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第三章 続 魔女と天使の腎臓

悪魔狩り

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『ザンド。ザンド。ザンド』

 私は立ち上がり、窓ガラス目指して歩き出す。そして魔法を三度唱えてビルの一室から夜の街へと飛び出した。空を飛ぶ魔法、透明化の魔法、壁抜けの魔法。深夜散策をする私がよく使う三つの魔法。

『天使かー』

 ザンドの言葉が頭の中で反響した。そんな事、今まで一度も言われた事がなかった。小学生の頃は糖尿病の影響でパンパンに膨らんだ体を揶揄われ、ぶちゃみだのデブだの言われ続けた。透析を導入して浮腫みが改善されてからはまともな恋愛が出来るとも思っていたけれど、林田のせいで私はクラスのいじられ陰キャポジションを確立される。天使だなんて、それこそ私には縁のない言葉だと思っていたけれど。

 気分がいい。空も飛んでしまいそうな程だ。ていうか実際飛んでいる。私はいよいよ周囲に自分より背の高い建物がなくなった地点まで到達し、そして空中で停滞した。排気ガスから解き放たれた空気がよく澄んでいる。

『あー……でもドキドキしたぁ……!』

 そして私は先程抱いた感想をザンドと共有するべく、人の気配がないのを良い事に、普段と変わらない声量で堂々と喋った。

『私、かくれんぼだと隠れる側が好きなんだよね。鬼に見つかるかも知れないあのスリルって、相当癖になるでしょ? 警備員さんに顔を触られた時の感覚とか、今思い出すだけでもゾクゾクする』

 鳥肌が立った。それは上空の寒さとはさほど関係のない、精神的なスリルから来る鳥肌だ。私は自分の肩を抱きしめ、胎児のように体を丸めながら体中の鳥肌を押さえ込んだ。

【イヴっちって……もしかしてM?】

 呆れたように呟くザンド。ザンドとは一ヶ月以上の付き合いになるのに、まだそんな事も知らなかったんだ。

『そうだよー。今更知ったの? 私、結構イジメられるの好き。好きになるアニメのキャラも、大体ヒロインに意地悪してくる俺様キャラばかりだし。無理矢理押し倒されて、首を絞められながら犯される妄想とかしょっちゅうだよ』

【その割には林田を殺す時ウキウキしてたよね】

『当たり前だよー。別に誰からもイジメられたいわけじゃないもん。林田はほら』

 私は林田の死に様を思い出しながら、この心中をザンドに打ち明けた。

『ブサイクのくせに、自分は人をいじる側の陽キャとか思い込んでる所あるじゃん? マジで気持ち悪かった』

 それが正直な気持ちなんだから仕方のない話だ。

【うーわ最低ー。イヴっちだって見た目で嫌な思いした経験ある癖に】

『それとこれとは話が別じゃない? 大体容姿差別反対とか吐かす連中だって、結局推しの芸能人とかアニメキャラは顔が良い人なんでしょ? 私に文句を言っていいのは、妥協じゃなくて本心でブサイクに惚れて結婚した人だけだよ。……まぁ』

 私は指を銃の形に折り曲げて、遥か先の地上を歩く人達に狙いを定めた。

『文句とか言われたら思わずぶっ殺しちゃうかもだけど』

 と。そこまで言って私は思い出す。ザンドが私の事を天使のようだと言ったその理由を。私にとって天使と言うのは幸せの象徴だ。私に限らず、現代人の殆どは天使をそのような存在として認識しているに違いない。しかしザンドにとっての天使とは、人を戒めてあの世へ導く存在の事。

『どうしよう。私、警備員さんをあの世には導いたけど戒めてはないや。悪いのは不法侵入した私の方なのに』

 警備員さんに悪い事をしてしまった。深い後悔と罪悪感が私の中で渦を巻く。

【罪滅ぼしすりゃよくね?】

『それだ』

 深い後悔と罪悪感は消えた。やっぱり精霊と言うのは数億年も生きているだけあって、蓄えて来た年の功が段違いである。こんなに素晴らしい相談相手と巡り合えた事には感謝しかない。

【それでどうすんの? 困っている人を魔法で助ける?】

『えー、やだよそんなのー。困難って言うのは自分の力で立ち向かうから意味があるの。魔法って言う強大な力を持ったからには、それ相応の使い道があると思わない?』

【例えば?】

『例えば……』

 私は自分にかけた三つの魔法の内、空を飛ぶ魔法だけを解除した。その瞬間、私達は物理の法則に従って加速度的に高度を落としていく。着陸地点は決めている。指を銃の形にして地上を眺めた時、ちょうどいい物が目に入ったのだ。

『魔法で戦うヒーローとか』

 私達の体が地面に叩きつけられる寸前、私は再び『ザンド』と唱えた。体が羽に包まれたような感覚を覚え、私達は緩やかに地面へと着地する。そこは人混みのど真ん中だった。こんな深夜帯でもこの新宿という街は人の群れが絶えない。

 私は彼らの目の前で堂々と透明化の魔法を解除した。彼らの目には、何もない空間から突如現れる未知なる生命体として私の姿が写って……いないのは確かだ。何故なら彼らの視線はある一点に釘付けだったからだ。

『ふざけんなおめえよ! 離せよ! 殺すぞ!』

『うるせえ! 痛い! 痛い痛い痛い! てめえも髪掴んでんじゃねえよカス!』

 女の人が二人、新宿のど真ん中で掴み合いの喧嘩をしていた。どちらも派手な服装だ。キャバ嬢同士で何かトラブルがあって揉めてしまったのだろうか。周囲の人間に彼女達の事を止める気配はない。野次を投げ、歓声を上げ、またSNSへ投稿する為にスマホを向ける事で大忙しだ。警察のような公平な立場で仲裁する人も見当たらないし、今この場に彼女達の争いを止める人物はいない。私しかいないんだ。

 私はザンドを持って彼女達に狙いを定める。

【どうすんの? やっぱ喧嘩両成敗?】

『まさか。喧嘩って言うのは悪い人がいるから起きるんだよ。だから狙うのは当然悪い方。右のお姉さんだ』

 私はセミロングの髪をボサボサに荒らしたお姉さん目掛けて『ザンド』と唱えた。たったそれだけの事で争いが治るのだから、やはり魔法はこう使うべきなんだと思い知った。

 喧騒が悲鳴に変わるまで、そう時間は掛からなかった。魔法をかけられたお姉さんは瞬く間に胸を抑え、力なく地面へ倒れる。それと同時に私の鞄の中では、一本のボトル缶がベコンと音を立てて潰れた。用意したボトル缶は後何本だっけ。魔法の成果は見ての通りだ。彼女はそれから一、二分程もがき続けるも、しかしやがて糸が切れたようにプツリと力尽きる。私は彼女の最後の生き様をしかとこの目で確認し、絶叫と悲鳴が鳴り響くこの広場をそそくさと後にした。

【どうして右の方が悪いってわかったの?】

 ザンドが不思議そうに私に尋ねた。一瞬、そんな事もわからないのかとため息が漏れそうになったものの、しかし考えてみればザンドは異世界の住人であり、また中世の住人でもある。だったら現代の常識がないのも仕方がない。私はザンドの為に、現代の人間なら誰もが知っている悪人の特徴を教えてあげた。

『右のお姉さんのポケットに長方形の膨らみがあったでしょ? あれって多分タバコの箱だと思うの。箱の形からして、長いタバコが入っていたんだと思う』

【それが?】

『いい? ザンド。長いタバコを吸う女は性格が悪いんだよ』

【……】

『映画やアニメの悪女ってみんな長いタバコ吸ってるもん。この世界の常識だから覚えておいてね?』

 それから数秒間の沈黙を挟んだ後、ザンドは笑った。笑うを超えて大爆笑だ。とは言ってもページに【あははははははははははは】と記されているだけだから、現実の人間に当て嵌めればどれだけの爆笑具合なのかはよくわからない。

【イヴっち……、最高だよ】

 でも、満足してくれたのは間違いない。ザンドも楽しそうで何よりだった。

『そう? じゃあせっかくだし、もう少しだけヒーロー続けよっか。ヒーローは家に帰るまでがヒーローだもんね』

 私はザンドを持ちながら夜の新宿を歩く。都合の良い事に、この街はいくらヒーローがいてもいたりない日本屈指の悪の巣窟である。私は駅までの道中、悪とすれ違う度に正義の鉄槌を下し続けた。

『ザンド』

 歌舞伎町を歩いていると、通行人に片っ端から声をかけているキャッチの人を複数見かけた。歌舞伎町のキャッチは皆ぼったくりバーやぼったくり居酒屋に連れて行こうとする悪党だ。YouTuberが言っていたから間違いない。私は彼らに魔法を行使した。

『ザンド』

 ドンキの前を歩いていると、カップルらしき男女が言い争いをしている場面に出くわした。細身でなよなよした見るからに草食系な男性と、中肉中背だけど髪色だけは派手な緑色をした女性のカップルだった。人は見た目に寄らないから、あの男性は間違いなく家の中でDVを働いている。私は男性の方に魔法を行使した。

『ザンド』

 マックの前に辿り着くと、一人の酔っ払いが道端で嘔吐している場面と出くわした。考えるまでもない。私は彼に魔法を行使した。

『ザンド』

 駅に近づくと、20代前後の若い女性と30~50代の中年男性のカップルを複数見かけるようになった。これだけの年齢差のカップルだ。絶対にいないとは言い切れないけど、しかしこれは些か多すぎる。恐らくパパ活と言うものだろう。需要と供給が合致する事で成立する新しいタイプのビジネスだとは思うけど、個人的に気に食わないから一番ムカつく見た目の男と女を一人ずつ選出してそれぞれに魔法を行使した。

『ザンド』

 新宿の街を抜け出した。その間、私に声をかけて来た男の数はおよそ六人。こんな時間に未成年の私に声をかけるだなんて、援交や家出少女の持ち帰りが目的としか思えない。中には警察の制服を身に纏った人もいたけれど、面倒臭いから警察のコスプレをして私を騙そうとする男だと思う事にした。私は当然彼らにも魔法を振り翳した。鞄いっぱいに詰まったボトル缶全てが潰れるまで、同じような行為を繰り返した。

『ザンド』

 最後のそれは魔法の行使ではなく、純粋にザンドを呼ぶ為の声だ。

『正義って気持ちいいね。罪滅ぼしなのに楽しいとか、なんか複雑』

 新宿の悪者退治を一通り済ませた私は、その気持ちをザンドに伝えずにはいられなかった。

『私ね。クソババアのせいで天使って言葉が大嫌いだったの。だってあのババア、悪魔の事を天使って呼ぶんだもん。自分が思うだけならまだしも、私にもそう思うように押し付けてくるんだよ? ……何が天使だ。あんな強がりと負け惜しみを聞かされ続ける私の身にもなれっての』

 悪魔に搾取され続けた思い出が一斉に脳内を駆け巡った。いや、思い出だけじゃない。未来もだ。あの家の一員であり続ける限り、私は自分の未来さえも悪魔に搾取され続けるのだろう。実際、私が早い内に死んでしまいたい理由の一つに、間違いなくあの悪魔の存在も影響しているわけで。

『……でも、ザンドに天使みたいって言われた時は悪い気がしなかった。私は天使が嫌いなんじゃなくて、天使のふりをするあの悪魔が嫌いだったんだ。ようやく目が覚めた』

 この世界には悪魔が多すぎる。人を傷付ける悪魔、人を脅す悪魔、人の足を引っ張る悪魔。しかし彼らは皆人の皮を被っているせいで、この世の誰からも悪魔として認識されない。彼らは悪魔の分際で人として生まれ、人として愛され、人に紛れてのうのうと日常を謳歌する。彼らに振り回される善良な一般人の事なんかお構いなしだ。

『ザンド、言ってたよね? 私が昔のご主人様に似て来ているって。でもね、私って昔からこうだよ? 私は生まれた時から弱虫だった。林田やクソババアのせいで不快な思いをする度に、そいつらを殺す妄想をしながら眠りについてた。弱い私には妄想するしか出来なかったもん。デスノートとか、どくさいスイッチとか、そう言うのがあったらなーってずっと思ってたの。そしたら私の前にザンドが舞い降りてくれたんだ』

 私は耐え続けた。十三年もの間、弱者としてこの世の理不尽に耐え続けたんだ。ザンドはそんな私に与えられた、神様からのご褒美に違いない。そう言う意味では私を天使のようだと言ったザンドの言葉はあながち間違っているわけでもなかった。だって天使と言うのは神様からの遣いだから。

『今日からはもう我慢しない。ムカつく奴らの事、片っ端からぶっ殺してやる』

 ならば私は天使としての役割を果たそうと。そう心に誓った。
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