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第1.5章 魔女と日常の話

風邪

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 魔法の完成度は魔女のスペックに依存する。魔法を使わなくても出来る事程成功しやすく、魔法に頼らなければ出来ない事程失敗しやすい。

「骨折の治り方。めちゃくちゃ軽い骨折なら、骨折した部位に直接骨が作られて骨同士がくっつく。これを直接的な骨癒合と呼ぶ」

 私はノートに纏めた骨折の治癒過程を読み直していた。この五年間で私が最も得意になった魔法は治癒魔法だ。

「ただし普通以上の骨折なら、六つの段階を経由しないと骨同士はくっつかない。一、骨折した場所から血が出る。二、その血が固まって骨折した場所を包む。三、炎症と腫れが発生する。四、そこに骨を作る細胞が集まって増えていく。五、そいつらが骨や軟骨を作って仮の骨を作る。六、仮の骨が正常な骨に作り替えられて骨折は治る。これを間接的な骨癒合と呼ぶ」

 傷の塞ぎ方、痣の消え方、腫れの引き方、折れた骨のくっつき方。ネットで調べたり図書館で医学の本を読むなりして、それはそれは苦労して覚えたもんだ。医学書とか分からない単語だらけだから、一文を理解する為に何度知らない単語の意味をググった事やら。

 でも、これも立派な魔法の修行だ。魔法の完成度は魔女のスペックに依存する。魔法を使わなくても怪我の治療が出来る知識と技術を身につける事で、私の治癒魔法はどんどん洗練されていくのだから。だからこうして怪我の治癒課程を忘れないように何度も読み返すのは、とても大事な修行の一環と言えるだろう。

 それじゃあどうして治癒魔法を専門的に覚えるようになったかと言うと、恥ずかしい話がいじめ対策なんだよな。サチと距離を置くようになったあの日から、私は新しい学校でまたいじめを受けてもサチにバレないように治癒魔法をマスターしたいと思ってしまった。そんな不純な動機。

 動機こそ不純であれ、それでも二年間練習を続けてしまった私のかけがえのない財産である事に違いはない。二年間も練習しただけあって、魔法の精度も中々に洗練されていると思う。ちょくちょくハサミで指に軽い傷をつけては治しているけれど、ここ最近は失敗した事がないしな。

 今じゃ骨の治し方にまで手を伸ばしている程だけど、流石にこの魔法を使うような日は一生来て欲しくないものだ。そんなわけで今もこうして復習を欠かさず行っているわけだけど……。

「脳味噌ってマジでクソだよな」

【なんだよ急に】

「だって私、このノート整理してから何十回も読み直してんだぜ? なのに読み直す度に必ずどっかは忘れてやがんの。何で一回で覚え切れねえのかな」

【ポケモンは全種類言えるのにな】

「ホントそれな」

 ま、だからと言って勉強をやめるつもりはないんだけどさ。なんせ私には新しい目標が出来てしまったんだ。例え卒業試験に合格出来なくても、向こうで修行を積んで私自身がサチの願いを叶えたいと言う、そんな夢。だからこういう医学の知識は間違いなく将来私の武器になる。サチの願いに関しては、まだまだ最初の一歩も踏み出せない状態だけど……。

 だってしょうがないだろ? 不妊治療の魔法ってなると、まずは正常な妊娠の仕組みから勉強する必要がある。そりゃあ保健体育のおかげである程度の知識は身につけてるつもりだけど、そんなんじゃ全然足りないんだよ。図書館で本格的な産科学の本を手に取ってみると、これがもうちんぷんかんだ。ホルモンバランス? 性成熟と生殖周期? 生殖障害? 初めて聞く単語だらけであったま痛え……。

 そもそもこういうのって高校を優秀な成績で卒業するだけの知識を持った奴が医学部に入る事でようやく手を出すもんだろ? 私は基礎知識からして既に足りてない。怪我の治療に関してはたまたまイラスト付きでわかりやすく解説している本と出会えたものの、それでもまだまだ覚えなきゃいけない事は山のようにある。

 私に嫌われようとしていたサチに言われたっけ。

『最初は二十年って言っておきながら十年って言い直して。そしたら今度は一年か。随分都合がいいね』

 ……ほんと、その通りだ。と、その時。

 噂をすればなんとやら。サチが仕事から帰ってくる。いつもより随分と早い帰宅だと思うけれど、ともかく私は腰を上げてサチを出迎えに玄関まで足を向け、そして。

「おかえりな……」

「……あ。……りいちゃん。ただいまー……」

「……サチ?」

 顔を真っ赤に染めながら、覚束ない足取りで部屋に上がるサチがそこにはいた。




「……」

 自室のベットに横たわるサチを見ながら昔の事を思い出す。あれは治癒魔法の練習を続けて数ヶ月が経った頃だ。

 その日、私は公園で死にかけた雀を発見した。死ぬ間際の蝉のように、地面に横たわりながら時折バサバサと羽を羽ばたかせるんだ。私はそんな雀を見て、自分の魔法の成果を試してみたいと思い立ってしまった。雀がどんな理由で死にかけているのかもわからないまま、治癒魔法をかけてしまった。そしたらその雀は呆気なく死んじまったよ。悶えるように羽をばたつかせながら、この世の終わりのような悲鳴をあげて。

 あの頃の私は原因がわからずにただ明け暮れるだけだった。でも、今の私にはわかる。あの雀は感染症か癌に蝕まれていたんだ。私は治癒魔法であのスズメ諸共、あいつに取り憑いた細菌や癌細胞まで活性化させてしまったんだろう。

 やろうと思えば菌や癌細胞を避けて、対象の体だけを活性化させる事も出来るのかもしれない。でも、それと同じくらい出来ない可能性だってある。要するに私には自信がない。サチにそんな魔法をかけるとして、一歩間違えたらあの雀の再現になるかもしれないと言う不安に駆られてしまうから。私の経験上、自信を無くした状態で行使する魔法は大体失敗に終わるから。

 魔法の失敗におけるデメリットは絶大だ。魔法が発動しないだけならそれは大当たり。しかしハズレくじを引いてしまうと、術者に悪い形で魔法が跳ね返って来たり、術者の望んだ形とは真逆の方向で魔法が働いたりする。

 サチの風邪を魔法で治すとして、失敗すれば不発か症状の悪化か私に風邪が移るか。下手したらサチの症状が悪化した上で私に風邪が移る可能性だってある。そんなギャンブルに手を出せる程、私は勇敢じゃないんだ。

 サチって年に一二回は風邪を引くんだよな。私はそんなサチを見る度に自分の無力さを呪うよ。ほんと無力だ。何の為の治癒魔法なんだか。

【しょげてても仕方ねえよ。魔法がダメなら物理で治す手伝いでもしてやろうぜ?】

「……あぁ、そうだな」

 私はメリムの提案に乗っかった。今までの私はせいぜい氷枕に冷えピタを貼ってやるくらいしか出来なかったけど、私ももう六年生なんだ。この世界最後の年くらいガチのマジモードで看病してやろうじゃないか。

「冷やすぞ!」【冷やすぞ!】

 私はエアコンのリモコンを手に取った。モードは冷房、風量は強風、このエアコンで設定出来る最低温度は十七℃だから限界まで下げてやる。いい風だ。これならサチの熱もすぐに冷めるだろう。

 でもこれだけじゃまだ足りない。私は冷蔵庫から冷えピタとお酒五缶を。冷凍庫から氷枕とチューペットを取り出してサチの部屋へ戻る。そしてサチの頭に氷枕と冷えピタを、サチの首筋と両脇と股の間にお酒の缶をセットしてあげた。もちろん喉が乾くといけないから口にはチューペットも装着済みだ。私の献身的な看病の成果はすぐに出る。

「寒い⁉︎ 寒いっ⁉︎ 寒ーーーーいっ⁉︎」

 サチ、めっちゃ元気になった。

「サチ……! 元気になってくれてよかったです。高原でそよ風に吹かれる夢でも見てくれましたか?」

「北極でビーチバレーする夢見たよ⁉︎ 何してるの⁉︎ 寒いよっ!」

 叩きつけるようにエアコンのリモコンに手を伸ばすサチ。電源を切ったせいで折角の冷えた部屋が台無しだ。

「あのね? バイ菌は熱に弱いの。だから人は風邪を引くと熱を出すんだよ。熱がピークに達するまでは体は暖めた方が良いって事を覚えておいて」

「え……。あ、ごめんなさい……」

 初めて知ったその知識にショックを受けてしまった。結構勉強して来たつもりなんだけど、そんな基礎的な医学の事も私は知らないままだったなんて……。

「まぁ知らなかったならしょうがないよ。りいちゃんも私の為にしてくれたんだし。もう冷やさなくていいからゆっくり寝かせてね?」

「はい」

 サチはそれだけ言って再び夢の世界へと旅立った。

「メリム」

【おう】

「温めるぞ!」【温めるぞ!】

 五分後。

「暑い⁉︎ 暑いっ⁉︎ 暑ーーーーいっ⁉︎」

 サチ、今度こそめっちゃ元気になった。サチの体に纏わりつく冬用のクッソ分厚い羽毛布団に電気毛布、そして部屋中を漂う暖房の熱風がよっぽど気持ちよかったんだろう。

「サチ……! 今度こそ元気になってくれてよかったです。ゆっくり温泉に浸かる夢でも見てくれましたか?」

「ジグソウに捕まってサウナに監禁される夢見たよ⁉︎ 極端だよさっきから!」

 叩きつけるようにエアコンのリモコンに手を伸ばすサチ。電源を切ったせいで折角の温まった部屋が台無しだ。

「お願いりいちゃん……! 気持ちだけでいいの……! 気持ちだけで充分嬉しいから何もしないで、静かに寝かせて……! 人肌以上の温かさなんていらないんだよぉ……っ」

 そして最終的にはサチに泣きつかれてしまったわけだ。

「なぁ、メリム。誰かの為にやった行動を拒絶されるのって辛いな……」

 自室へとぼとぼ帰りながら私はメリムに同意を求めた。

【どう考えても一番辛いのサチだからな】

「なんだよ裏切り者。お前だってノリノリで冷やすぞ温めるぞ言ってたくせに」

【俺は面白そうだったからタチの悪いお前を焚き付けてただけだ】

「おめえの方が百倍タチ悪いな。死ねよ」

 自室のベッドに横たわり、小さくため息を吐いた。

 サチは体調を崩しやすい。卵巣ごと子宮を摘出したせいで女性ホルモンが極端に少なく、閉経した女の人と同じような体だから、俗に言う更年期障害と呼ばれる症状が頻繁に体に現れると以前教えてもらった事がある。それであまり寝付けず寝汗もかくから風邪もひきやすいんだろう。そしてそんな病気に対しては、とことん私は無力なんだ。どうしようもないくらい無力なんだ。

「サチに何かしたい」

【するなっつうの】

「それでも何かしてえんだよ……」

 好きっていう気持ちには行動が伴うと思う。何もせず、ただただ好きって思うだけならそれは単なる感想だ。好きな人の為に何かをする。それって一番の好きの証明じゃないんだろうか。気持ちには形がないんだから、せめて目に見える形で何かをしたい。自分は好きな物の為にこういうのが出来る。自分は好きな人の為にここまでやれる。そうしないと、私の好きってただ思うだけのつまらないもんなんじゃないかって、酷く不安になるから。

【だーかーらー】

 それでもメリムは言うんだ。

【何もしなくていいからそばにいてやれよ。それだけで充分だろ】

 何もするなって、そう言うんだ。

「……そっか」

 だから私はサチの為に何かをするのを諦めた。
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