上 下
181 / 236
第三章 続 魔女と天使の腎臓

人殺しの勉強しかしてこなかった

しおりを挟む
 私の警告が功を成したのか、それとも001号と002号が辿った末路に恐れを成したのかはわからないが、それから先は特に大きな問題も発生しない平和な日々が続いた。

 監禁生活二ヶ月目。問題なし。

 監禁生活三ヶ月目。問題なし。

 監禁生活四ヶ月目。問題なし。




 監禁生活五ヶ月目。

『私、今日から一ヶ月間は一日一回しか来れなくなるかも』

 今年も残す所あと十数日となった十二月中旬。私は自分の置かれている境遇について、お母さん003号と005号に説明した。

『来月高校受験があって色々忙しいんだー。塾の時間も毎日増えてる。正直、今更受験勉強なんて必要ないけど、それでも勉強している体裁だけは取り繕っておかないといけないからね』

 説明したはいいが、彼女達から返事が返って来る事はない。001号の自殺以来、003号まで005号のような無口になってしまったのだ。この数ヶ月間、特に大きな問題が発生する事はなかったとは言ったものの、正確には小さな問題さえ発生しようがない程この部屋は静まり返っていると言うべきだろう。

 平和なのは良い事だ。しかし、彼女達を包む平和の正体は静かではなく無関心に近い。自分の境遇に無関心なのはこの際構わないけれど、いずれ産まれて来る私のクローンにまで無関心を貫かれると少し困ってしまう所だ。

 今からおよそ800年前のローマ皇帝、フリードリヒ二世はふと考えた。「言葉を一切教わらずに育った赤ちゃんは、果たしてどんな言語を話すのだろう」と。

 この検証をするべく、フリードリヒ二世は捨て子や部下の赤ちゃんを掻き集めて隔離した後、栄養摂取と排泄物の処理のみを施して、その他一切のコミュニケーションを取る事を禁じた。しかしその結果は悲惨な物で、集められた赤ちゃん達は全滅してしまったのだそうだ。

 800年も昔の話だし、それが実話である保証はないけれど、もしもそれが実話なのだとしたら、私はその死因はコミュニケーション不足によって発生したストレスが原因ではないかと思う。ストレスはT細胞やB細胞のようなリンパ球の生産を抑制し、免疫力を低下させるからだ。おまけに800年前の世界にはワクチンなんて存在しないし、病気に罹った際の適切な薬剤だって存在しない。現代ではただの風邪で済むような病気でさえ脅威になり得る時代なのだ。

 003号と005号が無事に出産したとして、自分の置かれた境遇にさえ関心を示さなくなった彼女達は、果たして私のクローンを愛してくれるのだろうか。折角産まれて来たのに、愛情不足による免疫力の低下で感染症になんて罹って死なれたらたまったもんじゃない。なんとか彼女達に生きる希望を持って貰う方法はないものか。

『そうだ! 来週みんなでクリスマスパーティーしようよ!』

 そこで私は一つの提案を彼女達に持ちかけた。思えば彼女達はこの五ヶ月間、この閉鎖された空間でただただ生き続けているだけだった。口を開け、栄養を摂取し、呼吸をして生命活動を持続させる。たったそれだけの存在でしかなかった。折角暇つぶしの為のテレビだって用意してあるのに、今やそれさえ見ようともしないのだ。もはや彼女達は内臓を動かしているだけの肉塊のようにしか思えない。

 この辺で一つ、刺激を与えてみよう。季節の行事をほんの少しでも味わえば、少しはその死んだ魚のような目にも活力が戻るかも知れない。

 私は早速クリスマスパーティーの準備に取り掛かった。クリスマスは私にとっても特別な日である。この世界にクリスマスという行事が無ければ、私はきっとこんな名前になる事はなかった。クリスマスは私に名前を授けてくれた素晴らしい日である。私を産む事になる003号と005号は、あのクソババアよりもよっぽど私の家族に近しい存在だ。本当のお母さんと言っても過言じゃない。

 今年のクリスマスは本当の家族と過ごす事が出来る。その事実を源に、私はクリスマスの準備を張り切った。




 クリスマスイヴ。

『……嘘』

 両手いっぱいに抱えたケーキやチキン、そして彼女達の為に用意したクリスマスプレゼントが、私の手から溢れ落ちた。この部屋に入った瞬間、私は動揺してしまったのだ。

 003号が苦しんでいた。背中を丸め、お腹を抱え、歯を食いしばりながら涙も浮かべている。最悪なシナリオが頭に過った。

『ザンド!』

 私はすぐにザンドを取り出し、透視の魔法を使い003号の下腹部の様子を見る。私の予想は当たっていた。003号の子宮口は開いており、羊膜の一部が外にはみ出ていたのだ。彼女達は現在妊娠23週目の妊婦である。人の妊娠期間はおよそ40週。彼女が切迫早産を引き起こし、未熟児を出産しようとしているのは火を見るより明らかだった。

『これ……陣痛だよね。いつから起きてたの?』

 私の問いかけに003号は答えなかった。返事をする余裕さえないのだろう。困った。何時間も前から陣痛が起きていたのなら、いつ破水してもおかしくはない。

 透視の精度を上げて、今度は子宮の内部も確認してみる。するとそこでは更に最悪な光景が広がっていた。逆子だ。003号の胎児はお尻を子宮口に向けていたのだ。これでも月に一度は透視の魔法で彼女達の子宮の様子を確認している。先月まではちゃんと頭が下を向いていたのに……。

 本来、出産というのは胎児の頭が最初に出てこなければならない。赤ちゃんというのは産声をあげるまでは、例え出産の最中であっても、へその緒を通して母体から酸素と栄養を供給され続けているからだ。

 へその緒は読んで字の如く、胎児のおへそから生えている。その為、出産の際に胎児の足やお尻が最初に出て来てしまうと、胎児のへその緒は母体の産道によって圧迫され、酸素の供給が断たれてしまう。そうなっては頭が出てくるまでの十数分間を無酸素状態で過ごす羽目になり、死産となる可能性が極めて高い。

 故に出産は頭の方から先に出て来るように、胎児の頭が下を向いていなければならない。お尻や足が下を向いている逆子を出産しようものなら、取るべき選択肢は一つ。帝王切開だ。……でも。

『……無理だよ』

 前述したように、彼女の妊娠期間はたったの23週しかない。産まれて来る子供は、人工呼吸器無しには生きる事も出来ない未熟児……。いや、超未熟児である。

 早産と流産は、胎児の産まれて来る時期によって明確に区別される。早産とは妊娠22週から36週までの出産の事であり、それよりも早い出産の事を流産と呼ぶのだ。

 妊娠23週目の003号はギリギリ早産圏内ではあるものの、しかし多くの病院では、妊娠22週~23週で産まれてきた超未熟児に、積極的な延命措置を取る事はない。超未熟児の命を繋ぎ止めた所で、その子には一生物の重い障害が付き纏う可能性が極めて高いからだ。そのリスクを理解した上で、それでも親が助けたいと望んだ場合に限り、専門の病院を紹介されて助ける事になる。

 それらの知識を踏まえた上で、私は今一度考える。本当に003号に帝王切開を施しても良いのかどうか。

 帝王切開の成功率は極めて低い。そりゃそうだ。私の医学は人の死に方を知る為に身につけた知識。病理学や毒性学、薬理学、微生物学、感染症学や疫学などの知識は存分に身につけているものの、外科学や内科学的な知識は、勉強のついでに流し読みする程度しか身につけていない。要するに自信がないのだ。そんな私が帝王切開をするとしたら、魔法のサポートはほぼ皆無の状態で行う事になるだろう。

 そして仮に帝王切開を成功させたとして、産まれて来た私のクローンはどうなると言うんだ。超未熟児を生存させ続けるには、大学病院に相当する高度な医療設備が必須だ。それら全てを私程度の魔法で補うだなんて、無茶振りにも程がある。

 大体それらの問題を全てクリアした所で、生まれて来る子の未来は障害児である可能性が極めて高い。超未熟児の半数近くは軽度から中程度の障害を背負う事になるし、1~2割に至っては障害者手帳一級、二級レベルの障害を背負う事になるとも言われている。腎機能障害や呼吸器障害、心機能障害ならまだ使い捨てる事は出来ただろう。けれど重度の脳性麻痺や発達障害を抱えた場合、最低限の意思疎通さえ不可能で、使い捨てる事さえ出来ない可能性が出てくるのだ。

 私は今一度考える。私がクローンを作ろうと思ったのは、巨大ロボを操る為の脳の負担を分担させる為。当然ながらその為には最低限の意思疎通は必要不可欠だ。故に身体的障害ならまだしも、知的障害を発症されてはこの子の価値は暴落したも同然と言える。

 私のような未熟な医療知識で帝王切開を行うリスク。帝王切開を成功したとして、産まれて来た超未熟児の命を繋ぎ止めるリスク。超未熟児の命を繋ぎ止めたとして、重度の障害を残さずに成長させるリスク。それらのリスクを踏まえた上でこの子を助ける理由は。

『……』

 助ける理由は……。

『…………』

 助ける理由は……、ないはずなのに。

『……い……いだぁい……っ!』

 003号の悲鳴を聞いた途端、私の体は理屈を跳ね除け、勝手に動き出した。

『ザンド!』

 私は魔法を唱え、ここから最も近場の産婦人科から手術に必要な器具をテレポートさせる。しかし。

『うあぁっ⁉︎』

 私の右手から肉が抉れた。遠距離からの物質移動に私の魔法はついて来れなかった。失敗だ。私の魔法は失敗したんだ。久しぶりに味わった魔法の失敗に、ギリギリと歯茎に力が入る。

 魔法の失敗はいつもこうだ。気が動転した時、自信を失くした時、パニックを起こした時。普段なら何気なく使えるような魔法でも、私の精神状態によっては呆気なく失敗する。魔法が自然現象からかけ離れた事象程失敗しやすいのは知っている。でも私はこれまでに色んな魔法を成功させているじゃないか。

 透明化と言う、色素を完全に喪失させる魔法は成功するくせに。ロボット作りと言う、無から有を生み出す魔法は成功するくせに。空を飛ぶ魔法も、身体強化の魔法も、音を消す魔法も成功するくせに。どうしてこう言う時に限って、瞬間移動の魔法が……

『003号!』

 けれど、今はそんな泣き言を言っている場合じゃない。私は003号に駆け寄り、痛みに悶える彼女を励ました。

『すぐに戻って来るからそれまで何とか耐えて! 今の妊娠期間で破水したらお腹の子は絶対に助からない! 三十分……ううん、十分で戻るから!』

 私はレンタルスペースを飛び出し、近所の産婦人科まで全速力で駆け出した。

 必要な物はなんだろう。帝王切開を実行するのは本当に最後の最後の手段だ。一番理想的なのは、切迫早産を停滞させて、一日でも長く私のクローンを003号の子宮内に留めておく事。最低でも妊娠24週まで持っていければ、多くの病院で積極的な延命措置を取り入れるようになる。妊娠23週と24週とでは、胎児の発達具合にそれだけの差が出て来るからだ。

 003号の子宮の異常収縮を抑える為にウテメリンは必須だ。でも、ウテメリンで効き目が見られないようなら更に効果の強いマグセントも選択肢に入る。マグセントはウテメリン以上の筋肉異常収縮緩和効果を見せるものの、その高過ぎる効力のせいで、一部の界隈からは妊婦殺しという不名誉な異名まで付けられている薬剤。出来ればウテメリンだけで対処出来ればいいけれど……。

 でも、それらの薬剤を使っても切迫早産を止められないなら、いよいよ帝王切開をしなくてはならない。だとしたら外科的な手術道具も大量に盗む必要が出てくる。メス、鉤、剪刃、鉗子、鑷子は当然として、切開後に子宮や筋膜、皮膚を縫合する為に吸収性縫合糸と非吸収性縫合糸及びそれらを扱う為の持針器だって必要になってくる。

 そうだ、手術をするなら麻酔だって必要だ。だけど使うにしても麻酔の選択は? 局所麻酔でいいの? 緊急性を伴う状況だし全身麻酔にしないといけないんじゃ……。だとしたら人工呼吸器が必要になるし、その上で手術をしながら003号の血圧、脈拍、体温などを確認して、ケースに応じた適切な輸液や輸血管理なんかも求められる。

 あぁ、でもダメだ。だって003号は普通に食事を摂っている。全身麻酔なんかしようものなら誤嚥性肺炎を招きかねない。私のクローンを産んだ後は初乳を飲ませて免疫だってつけさせないといけないのに、そんな初歩的なミスで母体を死なせるわけには……。

 そもそもの話、無菌室でもないあの部屋で手術を実行してもいいの? そんな事をしたら傷口からの細菌感染は免れないし、抗生物質を投与しようにもどんな細菌に感染するかわからないんだ。なら一体どの抗生物質を投与すればいいの? ペニシリン系やセフェム系だとアレルギー反応を起こす可能性がある。だとしたらショックによって呼吸困難が発生する可能性があるし、血圧を上昇させる為のアドレナリンも必要だ。だったらマクロライド系抗菌薬はどうだろう。これはペニシリン系抗菌薬に対してアレルギー反応を示す患者に投与する抗生物質だし、安全性で言えば……。いや、ダメだ。傷口から侵入した細菌が大腸菌や緑膿菌だった場合、マクロライド系は効果を発揮しない。ならテトラサイクリン系なら……あー、これもダメ。論外だ。テトラサイクリン系抗菌薬は胎児の骨の発達を妨げるから妊婦には投与出来ない。いや、でもどうだろう。だって今回の使用はあくまで帝王切開の為のもの。胎児と母体はすぐに分離されるし、ならテトラサイクリン系でも問題はないんじゃ。……いや、そもそも一種類の抗生物質だけを投与する考えが間違っているんだ。一種類の抗生物質だけを投与すれば、傷口から侵入した細菌はあっという間に薬剤耐性を獲得してしまう。そうならない為にも抗生物質を投与する時は複数の抗生物質をループしながら使う必要があって……。そうなってくると選択の幅が格段に増えて来る。抗生物質なんて他にもアミノグリコシド系やカルバペネム系、それにオキサゾリジノン系やキノロン系のような合成抗菌薬だってあって……。あー、もう。医者は何を基準に最適な抗生物質を選んでいるの? 大体、普通の人には使えるのに妊婦には使用が推奨されない薬が多すぎるんだよ。これだけ数ある抗生物質の中から適切な薬剤を選べだなんて言われても……。

『……』

 私は。

『…………』

 私は……。

『……………………』

 私は……!
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

わたし、九尾になりました!! ~魔法と獣医学の知識で無双する~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:437

華夏の煌き~麗しき男装の乙女軍師~

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:96

猟犬リリィは帰れない ~異世界に転移したけどパワハラがしんどい~

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:30

裏口診療所 ~貧乏医者、現代医療で成り上がり

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:31

彼女は予想の斜め上を行く

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:477

公爵令嬢は薬師を目指す~悪役令嬢ってなんですの?~【短編版】

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:59

コールドスリーパーの私が異世界で目を覚ます

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:29

処理中です...