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第二章 魔女とタバコを吸う少年

プロローグ

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 類は友を呼ぶ。同族嫌悪。一見相反する意味を持つように見えるこの二つの言葉は、実は矛盾しない。まぁ、人に誇れるような健全な共通点を持つ者同士ならこれに当て嵌る事は滅多にないだろうけど、問題はその反対、とても人に誇れないような共通点、所謂コンプレックスがきっかけで引かれあった者同士の場合だ。噂に聞く、オタサーの姫によるサークル崩壊なんかがまさにその例だと思う。

 今まで趣味にだけ没頭し続けた、異性との接し方なんて全くわからない人間の集まりであるオタサーに姫が現れたとして。ある日、その姫がオタサーの中の一人と恋仲になったとして。その姫を手に入れたオタサーの男は、きっと他のメンバーに対して心の中でこう思うはずだ。『俺はこいつらとは違う。普通に異性と付き合う事が出来る、真っ当な人間だ』と。

 人間、誰もが自分の劣等感からは目を背けたいものだ。であるにも関わらず、人間は時に同じ劣等感を持つ者同士で集まる事だってある。何故なら同じ劣等感を持つ者がいれば嫌でも親近感を覚えてしまうものだし、何より同じ人種同士で集まると、劣等感が共有される事で安心してしまうんだ。『なんだ、自分みたいな奴は他にもいるじゃないか。自分は全然劣ってなんかいないじゃないか』と。つまり、一種の傷の舐め合いがそこで発生する。

 そして、こういう友情というのが一番脆く崩れやすい。当然だ。奴らは薄まる劣等感に心地よさを感じているだけあって、劣等感が取り除かれたわけじゃない。きっかけさえあったなら、自分と同じ劣等感を共有する友人なんて簡単に放り捨てるのさ。類(劣等感)に呼ばれて集まった者同士で同族嫌悪が生まれる。皮肉なもんだ。

 そもそも奴らは気付かないもんなのかね。いくら自分の劣等感が薄れるからと言っても、同じ人種同士で集まる行為がどれだけ愚かな事なのか。自分が属しているその集団は、輪の外から見れば同じ劣等感の持ち主が集まった異様な集団だ。奴らはコンプレックスから目を背けているつもりなのかもしれねえけど、外から見ればこれほど滑稽なものはないだろうに。

 なんにせよ、劣等感で集まった者同士の友情なんてこんなもんなんだ。女っ気のない集団に属していた人間が女を手に入れたら、そいつは仲間を見下すだろうよ。デブ同士気が合って集まった人間の中でダイエットに成功した奴が出てくれば、そいつも仲間を見下すだろうよ。

 昔、俺には世界で一番仲の良い相手がいた。俺とそいつの共通点は二つ。一つは同じ血が通っていた事。もう一つは俺達兄妹以外で、仲の良い相手を作れない環境にいた事。俺にはあいつしかいなかったし、あいつにも俺しかいない環境だった。

 俺達は世界一仲の良い兄妹だったんじゃないかと思う。小さい頃、ちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんを見るたびに不思議に思っていた。なんでこの登場人物達は兄弟喧嘩なんかしているんだろうって。喧嘩するほど仲が良いなんて言葉は嘘っぱちだ。俺と妹がテレビアニメやドラマで見るような兄妹喧嘩をした事なんて、一度もなかったから。

 妹はよくお兄ちゃんお兄ちゃん言いながら俺の後をついて来ていた。テレビを見るのも一緒、飯を食うのも一緒。風呂や寝る時だって一緒だったし、なんならトイレにだって着いて来ていたっけ。その事に関しては俺も俺で満更じゃなかった。お互い、歳の近い友達なんて一人もいなかった身だ。突っぱねる理由なんて特段なかった。何をするのも一緒の、そんな仲のいい兄妹だった。

 五歳くらいの頃だ。その日、俺は珍しく一人で家の外に出ようとしていた。妹と母親は寝ていて父親も家にいない。妙な解放感とわくわく感に囚われた俺は部屋のドアを開け。

『うおっ、びっくりした!』

『……』

 その時、部屋の前の廊下を走り去ろうとしていた一人の少年と出会う。同じ公営団地に住む一歳年上の子供だ。その子の手首には、当時どれだけ欲しがっても手に入らなかった妖怪ウォッチ零式が巻かれていて、大量の妖怪メダルが収納された半透明のケースまで持っている。そんな宝の山が羨ましく、それと同じくらい恨めしく見つめていた俺の視線に気づいたのだろう。

『一緒に遊びに来る?』

 その子供は俺に手を差し伸べる。

『俺タクマ! 四〇二号に住んでんの』

 それが俺とタクちゃんとの出会いだった。

 タクちゃんやタクちゃんの友達と遊ぶ時間は夢のようだったと言っても過言じゃない。俺には歳の近い友達がいなくて、いつも妹と遊んでばかりだったから。兄妹とは言っても、しかしそこは男と女。同じ屋根の下で暮らし、同じ物を食べ、それでいて同じ物を見て聞いて育ったにも関わらず、どうしても好き嫌いや趣味嗜好には性差が生まれてしまう。妹が好きなアイドルアニメや美少女変身アニメに俺が興味を持った事は一度もないし、妹だって俺が好きなバトルアニメや特撮物に興味を示したりはしなかった。

 同じ物が好きな友達。同じ物を語れる友達。五歳の俺は同性の友達と遊ぶ麻薬の海に溺れていく。その日、俺はタクちゃんやその友達と日が暮れるまで遊び尽くした。くたくたになるまで遊んで家に帰った俺を、夕日に染まった部屋に取り残された妹が泣きながら出迎えた。

 妹の涙は翌日になってからも止まることはなかった。俺が意図的に妹を避けるようになったからだ。妹は俺を逃すまいと、以前にも増して俺にべったり引っ付くようになる。俺はそんな妹を突き飛ばし、逃げるように部屋を飛び出す。ようやく見つけた歳の近い友達と言う聖地だ。妹なんかに土足踏みにじられるなんて冗談じゃなかった。

 とは言え結局俺達の遊び場なんて、同じ公営団地のどこかという狭い世界でしかなかったから。

『……お兄ちゃん』

 いくら幼い妹と言えど、俺達の聖地を見つけるのにそう時間はかからなかった。

『……お兄ちゃん、友達出来たの?』

『……』

『凄い。おめでとう』

 俺は焦っていた。今まで隠し通して来た聖地が妹にバレて。楽しそうに遊んでいる姿を、それまで散々突き放して来た妹に見られて。それに何より。

『お前妹いたの?』

『え、お前女と遊んでんのかよ』

 妹という存在がタクちゃん達にバレてしまった事実に焦っていた。五歳の俺に、生まれて初めて恥という感情が芽生えた瞬間だ。女と遊んでいた事がバレて恥ずかしい。一人ぼっちの妹と同類に見られそうで恥ずかしい。

『来んなっ!』

 妹の存在そのものが恥ずかしい。そんな気持ちを地面の砂ごと拳に込めて、妹に投げつけた。

 妹の悲鳴が聞こえた。大量の砂が目に入ったのか、妹はその場でしゃがみ込んで目をゴシゴシと拭いている。俺はそんな妹に背を向けてタクちゃん達の手を掴んだ。

『タクちゃん行こ! あいつマジでキモいんだよ! トイレにもついて来るし!』

 俺はそのまま別の遊び場まで逃げようとしたものの、しかし足が動かない。タクちゃん達は走らず、その場で立ち止まっていたのだ。

『ヤバ! それってストーカーじゃん!』

 そしてタクちゃん達も地面の砂を握りしめ、妹目掛けて投げつけた。

『帰れ!』

 何度も。

『死ね! ストーカー!』

 何度も。

『こっち見てんじゃねえよ!』

 怒声をあげている割にとても楽しそうに、とても幸せそうに、歪な笑顔を浮かべながら砂や土、石ころを妹に投げつけた。

 遂に妹は耐え切れなくなり、亀のように背中を丸めて小さくなる。そんな妹を見ながらタクちゃんは言うんだ。

『またあいつストーカーして来たから一緒にぶっ殺そうぜ!』

 そんな友達思いのタクちゃんに俺は笑顔で答えた。

『うん! サンキュー!』

 ……ま、そんなタクちゃんの申し出が実現する事はなかったんだけどな。だってその日以来、妹は俺に付き纏わなくなったから。風呂も、トイレも、寝る時も。いつどんな時だって俺にべったりだった妹がこんな簡単に俺から離れてくれた。こんな事ならもう少し早めに妹の存在をバラした方がよかったなー、なんて思ったりもした。でも、それだけじゃないんだ。タクちゃんが俺の妹を殺さずに済んだ理由がもう一つだけあるんだ。

 それから一ヶ月くらい経った頃だったっけ。その日もタクちゃん達と遊んで夕方頃に家に帰ったんだけど、そしたら家の中が酷く荒らされていた。家具の位置がバラバラで、床にはガラス製の灰皿や食器、瓶の破片が粉々に散乱している。そしてそんな部屋の隅っこでお袋が泣いていた。

『ごめんね……っ、ごめん……ね……?』

 壊れた人形のように同じ事だけを呟いていた。そしてあれから七年。俺はあれ以来、父親と妹に会っていない。

 七年……。そうか七年か。あの日も確か本格的な夏が始まる直前の季節だったし、時期的にも今と殆ど同じだろう。急に昔の事を思い出してどうしたのかと思ったら。

 七年。そりゃあ七年も経てば色んな事が起きる。お袋は再婚するし、住む家も変わる。それで家に居づらくなったかと思えばジジイは単身赴任に行っちまうし。あのジジイには是非とも俺が一人暮らしするようになるまで家に帰らないで欲しいもんだな。

 でも、そんな風に家族が変わって行く一方で変わらない関係だってあった。タクちゃんがそうだ。

 お袋が再婚した事で公営団地を出る事になった俺。タクちゃんとは離れ離れになってしまったものの、幸運な事に引っ越し先の町からタクちゃんの住む町まではバス一本で行く事が出来た。住む場所が違って、入った小学校も違って、そもそも歳だって一つ離れている俺達。

 ここまで共通点のない俺達の関係なんて、俺が引っ越した時点で終わりを迎えそうな物だけど、でもタクちゃんは良いやつだからさ。俺が引っ越した後も頻繁に遊びに誘ってくれるんだよ。

 タクちゃんは中学に上がって一気に見た目が変わったよな。小学生の時は坊主頭に剃り込みを入れてたけど、今じゃ頭はキラキラな金色だしパーマだってかけてる。でも、中身は七年目から全然変わってない。いつも俺を気にかけて、俺の知らない色んな事を教えてくれるいい兄貴分だよ。

「ふぅー」

 俺はタバコの煙をのび太の顔に吹きかけながら、これから先もタクちゃんと遊んで行きたいなーと。そう思った。

 最初はタクちゃんに勧められ、カッコつけたい一心で無理して吸い始めたタバコも、気づけばすっかり肺に馴染んで俺の気分を高鳴らせてくれる。俺は今、こんなにも気分がいい。なのに俺の煙を浴びた瞬間、のび太のやつ咳き込みやがった。イライラする。

「はい! 咳したー」

 だから俺は下着姿で土下座するのび太の鳩尾に蹴りをかました。俺の蹴りっぷりがあまりに見事でツボに入ったんだろう。

「ははっ。今のすげえ綺麗に決まったな?」「おいのび太! お前小学生にナメられるとかダサすぎんだろ!」「もーう一発! もーう一発!」

 ギャラリーからの歓声が鳴り止まない。

「あ」

 ふと、のび太の口元からこぼれ落ちたタバコに目が行く。タバコを無駄にされた怒りと、ついでにギャラリーからの要望に応えて俺は二発目の蹴りをのび太にかましてやった。

「おいのび太ァ! タバコもタダじゃねえんだぞてめえ!」

 なんて怒鳴ってはみたものの、実際はタクちゃん達が親からくすねて来たのを貰ってるからタダなんだけどな。

「ご、ごめっ……ごべん……っ!」

 のび太は痛みに耐えながらも慌てて地面に落ちたタバコを再び口に咥える。俺はそんなのび太の髪を掴み、耳元で優しく喫煙のコツを教えてやるんだ。

「ほーら、ゆっくりでいいからそのまま深呼吸しろよ。肺の中を煙で洗う感じ。そうそう! いいねぇ~」

 俺の指示通り、ゆっくりと息を吸うのび太。最初の数秒こそ順調に吸えたものの、しかし結局は今日がタバコ童貞卒業の身。すぐにその肺は限界を迎え、のび太は涙と涎を垂らしながら咽せ返した。

「死ねよお前」

 俺はのび太の頬にビンタをかまし、タクちゃんの隣に腰を下ろした。

 不思議な気分だ。のび太をかもるのはこんなにも楽しいのに、のび太の情けない姿を見ているとイライラする。ま、それでも楽しい気持ちの方が上だからこうしてのび太いじめに加入してんだけど。

「ダイチぃ! お前相変わらずエグいな。最高だわ」

 一仕事終えた俺の肩を上機嫌な表情をしたタクちゃんが叩く。こういうのを見たいから俺をのび太狩りに誘ってくれてるくせによく言うよ。

「タクちゃーん、俺も早く中学上がりてえよ。タクちゃんはいいよな? 毎日こんな楽しい事出来て」

「なーに、あと一年の辛抱だし我慢しろって! ってか自分の学校でオモチャ見つけろよ。お前のたっぱなら小坊みんなビビンだろ?」

「……」

 タクちゃんの何気ない一言が胸に引っかかるのを感じた。タクちゃんは別に嫌味を言いたくてそんな事を言ったんじゃない。それは七年以上タクちゃんと友達やってる俺自身がよくわかってる。……でも。

『……ここ、一階は職員室だよな? この高さなら打ちどころが悪くない限り死にはしないけど、でも騒ぎにはなるだろうな。そしたらすぐに先生達がここまで来るぞ? 飛び降りた私とその机の落書きを見て、先生はどう思うんだろうな?』

 ……でも。

『あぁ? そんなんで俺がビビると思ってんのかよ?』

『思ってるね。今に見てろ、骨折した後病院でたっぷり警察にチクってやるよ。タロウと一緒にお前らにいじめられてたって。その後にお前らの写真をアルバムから引っ張り出して本名付きでネットにばら撒いてやる。あーあ、お前人生終わったな?』

『ならつべこべ言ってねえでやってみろよ』

『やってやるよ』

 ……。

「……ッチ」

 俺は下ろした腰を再び上げて、渾身の蹴りをのび太の背中に打ちつけた。が、俺のストレス発散はこれだけじゃまだ終わらない。この程度で終わらせるつもりもない。

「おいのび太。お前タバコ吸いきれなかったから罰ゲームな」

「ば……罰ゲーム?」

「そ。次の土曜にイオンで万引きとかどうよ? 俺達みんなでお前の勇姿見届けてやっからよ」

 俺の提案を聞き、手を叩きながら爆笑するタクちゃん達。見ず知らずの他人がこんな下品な笑い方をしているとぶち殺したくなるけど、タクちゃん達がやっていると俺まで幸せな気分になるんだから不思議なもんだ。

 しかし、こんな幸せ気分は次にタクちゃんが発した一言によって呆気なく地面に叩き落とされる。タクちゃんは一通り笑い終えると、困ったように眉を顰めながら俺に謝罪をした。

「あーでもごめんダイチ。俺今週は土日両方とも彼女とデートだわ」

「えー! そりゃねえよタクちゃん……」

「ごめんって! 最近構ってやんなかったらさ。俺も俺で色々大変なんだよわかってくれよ? な?」

「ちぇっ、つまんねえの」

 あからさまにいじけてますアピールで友情より女を優先したタクちゃんの良心を痛めつけてやった。ま、タクちゃんにこの程度で痛む良心がないはよく知ってるけど。

「ってかダイチも女作ったら?」

 そんな俺に追い討ちをかけるように、中学に上がってからタクちゃんと仲が良くなった海斗(カイト)さんが一つの提案を出してきた。

「マジで中学上がるまでに童貞は捨てとけよな? 小学生のうちに捨てとかないとチンコ腐るぞマジで」

「なーにくだらない嘘ついてんすか……」

「いやマジマジ! ほらそこに証拠あるじゃん!」

 カイトさんが指差す方向に視線を向けると、そこには涙を流しながら怯えているのび太の姿があった。俺達は声を合わせて笑い転げた。

 とは言えだ。実際それが俺の一つの悩みである事に違いはねえんだよな。このいつメンの中で唯一の童貞が俺なんだもん。女の話になった時の疎外感と来たらたまったもんじゃない。

 別に女に興味がないわけじゃないし、女を作れないわけでもない。現に同じ学年の女子には三回告られた経験があるし、下級生から告られた経験だってある。でも告られたからってそいつらに興味が出るかどうかは話が別だ。

 低学年の頃からタクちゃんから成人向けのエロ動画を見せられたせいなのか、俺は自分以下の年齢の女を女として見る事が出来ない。女というのは胸と尻がデカいもの。そういうものだと脳が認識しちまってんのかもな。顔がいいのは当たり前として、その二つが備わっていない女を見た所で、俺の目にはそいつがちんこのない男にしか映らないんだ。妥協してそんなガキと付き合ったとしても、胸のデカい女と付き合ってるタクちゃん達とは何の張り合いにもならないしな。

 タクちゃん達の彼女は写真で何度も見せてもらっている。どいつもこいつも頭の悪そうな女だけど、顔と体だけは間違いなく上物だ。俺が女として見る事が出来る理想の女。どうせなら俺もあんな感じの女と付き合ってみたいし、なんならタクちゃん達から年上の女を紹介された事だってある。でも、結局紹介されるだけで終わっちまうんだ。

 最初は身長で俺を同い年か年上だって判断してノリノリで会話が進むのに、俺の実年齢を知った瞬間みんな冷めた顔をしやがるわけ。大人ぶりたい中学生の女ってやつは、小学生のガキなんかとは付き合いたくはないらしい。小学生と付き合えば自分の価値が下がるとでも思ってんだろう。結局あいつらが欲しいのは恋愛相手じゃなくて、自分をより光らせてくれる上質な男って事か。馬鹿しかいねえよ、女ってやつは。

「まぁそういうわけで俺週末は参戦出来ねえけど、でものび太に万引きさせんのは面白そうだし大賛成。おいのび太」

 徐に起き上がりのび太の方へ歩み寄るタクちゃん。タクちゃんはのび太の前で便所座りしながら、言い聞かせるように一つの提案を持ちかけた。

「ゲームしようぜ?」

「ゲー……ム……?」

「そ! お前はイオンで俺達へのプレゼントを万引きする事。で、商品代千円につき俺達は一日お前に手を出すのをやめてやる。三万円分万引きしたら一ヶ月手を出さないし、一年間手を出して欲しくないなら……えーっと……」

 指を折りながら暗算をするタクちゃん。タクちゃんの事は好きだけど、その様は少しばかり情けなく思えてしまった。

「三十六万円だってよ!」

 そんなタクちゃんにスマホの電卓画面を見せながらカイトさんが答えた。しかしカイトさんの計算だと一年は三百六十日しかない事になってしまう。だがその事につっこむ人は誰もいない。ここはそう言う人達の集まりだから。

「ま、そういう事だ。やるよなのび太? 拒否るならお前ここで殺すぞ」

「……」

「脅しじゃねえぞ。俺とカイトはまだ十三だ。十四になる前なら人を殺しても許されるって知ってる? 正直、このまま何もしないで十四になるのは勿体ねえなーって。何度も思ってるわ」

 十分脅しだった。そんなタクちゃんの脅しに屈したのび太は首を縦に振り、「わかった」と静かに答えた。タクちゃんは満足そうな笑みを浮かべながらのび太にビンタをかまし、カイトさんの方へと戻っていった。

「おいタク! 俺まで巻き込むなってマジで! 貴重な殺人童貞をのび太なんかに使いたくねえから!」

「それめっちゃわかる! 俺もどうせ殺すならガキの方がいいわ」

「あ、いいなそれ! 今度生意気な小坊見つけてぶっ殺そうぜ!」

 ……。

 親や教師が聞いたら卒倒しそうな話を和気藹々と、楽しそうに、日常会話で冗談でも言うように語り合うタクちゃんとカイトさん。そんな二人の会話を聞いてて、ふと思っちまった。俺には是非ともこの二人に殺して欲しい生意気な小坊がいる事を。

『いいか! これに限らずまたなんかちょっかい出して来やがったらその度に速攻でチクってやる! 喧嘩じゃ強い方が勝つのかも知んねえけど社会じゃ弱い方が勝つんだよ! 覚えとけカス共! カス! カス! カースッ!』

「……」

 ほんと、マジですぐにでも死んでほしいガキがいる事を。ま、どうせ殺したいなんて口だけなのは知ってるけどさ。……と、その時。

「おい、誰か火」

 みんなに釣られて笑う事はあれど、自分からは滅多に言葉を発さない中二の陽一(ヨウイチ)さんが、タバコを一本咥えながら俺達に火を求めた。

「うぃーっす」

 俺はすかさずポケットからライターを取り出し、ヨウイチさんのタバコに火を灯した。ヨウイチさんはいわばこのグループのリーダー的存在。風の噂じゃ既に人を殺しているだの、親がヤのつく人だの、散々な言われようだ。この人自身、あまり自分の事は語りたがらないから噂はどんどん尾鰭背鰭がついて行く始末だし、どこまでが本当でどこからが嘘なのかわかったもんじゃない。

 けどま、俺が順風満帆な中学生活を送る為だ。媚びは売れる内に売っとけってな。

「おう、サンキュー。それとダイチ」

「はい?」

 次の瞬間、俺の大腿部に鋭い痛みが走った。俺は思いがけない激痛にバランスを崩す。百七十センチの身長が落下する。尻が床に直撃した衝撃で言葉も発せず、息をするのもやっとの状態だった。

「俺と話す時は見下すなっつってんだろ。膝をつけろ膝を」

「……」

 正直、タクちゃん達と遊ぶのは楽しい。タクちゃんは小学生の俺が知らない色んな楽しい事を教えてくれるし、カイトさんも俺の事を可愛がってくれるし。でも、ヨウイチさんの事だけはどうしても好きになれねえな。チビのくせにイキリやがって。今までそのちょこまかとした体を何度上から踏み潰してやろうと思った事か。

「……は、……はい……っ」

 ……ま、思うだけだけど。ヨウイチさんの服の隙間から覗く鍛え抜かれた太い手足には、俺から反抗心を奪うだけの十分過ぎる効力があった。この人、俺より十センチも背が低い癖に体重は十キロも重いんだよ。

 息が整って来たところで、それでもまだ痛みの残る体に鞭を打ってなんとか立ち上がる。するとヨウイチさんはそんな俺の耳を引っ張り、自分の口元まで引き寄せた。

(お前、のび太がちゃんと万引きしてるか動画撮って来い。金出して買ったもんを万引きしてきたとか抜かすかもしんねえしな)

 あーあ。ほんと死んでくんねえかな。この人も。
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