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第三章 続 魔女と天使の腎臓
死にたがりは金になる
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<エンジェルサンタ>
『はじめまして。突然のメッセージ失礼します。ここに書いてある草と自転車と氷の絵文字ですけど、これって大麻とコカインと覚醒剤で間違いないですか?』
<エンジェルサンタ>
『それと手押しというのは直接お会いして買い取るという意味であっていますか?』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『はじめまして。大変申し訳ありませんが、プロフィールにも書いてある通り、基本的に質問は受け付けておりません』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『また、エンジェル様のアカウントは作りたての使い捨てアカウントとお見受けします。質問に関しては、ここ数年の活動記録がある本アカウントの使用者のみ、必要最低限の解答をさせていただいております。ご了承ください』
<エンジェルサンタ>
『すみません。アカウントの使い捨てってなんですか…? 最近スマホを買ってもらったばかりで、あまり詳しくなくて…』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『なるほど。失礼ですが、エンジェル様は未成年の方でしょうか?』
<エンジェルサンタ>
『はい。高一です』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『わかりました。では、何か身分を証明出来るものはお持ちですか?』
<エンジェルサンタ>
『学生証ならありますけど…、でもそれはちょっと難しいです』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『生年月日と顔写真以外は隠していただいても構いません』
私は相手の指示通り、私が現役のJKである事が伝わるように、学生証から生年月日と顔写真以外をテープで隠して写真を送りつけた。
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『念の為、制服や教科書、授業で使用しているノートなどの写真も送っていただけますか? 偽造防止の為、手書きでエンジェルサンタと記載した紙も一緒に写していただけると幸いです』
用心深い相手だ。でもこれも相手の信頼を勝ち取る為である。私は相手の指示通り、学校で使っている学習道具に、エンジェルサンタと記載したノートの切れ端を添えて写真で送った。そして。
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『確認しました。エンジェル様は最近スマホを契約したとの事ですので、特別にお話をお聞きします』
JKという若い女である事を前面に押し出したブランドは、中々にして使い勝手の良い代物だと思った。
◇◆◇◆
「お、待ってたよ」
「……こんばんは」
初夏の夜。日が沈んだ程度では気温も下がらなくなり出した、やや蒸し暑さを感じる住宅街のマンションに、一人の女子高生が訪れた。
「大丈夫? 押すよ」
話には聞いていたものの、実際に車椅子に乗って訪問して来たその姿には、どこか思うものがあった。俺は彼女が玄関先の段差を乗り越えられるよう、数十キロの鉄の塊と女子高生の両方を運搬するべく手を差し伸べたものの。
「……あ、疲れない程度なら歩けるので。……じゃあその、車椅子だけお願いします」
しかし彼女は両足で立って入室してくれた為、俺は数十キロの車椅子を運ぶ以上の力を消耗する事はなかった。見たところ、彼女から漂う警戒心は希薄に感じる。まぁ実際、彼女が警戒を抱かないよう、仲間内で最も体付きの細い俺が彼女を出迎えるようにと指示されたわけだが。
玄関を開けた瞬間に雪崩れ込んで来た外の熱気が、やけに気持ち悪い。しかしそれも彼女の警戒心を極力刺激しないよう、七月という季節でありながら、タトゥーを隠せる長袖を着た俺に一番の問題があるのは明白だった。
「車椅子、ここに置いておくから……」
車椅子を玄関先に収納し、振り返る。するとどうしたものだろう。彼女はわざわざ入ってくださいと言わんばかりに解放した居間へ続く扉ではなく、ぴっちりと閉ざされた襖に手を伸ばしているじゃないか。
「違う。こっち」
「……あ、すみません」
俺は彼女の手首を掴み、すぐさま居間の方へと案内した。
「適当に座ってよ。あ、何か飲む? つっても未成年が飲めるのは水道水かジンジャエールくらいしかないけど」
キッチンの冷蔵庫を開けながら彼女に訊ねてみた。今更未成年飲酒程度の軽犯罪に躊躇いを見せる、俺なりのギャグだ。
「……いえ、大丈夫です。……私、水分摂れないから」
しかし彼女にはウケなかったのか、それともギャグである事にさえ気づいてもらえていないのか。彼女は酷く冷めた反応でそう答えた。
「あー、そうだったね。ごめんごめん」
そんな彼女の前で俺だけ何かを飲むのも気が引ける為、俺は愛想笑いと平謝りを彼女に捧げ、彼女の座るソファの隣に腰を下ろした。
「俺、あまり病気とか詳しくなくてさ。腎臓ってそんなに悪いの?」
いきなり本題に突入するのもあれだろう。警戒心は希薄でも、彼女は高一という幼さで見知らぬマンションの一室に足を踏み入れたのだ。ある程度の恐怖や不安くらいは覚えているだろうし、それらの気持ちを解す目的で、ちょっとした世間話から始める事にした。
「……そうですね。病院から水筒を支給されていて……、それ以上のお水は飲めないです。……食事も、基本は水分の多い麺類とか……、プリンやゼリーも控えてます」
「わー、そんな若いうちから大変だ。十代とか一番食べたい盛りだろうに」
俺は彼女の全身を、頭から爪先まで隈無く見つめてみる。体は悪いと言っても、体の不調が目に見える形で現れているわけではない。糖尿病患者って最悪を足を切ったりするらしいけど、彼女はぱっと見た感じ五体満足で、こうして座っているだけではそんじょそこらの一般人とは変わらないように見えた。そして。
「おまけに病気を理由にいじめなんてな……」
俺は彼女の手首を掴み、そこに刻まれた四本の切り傷を見ながら慰めの言葉をかけてやった。
死にたい。彼女がSNSを通じ、俺達に救済を求めて来たのが一昨日の事。幼い頃に糖尿病を発症し、今は体の負担を減らす為に車椅子での生活を強いられている。彼女はそんな自分の体にコンプレックスを抱えていて、自分と同じ境遇の人達が集まる特別支援学校に通いたいと親に相談したのだとか。しかし彼女の両親は障害者に対する偏見から彼女の意思を断固拒絶し、彼女を一般の高校に通わせた。その結果彼女は周囲から奇異な目を向けられるようになり、今ではいじめに苦しみ自殺未遂を数度経験しているらしい。
「ガイジはガイジの学校に行け、だっけ? そう言うの平気で言っちゃうやつ、本当にいるんだなぁ」
本当、馬鹿な女だと思った。まぁ、そう言う馬鹿のおかげで俺達の商売が成り立っているんだから、あまりこいつらを馬鹿呼ばわりするのも心が引けるのだが。
「……あの」
「ん?」
「……えっと。本当にここのお薬を使えば……苦しまずに死ねるんですか?」
折角彼女の精神状態を考慮して世間話から始めたものの、しかし彼女の方から本題を持ちかけられてしまった。目先の事しか考えられない、典型的なカモの特徴だ。商売柄、俺達はこう言った自殺願望のある女を数多く相手にする事になる。自殺願望。そう、あくまで願望だ。妄言と言っても間違いではないだろう。
「俺達は人を殺す為に商売をしているんじゃない。こういう方法でしか救えない人達の為に薬を売っているんだよ」
自殺未遂者と自殺者の男女比には明確な差が出ている。自殺未遂者の多くは女であるのに対し、実際の自殺者の多くは男が占めているのだ。俺は女の言う死にたいを信じない。そんな女を散々商売で相手にして来たからこそ、そう思える。……が。
「病気を理由に迫害される。酷い事だと思う。高校を卒業するまでそんな生き地獄に身を置くとか、想像するだけでもゾッとするね。死にたくなるのもしょうがないよ」
馬鹿の相手を正面からする必要はない。こいつらが求めているのは可哀想な自分に共感し、同調してくれる仲間だけだ。数年もSNSで死にたい死にたいと愚痴り続けながら、今日も元気に生きている馬鹿を見る度に笑っちまうよ。お前ら死ぬ気ゼロかよって。
「でも、それで君が死ぬのはどう考えてもおかしい。死ぬべきなのは弱者を迫害し続けた加害者の方だ」
だからと言って、そんな馬鹿に正論を突きつけるような野暮な真似はしないが。奴らが求めるのは正しさではなく調和なのだ。毎日のように死にたいと呟いていながら、だったら死ねと返すと、奴らは猛獣の如く牙を向けてくる。自分が知能や理性の足りない馬鹿な動物である事を、その攻撃性を用いて教えてくれるわけだ。
「それでも……死にたいんです。今まで何度も何度も死のうと思い立って……。線路に飛び込もうともしました。……でも、電車を停めたらとんでもないお金が……両親に請求されるって、ネットで見て……」
聞いてもいない自殺経験を語り出す馬鹿。それも自分が如何に心の清い人物なのかを教えるべく、親の為に死を躊躇ったという余分な情報まで付け加えてくる。飛び込む気なんて最初からなかったの一言で済ませられない、ゴミのようなプライドが惨めでたまらない。
「だから次は……首を吊ろうとも思って……。でも、すんでの所で親に見つかって、止められて、大泣きされて……っ」
自分が本気で死ぬ気であった事を信じ込ませる為に、またしても聞かれてもいないお涙頂戴エピソードを語り出す馬鹿。親に見つかったからどうした。止められたからどうした。親だって24時間お前を見張っていられるわけじゃない。最初の一回で失敗したのなら、今度は確実に親の目がない所で実行すればよかっただけだ。でも、こいつは結局今日の今日まで生き続けた。そんなに死にたかったのなら、今こうして、俺の目の前で、過去の思い出話なのか作り話なのかもわからない身の上話を未練がましく吐き捨てているお前は何者だ。本当に死ぬ気があるのなら、お前はとっくに死を選び、そんな話を口にする事さえ出来ていないんだ。
「ネットで……薬を沢山飲めば楽に死ねるって情報を見て、ODに手を出した事もありました。……でも、鎮痛薬を三箱もあけて、一気に飲んでも死ねませんでした……」
市販薬のODで簡単に死ねると思い込んでいる馬鹿。ODによる死に方をネットで知り、実行に移すような人間というのはやはり考えが足りない。薬を大量に摂取すれば死ねると言う事実にばかり目が行き、ODで死ねずに生き地獄を味わう羽目になった圧倒的大多数の失敗談には目もくれないからだ。
そもそもそんな気軽に死ねる毒が市販されているわけがない。薬と言うのは開発から販売に至るまで、安全性を確保する為に気が遠くなる程の動物実験を繰り返した上で薬局に並ぶのだから。薬の作用にはED50、TD50、LD50の三段階が存在する。
ED50。これだけの量を飲めば、100人中50人に薬の効き目が現れる容量。
TD50。これだけの量を飲めば、100人中50人に薬の毒性が現れる容量。
LD50。これだけの量を飲めば、100人中50人の人間が死に至る薬の容量。
市販されている薬の多くはED50の値が低く、TD50やLD50の値は高くなるように開発されている。薬の効果だけなら錠剤一粒で現れるものの、この薬を毒にする為には数十錠は飲む必要があり、この薬で死のうものなら数千錠は飲む必要があるわけだ。
有名な鎮痛薬としてはロキソニンなどがあるが、一般的な成人男性がこれで死ぬにはおよそ3000錠は飲む必要があるとも言われている。そうであるにも関わらず、世の中には大量の錠剤をアルコールで流し込む様子をSNSにあげるアホが後を絶たないのだから、この世界は酷く平和なものだ。
また、カフェイン製剤なら50錠も飲めば死ねると言う話もあるが、しかしそれもやはり困難極まりない行為である。それだけの量を一度に飲めば、当然体は拒否反応を起こして吐き出すからだ。なんとか嘔吐を耐え抜いたとしても、次に味わうのはカフェインに傷付けられた内臓痛との戦い。ODで即死出来るなんて事は滅多にない。かなりの長時間を激痛に捧げる事になり、結局耐え切れずに病院に運ばれ、そして胃洗浄を経て救済されるのだ。……ほんと。
「……もう……、私が死ぬにはここしか……、こういう所を頼るしか……っ」
死にたいって言う奴は、いつの時代も馬鹿しかいねえよ。そして、そう言う馬鹿のおかげで俺達は食っていけている。久しぶりに現役JKという極上の商売道具を恵んでくれた神様に、俺は心の底から感謝を捧げた。
『はじめまして。突然のメッセージ失礼します。ここに書いてある草と自転車と氷の絵文字ですけど、これって大麻とコカインと覚醒剤で間違いないですか?』
<エンジェルサンタ>
『それと手押しというのは直接お会いして買い取るという意味であっていますか?』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『はじめまして。大変申し訳ありませんが、プロフィールにも書いてある通り、基本的に質問は受け付けておりません』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『また、エンジェル様のアカウントは作りたての使い捨てアカウントとお見受けします。質問に関しては、ここ数年の活動記録がある本アカウントの使用者のみ、必要最低限の解答をさせていただいております。ご了承ください』
<エンジェルサンタ>
『すみません。アカウントの使い捨てってなんですか…? 最近スマホを買ってもらったばかりで、あまり詳しくなくて…』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『なるほど。失礼ですが、エンジェル様は未成年の方でしょうか?』
<エンジェルサンタ>
『はい。高一です』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『わかりました。では、何か身分を証明出来るものはお持ちですか?』
<エンジェルサンタ>
『学生証ならありますけど…、でもそれはちょっと難しいです』
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『生年月日と顔写真以外は隠していただいても構いません』
私は相手の指示通り、私が現役のJKである事が伝わるように、学生証から生年月日と顔写真以外をテープで隠して写真を送りつけた。
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『念の為、制服や教科書、授業で使用しているノートなどの写真も送っていただけますか? 偽造防止の為、手書きでエンジェルサンタと記載した紙も一緒に写していただけると幸いです』
用心深い相手だ。でもこれも相手の信頼を勝ち取る為である。私は相手の指示通り、学校で使っている学習道具に、エンジェルサンタと記載したノートの切れ端を添えて写真で送った。そして。
<都内手押し限定 郵送は要相談>
『確認しました。エンジェル様は最近スマホを契約したとの事ですので、特別にお話をお聞きします』
JKという若い女である事を前面に押し出したブランドは、中々にして使い勝手の良い代物だと思った。
◇◆◇◆
「お、待ってたよ」
「……こんばんは」
初夏の夜。日が沈んだ程度では気温も下がらなくなり出した、やや蒸し暑さを感じる住宅街のマンションに、一人の女子高生が訪れた。
「大丈夫? 押すよ」
話には聞いていたものの、実際に車椅子に乗って訪問して来たその姿には、どこか思うものがあった。俺は彼女が玄関先の段差を乗り越えられるよう、数十キロの鉄の塊と女子高生の両方を運搬するべく手を差し伸べたものの。
「……あ、疲れない程度なら歩けるので。……じゃあその、車椅子だけお願いします」
しかし彼女は両足で立って入室してくれた為、俺は数十キロの車椅子を運ぶ以上の力を消耗する事はなかった。見たところ、彼女から漂う警戒心は希薄に感じる。まぁ実際、彼女が警戒を抱かないよう、仲間内で最も体付きの細い俺が彼女を出迎えるようにと指示されたわけだが。
玄関を開けた瞬間に雪崩れ込んで来た外の熱気が、やけに気持ち悪い。しかしそれも彼女の警戒心を極力刺激しないよう、七月という季節でありながら、タトゥーを隠せる長袖を着た俺に一番の問題があるのは明白だった。
「車椅子、ここに置いておくから……」
車椅子を玄関先に収納し、振り返る。するとどうしたものだろう。彼女はわざわざ入ってくださいと言わんばかりに解放した居間へ続く扉ではなく、ぴっちりと閉ざされた襖に手を伸ばしているじゃないか。
「違う。こっち」
「……あ、すみません」
俺は彼女の手首を掴み、すぐさま居間の方へと案内した。
「適当に座ってよ。あ、何か飲む? つっても未成年が飲めるのは水道水かジンジャエールくらいしかないけど」
キッチンの冷蔵庫を開けながら彼女に訊ねてみた。今更未成年飲酒程度の軽犯罪に躊躇いを見せる、俺なりのギャグだ。
「……いえ、大丈夫です。……私、水分摂れないから」
しかし彼女にはウケなかったのか、それともギャグである事にさえ気づいてもらえていないのか。彼女は酷く冷めた反応でそう答えた。
「あー、そうだったね。ごめんごめん」
そんな彼女の前で俺だけ何かを飲むのも気が引ける為、俺は愛想笑いと平謝りを彼女に捧げ、彼女の座るソファの隣に腰を下ろした。
「俺、あまり病気とか詳しくなくてさ。腎臓ってそんなに悪いの?」
いきなり本題に突入するのもあれだろう。警戒心は希薄でも、彼女は高一という幼さで見知らぬマンションの一室に足を踏み入れたのだ。ある程度の恐怖や不安くらいは覚えているだろうし、それらの気持ちを解す目的で、ちょっとした世間話から始める事にした。
「……そうですね。病院から水筒を支給されていて……、それ以上のお水は飲めないです。……食事も、基本は水分の多い麺類とか……、プリンやゼリーも控えてます」
「わー、そんな若いうちから大変だ。十代とか一番食べたい盛りだろうに」
俺は彼女の全身を、頭から爪先まで隈無く見つめてみる。体は悪いと言っても、体の不調が目に見える形で現れているわけではない。糖尿病患者って最悪を足を切ったりするらしいけど、彼女はぱっと見た感じ五体満足で、こうして座っているだけではそんじょそこらの一般人とは変わらないように見えた。そして。
「おまけに病気を理由にいじめなんてな……」
俺は彼女の手首を掴み、そこに刻まれた四本の切り傷を見ながら慰めの言葉をかけてやった。
死にたい。彼女がSNSを通じ、俺達に救済を求めて来たのが一昨日の事。幼い頃に糖尿病を発症し、今は体の負担を減らす為に車椅子での生活を強いられている。彼女はそんな自分の体にコンプレックスを抱えていて、自分と同じ境遇の人達が集まる特別支援学校に通いたいと親に相談したのだとか。しかし彼女の両親は障害者に対する偏見から彼女の意思を断固拒絶し、彼女を一般の高校に通わせた。その結果彼女は周囲から奇異な目を向けられるようになり、今ではいじめに苦しみ自殺未遂を数度経験しているらしい。
「ガイジはガイジの学校に行け、だっけ? そう言うの平気で言っちゃうやつ、本当にいるんだなぁ」
本当、馬鹿な女だと思った。まぁ、そう言う馬鹿のおかげで俺達の商売が成り立っているんだから、あまりこいつらを馬鹿呼ばわりするのも心が引けるのだが。
「……あの」
「ん?」
「……えっと。本当にここのお薬を使えば……苦しまずに死ねるんですか?」
折角彼女の精神状態を考慮して世間話から始めたものの、しかし彼女の方から本題を持ちかけられてしまった。目先の事しか考えられない、典型的なカモの特徴だ。商売柄、俺達はこう言った自殺願望のある女を数多く相手にする事になる。自殺願望。そう、あくまで願望だ。妄言と言っても間違いではないだろう。
「俺達は人を殺す為に商売をしているんじゃない。こういう方法でしか救えない人達の為に薬を売っているんだよ」
自殺未遂者と自殺者の男女比には明確な差が出ている。自殺未遂者の多くは女であるのに対し、実際の自殺者の多くは男が占めているのだ。俺は女の言う死にたいを信じない。そんな女を散々商売で相手にして来たからこそ、そう思える。……が。
「病気を理由に迫害される。酷い事だと思う。高校を卒業するまでそんな生き地獄に身を置くとか、想像するだけでもゾッとするね。死にたくなるのもしょうがないよ」
馬鹿の相手を正面からする必要はない。こいつらが求めているのは可哀想な自分に共感し、同調してくれる仲間だけだ。数年もSNSで死にたい死にたいと愚痴り続けながら、今日も元気に生きている馬鹿を見る度に笑っちまうよ。お前ら死ぬ気ゼロかよって。
「でも、それで君が死ぬのはどう考えてもおかしい。死ぬべきなのは弱者を迫害し続けた加害者の方だ」
だからと言って、そんな馬鹿に正論を突きつけるような野暮な真似はしないが。奴らが求めるのは正しさではなく調和なのだ。毎日のように死にたいと呟いていながら、だったら死ねと返すと、奴らは猛獣の如く牙を向けてくる。自分が知能や理性の足りない馬鹿な動物である事を、その攻撃性を用いて教えてくれるわけだ。
「それでも……死にたいんです。今まで何度も何度も死のうと思い立って……。線路に飛び込もうともしました。……でも、電車を停めたらとんでもないお金が……両親に請求されるって、ネットで見て……」
聞いてもいない自殺経験を語り出す馬鹿。それも自分が如何に心の清い人物なのかを教えるべく、親の為に死を躊躇ったという余分な情報まで付け加えてくる。飛び込む気なんて最初からなかったの一言で済ませられない、ゴミのようなプライドが惨めでたまらない。
「だから次は……首を吊ろうとも思って……。でも、すんでの所で親に見つかって、止められて、大泣きされて……っ」
自分が本気で死ぬ気であった事を信じ込ませる為に、またしても聞かれてもいないお涙頂戴エピソードを語り出す馬鹿。親に見つかったからどうした。止められたからどうした。親だって24時間お前を見張っていられるわけじゃない。最初の一回で失敗したのなら、今度は確実に親の目がない所で実行すればよかっただけだ。でも、こいつは結局今日の今日まで生き続けた。そんなに死にたかったのなら、今こうして、俺の目の前で、過去の思い出話なのか作り話なのかもわからない身の上話を未練がましく吐き捨てているお前は何者だ。本当に死ぬ気があるのなら、お前はとっくに死を選び、そんな話を口にする事さえ出来ていないんだ。
「ネットで……薬を沢山飲めば楽に死ねるって情報を見て、ODに手を出した事もありました。……でも、鎮痛薬を三箱もあけて、一気に飲んでも死ねませんでした……」
市販薬のODで簡単に死ねると思い込んでいる馬鹿。ODによる死に方をネットで知り、実行に移すような人間というのはやはり考えが足りない。薬を大量に摂取すれば死ねると言う事実にばかり目が行き、ODで死ねずに生き地獄を味わう羽目になった圧倒的大多数の失敗談には目もくれないからだ。
そもそもそんな気軽に死ねる毒が市販されているわけがない。薬と言うのは開発から販売に至るまで、安全性を確保する為に気が遠くなる程の動物実験を繰り返した上で薬局に並ぶのだから。薬の作用にはED50、TD50、LD50の三段階が存在する。
ED50。これだけの量を飲めば、100人中50人に薬の効き目が現れる容量。
TD50。これだけの量を飲めば、100人中50人に薬の毒性が現れる容量。
LD50。これだけの量を飲めば、100人中50人の人間が死に至る薬の容量。
市販されている薬の多くはED50の値が低く、TD50やLD50の値は高くなるように開発されている。薬の効果だけなら錠剤一粒で現れるものの、この薬を毒にする為には数十錠は飲む必要があり、この薬で死のうものなら数千錠は飲む必要があるわけだ。
有名な鎮痛薬としてはロキソニンなどがあるが、一般的な成人男性がこれで死ぬにはおよそ3000錠は飲む必要があるとも言われている。そうであるにも関わらず、世の中には大量の錠剤をアルコールで流し込む様子をSNSにあげるアホが後を絶たないのだから、この世界は酷く平和なものだ。
また、カフェイン製剤なら50錠も飲めば死ねると言う話もあるが、しかしそれもやはり困難極まりない行為である。それだけの量を一度に飲めば、当然体は拒否反応を起こして吐き出すからだ。なんとか嘔吐を耐え抜いたとしても、次に味わうのはカフェインに傷付けられた内臓痛との戦い。ODで即死出来るなんて事は滅多にない。かなりの長時間を激痛に捧げる事になり、結局耐え切れずに病院に運ばれ、そして胃洗浄を経て救済されるのだ。……ほんと。
「……もう……、私が死ぬにはここしか……、こういう所を頼るしか……っ」
死にたいって言う奴は、いつの時代も馬鹿しかいねえよ。そして、そう言う馬鹿のおかげで俺達は食っていけている。久しぶりに現役JKという極上の商売道具を恵んでくれた神様に、俺は心の底から感謝を捧げた。
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