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第三章 魔女と天使の心臓

九月九日 美味しかった

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『…….ごめんな』

 私は雀に謝った。

 いただきます。酷い言葉だと思う。自分が食べる為に犠牲になってくれた生命への感謝の言葉として、本当にその言葉は適しているのだろうか。

 逆の立場で考えてみろ。何かデカい動物が私に襲いかかり、私の事を食べたとしよう。その動物が私の命に感謝していただきますと呟いたからと言ってなんだと言うんだ。私は決してその動物を許さない。もしも幽霊が実在するなら、幽霊になった私はその動物を全力で呪い殺すだろう。いただきますだなんて口だけの感謝を唱えて罪滅ぼしをした気でいるなら尚更だ。……そう、思っているのに。それでも私は、これから私の身勝手な理由で魔法の実験に付き合わせる事になる雀に謝らずにはいられなかった。

 トヨリの願いを叶える為に私が考えた魔法はこうだ。飲んだら胃袋にワープホールを張り詰める薬を作る事。トヨリが食べた物が胃袋まで運ばれればこのワープホールに入り、予め準備しておいたビニール袋に瞬間移動させる。当然満腹感は得られないし、やっている事自体は食べた物を吐き出す最低最悪な行為と同等とさえ思っている。それは間違いなく食べ物を粗末にする行為であり、言ってしまえば食への冒涜だ。

 でも、どんな悪い事だって結局は時と場合と使いようなのだ。麻薬だって健康な人が使えば犯罪だけど、癌で苦しむ人にとっては立派な治療行為になるじゃないか。

 トヨリは苦しんだ。二年もろくに食べれず、ろくに動けず、生きる為の凡ゆる行動を制限されて来た。私がトヨリに言ったんだ。

『人生、好きな事だけして生きていけると思うなよ? 好きな事をする為にはそれと同じか、それ以上に好きじゃない事もしないといけないんだぞ。勉強や仕事をするから人は遊んでもいいんだ。クソまずい野菜を我慢して食うから肉やデザートも食べさせてもらえるんだ』

 って。

 トヨリはどれだけ我慢したよ。どれだけ耐え続けたよ。あいつが苦しんだ二年間、私はどれだけ美味いもん食った。どれだけ遊び続けた。野菜を食べる我慢とは比較にならない我慢をあいつは強いられたんだ。

 私がしようとしている事は間違いなく食べ物を粗末にする行為だけど。……でも、一回や二回くらいなら許されるべきだって。私はそう思う。

 雀を選んだのは単に捕まえやすかったからだ。籠の中に餌を仕掛け、紐のついた棒で籠を支える典型的な罠。カラスはこんな罠には決して掛からないけど、雀は馬鹿みたいに簡単に引っかかってくれた。私は雀を虫籠に入れて自分の部屋まで持ち帰る。そして雀を使った魔法の動物実験が幕を開けた。

 本当なら心臓そのものを治すのが一番手っ取り早い。それは私自身よく理解している。けれど治し方が判明している骨折や傷の治療と違い、トヨリの心臓病は臓器移植以外では治せない不治の病だ。魔法を使わなくても治せる怪我や病気ならまだしも、魔法に頼らないと治せない怪我や病気を治したらどうなるか。それはダイチの破裂した眼球を治した時の反動が物語っている。

 あれはまだ運の良い失敗だったよ。私の視力が落ちるだけで済んだ。けれども運が悪ければダイチのもう片方の目が破裂したり、私の目が破裂した可能性だってある。本当に馬鹿な賭けに出たもんだと、今更ながら身が震えるね。

 自分の身に余る魔法を使って失敗した際の反動は大きく分けて三つ。魔法そのものが不発になるか、魔法が望まない形で実現するか、或いは魔法が成功しても私に何らかの災いが跳ね返るか。トヨリの心臓を魔法で治そうとして失敗すれば、三分の一確率で魔法は不発に終わり、三分の一の確率でトヨリが死ぬかもしれず、そして三分の一の確率で私が死ぬかもしれない。そんな文字通りの意味で命賭けな魔法を使う勇気なんて、私にはないのだ。

 雀を使った実験は、初日の時点で中々目まぐるしい成果を上げていた。やり方はこうだ。

 1.雀の入った虫籠と瞬間移動先のビニール袋をそれぞれ測りに乗せる。

 2.雀の入った虫籠に米粒を落とし、雀が食べた米粒がビニール袋へ移動したかを目で見て確認する。

 3.測りに表示された重量も確認し、米粒の重さがしっかりそのまま移動していれば実験は成功。

 十回連続で魔法が成功したら、あとは同じ事をトヨリにもしてやるだけだ。

 実験は初日の時点で、既に雀が食べた量の七割の移動に成功していた。二日目にはその誤差は九割にまで縮み、三日目には完全な瞬間移動にも成功するようになった。

 もちろん全ての実験が順調だったわけじゃない。つまづいた事だって何度もある。例えば四日目の実験では、僅かではあるが雀が食べた以上の重さがビニール袋の方へと移されたのだ。しかしその理由はすぐに判明した。唾液を初めとした雀の体液なども瞬間移動させてしまったせいだった。

 私はそれから思考を重ね、試行回数も重ね、そして。

『……出来た』

 遂に私は雀の体液を除外した、雀が食べた米粒のみの瞬間移動に成功させたのだ。

 これがただの瞬間移動なら失敗率は跳ね上がるだろうが、私はしっかりこの魔法に縛りをかけている。飲食物限定の瞬間移動、一メートル先のビニール袋へ移動するだけの瞬間移動、効果時間は三十分までの瞬間移動。

 ……まぁ、心配事がゼロと言えばそれは嘘になる。でもそれは私の魔法の実力に対しての心配ではなく、魔法そのものに対しての不信感だ。私はこれまでにこの不信感を何度も覚えている。

 魔法は魔法を使わなくても実現出来る現象程成功しやすく、魔法に頼らなければ実現出来ない現象程失敗しやすい。それでも非現実的な現象を起こすなら、魔法の質を下げる事。

 授業参観の日に使ったサチと心を通わす魔法。Switchを盗んだアキの家を突き止める為に使った捜索魔法。それに今回の瞬間移動の魔法だってそうだ。そのどれもが本来の魔法から質を落とした魔法である事に違いはないけど、それでも人の手に余る奇跡の現象を引き起こしている事実に変わりはない。どんなに質を落とした所で、魔法を使わずにテレパシーだのダウジングだの瞬間移動だのが出来るはずがないのだ。

 魔法ってのは一体なんなんだろう。もしかして私は魔法について何か思い違いをしているんじゃないだろうか。けれど魔法の使い方は、全てメリムを貰った三歳から四歳にかけて魔界で教えてもらった通りだ。もしそこに思い違いがあるのだとすれば……。

 魔界が意図的に思い違いをするように教えている、とか?

『……まさかな』

 私は完成した瞬間移動の錠剤を鞄にしまい、五日間も実験に付き合わせた雀を解放して眠りについた。




 とても暖かな病室だった。カーテンが開放され、定期的に空気を入れ替えられ、冷房の温度も適温を維持した過ごしやすい環境。

「……いらっしゃい」

 この部屋の主は少し前までは氷のような生き物だった。表情も、動作も、性格も、彼女が住む環境さえも、何もかもが凍てついた冷たい少女だった。けれど日光を浴びながら私を招いた今の彼女からは、かつて感じたような冷気は感じられない。相変わらず取り繕ったような笑顔は浮かべているけれど、しかしその表情はどこか柔らかい。窓から差し込む太陽が彼女を背後から照らし、とても暖かな印象に包みこまれる。

「どうした? ニヤニヤしやがって。そんな楽しみだったか?」

 私は軽口を叩きながらトヨリの側まで歩み寄り、そしてベッドの隅に腰を下ろした。既に準備されているベッドテーブルがトヨリの心情を物語っている。

「ほらよ」

 私は彼女の期待に応えるべく、ベッドテーブルの上にそれを置いた。

「……何これ」

 トヨリはその錠剤を指で摘み、不思議そうに眺めた。

「痩せ薬」

 私はその薬の正体を、嘘を吐かない範囲で尚且つトヨリが最も理解しやすい形で説明した。

「これを飲んだら三十分間、どれだけ飲み食いしても栄養が吸収されないんだ」

「……何そのネットの広告とかでよく見る嘘くさいダイエットサプリみたいな」

「あっはっはっ……、返す言葉もねえわ」

 私は思わず苦笑いを浮かべた。

「言いてえ事はわかるよ。いきなりこんな事言われても信じらんねえよな?」

 しかし。

「……何で?」

「え?」

「……全然信じるけど。みほりちゃん、嘘ついてないし」

「……」

「……ま、仮に嘘でも一回くらいなら信じてあげてもいいけど」

 トヨリは小さく微笑みながら錠剤を口まで運んだ。その動作にはほんの僅かな迷いも感じられなかった。トヨリの喉が小さく上下する。錠剤が胃まで送られたのがわかった。

「……これでいいの? 味とか特になかったけど」

 不思議そうに私を見上げるトヨリ。その顔にはどこか不安の要素もちらほらと見受けられた。だから私はその不安を根こそぎ取り払うべく、精一杯の笑顔で鞄の中からそれらを取り出したんだ。

「おう! 早速始めようぜ? お菓子パーティー!」

 ベッドテーブルの上に大容量サイズのポテチが二袋と六つのプリンが並べられた。……並べられたものの。

「……」

 しかしやはりと言うか、トヨリはそれらを素直に口に運ぼうとはしない。当然だ。それらは今までずっと医者に禁じられた食べ物なのだ。別にトヨリを虐めたくて禁止されたわけじゃない。口にすれば命を落としかねない危険な物だから仕方なく禁止せざるを得なかったんだ。

 この前、少しだけ調べた。塩分っていうのはナトリウムの塊で、ナトリウムは体内に水を溜め込む性質がある。すると血管の中が水分でパンパンになって血圧が急激に上昇する。心不全患者にとって最大の敵がこの血圧らしい。

 トヨリが利尿剤で何度も小便させられるのも、利尿剤の影響で喉がカラカラなのに水分を極端に制限されるのも、全てはこの血圧を管理する為。その為だけに、こいつは二年もこの部屋に閉じ込められている。

「怖いか?」

「……まぁ、そりゃあね」

 二年もの呪縛で形成された彼女の常識を覆すには、つい最近ぽっと出た私程度の説得力ではどう考えても力が及ばないのだ。トヨリがそれまで毒だと教えられた塩分の塊を口にする行為は、私が毒物だと知りつつトリカブトを食べようとする行為にも等しいだろう。……けれど。

「……でも、信じるって言っちゃったから」

 トヨリの指がポテチに伸びた。それでも大小様々にスライスされた中から一番小さなのを選んだあたり、医者に禁じられている行為に手を染める背徳感や罪悪感、それに恐怖が拭いきれずにいるのだろう。それでもトヨリはそのひとつまみのポテチを自分の口へと放り込んでくれた。それは彼女の中で、私への信頼が背徳感や罪悪感、それに加えて恐怖さえも上回った事を意味していた。

「……」

 トヨリの顎が上下に動く。最後にトヨリがお菓子を食ったのがいつかなんて私にはわからないけれど、仮に入院当初から食事を制限されているのなら、二年以上もトヨリは美味しいという感覚を味わった事がないのだ。

 トヨリは今何を感じているのだろう。どうして何の反応もないのだろう。久しぶりの塩分に驚いているのか、思ったよりもポテチの味が美味くなかったのか、それともこれがトヨリなりの美味さの表現なのか。私はトヨリじゃないから彼女の心情は理解出来ない。

「えっと……もしかしてあんま美味くなかった?」

 理解出来ないから、直接問いかけた。

「……ううん。美味しいよ?」

 トヨリは小さく首を横に振り、二口目のポテチを食べるべくもう一度袋の中へ手を伸ばす。

「……本当に美味しい。久しぶりに食べた。……ポテチってこんな味だったね。……懐かしいや」

 二口目を頬張る速度は一口目よりも早かった。トヨリの食欲に火が付いたのは、目に見えて明らかだった。

 ポテチを頬張る速度が加速度的に上がっていく。最初は一枚一枚丁寧に食べていたはずなのに、六口目を頬張る頃には一度に複数枚掴み取り、一心不乱に口の中へと押し込めるのだ。

 ポテチを一通り食べ終えると、今度はプリンにも手を伸ばした。蓋を引っぺがし、スプーンに乗り切りない程の量を掬い取って飲むように食べて行く。ポテチの塩分で乾き始めた喉には極上の水分補給なのだろう。プリンを食べる速さはポテチの比にならない。入院数日のダイチでさえカップ麺欲しさにぼやいてたくらいなのだ。年単位で食事制限をして来たトヨリは、果たして今どんな顔をしているんだろう。どんな表情を浮かべながらそれらを口にしているんだろう。

 俯きながら食べているせいで、おかっぱのミディアムボブが垂れてトヨリの頭部を覆い隠している。少し視点を下げれば下からその表情を覗き見る事も出来たものの、けれどそんな野暮な真似をしようとは思わなかった。

 テーブルの上に水滴がいくつか付着している。スーパーで買ったばかりのプリンから滴り落ちたにしては、少しばかり水滴の量が多い。それどころから水滴は時間が経つと共に一粒、また一粒と数を増やしていた。トヨリの顎が上下し、それに釣られて顔が動く度に彼女の瞳から溢れたであろう新しい水滴が落ちていった。だから私はそれ以上トヨリに味の感想を聞くのもやめたのだ。鼻息の荒い今のトヨリでは、きっとまともな会話が出来るはずがないのだから。

 あーあ。ダイチのせいで先週キャベジンなんか買っちまってただでさえ金欠だって言うのにまた無駄遣いしちまったよ。しかもなんだこれ。こんなに喜ばれたら今更私も食べるとか言い出せねえじゃねえか。まったく、自分で言っておいてなんだけど何がお菓子パーティーなんだか。トヨリのおやつを眺めてるだけかよ。

 けど、不思議と悪い気はしない。ダイチにカップ麺買ってやった時もそうだった。私、結構奢りたがりだったりすんのかな。将来、ヒモを養う羽目になりそうで今から不安だ。

 それから数分程トヨリのおやつを見守る。私が食べているわけじゃないのに、なんだか温かい気持ちになっていく。私はこの光景にどこか既視感のような物を覚えたが、その正体はすぐにわかった。この世界に来たばかりの私におやつを食べさせてくれたサチの視線が、まさにこんな感じだったんだ。道理で悪い気がしないはずだった。

 そんな気持ちと並行して胸騒ぎのような物も感じていた。仕方ねえよ。だってトヨリの奴、本当におやつに夢中なんだ。そんなに慌てて食べたら……ほら。やっぱりと言うか、トヨリが咽せ出した。

「おいおい、そんな慌てて食う奴があるかよ! 落ち着けって!」

 しかし、咽せるトヨリとは対称的に私の顔には笑みが止まらない。なんせトヨリの為にもう一つ、とっておきのサプライズを用意してあるのだ。今がそのサプライズを見せる絶好のタイミングだと私は確信した。

「ま、咽せるのもしょうがねえか。なんせポテチ食ってるのに肝心の水分はプリンだけだもんな。なぁ、トヨリ? どうせポテチを食うならさ、相性抜群の黒いシュワシュワするあれ、飲みたくならねえか?」

 私はニヤニヤと笑みを浮かべながらトヨリに語りかける。トヨリは相変わらず咳を続けていて返事を出来る状態ではないようだ。なら焦らすのもほどほどにして、そろそろこのサプライズを見せてやるべきだろう。私は足元に置いた鞄の口を大きく開けて、そしてその中にしまっておいたコーラを。

「じゃーん! これなーんだ…………」

 コーラを取り出そうとした。なんせスーパーで安売りしていたポテチやプリンと違って自販機で買ったコーラだ。冷え方が違う。このキンキンに冷えたコーラでポテチを流し込む快感と来たら、もはや言葉じゃ言い表せない。

 だから早く出さないと。サプライズの為に焦らしたせいで少しぬるくなっている気がする。これ以上焦らせばお世辞にも美味いと言えないレベルまでコーラはぬるくなってしまう。トヨリだってあんなに咽せて苦しんでいるじゃないか。早く飲み物でも飲ませて落ち着かせないといけないのに。

 手が震えた。視線も震えた。けれど一番震えていたのは間違いなく私の心だった。

 鞄の中にビニール袋があったんだ。それはトヨリが食べた物の瞬間移動先になるはずのビニール袋だった。なんせ魔法の効力は一メートル圏内になるよう縛りを設けている。だから鞄の中にしまっておいて、帰りにこの袋ごとトヨリが食べた物を捨てるはずだった。

 じゃあ何だ。何でこの袋、空っぽなんだ? トヨリのおやつタイムが始まってどれだけ時間が経ったと思ってる。何でポテチの欠片一つも入ってないんだよ。

 おかしいだろ。だって私、ちゃんと実験したよな? 何度も何度も繰り返して、十回連続で成功するどころが念には念を入れて二十回連続で成功させたんだぞ。それが失敗? 今になって? 二十回連続で成功しておきながら、二十一回目の今になって? そんな事って……。

「……トヨリ?」

 背後から響く悍ましい音に私は思わず振り返った。泥の塊が流れ落ちるような不穏な音だ。振り向くと案の定、そこにはポテチとプリンが混ざり合った半固形の塊を布団に撒き散らすトヨリの姿があった。

 この光景を見るのも二度目だな、なんて思わない。五日前の嘔吐とはわけが違う。五日前のトヨリは涙を浮かべながら吐き出すだけだった。今みたいに唇が青くなったりなんかしていない。病的に白い肌がここまで来たらもはや真っ青だ。

「トヨリ! おい! トヨリぃっ⁉︎」

 私の声も聞こえていない。咳と嘔吐以外の機能を排除された人形のように繰り返し吐き続けている。

 そこまで来たらもはやナースコールを押すまでもなかった。よっぽど騒ぎ過ぎたんだろう。私の騒音を聞きつけた看護師が大慌てで病室に入って来た。

「トヨリちゃん⁉︎ どうしたの! 何が……っ」

 きっとこの看護師は何があったのかを聞こうとしたはずだ。でも、その必要はなくなった。ベッドテーブルの上に並べられたそれらを見れば、ここで何があったのかなんて一目瞭然なのだ。

「何これ……」

 ポテチの袋を掴み取りながら看護師は呟く。

「あなたが持ってきたの……?」

 トヨリの側でただ狼狽える事しか出来ない私を見ながら看護師は呟く。そして。

「何を考えているのっ⁉︎」

 最後の一言は射殺すように私の鼓膜を突き刺した。

 私には言わなければならない事があった。それを言った所でトヨリの体調が戻るわけではないものの、しかしそれは人として絶対に言わなければならない一言なのだ。ごめんで済むなら警察はいらない。だけどそれは決して謝らなくてもいい理由にはならない。

 なのに私の口は半開きのまま、たった六文字の日本語を喋る事も出来ずにいた。手が震え、声が震え、唇も震える。息の仕方さえも忘れ、鼻呼吸と口呼吸がごちゃ混ぜになった私は言葉の紡ぎ方も思い出せずにいた。

 トヨリが担架に乗せられ運ばれて行く。謝罪の言葉は看護師以上にトヨリに言わなければならないのに、やっぱり私の唇は思い通りに動いてくれない。

 トヨリが運ばれ、主人を失った部屋の真ん中で立ち尽くす。口呼吸のし過ぎで乾いた唇が裂ける感触がしたものの、不思議と痛みは感じなかった。
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