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第二章 魔女とタバコを吸う少年

悪巧み

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 鍵の存在しないドアノブを見て小さくため息をついた。母親が母親なら父親も父親だよ。商社勤めで年がら年中色んな地域に転勤するような働きマンのクセに、こんな二階建てにして広さを稼いでいるようなセコイ家を買いやがって。もっと広い土地は買えなかったのか? そうでなくてもせめて個室に鍵が付いてるような家にしろってんだ。

「……はぁ」

 ドアの向こうから聞こえるお袋の啜り泣く声にまたしてもため息が漏れる。おまけに床に散らばった、皿の破片に塗れたおにぎりの残骸を見て三度目のため息もついてしまった。皿の破片が散らばっているんじゃまともに自分の部屋も歩けず、だからと言って一々破片の一つ一つを片していくのも面倒だ。俺はベッドの上の二枚の掛け布団から一枚を掴み取り、そしておにぎりの残骸と皿の破片を覆い隠した。見た目は悪いが、一風変わったカーペットって考えれば別にいいさ。

 ベッドの上に横になり、外したイヤホンを再び付け直す。モンハンの続きは……って。あーあ、途中で中断したもんだから俺のキャラ死んでやんの。

「ごめんごめん、クソババアが急に入ってきやがってさぁ……」

 とりあえず勝手に中断して死んだ事に対して皆に謝罪をした。が、イヤホンの向こうからは何故かタクちゃん達の笑い声が聞こえて来る。ゲームを中断した事に対して怒っているならまだしも、どうして笑い声が? という俺の疑問は、次のカイトさんの言葉で明らかになる。

『気にしないでいいのよ、ダイちゃん!』

「……」

 どうやらこっち側の声が全部ダダ漏れだったらしい。俺が家でお袋に何て呼ばれているのかバレてしまった。

『もう、ダイちゃん! お母さんのお金盗んじゃダメでしょ! めっ!』

 カイトさんに便乗するようにタクちゃんも俺をからかう。

『つうか一度に五万ってのが馬鹿過ぎるんだよ。こういうのは一度に大金を盗るんじゃなくて、回数を分けて千円ずつとか五百円ずつの方がバレねえんだ。わかったか? ダイちゃん』

 ヨウイチさんまで二人に乗っかる。

『いやー、それにしてもダイちゃんのママは息子思いのいいママでちゅねー? お前もうこの際母ちゃんで童貞卒業したらいいんじゃね? お前の母ちゃん若いし可愛いし嫉妬しちゃうわマジで。胸もデカいし』

 そしてカイトさんが最後に放ったその言葉は決定的だった。ただでさえお袋とのいざこざで腹が立っている俺の逆鱗を、土足でズカズカと踏みにじった。

「……っち」

 俺はわざと聞こえるように大きな舌打ちをし、ディスコとSwitchも何もかもオフにする。ここは俺が世界で一番安らげる部屋だ。そこに俺を不快にさせるような音はいらない。

「くそっ」

 それからしばらく行き場のないイライラの行き先を考えるも良い案は思いつかない。結局俺は部屋の電気を消し、眠る事でイライラを薄める他やれる事がなかった。

「……」

 ただ現代人の悪い癖というか何というか、電気を消してベッドに横になったからと言って「じゃあ寝よう!」という単純な流れは中々訪れないもの。ベッドに就いてから眠くなるまでのラグは、もっぱらスマホでの時間潰しである。SNSを眺めたり、まとめサイトの記事を読んだり、YouTubeを見たり。それに最近撮った画像や映像を見返したり。

 なのに脳裏に過ぎるのは俺を馬鹿にする三人の笑顔ばかり。実際あのメンバーの中じゃ俺は最年少だし、学校だって唯一の小学生だ。小学生の俺があのグループに居られるのは、他でもない幼馴染のタクちゃんが俺を引き入れてくれたから。だからあのグループで俺が一番立場が下なのも仕方のない事だって、ちゃんとわかってる。わかってるけど、それでも納得はいかないもんだ。

 何かねえかな。あの三人にマウント取れるような何か。あの三人を心の底から見下せるような何か。例えばあの三人の彼女より何倍も見た目のいい女を作るとか。

「……」

 ふと思い出す。イオンでクソチビと交わした最後の会話を。

『ほら。アキの連絡先。明日一緒に遊んでいいかどうかは私じゃなくてアキ本人に聞け』

『……』

『おい。礼くらい言えよ』

『さっき俺にぶつかった分チャラにしてやるよ』

『……っち。死ねやクソノッポ』

『お前が死ねクソチビ』

 最初、イオンでアキを見かけた時は人違いかと思った。なんせアキと別れたのは七年も昔で、当時のアキは三歳だ。子供の七年ってのは顔つきも大分変わってしまうもので、若干面影のような物は感じたものの、あれがアキ本人と特定するまでには至らなかった。

 でも、あいつがやって来た。七年前、アキを連れて出て行った親父が。子供の七年と違って、大人の七年は殆ど顔つきに変化なんて見られない。すぐにわかったよ。奴は俺の親父で、となるとあの胸のデカいガキはアキ本人だったって。

 子供の顔つきは七年で大分変わるってのは、アキだけじゃなく俺にだって適用される。だから多分、親父も俺に気づく事はなかった。そもそも親父はクソチビとばっか話していたから俺の存在にさえ気づいていなかったのかもしれない。

 何はともあれ、アキはいた。間違いなくあのガキはかつて生き別れたアキそのもので、そして俺の手にはアキの連絡先がある。スマホの時計を見てみると、時刻は午後九時を過ぎたばかり。俺は意を決し、クソチビから見せて貰ったアキの電話番号に電話をかけた。

 呼び出し音が鳴る。一回、二回、三回、四回。

「……」

 何故だろう。アキと話をしたいから電話をしたはずなのに、アキが中々電話に出ない現状に安堵する自分がいた。俺が緊張しているとでも言うのだろうか。たかだか妹一人に電話をかけるだけでそんな……。でも、このまま誰も電話に出ずに切れて欲しいと願う気持ちも間違いなくあるにはあって。

『……も、しもし』

 しかしそんな俺の願いは最も容易く打ち砕かれた。とは言えこの声は間違いなくアキの声だ。よかった。電話に出てくれたのはアキだったか……。

「もしもし、アキか?」

『……は、はい。どち、らさま……ですか?』

 そんな他人行儀な返事をされ、少し悩んだ。本当にこのまま名乗ってもいいのか。なんせ最後にアキと会ったのはアキが三歳の頃だ。三歳の頃とか物心つくかどうかのかなり曖昧な時期で、そんな頃の記憶とか俺でもあやふやだよ。だからもしかしたら俺の事なんかすっかり忘れている可能性だってある。もし俺の事を忘れていたら、俺はただの不審な男Dにしかなり得ない。……でも。

「ダイチ」

『……え?』

「黒崎ダイチ。今はお袋が再婚して金城ダイチになってるけど、昔の名前は黒崎ダイチだ」

 でも、結局名乗ってしまった。俺の名を知ったアキの反応が気になって、好奇心に負けてしまった。

『……』

「覚えてるか?」

『……。お兄ちゃん』

「……あぁ」

 好奇心に打ち負けた情けない心臓に、温かい液体を注がれるような感触を覚えた。お兄ちゃん、か。懐かしさが込み上がってくる。そりゃそうさ、毎日のように呼ばれ続けた呼び名なんだ。

『なんで……? どうして……?』

 電話の向こう側から聞こえてくるアキの声に活気というか生気というか、そんな活き活きとした力が宿っていくような気がした。

「まぁ……、色々あってさ」

 だけど俺はそんなアキの質問をはぐらかさざるを得なかった。今日イオンでお前の髪の毛を掴んだのが俺だなんて、そんな印象最悪な再会をわざわざ言うわけにもいかないし。

「なぁ、アキ。よかったら明日会わないか?」

『え?』

「久しぶりに声聞いたら会いたくなっちまったよ。いいだろ?」

『えっ……あ、で、でも。明日……予定があって』

「それってどうしても守らなきゃいけない予定なのか? なんなら予定の何時間か前に待ち合わせして、軽く話をするだけでもいいんだけど」

『……』

「ダメか?」

『……ダメじゃない』

 ダメじゃない。確かにアキはそう言った。とても弱々しい口調のくせに、やけにはっきりした意思表示だった。

『私も会いたい……』

「……そっか」

 少し考えてしまった。こいつはどこまで俺の事を覚えているんだろうと。こいつが俺に会いたいと思ってくれている、その事については単純に嬉しい。でも、俺はこいつに随分と酷い事をしたはずなんだけどな。

 そりゃあ確かにアキは大がつくほどのお兄ちゃんっ子だった。いつも俺にべったりで、俺がいないと泣き出して、そうなると中々泣き止んでくれない。そんなアキをあやした事を覚えているし。

「……」

 あいつにやった酷い仕打ちは、それ以上によく覚えている。なのにこんなにあっさり俺に会いたがるなんて。あいつ、あの時の事なんか完全に忘れちまってんのかな。

「おう。了解。じゃあ明日の十二時に駅前で」

 結局この日、俺達の間で交わされた会話は七年ぶりとは思えない程にあっさりと終わってしまった。まぁ元々長話をする気はなかった。積もる話は明日直接会った時の話題にでもとっておきたかったし。

 明日の十二時に駅前に集合。アキは明日の午後一時に駅前でクソチビと待ち合わせをしていて、その後クソチビの家で遊ぶ事になっている。だから俺はその一時間前にアキと落ち合って、近くのマックでも寄りながら近況報告を含めた軽い世間話でもする事にした。

 七年ぶりの再会か。一瞬、お袋にも会わせた方がいいような気もしたが、すぐにそんなアホみたいな考えは拭い去った。親を連れて外出なんて冗談じゃねえ。家の中で鉢合うだけでも腹が立つってのに。それに余計な邪魔がいたら、せっかく立てている明日の予定が台無しになっちまうもんな。
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