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第2.5章 魔女と日常の話
家出 ③
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◇◆◇◆
『えっと……すみません。お誘いは嬉しいですけど、でもごめんなさい。今はちょっとご飯が食べられなくて』
『ダイエット中でしたか?』
『いえ、その……お恥ずかしながら今朝うちの子と喧嘩してしまいまして。それで私、ついムキになってあの子の嫌いな野菜だけでご飯を作っちゃったんです。とても大人気ない事をしてしまったと思っています。それでもあの子は我慢してご飯を食べたのに、好き嫌いのない私が普通にご飯を食べるのもなんだかずるいじゃないですか? ……だから、あの子と仲直り出来るまで何も食べないつもりです』
ダイチくんのお母さんとそんなやり取りをして、病室を出ようとした時だった。
『おばさん。ちょっと話があんだけど。……あと、悪いけどお袋は出てって貰っていいか? おばさんと二人で話がしたい』
ダイチくんに引き止められ、そして私は彼と二人きりで話をする。それはいくら問い詰めてもりいちゃんが決して話してはくれなかったあの事件の裏話だった。ダイチくんは自分がそれまでりいちゃんにしてきたありとあらゆる仕打ちを羅列し始めた。
ダイチくんの口からりいちゃんへの仕打ちが語られる度に、拳に力が入るのを感じた。りいちゃんは私を穏やかな大人だと勘違いしている節があるけれど、それは彼女の勘違いだ。私はとても沸点の低い、自分でも驚くくらい怒りやすい人間だから。ただ、りいちゃんの前では極力その気持ちを隠そうとしているだけだ。自分の事は自分が一番よくわかっている。
子宮を失っているのも原因の一つなんだろう。私は子宮と卵巣を全て摘出している。卵巣を失った私は女性ホルモン量が絶対的に少なく、閉経後の女性によく現れる更年期障害の症状が頻発するのだ。それが私の怒りやすい性格の原因の一つでもあるんだろうけれど、でもきっと子宮を失っていなくても私はこうだった気がする。幼稚なんだ、私って。
『そういうわけだから、そのゼリーは貰えません。全部俺の自業自得なんで。それは有生とでも食ってください。あと、ベッドの下にSwitchもあるからそれも有生に渡して欲しいっす。あいつ、俺から言ったんじゃ絶対に受け取ってくれないから』
ダイチくんの言葉を聞いた時も、やはり私はイライラしていた。確かに私は入院したばかりのダイチくんに悪態をつくりいちゃんに説教をした事がある。でも、りいちゃんが理由もなくあんな悪態をつくはずがないのも私はよく理解しているつもりだ。保護者としてりいちゃんの悪態を正したい義務があった反面、りいちゃんにそこまで悪態をつかせるような事をしたダイチくんへの憎しみも、間違いなく存在していた。
今もそうだ。りいちゃんはもうとっくにダイチくんの事なんか許していて、仲の良い友人になりたいとそう願っている。私はそんなりいちゃんの気持ちを尊重して、だからこうして和解の場を設けたんだ。……でも、やっぱり本心は違う。ダイチくんにはりいちゃんに近づいて欲しくない。りいちゃんもダイチくんに近づいて欲しくない。事の顛末を詳細に教えて貰った今、その気持ちはより強く私の中で渦を巻く。
『……りいちゃんは受け取らないって言ったんだよね? なら私も受け取る気はないよ。どうしても渡したいなら、ダイチくんがりいちゃんを説得して』
ただ、私はこの五年間で少しは我慢強さが鍛えられていたんだろう。アイスちゃんと再会した時も、この時も、私は暴力という最悪な手段に手を染めずに済んだ。
『このゼリーも、りいちゃんがお見舞いに来た時にでも一緒に食べてよ。りいちゃんも喜ぶだろうし』
でも、最悪な手段に手を染めなかった分のツケはしっかりと私の心に残っていた。ダイチくんとはそうやって円満に別れたつもりではあるけれど、私の怒りはおさまり方を知らない。私はダイチくんにぶつけるべき怒りを持ち越したまま家に帰ってしまったのだ。
『あの、りいちゃん。今』
あの、りいちゃん。今ダイチくんと会って来たんだけど。……と。本当はあの時そう言うつもりだった。りいちゃんが隠し続けた秘密を知ってしまったのだ。あの子を慰めてあげないといけない、そんな気持ちが確かにあの時点で私の中にはあった。
でも、りいちゃんの部屋を開けた時。朝と変わらない散らかりっぷりのまま、ベッドでごろ寝しながらスマホをいじってるりいちゃんの姿を見てしまった時。病院から持ち越してしまった怒りが、私の中で弾けてしまった。
アイスちゃんも、ダイチくんも、自分の罪を自覚して罪悪感を背負うようになった。彼らのやった事はなかった事にはならないけれど、その罪悪感はきっと彼らを大人にする為の大切な経験として二人の背中を押す事になるだろう。
でも、りいちゃんはどうだろう。確かにりいちゃんは二人と違って罪を犯すような事はしていない。それどころか誰かの為に身を挺して戦える、とても勇敢で立派な子であり続けたと思う。私はそんな彼女を誇りにさえ思っている。血が繋がっていないだけの、私の自慢の娘だと胸を張って言い切れる。りいちゃんは昔から変わらないんだ。いい意味でも、悪い意味でも。
罪を犯した二人と犯していないりいちゃんを比較するのは最低な事だと思う。それでも変わろうとする二人の姿を見てしまった私だ。昔とちっとも変わらないままお片付けをせず、ごろ寝しながらスマホをいじるりいちゃんのその姿に、私は不安を感じずにはいられなかった。
だから私はやってしまった。それで私はやってしまった。誰かを助けられる勇気あるあの子を、脅すような形で叱ってしまった。
今だから言える事だけど。今更言っても遅い事だけど。もっと良いやり方もあったんじゃないのかな。あんなりいちゃんを脅して無理矢理動かせるようなやり方じゃなくて、私もりいちゃんも笑顔で頷けるような、そんなやり方が。
「……」
私を眠りから覚まさせたのは、窓から差し込む夕日でも、家の外から響く車の音でも、キッチンから漂うお肉料理の匂いでもなかった。私を起こしたその刺激は触覚と味覚。私の口の中に、微かなしょっぱさが宿る。
「……あ」
瞼を開けると、りいちゃんが私の口に指を差し込んでいた。その行動の意図は、彼女が次に発した言葉で明らかになる。
「口の中、からっからですよ。水も飲んでなかったんですか?」
「……」
そう呟くりいちゃんの脇には、一つの箱が挟まれていた。Switchの箱だ。それを見た瞬間、私は彼女がダイチくんの病院へ行った事を察した。その物言いからして、きっと私が断食をしている事もダイチくんから聞かされているのだろう。
「りいちゃん、それ」
「あぁ、ダイチから預かったんです。詳しい事は言えないけど、十月か十一月頃には私が納得出来るやり方で解決してみせるって。だからそれまでは預かってて欲しいって」
「……そうなんだ」
二人の間でどんなやり取りがあったのかはわからない。わからないからこそ何があったのかを詳細に聞きたい。でも、私がそれを聞くのはきっと不粋だ。それはりいちゃんが判断し、そして決断した事。……ただ、やろうと思えば聞き方なんていくらでもある。
「りいちゃん。私はりいちゃんとダイチくんの間で何があったのか、全部知ってるよ。それをわかった上で私の質問に答えて」
「はい」
「Switchの値段はいくら?」
「二万五千円」
「それは小学生同士で勝手にやり取りしていい金額だと思う?」
「思いません」
「ダイチくんのお母さんはこの事を知っているの?」
「多分知らないと思います」
「この事が知られたらどうなると思う?」
「……よくわからないです。でも、凄く面倒な事になる気はします。私とダイチだけじゃなくて、下手したら学級問題になるかも知れません」
「じゃあどうして受け取ったの?」
「ダイチを信じたいと思ったから」
「……」
「友達を信じたいと思ったから。それだけです」
「……そっか」
私はリビングの椅子から立ち上がり、キッチンの方へ足を向ける。
「この事で何かあったら真っ先に私に言うんだよ?」
「はい」
そして夕飯の準備に取り掛かろうとしたのだけれど。私の足はキッチンに入る寸前でピタリと止まった。
「……それと」
ここから先の行動をする為には、まず最初のその一言を言わなきゃいけないと、そう思った。でも。
「ストップ! その前に私からも一言いいですか?」
りいちゃんは私の言葉を堰き止めた。
「ダメ。先に私の話を聞いて」
私も負けじとりいちゃんの言葉に自分の言葉を上書きする。
「嫌です! 先に私に言わせてください!」
それを繰り返す。
「ダメなものはダメ。すぐに終わるから先に言わせて」
何度も繰り返す。
「私だってすぐに終わります! 三秒……、いや一秒! 一秒で終わりますから!」
「そんなの私だって同じだよ。私が先に言う」
「いえ私が!」
「ダメ。私が」
「私が!」
「私が」
何度も何度も繰り返す。そして。
「いっせいの」
その一言は誰が言ったのかはわからない。私が言ったような気もするし、りいちゃんが言ったような気もする。ということはきっと二人で言ったんだと思う。……でも。
「ごめん!」「ごめんなさい!」
次の一言は間違いなく二人同時に言い合った。
お互いに頭を下げたまま、時間だけが流れて行く。視線の先は床なのだから、相手の表情なんてわかるはずもない。でも、私にはりいちゃんの表情がわかる。りいちゃんも同じだろう。クスクスと漏れ出る笑い声が、相手の表情を具体的にイメージさせてくれるのだ。
結局私達に笑い声はクスクス程度で止まる事はなく、次第に声が大きくなっていく。気がつけばただの微笑は盛大な大笑いにまで成長していた程だ。
「ご飯にしよっか?」
笑いが落ち着くまでしばらく時間を費やしたものの、ようやく私は話を進める事が出来た。
「先に片付けて来ます。お肉はそれからの約束ですから」
「いいよ。腹が減っては戦が出来ぬって言うでしょ?」
そして私達は戻れたんだ。いつもの私達に。いつも通りの私達に。喧嘩は喧嘩で新鮮味があったけど、やっぱり私達の関係はこのくらい一番性に合うと、そう思った。
五分後。
「だからお片付けはご飯食べてからでいいって言ってるでしょ⁉︎ そんなヘロヘロな体でお掃除出来ると思ってるの⁉︎ わざわざお野菜少な目の生姜焼き作ったのに硬くなっちゃうよ!」
「だから食べるって言ってるじゃないですか! 掃除の後に! 全部終わった後に! 約束を守って正々堂々食べたいんです! ていうかヘロヘロってどの口が言ってんですかえぇ⁉︎ どう見ても何も食べてないサチの方でしょ⁉︎」
『えっと……すみません。お誘いは嬉しいですけど、でもごめんなさい。今はちょっとご飯が食べられなくて』
『ダイエット中でしたか?』
『いえ、その……お恥ずかしながら今朝うちの子と喧嘩してしまいまして。それで私、ついムキになってあの子の嫌いな野菜だけでご飯を作っちゃったんです。とても大人気ない事をしてしまったと思っています。それでもあの子は我慢してご飯を食べたのに、好き嫌いのない私が普通にご飯を食べるのもなんだかずるいじゃないですか? ……だから、あの子と仲直り出来るまで何も食べないつもりです』
ダイチくんのお母さんとそんなやり取りをして、病室を出ようとした時だった。
『おばさん。ちょっと話があんだけど。……あと、悪いけどお袋は出てって貰っていいか? おばさんと二人で話がしたい』
ダイチくんに引き止められ、そして私は彼と二人きりで話をする。それはいくら問い詰めてもりいちゃんが決して話してはくれなかったあの事件の裏話だった。ダイチくんは自分がそれまでりいちゃんにしてきたありとあらゆる仕打ちを羅列し始めた。
ダイチくんの口からりいちゃんへの仕打ちが語られる度に、拳に力が入るのを感じた。りいちゃんは私を穏やかな大人だと勘違いしている節があるけれど、それは彼女の勘違いだ。私はとても沸点の低い、自分でも驚くくらい怒りやすい人間だから。ただ、りいちゃんの前では極力その気持ちを隠そうとしているだけだ。自分の事は自分が一番よくわかっている。
子宮を失っているのも原因の一つなんだろう。私は子宮と卵巣を全て摘出している。卵巣を失った私は女性ホルモン量が絶対的に少なく、閉経後の女性によく現れる更年期障害の症状が頻発するのだ。それが私の怒りやすい性格の原因の一つでもあるんだろうけれど、でもきっと子宮を失っていなくても私はこうだった気がする。幼稚なんだ、私って。
『そういうわけだから、そのゼリーは貰えません。全部俺の自業自得なんで。それは有生とでも食ってください。あと、ベッドの下にSwitchもあるからそれも有生に渡して欲しいっす。あいつ、俺から言ったんじゃ絶対に受け取ってくれないから』
ダイチくんの言葉を聞いた時も、やはり私はイライラしていた。確かに私は入院したばかりのダイチくんに悪態をつくりいちゃんに説教をした事がある。でも、りいちゃんが理由もなくあんな悪態をつくはずがないのも私はよく理解しているつもりだ。保護者としてりいちゃんの悪態を正したい義務があった反面、りいちゃんにそこまで悪態をつかせるような事をしたダイチくんへの憎しみも、間違いなく存在していた。
今もそうだ。りいちゃんはもうとっくにダイチくんの事なんか許していて、仲の良い友人になりたいとそう願っている。私はそんなりいちゃんの気持ちを尊重して、だからこうして和解の場を設けたんだ。……でも、やっぱり本心は違う。ダイチくんにはりいちゃんに近づいて欲しくない。りいちゃんもダイチくんに近づいて欲しくない。事の顛末を詳細に教えて貰った今、その気持ちはより強く私の中で渦を巻く。
『……りいちゃんは受け取らないって言ったんだよね? なら私も受け取る気はないよ。どうしても渡したいなら、ダイチくんがりいちゃんを説得して』
ただ、私はこの五年間で少しは我慢強さが鍛えられていたんだろう。アイスちゃんと再会した時も、この時も、私は暴力という最悪な手段に手を染めずに済んだ。
『このゼリーも、りいちゃんがお見舞いに来た時にでも一緒に食べてよ。りいちゃんも喜ぶだろうし』
でも、最悪な手段に手を染めなかった分のツケはしっかりと私の心に残っていた。ダイチくんとはそうやって円満に別れたつもりではあるけれど、私の怒りはおさまり方を知らない。私はダイチくんにぶつけるべき怒りを持ち越したまま家に帰ってしまったのだ。
『あの、りいちゃん。今』
あの、りいちゃん。今ダイチくんと会って来たんだけど。……と。本当はあの時そう言うつもりだった。りいちゃんが隠し続けた秘密を知ってしまったのだ。あの子を慰めてあげないといけない、そんな気持ちが確かにあの時点で私の中にはあった。
でも、りいちゃんの部屋を開けた時。朝と変わらない散らかりっぷりのまま、ベッドでごろ寝しながらスマホをいじってるりいちゃんの姿を見てしまった時。病院から持ち越してしまった怒りが、私の中で弾けてしまった。
アイスちゃんも、ダイチくんも、自分の罪を自覚して罪悪感を背負うようになった。彼らのやった事はなかった事にはならないけれど、その罪悪感はきっと彼らを大人にする為の大切な経験として二人の背中を押す事になるだろう。
でも、りいちゃんはどうだろう。確かにりいちゃんは二人と違って罪を犯すような事はしていない。それどころか誰かの為に身を挺して戦える、とても勇敢で立派な子であり続けたと思う。私はそんな彼女を誇りにさえ思っている。血が繋がっていないだけの、私の自慢の娘だと胸を張って言い切れる。りいちゃんは昔から変わらないんだ。いい意味でも、悪い意味でも。
罪を犯した二人と犯していないりいちゃんを比較するのは最低な事だと思う。それでも変わろうとする二人の姿を見てしまった私だ。昔とちっとも変わらないままお片付けをせず、ごろ寝しながらスマホをいじるりいちゃんのその姿に、私は不安を感じずにはいられなかった。
だから私はやってしまった。それで私はやってしまった。誰かを助けられる勇気あるあの子を、脅すような形で叱ってしまった。
今だから言える事だけど。今更言っても遅い事だけど。もっと良いやり方もあったんじゃないのかな。あんなりいちゃんを脅して無理矢理動かせるようなやり方じゃなくて、私もりいちゃんも笑顔で頷けるような、そんなやり方が。
「……」
私を眠りから覚まさせたのは、窓から差し込む夕日でも、家の外から響く車の音でも、キッチンから漂うお肉料理の匂いでもなかった。私を起こしたその刺激は触覚と味覚。私の口の中に、微かなしょっぱさが宿る。
「……あ」
瞼を開けると、りいちゃんが私の口に指を差し込んでいた。その行動の意図は、彼女が次に発した言葉で明らかになる。
「口の中、からっからですよ。水も飲んでなかったんですか?」
「……」
そう呟くりいちゃんの脇には、一つの箱が挟まれていた。Switchの箱だ。それを見た瞬間、私は彼女がダイチくんの病院へ行った事を察した。その物言いからして、きっと私が断食をしている事もダイチくんから聞かされているのだろう。
「りいちゃん、それ」
「あぁ、ダイチから預かったんです。詳しい事は言えないけど、十月か十一月頃には私が納得出来るやり方で解決してみせるって。だからそれまでは預かってて欲しいって」
「……そうなんだ」
二人の間でどんなやり取りがあったのかはわからない。わからないからこそ何があったのかを詳細に聞きたい。でも、私がそれを聞くのはきっと不粋だ。それはりいちゃんが判断し、そして決断した事。……ただ、やろうと思えば聞き方なんていくらでもある。
「りいちゃん。私はりいちゃんとダイチくんの間で何があったのか、全部知ってるよ。それをわかった上で私の質問に答えて」
「はい」
「Switchの値段はいくら?」
「二万五千円」
「それは小学生同士で勝手にやり取りしていい金額だと思う?」
「思いません」
「ダイチくんのお母さんはこの事を知っているの?」
「多分知らないと思います」
「この事が知られたらどうなると思う?」
「……よくわからないです。でも、凄く面倒な事になる気はします。私とダイチだけじゃなくて、下手したら学級問題になるかも知れません」
「じゃあどうして受け取ったの?」
「ダイチを信じたいと思ったから」
「……」
「友達を信じたいと思ったから。それだけです」
「……そっか」
私はリビングの椅子から立ち上がり、キッチンの方へ足を向ける。
「この事で何かあったら真っ先に私に言うんだよ?」
「はい」
そして夕飯の準備に取り掛かろうとしたのだけれど。私の足はキッチンに入る寸前でピタリと止まった。
「……それと」
ここから先の行動をする為には、まず最初のその一言を言わなきゃいけないと、そう思った。でも。
「ストップ! その前に私からも一言いいですか?」
りいちゃんは私の言葉を堰き止めた。
「ダメ。先に私の話を聞いて」
私も負けじとりいちゃんの言葉に自分の言葉を上書きする。
「嫌です! 先に私に言わせてください!」
それを繰り返す。
「ダメなものはダメ。すぐに終わるから先に言わせて」
何度も繰り返す。
「私だってすぐに終わります! 三秒……、いや一秒! 一秒で終わりますから!」
「そんなの私だって同じだよ。私が先に言う」
「いえ私が!」
「ダメ。私が」
「私が!」
「私が」
何度も何度も繰り返す。そして。
「いっせいの」
その一言は誰が言ったのかはわからない。私が言ったような気もするし、りいちゃんが言ったような気もする。ということはきっと二人で言ったんだと思う。……でも。
「ごめん!」「ごめんなさい!」
次の一言は間違いなく二人同時に言い合った。
お互いに頭を下げたまま、時間だけが流れて行く。視線の先は床なのだから、相手の表情なんてわかるはずもない。でも、私にはりいちゃんの表情がわかる。りいちゃんも同じだろう。クスクスと漏れ出る笑い声が、相手の表情を具体的にイメージさせてくれるのだ。
結局私達に笑い声はクスクス程度で止まる事はなく、次第に声が大きくなっていく。気がつけばただの微笑は盛大な大笑いにまで成長していた程だ。
「ご飯にしよっか?」
笑いが落ち着くまでしばらく時間を費やしたものの、ようやく私は話を進める事が出来た。
「先に片付けて来ます。お肉はそれからの約束ですから」
「いいよ。腹が減っては戦が出来ぬって言うでしょ?」
そして私達は戻れたんだ。いつもの私達に。いつも通りの私達に。喧嘩は喧嘩で新鮮味があったけど、やっぱり私達の関係はこのくらい一番性に合うと、そう思った。
五分後。
「だからお片付けはご飯食べてからでいいって言ってるでしょ⁉︎ そんなヘロヘロな体でお掃除出来ると思ってるの⁉︎ わざわざお野菜少な目の生姜焼き作ったのに硬くなっちゃうよ!」
「だから食べるって言ってるじゃないですか! 掃除の後に! 全部終わった後に! 約束を守って正々堂々食べたいんです! ていうかヘロヘロってどの口が言ってんですかえぇ⁉︎ どう見ても何も食べてないサチの方でしょ⁉︎」
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