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第2.5章 魔女と日常の話
怪獣と出会った少年 ②
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「テイクワン。アクション」
「はじめまして。サチさんのお友達の娘です。みほりって言います。お母さんがお仕事で忙しい時、よくサチさんのお世話になっています。今日は元々お母さんがお仕事で外国に行く予定で、サチさんのお世話になるはずでした。随分前から計画されていたお仕事なので、今更中止にする事が出来なくて、それでサチさんのご好意に甘えてついて来る事になりました。良い子にしてますから今日は一日よろしくお願いします」
「カット! いいね。その設定を忘れずにね。じゃあ行こっか?」
サチの実家の最寄駅を降り、人っ気の少ない路地裏に入って設定の復唱をする。正直、本当にこんなので誤魔化し通せるのか不安でならない。
サチに手を引かれて大通りに出た。サチはよく自分の地元を田舎だと言うもんだから、私はてっきり田んぼと山に囲まれた限界集落を想像していた。でもこうして歩いて見ると、道はしっかりアスファルトで塗装されているしコンビニやスーパーだってそれなりに見かける。確かに背の高いビルは一切ないものの、少なくとも車が必須の超限界集落というわけではなさそうだ。見慣れたチェーン店もいくつかあるし、ど田舎というよりは地方都市って感じだな。
それにしても真夏の日差しが照り付けているのに、不思議と悪い気がしない。青空に浮かぶ入道雲、あちこちの木々から木霊する蝉の鳴き声、深呼吸の度に肺を満たす木の香りと潮の香り。極め付けは海と山が同時に視界に入るこの絶景が、私の体から暑さを根こそぎ奪い去って行くようだった。本当に海と山が至近距離にあるんだ。多分、自転車を使うまでもない。私の足でも十分辿り着けそうな距離にある。
「サチの実家までどれくらいですか?」
「この道をもうちょっと進んだ所。駅から近いしそろそろ見えて来ると思うよ?」
「へー。どんな感じのお家なのか気になりますね」
「んー。一応一軒家だけど、昭和の頃に建てた木造物件だからなー。東京慣れしてるりいちゃんからしたら相当なオンボロハウスに見えるかもね」
「トトロみたいなの期待してもいいですか?」
私の予想を聞いてくすりと微笑むサチ。
「そうだね。まぁ色々予想してみてよ」
私達は人の少ない田舎道をもう暫く歩き続けた。
「到着!」
そして辿り着いた家はと言うと、何の変哲もない普通の家だった。確かに古臭い雰囲気は残っているけれど、でもこの程度の家なら東京でも板橋区や足立区や北区辺りに普通に建っていてもおかしくはない。
「全然普通じゃないですか。サチの家族にやーい! お前んちおっばっけやーしきー! ってやるの楽しみにしてたのに……」
「りいちゃん、お願いだから礼儀正しい良い子設定忘れないでね。まぁでも心配しないで? お化けならちゃんと出るから」
「なら別に良いんですけど。……え?」
なんか聞き捨てならない事を言われた気がしたから確認しようとするも、サチは既に家のインターホンを鳴らしていた。少しして、家の奥から「はーい」と言った返事が返って来る。そして。
「……あー。ただいま。五年ぶりかな?」
家から出てきたその人を見て、サチは気まずそうに笑った。とても綺麗な人だと思った。おばさんと言うよりは婦人。老婦人。そんな言葉が似合う上品そうな女の人。その顔には年相応にしわが刻まれているものの、目元や鼻筋には確かにサチの面影が残っている。その老婦人は困ったような目付きでサチを見ながら。
「……サチ? あなた若くなってない?」
まるで狐にでもつままれたような表情でサチに問いかけた。
「そ、それはほら。エステ通ってるからね」
「それにしても若すぎない? フクと同い年だって言われても違和感が……」
「東京のエステ通ってるからね」
なるほど。こう言う理由も含めて、サチは私を引き取ってから五年間も実家に戻らなかったわけか。でも流石にその言い分はちょっと無理があるような……。
「そうなの? 私も上京しようかしら」
無理なかった。やっぱ親子だこの二人。
「それでこの子が」
老婦人の視線が下がり、私の姿を捉える。私は一歩前に出てから頭を下げ、軽い自己紹介をした。
「はじめまして。有生みほりです」
「え?」
「はじめまして。谷瀬みほりです」
「あらごめんなさい、ちょっと聞き間違いを……」
あっぶね……、うっかり普段使ってるサチの苗字言っちまった。
つうか私のお母さんもこう言う所なんだよな。こっちに来た時、役所の奴ら全員洗脳して私が六年間使う仮の身分を作り上げてくれたのはいい。でもどうせならサチの家族関係や交友関係全てに対しても、私がサチの実子であるように偽の記憶くらい埋めつけて欲しかった。この世界に来て五年も経っておきながら今更愚痴っても仕方ねえけどさ。
とにかく、私に課せられた任務は一つだけだ。徹頭徹尾敬語を貫いて礼儀正しくしている事。よそよそしく、それでいて遠慮がちな振る舞いをすれば大抵の大人は距離を取ってくれる。下手にフレンドリーな感じになって世間話の最中にボロが出るのもまずいからな。今日のお通夜と明日の告別式が終わればすぐ東京に帰るとサチは言っていたし、一泊二日くらい軽々と乗り越えてやるさ。
「こちらこそはじめまして。サチの母です。あなたの事はサチからよく聞いているわ。東京に比べたらボロっちいお家かもしれないけれど、どうぞゆっくりしていって?」
私は自分の立ち振る舞いをしっかり意識し、控えめで大人しく、それでいて礼儀正しい子供になりきって挨拶を返した。
「いやそんな事ねえよ? 震度0.1でぶっ壊れるクソ雑魚ゴミ屋敷想像してたけど、こんくらいなら全然普通の」
「あはははははは! じゃあちょっと着替えてくるから待っててね! さぁ行くよりいちゃん!」
私はサチに口を塞がれながら、拉致されるように家の二階へ連行された。
……。
連行されたはいいけど、でもなんだろう。サチのお母さんと話していて、何か違和感があったような……。
サチの脇に抱えられ、一歩踏み込む度に木が軋む音を響かせる階段を登っていく。そうしてたどり着いた二階廊下には二つの襖があった。サチは左側の襖に手をかけようとしたものの、一瞬動きが止まる。そして思い直したように右側の襖に手を伸ばした。
「フクー。お姉ちゃん来たよー?」
サチが襖を開けた。しかし生憎部屋の主は留守のようだ。畳の敷き詰められたありふれた和室。部屋の隅には机があって、その上には大学受験の参考書らしきものが散乱してあり勉強の痕跡が見受けられる。
「弟の部屋ですか?」
「うん。そうなんだけど留守みたい。まったく、受験生なのに」
机の隣に佇む本棚にふと目が行く。漫画から参考書まで多種多様な本が並べられたその棚だけど、特にオカルトに関する本が多く収納されているような印象があった。他に気になる所と言えば……。
「なんかここ動物の臭いしますね。やっぱ田舎民ってみんな食肉用の家畜とかを家で飼ってるんですか?」
「田舎ディスやめてね。これは多分またお母さん達に隠れて連れ込んでるなぁ……」
サチはやれやれとばかりにため息をつきながら、しかしあながち満更でもなさそうな優しい笑みを浮かべてこの部屋を後にし、本来の目的地であるサチの部屋へと足を踏み入れた。
「わー……、軽く物置代わりに使われてる」
部屋へ入るなり苦笑い浮かべながら窓を開けるサチ。長い間密室であったことが推察出来るジメジメとした空気が外気と入れ替わり、ほのかな清涼感が部屋を満たして行く。
サチの部屋は何の変哲もない普通の部屋だった。ベッドがあって机もある。机の上には高校時代の教科書などが並べられていて、少し新鮮味を感じた。私は大人のサチしか知らないけれど、サチにも高校生だった時期があったんだという不思議な気持ちが溢れて来る。確かに部屋の隅には物置代わりの象徴である冬物家電や古本などがいくつか積み重ねられているものの、サチの高校時代をほんの僅かながらも垣間見る事の出来るいい部屋だ。私は早速サチのベッドの下を覗いてみた。
「何してるの?」
「エロ本探してます。サチの学生時代って河原で拾ったエロ本をベッドの下に隠してた時代なんですよね?」
「私平成育ちだよ。普通にインターネットあったよ」
「じゃあネットでエロ見てたんですか?」
「……」
ノーコメントだった。
「サチが学生の頃に読んでた漫画とかも気になります」
「漫画かぁ。上京資金として売っちゃったなぁ」
「サチって学生の頃はどんな漫画読んでたんですか?」
「なんだと思う? りいちゃんが知ってるタイトルもあるよ」
「キン肉マンとかうる星やつらとか」
「だから平成育ちだってば」
次に私はクローゼットの扉にも手を伸ばしてみる。すると。
「あ、セーラー服!」
そこには恐らくサチがかつて着ていたであろうセーラー服が掛けられていて、思わずテンションが上がってしまった。やっぱり私は大人のサチしか知らないし、サチの子供時代を色々連想させるアイテムの一つ一つが新鮮でたまらない。
「こういうのはとってあるんですね。てっきり制服も上京資金としておっさんに高値で売ってるもんだとばかり」
「私を何だと思ってるの……」
「でもセーラー服ですか。まさかこんな所で昭和の遺物を拝めるとは思ってもいませんでしたよ。もしかしてブルマとかも持ってます?」
「りいちゃん、さっきからナチュラルに世代ディスしてくるよね」
私は早速ハンガーにかけられたセーラー服を取り出した。
「あの、サチ。いいですか?」
「……。なんとなく言いたい事はわかった気がするけど一応聞いてあげる。何?」
「サチの制服姿見てみたいです」
サチを頭を押さえ、困ったと言わんばかりに表情を歪める。
「……あのね、りいちゃん。私今三十代なんだよ。三十代ってどんなのかわかる?」
「野原みさえより年上で野原ひろしの一歩手前」
「やめて……! 子供の頃から見ていたアニメキャラを比較に出すの本当やめて……! そのキャラの年齢を超えたって知った時が一番ダメージあるんだから……!」
サチは胸を押さえながら苦しんだ。
「そういうわけだからね? そんな私に制服着ろとか、結構キツい事言ってる自覚を持って欲しいなぁ」
サチは困り顔で答える。しかし私はそんなサチの反応を見てほくそ笑んでしまった。
「嫌だとは言わないんですね」
「……」
「折角私とメリムの影響で若返ってるんだし、本当は興味あるんですよね?」
「……」
「ね? ね?」
「……」
サチの顔が赤くなった。
「……わ、わかった。その代わり」
サチは顔を赤らめたままクローゼットの前へと歩み寄り、そして中からもう一着の制服を引っ張り出した。私が取り出した制服よりも一回り小さい制服だ。デザインも違っているし、多分中学時代の制服なんだろう。
「りいちゃんもね?」
こうして私達の私達による私達の為の制服ファッションショーが開催された。
「えー! いいじゃんいいじゃん! わー、まさかりいちゃんの制服姿を見れる日が来るとは思わなかったなー。連れてきて正解だったかも」
中学時代の制服を着た私を、四方八方様々な角度から満遍なく写真に収めるサチ。笑顔のサチとは対照的に姿見に映る私の表情はあまり芳しくない。そりゃそうだろう。中学時代の制服とは言っても、これ百五十から百六十センチ台の女子が着るサイズだ。百三十台の私が着てもぶかぶかだし、ダボダボだし、手だって中指の先っちょがやっと袖から覗いているくらいだ。スカートもなんだこれ。膝下何センチだ? 下手に歩けばスカートの裾踏んづけて転ぶぞこれ。
「りいちゃんこっちこっち! もっと寄って!」
私オンリーの撮影を一通り終えると、今度は私の肩を抱いてツーショットでの自撮り大会が始まった。もちろんカメラに映る私の表情は浮かない。ここまでテンションの高いサチって久しぶりだし、軽く不気味さを感じてるんだから仕方ねえよ。
絶え間なく鳴り響くシャッター音。それらが鳴る度に切り替わるスマホの画面。私達の年齢差は間違いなく二十以上は離れているものの、サチは私の影響で若々しいしお互い制服姿だしで、親子写真というよりかはウザい姉とそれに付き合わされる妹といった印象だ。
サチは浮かれていた。浮かれすぎていた。そして何より騒ぎ過ぎていた。だからだろう。足音と共に床を軋ませる、そのわかりやすい来訪者の存在に気づく事が出来なかったのは。
「……サチ」
「え……」
襖が開く。黒の喪服を纏ったサチのお母さんが、誰かを哀れむような悲しい目を廊下からサチの方へ向けていた。
「それでお通夜行くのね。……そう」
襖が閉まり、足音が遠ざかる。
「ち、違う! 違うから! ちょっと懐かしくなっただけ! 待って! ねえ!」
有生家の実家はとても賑やかだ。
「はじめまして。サチさんのお友達の娘です。みほりって言います。お母さんがお仕事で忙しい時、よくサチさんのお世話になっています。今日は元々お母さんがお仕事で外国に行く予定で、サチさんのお世話になるはずでした。随分前から計画されていたお仕事なので、今更中止にする事が出来なくて、それでサチさんのご好意に甘えてついて来る事になりました。良い子にしてますから今日は一日よろしくお願いします」
「カット! いいね。その設定を忘れずにね。じゃあ行こっか?」
サチの実家の最寄駅を降り、人っ気の少ない路地裏に入って設定の復唱をする。正直、本当にこんなので誤魔化し通せるのか不安でならない。
サチに手を引かれて大通りに出た。サチはよく自分の地元を田舎だと言うもんだから、私はてっきり田んぼと山に囲まれた限界集落を想像していた。でもこうして歩いて見ると、道はしっかりアスファルトで塗装されているしコンビニやスーパーだってそれなりに見かける。確かに背の高いビルは一切ないものの、少なくとも車が必須の超限界集落というわけではなさそうだ。見慣れたチェーン店もいくつかあるし、ど田舎というよりは地方都市って感じだな。
それにしても真夏の日差しが照り付けているのに、不思議と悪い気がしない。青空に浮かぶ入道雲、あちこちの木々から木霊する蝉の鳴き声、深呼吸の度に肺を満たす木の香りと潮の香り。極め付けは海と山が同時に視界に入るこの絶景が、私の体から暑さを根こそぎ奪い去って行くようだった。本当に海と山が至近距離にあるんだ。多分、自転車を使うまでもない。私の足でも十分辿り着けそうな距離にある。
「サチの実家までどれくらいですか?」
「この道をもうちょっと進んだ所。駅から近いしそろそろ見えて来ると思うよ?」
「へー。どんな感じのお家なのか気になりますね」
「んー。一応一軒家だけど、昭和の頃に建てた木造物件だからなー。東京慣れしてるりいちゃんからしたら相当なオンボロハウスに見えるかもね」
「トトロみたいなの期待してもいいですか?」
私の予想を聞いてくすりと微笑むサチ。
「そうだね。まぁ色々予想してみてよ」
私達は人の少ない田舎道をもう暫く歩き続けた。
「到着!」
そして辿り着いた家はと言うと、何の変哲もない普通の家だった。確かに古臭い雰囲気は残っているけれど、でもこの程度の家なら東京でも板橋区や足立区や北区辺りに普通に建っていてもおかしくはない。
「全然普通じゃないですか。サチの家族にやーい! お前んちおっばっけやーしきー! ってやるの楽しみにしてたのに……」
「りいちゃん、お願いだから礼儀正しい良い子設定忘れないでね。まぁでも心配しないで? お化けならちゃんと出るから」
「なら別に良いんですけど。……え?」
なんか聞き捨てならない事を言われた気がしたから確認しようとするも、サチは既に家のインターホンを鳴らしていた。少しして、家の奥から「はーい」と言った返事が返って来る。そして。
「……あー。ただいま。五年ぶりかな?」
家から出てきたその人を見て、サチは気まずそうに笑った。とても綺麗な人だと思った。おばさんと言うよりは婦人。老婦人。そんな言葉が似合う上品そうな女の人。その顔には年相応にしわが刻まれているものの、目元や鼻筋には確かにサチの面影が残っている。その老婦人は困ったような目付きでサチを見ながら。
「……サチ? あなた若くなってない?」
まるで狐にでもつままれたような表情でサチに問いかけた。
「そ、それはほら。エステ通ってるからね」
「それにしても若すぎない? フクと同い年だって言われても違和感が……」
「東京のエステ通ってるからね」
なるほど。こう言う理由も含めて、サチは私を引き取ってから五年間も実家に戻らなかったわけか。でも流石にその言い分はちょっと無理があるような……。
「そうなの? 私も上京しようかしら」
無理なかった。やっぱ親子だこの二人。
「それでこの子が」
老婦人の視線が下がり、私の姿を捉える。私は一歩前に出てから頭を下げ、軽い自己紹介をした。
「はじめまして。有生みほりです」
「え?」
「はじめまして。谷瀬みほりです」
「あらごめんなさい、ちょっと聞き間違いを……」
あっぶね……、うっかり普段使ってるサチの苗字言っちまった。
つうか私のお母さんもこう言う所なんだよな。こっちに来た時、役所の奴ら全員洗脳して私が六年間使う仮の身分を作り上げてくれたのはいい。でもどうせならサチの家族関係や交友関係全てに対しても、私がサチの実子であるように偽の記憶くらい埋めつけて欲しかった。この世界に来て五年も経っておきながら今更愚痴っても仕方ねえけどさ。
とにかく、私に課せられた任務は一つだけだ。徹頭徹尾敬語を貫いて礼儀正しくしている事。よそよそしく、それでいて遠慮がちな振る舞いをすれば大抵の大人は距離を取ってくれる。下手にフレンドリーな感じになって世間話の最中にボロが出るのもまずいからな。今日のお通夜と明日の告別式が終わればすぐ東京に帰るとサチは言っていたし、一泊二日くらい軽々と乗り越えてやるさ。
「こちらこそはじめまして。サチの母です。あなたの事はサチからよく聞いているわ。東京に比べたらボロっちいお家かもしれないけれど、どうぞゆっくりしていって?」
私は自分の立ち振る舞いをしっかり意識し、控えめで大人しく、それでいて礼儀正しい子供になりきって挨拶を返した。
「いやそんな事ねえよ? 震度0.1でぶっ壊れるクソ雑魚ゴミ屋敷想像してたけど、こんくらいなら全然普通の」
「あはははははは! じゃあちょっと着替えてくるから待っててね! さぁ行くよりいちゃん!」
私はサチに口を塞がれながら、拉致されるように家の二階へ連行された。
……。
連行されたはいいけど、でもなんだろう。サチのお母さんと話していて、何か違和感があったような……。
サチの脇に抱えられ、一歩踏み込む度に木が軋む音を響かせる階段を登っていく。そうしてたどり着いた二階廊下には二つの襖があった。サチは左側の襖に手をかけようとしたものの、一瞬動きが止まる。そして思い直したように右側の襖に手を伸ばした。
「フクー。お姉ちゃん来たよー?」
サチが襖を開けた。しかし生憎部屋の主は留守のようだ。畳の敷き詰められたありふれた和室。部屋の隅には机があって、その上には大学受験の参考書らしきものが散乱してあり勉強の痕跡が見受けられる。
「弟の部屋ですか?」
「うん。そうなんだけど留守みたい。まったく、受験生なのに」
机の隣に佇む本棚にふと目が行く。漫画から参考書まで多種多様な本が並べられたその棚だけど、特にオカルトに関する本が多く収納されているような印象があった。他に気になる所と言えば……。
「なんかここ動物の臭いしますね。やっぱ田舎民ってみんな食肉用の家畜とかを家で飼ってるんですか?」
「田舎ディスやめてね。これは多分またお母さん達に隠れて連れ込んでるなぁ……」
サチはやれやれとばかりにため息をつきながら、しかしあながち満更でもなさそうな優しい笑みを浮かべてこの部屋を後にし、本来の目的地であるサチの部屋へと足を踏み入れた。
「わー……、軽く物置代わりに使われてる」
部屋へ入るなり苦笑い浮かべながら窓を開けるサチ。長い間密室であったことが推察出来るジメジメとした空気が外気と入れ替わり、ほのかな清涼感が部屋を満たして行く。
サチの部屋は何の変哲もない普通の部屋だった。ベッドがあって机もある。机の上には高校時代の教科書などが並べられていて、少し新鮮味を感じた。私は大人のサチしか知らないけれど、サチにも高校生だった時期があったんだという不思議な気持ちが溢れて来る。確かに部屋の隅には物置代わりの象徴である冬物家電や古本などがいくつか積み重ねられているものの、サチの高校時代をほんの僅かながらも垣間見る事の出来るいい部屋だ。私は早速サチのベッドの下を覗いてみた。
「何してるの?」
「エロ本探してます。サチの学生時代って河原で拾ったエロ本をベッドの下に隠してた時代なんですよね?」
「私平成育ちだよ。普通にインターネットあったよ」
「じゃあネットでエロ見てたんですか?」
「……」
ノーコメントだった。
「サチが学生の頃に読んでた漫画とかも気になります」
「漫画かぁ。上京資金として売っちゃったなぁ」
「サチって学生の頃はどんな漫画読んでたんですか?」
「なんだと思う? りいちゃんが知ってるタイトルもあるよ」
「キン肉マンとかうる星やつらとか」
「だから平成育ちだってば」
次に私はクローゼットの扉にも手を伸ばしてみる。すると。
「あ、セーラー服!」
そこには恐らくサチがかつて着ていたであろうセーラー服が掛けられていて、思わずテンションが上がってしまった。やっぱり私は大人のサチしか知らないし、サチの子供時代を色々連想させるアイテムの一つ一つが新鮮でたまらない。
「こういうのはとってあるんですね。てっきり制服も上京資金としておっさんに高値で売ってるもんだとばかり」
「私を何だと思ってるの……」
「でもセーラー服ですか。まさかこんな所で昭和の遺物を拝めるとは思ってもいませんでしたよ。もしかしてブルマとかも持ってます?」
「りいちゃん、さっきからナチュラルに世代ディスしてくるよね」
私は早速ハンガーにかけられたセーラー服を取り出した。
「あの、サチ。いいですか?」
「……。なんとなく言いたい事はわかった気がするけど一応聞いてあげる。何?」
「サチの制服姿見てみたいです」
サチを頭を押さえ、困ったと言わんばかりに表情を歪める。
「……あのね、りいちゃん。私今三十代なんだよ。三十代ってどんなのかわかる?」
「野原みさえより年上で野原ひろしの一歩手前」
「やめて……! 子供の頃から見ていたアニメキャラを比較に出すの本当やめて……! そのキャラの年齢を超えたって知った時が一番ダメージあるんだから……!」
サチは胸を押さえながら苦しんだ。
「そういうわけだからね? そんな私に制服着ろとか、結構キツい事言ってる自覚を持って欲しいなぁ」
サチは困り顔で答える。しかし私はそんなサチの反応を見てほくそ笑んでしまった。
「嫌だとは言わないんですね」
「……」
「折角私とメリムの影響で若返ってるんだし、本当は興味あるんですよね?」
「……」
「ね? ね?」
「……」
サチの顔が赤くなった。
「……わ、わかった。その代わり」
サチは顔を赤らめたままクローゼットの前へと歩み寄り、そして中からもう一着の制服を引っ張り出した。私が取り出した制服よりも一回り小さい制服だ。デザインも違っているし、多分中学時代の制服なんだろう。
「りいちゃんもね?」
こうして私達の私達による私達の為の制服ファッションショーが開催された。
「えー! いいじゃんいいじゃん! わー、まさかりいちゃんの制服姿を見れる日が来るとは思わなかったなー。連れてきて正解だったかも」
中学時代の制服を着た私を、四方八方様々な角度から満遍なく写真に収めるサチ。笑顔のサチとは対照的に姿見に映る私の表情はあまり芳しくない。そりゃそうだろう。中学時代の制服とは言っても、これ百五十から百六十センチ台の女子が着るサイズだ。百三十台の私が着てもぶかぶかだし、ダボダボだし、手だって中指の先っちょがやっと袖から覗いているくらいだ。スカートもなんだこれ。膝下何センチだ? 下手に歩けばスカートの裾踏んづけて転ぶぞこれ。
「りいちゃんこっちこっち! もっと寄って!」
私オンリーの撮影を一通り終えると、今度は私の肩を抱いてツーショットでの自撮り大会が始まった。もちろんカメラに映る私の表情は浮かない。ここまでテンションの高いサチって久しぶりだし、軽く不気味さを感じてるんだから仕方ねえよ。
絶え間なく鳴り響くシャッター音。それらが鳴る度に切り替わるスマホの画面。私達の年齢差は間違いなく二十以上は離れているものの、サチは私の影響で若々しいしお互い制服姿だしで、親子写真というよりかはウザい姉とそれに付き合わされる妹といった印象だ。
サチは浮かれていた。浮かれすぎていた。そして何より騒ぎ過ぎていた。だからだろう。足音と共に床を軋ませる、そのわかりやすい来訪者の存在に気づく事が出来なかったのは。
「……サチ」
「え……」
襖が開く。黒の喪服を纏ったサチのお母さんが、誰かを哀れむような悲しい目を廊下からサチの方へ向けていた。
「それでお通夜行くのね。……そう」
襖が閉まり、足音が遠ざかる。
「ち、違う! 違うから! ちょっと懐かしくなっただけ! 待って! ねえ!」
有生家の実家はとても賑やかだ。
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