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第三章 続 魔女と天使の腎臓

お母さん004号、下克上

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 殺すつもりはない。もちろん折角妊娠したのだから、わざわざ彼女のお腹の子を堕ろさせる気だってない。けれどこの魔法の結果彼女が死んだり、彼女の子宮にいる私のクローンが流産する事になったとしても、その時はその時で別に構わない。そう思ってしまうくらいには、お母さん001号に対する私の愛は見る影もなく消え失せていた。

 お母さん001号の絶叫が室内に轟いた。ただでさえ八帖程度しかない小部屋である。彼女の絶叫が壁と天井で反響し、四方八方から私達の鼓膜に襲いかかった。

 医学的に痛みを数値化する事は不可能である。神経の鋭敏さなんて個体によって千差万別。私が痛いからと言って私以外の誰かも痛いとは限らないし、その逆もまた然り。生理痛で苦しんでいた時に、生理痛の軽い同級生からその程度で情けないと言われた日にはどれだけの殺意が芽生えた事だろう。今の私が同じ事を言われたら、有無を言わさず殺していたに違いない。

 そんな個体差の激しい痛みではあるが、しかし世の中には世界三大疼痛なる物も存在する。医療従事者による客観的な判断と、患者による主観的な経験が組み合わさる事で定義づけられた、この世で最も患者に激しい痛みを感じさせると言われている三つの病である。心筋梗塞、群発頭痛、尿路結石。私は今、お母さん001号の尿路にカルシウムを凝集させ、シュウ酸カルシウム結石を生み出した。

 腎臓→尿管→膀胱→尿道。これらの尿の通り道を総じて尿路と呼び、この中でも尿管に発生した結石が生み出す痛みは想像を絶するものだと言われている。結石が尿管を塞ぐ事で、腎臓で作り出した尿が膀胱へ送られず、腎臓側へ逆流するのだ。すると腎臓は逆流した尿道でパンパンに膨らみ、激痛を発生させるらしい。

 お母さん001号は胎児のように丸くなり、脇腹を抱えながら悶えていた。目からは大粒の涙が、口からは交感神経刺激による物と思われる大量のネバネバした唾液が溢れていて、私は思わず笑い転げてしまった。だって口から吐き出す唾液の量があまりにも多くて。

『マーライオンか!』

 私はお母さん001号の脇腹目掛けてツッコミまで入れてしまう。すると001号は更なる絶叫を放ちながらのたうち回る物だから、私の笑いは止まりどころを失ってしまった。

『ほ、ほらほら。ご、ごご、ご飯食べなよ。……っ、そ、それ食べ終わるまで治してあげ、……あ、あげな、あげないか……あっはははははーっ!』

 私に言われ、這いつくばりながらドッグフードの方へにじり寄る001号。しかし彼女はドッグフードなのに手掴みで頬張るものだから。

『いや、ドッグフードなのに手で食べるんかーい!』

 私はもう一度001号の脇腹にツッコミを入れてしまった。お笑い番組とか結構好きなんだ、私。特に芸人が不幸な目に遭う番組とか。

『あー……もうおかしい……っ。涙出てきた……っ』

 私は必死にドッグフードを貪る001号をよそに、次の用事を果たすべく、004号の前まで歩み寄った。

 私の接近に気がつくと、004号の表情に戦慄が浮かんだ。彼女が動揺しているのは目に見て明らかだ。少し意外だ。これまで自分に手をあげ続けた001号があんなにも悶えている。私への恐怖よりも、001号の不幸を喜ぶ気持ちの方が上回っていると思っていたんだけどな。私だったら絶対そうなのに。

『じゃあ次。004号』

 私は004号目掛けて手を伸ばす。

『……え。……な、何で? だ、だってわた、私……、わ、私……い、いち、い、一位って……一、一位だって……っ!』

 004号は、かつてガードをしたら余計痛い思いをすると教え込まれた事も、恐怖によって忘れてしまったのだろうか。私から来るであろう暴力に備え、頭を抱えながら身を丸めてしまった。だから私は彼女の勘違いを正す為に、その縮こまった体を優しく抱きしめてあげる。

『違うよ。大丈夫、勘違いさせてごめんね。004号ちゃんには何もしないから安心して?』

 震えが凄まじい。こんなに怯えて可哀想に。私は彼女の体を摩りながら、少しずつでもその震えを抑えてあげる。彼女の方から私を信じ、心を開いてくれるまでいつまでもこうしてあげようと思った。

『004号ちゃんの事はずっと見てたよ。あいつ酷いよね? あんな簡単に人の事を殴るなんて。004号ちゃんはこの中で一番の良い子なのに』

 縮こまった彼女の体が少しずつ解れて行くのを感じた。僅かに覗かせた顔から彼女と視線が合う。私は敵意を消しているつもりだけど、それでも004号の気持ちはまだ半信半疑……、いや。三信七疑と言ったところだろう。もっと優しく接して彼女の信頼を勝ち取らないと。

『……ううん、あいつだけじゃない。004号ちゃんをいじめたクラスのクソ共もだ。確かグループのリーダー格に、推しのアイドルが被っていたのがバレて徐々に無視されるようになったんだっけ? 同担拒否ってやつ? アホくさ。小学生かっつうの。別に同じアイドルを好きになったからって結婚出来るわけでもないのに』

 私はもう一度スマホを取り出した。この中には004号の信頼を勝ち取る為の最終兵器が入っているのだ。私はスマホを操作し、カメラロールに保存した一つの動画を004号ちゃんに見せてあげた。動画の内容はとある交通事故の現場映像だ。そこには腰から下が見るも無惨な肉塊と化した女子高生の亡骸が映し出されており、しかし腰から上は綺麗な原型を留めている為、彼女の顔を見た004号はわかりやすいくらいに目を丸くしてくれた。

『一番良い子でいてくれたご褒美。今日から004号ちゃんの事はエコ贔屓してあげる』

 私は004号を抱きしめる腕に力を入れ、彼女の頭を私の胸に埋めさせた。私の胸に宿る生暖かい感触は、彼女の涙や鼻水によるものだろう。しかしその涙が私に対する恐怖から来ているものでないのはよくわかった。004号も私の背中に腕を回し、縋るように私に泣きついて来たからだ。彼女の最大の敵を倒した私は、なんとか彼女の信頼を勝ち取る事が出来たらしい。私は004号の頭を撫でながら、他の四人にも今後の立ち振る舞いについてアドバイスした。

『みんなも特別扱いして欲しかったらそれ相応の行動を取るように。私は誠意にはちゃんと向き合うし応えるつもりだよ? ……まぁ、お母さん001号は生半可な誠意じゃ序列は変わらないと思うけどね』

 お母さん001号の方へ視線を送る。それと同時に001号も自らの役目を完遂したようで、空っぽになったお皿を突き返しながら『食べました!』と、懇願するように私に視線を送って来た。

『食べました……っ! ぜ、全部! 食べま、た、食べまじ……たぁっ!』

『……』

『だ、助けて……っ、い、いだ……いだぁ……っ! あぁぁぁ……っ! 治しで……、治しでぐだざ、……ぁい……! ぅあっ……! っ、あぁーっ⁉︎』

『ザンド』

 私は約束通り、魔法で彼女の尿管内の結石を粉々に粉砕してあげた。それらの破片は時が来れば勝手に尿と一緒に流れ出てくれるだろう。ひとまず最大の痛みからは解放された事で、お母さん001号は背中を丸めながら啜り泣く。私はそんな彼女の髪を掴み、無理矢理頭を上げさせ、食い入るように彼女の顔を覗き込みながら次の指令を下した。

『お前、今日からみんなのサンドバッグな』

『……へ?』

 とぼけた彼女を他所に、私は他のお母さん達へ今後の方針について伝えた。

『いい? 皆んな。何度でも言うけど、ストレスはホルモンバランスを崩して胎児に悪影響を及ぼすの。だから今日からストレスを感じたらすぐにこれで発散すること。ていうかストレスを感じなくても一日最低十回ずつはこいつを殴ってね? 出来ればお腹以外で。001号もよーく覚えておいておくんだよ?』

『……』

『毎日計四十回殴られなかったら、足りない分は私が補うから』

 私は001号を解放し、部屋の掃除とトイレの排泄物を回収してこの場を後にした。




 監禁五週間目。

 各お母さんをランク付けし、彼女達の扱いに徹底的な格差を付ける生活も、一週間が過ぎるとただの日常へとなれ果てる。

『004号ちゃん。あーん』

『あーん』

『美味しい?』

『はい、美味しいです』

『そ? 良かった』

 お母さん004号は、この一週間で大きく性格が変わった。私と言う最強の後ろ盾を手にした彼女は、もはやこの部屋の女王も同然だ。

 いじめられっ子は、いじめられる側の気持ちをわかってあげられる優しい子になる。そんなのは嘘だ。いじめとまではいかなくても、病気の事で軽度の迫害を受けて来た私だからわかる。

 いじりがいじめにまで発展する事はなかった。何故なら私には病人と言うお札が貼られている。私は弱者なのだ。障害者や病人というのは、社会という名の最強のボディガードに常日頃から守られている。一般人を殴るのと障害者を殴るのとでは、圧倒的に後者の方が社会的なイメージが悪い。そして幸運な事に、私を取り囲む大人達は特にそう言った意識の強い大人が多かった。周りの大人が躍起になって私のような弱者を守ってくれたのも相まって、私は今日まで軽度の迫害を超える仕打ちを受ける事なく、学園生活を過ごせている。……まぁ、言い換えれば大人達が気遣うのは弱者である私だけだった、という事でもあるのだけど。

 私のクラスにはいじめられっ子がいた。明確にいじめだと言い切れる程の仕打ちを受け続けている、気弱で小太りな男子だ。しかし先生達が気にかけるのは、いつも身体的な意味での弱者である私ばかり。実質的な弱者である彼に関心を持つ教師は一人もおらず、教師陣は誰も彼のいじめに気付く気配はなかったし、私も彼の事を教師に告げ口しようとは思わなかった。

 いじめられっ子は、いじめられる側の気持ちなんてわからない。実際、私も彼に同情した事なんて一度もない。寧ろ彼がいじめを受けている最中は、林田の矛先も私に向く事がないから、彼のいじめられる様を遠くから安心して見守っていた程だ。

 いじめられっ子が考える事なんて、結局は二つしかないのだ。この状況から抜け出したい。自分もあっち側の存在になりたい。いじめというのは性格を歪ませる行為であり、断じて優しさを芽生えさせる行為ではないのだ。いざ自分がいじめる方の立場に立てたなら、彼らはそれまでの鬱憤を取り戻すように攻撃的になり、牙を向く。ネットで見ず知らずの他人に汚い言葉を簡単に吐き捨てる輩の正体が、まさにこう言った、かつていじめの標的だった経験のある人達なんだと私は思う。

『004号ちゃん。今日の日課はやった?』

『ううん。天使さんが来たら目の前でやろうと思って』

 004号にお弁当食べさせ終えると、彼女は笑顔を浮かべながら001号の方へと歩み寄る。そして無抵抗の001号の頬目掛けて、軽めのビンタを十発かましてみせた。

『どう?』

 001号を殴り終え、目を輝けせながら私の元へ戻ってくる004号。

『偉い! よーしよしよし』

 私はそんな模範生の004号を抱きしめ、思う存分撫で回したり頬ずりしたりしてあげた。とは言えまだ軽めのビンタ程度か。004号の中からいじめられっ子気質が完全に抜け落ちるまで、あとどれくらいかかるんだろう。こんな弱い殴打程度じゃ001号へのお仕置きとしては物足りない。だから。

『001号。今日は何回殴られたの?』

 私は脅すように001号へそう問いかける。

『……三十回です』

 001号は口頭でそう答えるも、しかし彼女に嘘を吐く度胸はもはや存在しない。カメラで監視されていると知った今、嘘を吐く理由もないのだろう。

 彼女はこの一週間、これ以上自分の身に危害が及ばないように私の言いつけを守り続けている。毎日毎日欠かさずに、メンバーから十発ずつの暴力を受け続けた。

 とても面白い物を見れたと思っている。最初の二、三日は皆んな遠慮して001号を殴ろうとはしなかったのに、しかしそれだと001号は私から四十発の暴力を受ける羽目になる。それを恐れた001号が取った行動は脅迫だった。殴って、殴れよ、早くしろ、殴らないと殺すぞ。と、下から目線で他のメンバーを脅すのだ。その矛盾し切った言動と行動が面白おかしてくて、思い出すだけでもお腹が捩れそうになってしまう。

『残りの十回は? 私がやろうか?』

『……い、今からやります』

 私に促され、001号は005号の側まで歩み寄った。この中で唯一001号に手を出していないのが005号なのだ。001号いじめが始まってから一週間。002号、003号、004号の三人はしっかり一日十発のノルマを達成している。暴力の積極性で言えば004号>002号>003号と言った所だ。002号と003号は001号に対して直接的な恨みはないものの、しかし自分達が殴らなければ001号は私からの暴力を受ける羽目になる。そんな001号に同情し、仕方なく殴っていると言った印象が見受けられた。

 そんな中、005号だけは相変わらず無関心を貫いてばかりだった。私を殴ってと懇願する001号に対して、視線の一つ向けようともしない。それに痺れを切らした001号は、彼女の手首を掴んで自分から頭を打たれに行くようになったのだ。

『一、二ぃ……、三、四ぃ』

 今もこうして005号の拳に自ら頭をぶつけている……が。とりあえず一週間は目を瞑ってあげたものの、やっぱりこれって自分で威力を調節出来るし腑に落ちない。ただでさえ他のメンバーから受ける暴力だって控えめなのに。

『九、十……』

 規定通り、005号の拳に十回ぶつかりに行った001号だったけれど。

『ねぇ。やっぱりそれ禁止』

『……え?』

 困惑した表情を浮かべる001号に、私はちょっとした代案を持ちかけた。

『明日、スタンガンを持ってくるからさ。次からはそれで太ももや肩に電流流してよ。あ、じゃなかったらピアス持って来てあげるから、毎日十ヶ所空けてみるとかどう? 001号お洒落好きだもんね?』

『……』

『いいでしょ? この一週間、散々手を抜いて来たんだし』

『……』

『返事』

『…………っ』

 しかし001号の口から返事が返って来る事はなかった。彼女は膝から崩れ落ち、顔を手のひらで覆い隠しながら泣き出してしまった。必死に声を押し殺しているものの、四方八方に張り巡らせた鉄の壁が彼女の嗚咽を反響させて増幅させる。到底返事なんて出来る状態ではないのだろう。しかし、嫌だと言わなかったならそれは肯定したも同然だ。私は明日から始まる新しい暴力に胸を弾ませた。

『皆んなも004号ちゃんを見習って、もっと積極的にいじめていいんだからね? ストレス溜め込まれて流産なんかされたら困るし』

 私は004号の手を掴み、その体を抱き寄せた。004号の体を後ろから抱きしめて、命の宿ったその下腹部に手を当てる。

『その点、004号ちゃんはしっかりストレス発散出来て偉い。004号ちゃんならきっと元気な赤ちゃんを産んでくれるって信じてるよ。頑張ってね? お母さん。良い子でいれば、たまにの外出くらいなら認めてあげるから』

『本当に?』

『もちろん。そうだ、今度一緒にお風呂にでも行こっか? 久しぶりにお湯に浸かりたいでしょ? 他にもゲーセンとか、カラオケとか、映画や遊園地にだって連れてってあげる』

 基本、彼女達の入浴はバケツ一杯分の水しか使わない。二日に一回、タオルを濡らして全身を拭いてあげて、残ったお水で頭も洗ってあげているだけだ。久しぶりにお湯に浸かれると知った004号の顔色が、みるみると明るさを取り戻して行く。下手したら私に拉致される以前の彼女より、今の方がよっぽど活き活きしているのではないだろうか。特に001号を殴る彼女は、まだどこか抵抗が抜け切れていないとは言え、彼女の内なる嗜虐嗜好が徐々に顔に表れていてとても綺麗だと、私に何度もそう思せた。

『いい? 私の言いつけを守った004号ちゃんはここでは一番偉いの。女王様なんだよ。気に入らない事があれば好きなだけ暴れていいの。ムカつく人がいれば気の済むまで殴っていいの。それで相手が何かして来ても私が守ってあげるから』

 私は004号を抱擁から解放し、自由の身にしてあげた。そして彼女の嗜虐心に問いかけた。

『やって見せてよ。004号ちゃんがやりたい事。今ここで全部』 

『……』

 004号は言葉ではなく、行動を用いて私の問いかけに答えた。喜と怒の狭間のような絶妙な表情を浮かべ、今の自分に出来る限りの暴力を001号へ浴びせるのだ。蹲りながら啜り泣く001号の頭を蹴り飛ばし、その髪を掴んでは床に叩きつけ、今まで001号から受けて来た鬱憤を余す事なく叩き返す。また、001号に味方した002号にも数発でらあるけど殴りかかった。

 一通りの暴力を終え、肩を上下させながら息を荒げる004号。私はそんな彼女を抱きしめ、その耳元で小さく一言。 

『よく出来ました。良い子』

 とだけ囁いた。
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