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第二章 魔女とタバコを吸う少年

正義マンなんかじゃない

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 さて。待っている間もただぼーっとしているわけにもいかないだろう。俺には考えないといけない事がある。有生が盗撮に成功した場合と失敗した場合についてだ。成功したなら話は早い。その動画を持って、とっとと交番に駆けつければ良いだけの話だし。

 問題なのはその真逆のケース。有生が盗撮に失敗した時だ。有生は身長が身長だし、頭は桜色のキャップで覆われている。親父の巨体なら、その場でしゃがんで下から有生の顔を覗き込みでもしない限り顔を見られる事はないだろう。……でも、絶対とは言い切れない。

 親父にはバレなくてもアキにバレる可能性がある。何かの拍子に帽子が脱げて、親父に顔を見られる可能性もある。あいつの盗撮があからさま過ぎてバレる可能性だって当然ある。

 バレたらあいつ、どうなんだろ。俺の事を親父にチクるのかな? チクるにせよチクらないにせよ、犯行現場を撮られたと知ったが最後、逆上した親父に何をされるやら。

 タクちゃんは肘関節を外された。靭帯が洒落にならないくらい伸び切っていたようで、もしかしたら一生物の障害が残るかも知れないらしい。

 ヨウイチさんは入院中だ。手の手術は無事に済んで、今は傷が癒えるのを待っている。入院自体は数日で終わるらしいけど、退院してからはギブスを嵌めながら長期間のリハビリに励むそうだ。……でも怪我の具合はタクちゃんの何倍も重症で、タクちゃんが一生物の障害になりかねない怪我だとしたら、ヨウイチさんは確実に一生物の障害になると医者に断定された。

 もし、有生の盗撮が親父にバレたら……。

「……」

 別にいいか。あんな奴がどうなろうと。あいつを心配する理由も心配する義理も俺にはないんだ。俺はあいつが気に入らない。あいつも俺が気に入らない。それでいいじゃないか。

『ダイチ。ありがとな』

 バスの中で見せたあの笑顔だって、どうせSwitchを確実に取り戻す為に俺に擦り寄ろうとしてたに違いねえよ。だからあんな奴の事なんか気にすんな。あいつの事なんかさっさと忘れろ。
 あいつにされた事も、あいつに言われた事も、あいつの笑顔も、あいつの涙も。

「……」

 あいつを泣かせた事も、全部忘れろ。

 それから更に少しだけ時間が経つ。スーパーの自動ドアが開き、中から見覚えのある顔がのそのそと出てきた。有生だった。特にトラブルらしい音も聞こえなかったし、犯行現場の盗撮には成功したと見ていいだろう。店を出てキョロキョロと辺りを見渡す有生に向かって手をあげると、有生は小走りでこっちまで駆け寄って来た。

「もっとテキパキ動けよ。親父達に見つかったらどうする気だ?」

 俺の元まで駆け寄って来た有生に、開口一番のそのそと店を立ち去った事に対する嫌味を言ってやった。

「心配すんな。あいつら、店員に連れられて店の奥に入ってったから」

「……何があった?」

 有生は俺にスマホを返し、盗撮した映像を見せながら事の一部始終を語った。

「お前の言う通りだったよ。アキの奴、店員の目を盗んで惣菜コーナーの物を手当たり次第通学リュックの中に詰めてった。でもほら、ここ。壁のドアが急に開いて、中から店員が出て来た。それでアキ、動揺して転んでリュックを押し潰してさ」

 動画に音声はない。いや、正確には音は入っているものの、アキとの距離が離れ過ぎていてアキの話し声まではスマホが拾い切れないんだ。

「それで遠くにいたアキの父親がやって来て、そしたらアキが泣き出した。うちが貧乏で不味い物しか食えないとか、そんな感じの事を泣きながら訴えてた。どっかで見た光景だったよ。ガキが惨めにしてれば許して貰えるって、わかっててやってたんだな」

 そりゃそうだ。どっかで見たどころか、有生はイオンで直接アキに言われた身だ。それでアキに同情して、手を差し伸べて、レアカードまで差し出して。本当馬鹿みたいだよ、こいつ。

「でもこの店員、厳しめの奴でさ。アキの泣き落としにはびくともしないで二人を怒鳴りつけてた。ダメにした商品買い取れって。でもアキの父親、財布を出して千円しか持ってないって言ってた。アキもポケットから千円出したけど、それでもアキが潰した商品代には届かなかったっぽい。そんで二人とも奥に連れてかれて……。それで終わり」

 スマホの動画がそこで止まる。それは父親が娘に万引きを強要する動画にはなりえなかった。一人の子供が万引きをし、父親と共に店の奥へ連れて行かれるだけの、そんな動画だった。

「なんかこう……、親父がアキに万引きを指示するような場面とかなかった?」

「なかった」

「……そっか」

「悪い」

 何を謝ってんだか。

「まぁでも実際見たなら親父がどういう奴かわかったろ? 暴力が大好きで、手元に十分な金があっても盗みのスリルを楽しむ悪党中の悪党だって。あいつは……」

 ……と、その時。

「おいこっち!」

 俺は有生の手を引き、歩道橋の影に隠れる。常にスーパーの正面口が視界に入るよう位置取っていたおかげで、中から出てくる二人の姿をいち早く認識する事が出来た。

 歩道橋から顔を半分だけ出して二人の様子を見てみる。店の奥でどんなやり取りがあったかまではわからないけれど、店員に向かって深々と頭を下げて店を立ち去っている辺り、一応許しては貰えたんだろう。

 ただ気になるのは二人の行き先だ。今回は失敗したと諦めて家に帰るのなら、二人が向かうべき方角はそっちじゃないはず。と言う事は次の獲物を求めて他の店に行くのか、それとも……。俺は親父達と距離を取りながら、再び尾行を続けた。

「この動画だけでも警察に持ってっちゃダメかな?」

 二度目の尾行中、有生が自分のスマホを取り出しながらそう問いかけて来た。

「何自分とこにも移してんだよ」

 エアードロップでも使ったんだろう。そこには俺のスマホに保存されている動画と瓜二つの動画が表示されている。

「無理じゃね? これだけじゃあ万引きした娘の為に謝る父親の動画だ。まぁ俺らが必死に訴えれば信じてくれる可能性もあるかもだけど……」

 本当は尾行している最中だし会話なんて以ての外だろうけれど、一応声量は落としているし親父達との距離も大分離れている。流石にこれで俺達の声が届いたりはしないか。

「仮に私達の話を信じてくれたら、あいつはすぐにでも逮捕されるのか?」

「さあな。ドラマとか見た感じ、現行犯じゃないなら逮捕状とかがないと捕まえらんなかったと思う。何日かは間が空くんじゃねえの?」

「へー。じゃあさ、私達のタレコミで警察が調査に行ったとして、その場であいつを捕まえられなかったらアキの奴どうなっちまうんだろうな」

「……」

「逮捕状が出るまであのおっさん、大人しくしてると思うか? ブチギレたあいつに殺されんじゃね? お前の言ってる事が本当だったらの話だけど。私はあのおっさんの本性とか見た事ないから知らねえよ。でも、お前はそれでいいのか?」

 有生に言われて気が付いた。確かにそうだ。その通りだ。あの親父の事だし、アキが自分達の事を警察にチクったって勘違いして逆上する姿が容易に思い浮かぶ。親父が逮捕されて俺の身の安全が保証されれば、それは結果としてアキも救える行為に繋がると思っていた。でも違う。それは火に油を注いで、俺だけが助かる選択肢だった。……とは言っても。

「お前何か勘違いしてんだろ? 俺、ヘマしてあのクソ親父に住所握られちまってんだわ。俺はアキを助けたくてこんな事してんじゃねえよ。自分が助かりたいからあいつを牢屋にぶち込みたいだけ」

 俺の目的に変わりはないけどな。

「そうかよ」

 有生は俺から興味をなくしたように、冷たく淡々とした口調で素っ気なくそう答えた。それとも案外、あの親父の本性を見ていないからこその素っ気なさなのかもしれない。あの親父の沸点の低さを知らないから、まさかアキが本気で殺されるかもとか思ってもねえんだろう。だとしたらその予想は大外れだよ。……で。

 有生が親父の本性を知るのに、それからそう時間は掛からなかった。親父とアキが人っ気のない小さな公園に立ち寄ったからだ。二人は公園の奥に佇んだ薄暗い公衆トイレの中へと入って行く。トイレの入り口には覗き見防止の壁が佇んでいて、中の様子は確認出来ない。でもそれは向こうも同じであって、俺と有生の二人が壁に背を預けながら突っ立っていても、当然向こうからは見えないわけだ。音に関してはその限りじゃないけどな。

 アキ達がトイレに入って真っ先に聞こえた音は、破裂音にも近い乾いた音だった。生活の一部に暴力が混入したような日々を送る俺には、その音の正体が容易に理解出来る。あれはアキが平手で顔を殴られた音だ。

「アキ。これで何回目だ? いつになったら慣れてくれるんだよ。なぁ」

 続け様に聞こえてくる親父のドスを利かせた声が、その予想が正しい事を裏付けてくれる。

「何も盗めなかったならまだいいとして、危うく買わされる所だったぞ」

 危うくと言うことは、結局アキが押し潰した食料品は買い取らされずに済んだという事なんだろう。動画に映っていた店員と、スーパーの入り口で二人が頭を下げていた店員は別人だった。もっと立場が上の店員がやってきて、二人に同情して見逃してくれたと言った所だろうか。……と、その時。

 コト、コト、コト、と。硬い物同士が接触するような音が三つ鳴り響く。

「……ち、ちっちゃいお酒なら……取れた」

 続いて聞こえて来たアキの言葉からして、どうやらアキは食料品とは別に酒の万引きに成功していた事が伺える。小っちゃいお酒って言うと……あれか? クライナーファイグリングとか言う最近流行ってる酒。タクちゃん達と飲んだ事があるからなんとなくわかる。あれなら20mlサイズの小瓶に入っているし、ガラス瓶を床かどこかに置いた音だと思えばさっきの音にも説明がつく。

 数秒の沈黙を経て、トイレの中から親父の笑い声が響いて来た。それはお世辞にも親子間で行われる幸せそうな笑みとは言えず、どちらかと言えばテレビで芸人が惨めな目に遭っている姿を見た時の笑みに近い。

「いやー悪い悪い。やるじゃないかアキちゃん? 母親譲りの体が役に立ったな」

 母親譲り。胸の間にでも酒を隠していたんだろうか。確かにそこならボディチェックは免れるだろうな。それにしても有生の動画にはアキの一部始終が映っていたものの、アキが酒を万引きしている様子は見当たらなかった。それだけあいつの万引きの腕が上がっていたって事だろうか? あの鈍臭いアキが上達するだなんて、一体どれだけの長い年月を万引きに捧げて来たんだろう。

「まぁ、だからと言ってヘマした分がチャラになると思うなよ?」

「……」

「土下座」

 人の膝が硬い床と接触するような音が聞こえて来た。

「お前が失敗したせいでまた行ける店が減った。貴重な近所のスーパーだって言うのに」

「……」

「どうすんの? パパお腹空いてるよ。アキだって空いてるだろ?」

「……あ。……こ、これ」

 ゴソゴソと何かをまさぐる音と、ビニールのような物を取り出す音。

「学校で……家庭科だけでも出てみない? って言われて……クッキー、作った」

「いらない」

 しかしその直後に聞こえて来た、クッキーが踏み砕かれる音で何が起きたかは明白だった。そして。

「甘い物嫌いだって知ってんだろ⁉︎」

 次に聞こえて来たのは軽い人間が重い人間に蹴飛ばされるような音と、そしてアキの悲鳴だった。それを機に、アキの声は次第に涙声へと変調していく。

「大体てめえ他に言う事あるだろ⁉︎ なぁ! さっきの千円、あれなんだ? 何でお前金持ってんだ? お前まさか盗んだのか⁉︎ 俺から⁉︎」

 アキは蹴飛ばす音が、親父の怒りに合わせて立て続けに鳴り響いた。アキの口からはその度に悲鳴が漏れる。弁明の言葉さえもまともに言わせて貰えない。

「ち……ちが! ちが! ……う。一昨日、Switch盗んだ時……! 一緒に盗ん……で」

「なら早く言えよ」

 親父の蹴りが止んだのは、結局アキが十発以上もの蹴りを受けた後だった。俺は親父達に声が届かないよう、囁くくらいの小声で有生に話しかける。

(一応言っとくけど金渡したのは俺だから。あれは多分俺をかばってついた嘘)

 有生は全くもって興味なさそうだった。本当に興味なさそうにしていた。なのにアキの悲鳴が聞こえる度にその拳と奥歯に力が入り込むもんだから、その態度は嘘臭い事この上ない。

(助けに行かねえんだな。正義マンのくせに)

 俺はそんな有生の情動を煽るように言葉を続ける。

(お前、いつも私にそれ言うよな。悪いけど私、やっぱ正義マンでもなんでもねえよ)

 有生は淡々と答えた。

(お前の言った事が本当なのはわかった。私のSwitchを盗んだのもあのおっさんに命令されてやった事なんだろ? ……でもさ、私今めっちゃスーってしてる。アキの泣き声が聞こえる度にざまあみろって思っちまってる。Switchを売っぱらったって言われた時からさ……あいつの事が憎くて憎くて仕方ない)

 有生はそう答えるも、俺からすればその答えさえも嘘臭い。有生の眉間に寄った皺が俺にそう思わせるんだ。

 有生の言葉の全てが嘘ってわけでもないんだろう。こいつがアキを憎む気持ちは紛れもなく本物だと思う。アキの悲鳴に痛快さを抱いているのも本当だと思う。

(何すかした顔してんだよ。お前だって同じだぞダイチ)

 で、その感情は当然俺にも向けられているんだろう。怒りに満ちた有生の眼差しが俺を突き刺した。

 でも、どうしてだろうな。俺には有生の怒りが建前にしか思えないんだ。自分が怒っている原因は俺達兄妹にあると言い訳しているようにしか思えない。アキの悲鳴が聞こえる度に拳に力が入っていってるくせに。俺とアキを憎む気持ちと同じかそれ以上に、弱い奴をいたぶって良い気になってるジジイに苛立っているくせに。
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