病気?」
「怪我。車に轢かれちゃって、今は手と足に輪っかをくっつけてる」
「輪っか? 創外固定器の事?」
「わかんないけど……。でも明日、手の骨に入ってるネジを取る手術をするって」
「あー、じゃあ創外固定器で合ってるよ。ネジを取るって事は抜釘手術だね。なるほどなるほど、そりゃあ確かに心配だ。お母さん、いつから入院してるの?」
「三ヶ月前から」
「……へ、へー。三ヶ月前かー」
私は苦笑いを浮かべながら視線を逸らした。前言撤回。魔女の限界に到達し、自暴自棄になってつまらない事故を起こし続けていた時期の私と一致する。……いや、でも私が手を下さずとも交通事故なんて常日頃から起きているんだし、この子のお母さんを入院させたのが私だって決めつけるのは。
「……うん。なんか車のタイヤがいきなり爆発しちゃったんだって」
だったら間違いなく私の仕業だった。苦笑いが止まらない。私は不自然にならない程度の笑みを維持しながら彼女の事を励ました。
「ま……、まぁでもほら。生きてたんでしょ? ならよかったじゃん」
「……良かったの?」
訝しげな視線を向けられる。命は取り留めたとは言え、それでも母親と数ヶ月も離れ離れになってしまった不幸に対して、良かったと言うのはまずかっただろうか。
「良かったんだよ」
……でも。
「私の両親なんて、両方とも事故でおっ死んじゃったもん」
交通事故なんて、普通は死んでもおかしくはないのだ。それで命が繋ぎ止められたなら、それは良かったと言ってもいいはずだ。良かったと言うべきだ。特にあの頃の私は、わざわざ時間帯を夜に限定して事故を起こしまくっていたのだから。
日本の交通事故において、最も被害者の生死を左右する要因が時間帯である。昼に発生した交通事故というのは、よっぽど致命的な外傷を負わない限りは極めて生存率が高いものだ。あちこちの病院にお医者さんが在席しているからである。
しかし夜間の交通事故ともなると、そうはいかない。医者というのはどれだけ立派に聞こえても、結局は商売。いつ運ばれるかもわからない急患の為に、長時間病院に在席し続ける志の高いお医者さんなんて、滅多にいるものではない。
多くの医者が帰宅してしまった後の夜の病院というのは、絶対的に医者の数が足りておらず、酷い所では大学卒業したてで何の実務経験もない研修医しか配置していない病院も多いと聞く。そんな医者不足な夜間帯に事故なんて起こそうものなら、あちこちの病院をたらい回しにされた挙句に呆気なく死んでしまうのが関の山だ。私はその事をよく知っている。
「……そうなの?」
「うん」
そうなってしまった人の事を、よく知っている。そうなってしまった人の話を、何度も聞かされている。
「なんか、真夜中に私が産まれそうになったみたいでさ。それで二人とも大慌てで病院に向かったんだろうね。時間も時間だから寝起きでパニックになってたんだよ。そんな状態で車の運転なんかしたもんだから、うっかり事故を起こしちゃったんだ。お父さんは即死。後部座席のお母さんは病院までは持ち堪えたらしいけど、頭を強く打ったのが原因で意識が戻る事はなかった。なんかお母さん、車の中でお腹を庇うように倒れてたみたいなんだよね。それで私だけは無事に産まれて来れたんだって、周りの大人からはそう聞いてる」
ふと隣を見ると、女の子は私の服の裾を握り締めながら俯いていた。この子は私の事を天使と呼んだのだ。天使を傷つけてしまったと思い、悔やんでいるのだろうか。
「デデーン! うーそー!」
だから私はザンドを取り出し、かつて001号にもそうしたように【ドッキリ大成功!】の文字を浮かべたザンドを見せつけながら、彼女の事を揶揄ったのである。そして。
「ま、待って待って! ごめん! ごめんってば! ぶたないで!」
殴られた。しかし痛みにも達しない女の子の非力な拳がどこか愉快で、思わず笑みが溢れてしまった。
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たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
実はスライムって最強なんだよ?初期ステータスが低すぎてレベルアップが出来ないだけ…
小桃
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商業高校へ通う女子高校生一条 遥は通学時に仔犬が車に轢かれそうになった所を助けようとして車に轢かれ死亡する。この行動に獣の神は心を打たれ、彼女を転生させようとする。遥は獣の神より転生を打診され5つの希望を叶えると言われたので、希望を伝える。
1.最強になれる種族
2.無限収納
3.変幻自在
4.並列思考
5.スキルコピー
5つの希望を叶えられ遥は新たな世界へ転生する、その姿はスライムだった…最強になる種族で転生したはずなのにスライムに…遥はスライムとしてどう生きていくのか?スライムに転生した少女の物語が始まるのであった。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
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この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
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